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7人の軍将 -前章譚-  作者: mocha
 5.切り札
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1560年 6月12日 14:55 尾張国・桶狭間山周辺

  1560年 6月12日 14:55 尾張国・桶狭間山周辺

   織田方 3200人 織田信長・川尻秀隆・佐々成政・金森長近・木下藤吉郎・林秀貞・池田恒興・森可成(よしなり)菅笠(すげがさ)を被った男・柴田勝家

   今川方 今川本隊

        義元本陣 2000人 総大将・今川義元/軍師・庵原之政(あんばらゆきまさ)/先陣長・葛山氏元(かつらやまうじもと)/次陣長・関口氏広/後陣長・岡部正綱/右陣長・三浦義就(よしなり)/左陣長・朝比奈元長

         中備え 1000人 主将・由比(ゆい)正信/副将・荻清誉(おぎきよたか)/先鋒隊長・勝間田政行/次鋒隊長・佐竹高貞/後方隊長・沢田忠頼

         後備え 1000人 主将・富士信忠/副将・興津(おきつ)清房/先鋒隊長・井上継隆/次鋒隊長・大村家重(いえしげ)/後方隊長・飯尾乗連(いのお のりつら)

       大将ケ根守備隊 1000人 主将・松井宗信/副将・蒲原氏徳(かんばらうじのり)/先鋒隊長・安倍元真/次鋒隊長・福島(くしま)助昌/後方隊長・一宮元実 

   松平方 100人 松平元康・酒井忠次・本多忠勝



   太子山

   柴田勝家


 桶狭間地域を一面覆っていた霧が薄れ始めていた。まだ眼下も見渡せぬが、一時に比べればましだ。

 正に雌伏の時だった。昨夜の21時に太子山に着陣して以来、この場を動いていない。目の前で何度かの戦があった。(信長)本隊の使い番からの報告で、その一つが義元本陣に向けて吶喊(とっかん)した千秋季忠(せんしゅうすえただ)・佐々政次隊300である事も。

([織田]信長様も無茶を強いる)

 死を前提にした吶喊(とっかん)・・・恐らくは義元本陣の位置を知りたかったのであろう。

「酷いな」

 儂は独り言ちする。他人事ではない。何れ儂の部隊も辿る運命かも知れないのだ。

「何か?」

 聞き咎めた副将の一人・(佐久間)盛次が首を傾げる。

「何でもない」

 儂は独り言を聞かれてしまった己の失態を隠すように唸る。(佐久間)盛次は肩を竦めただけだった。

「しかし何と言う天候なのでしょうな」

 (佐久間)盛次と対に居るもう一人の副将・吉田次兵衛がぼやく。

「昼時の暴風雨と雷の次は霧ですか。寝床が湿気て座る事も出来なんだ」

「そちの豪胆さでも叶わぬか?」

「御戯れを・・・老骨には堪えますわ」

 確かに酷い天気だ。午前中から降り始めた雨に暴風と雷が重なり、伏兵でなければ、山を下り麓に退避しなければならない位であった。幸い土砂崩れも起きず、兵が騒ぐ事もなく、何とか凌いだ。昨夜は野宿とは言え、十二分に休みが取れたのが幸いだ。中には体調を崩す者もおるが、日頃から鍛え上げている兵達だ。これ位では凹んだりはしない。逆に荒天のせいで気持ちを昂らせている。

(既に[信長]本隊は突入した。だが、戦況は判らぬ)

 (信長)本隊の使い番が今川本隊へに突入したとの報告以降、新たな使い番は来ていない。今川方と思われる一隊(今川本隊中備え)が生山(はえやま)に撤退するのを垣間見た以外、(信長)本隊の趨勢すら判っていない。焦燥はあるが、待つしかない。兵の中には痺れを切らし始めている者も居た。何とか各隊長が睨みを利かせ、押さえつけている状態だ。しかし、何れ暴発するやも知れん。

 それは突然だった。

「殿(柴田勝家)ぉ!狼煙(のろし)が、狼煙(のろし)が上がりましたあ!!」

 近習の一人が叫ぶ。

「来たか!!」

 儂は御座から起き上がり、桶狭間山の方角を睨み付けた。

「数は?」

「三つです」

「間違いあるまいな?」

 儂はぎょろりと近習を見る。

狼煙(のろし)の他に、法螺(ほら)も三回聞こえ申した。」

 近習がすかさず答える。儂は出陣前、(織田)信長様の前で反芻した言葉を、再び頭の中で繰り返す。

(一つは桶狭間道を封鎖し、義元本陣の退路を塞ぐ。二つは義元本陣への横撃。そして三つは・・・)

「桶狭間山へ向かう。目標は(今川)義元の首のみ!」

 儂は銅鑼(どら)声を放つ。配下の兵が起立し、整然と並び始める。

 使い番から次々と報告が入る。

「先鋒隊長・柴田勝定様より、先鋒隊の準備が整ったとの事」

「次鋒隊長・柴田勝豊様より、次鋒隊は何時(いつ)でも出陣出来るとの事」

「後方隊長・柴田勝春様より、背後は任されたしとの事」

 桶狭間山を見上げ、儂は呻く。

 一度は追い払われた今川本隊の前備えが生山(はえやま)で転回し、桶狭間山に向かっている。前方やや左寄りには桶狭間道を守備していた今川方の別動隊(大将ケ根守備隊)が、騒ぎに気づき義元本陣の救援に駆け付けようと山を登り始めていた。

(囲まれる)

 (織田)信長様の本隊はこのままでは包囲される。一刻の猶予もない。

「儂に続けい!」

 我が隊は全速力で太子山を駆け下りた。



   桶狭間山北・桶狭間道

   柴田勝家


  太子山を降り桶狭間道に出ると、既に今川方の別動隊(大将ケ根守備隊)は転回を終えて丘陵の山道を登り始めていた。我が隊は態勢を整えるため、桶狭間道で一旦停止した。

「火縄銃を用意せい」

 儂は叫ぶ。

「(柴田)勝家隊、此処(ここ)からでは敵に届きませぬぞ」

 副将・(佐久間)盛次の一人が指摘する。

「構わん。ただの脅しだ」

 今川の兵は500の火縄銃が一斉に撃たれた時の轟音を知るまい。さぞ肝を冷やすだろう。今川方の動きを止められれば重畳。混乱すればなおよし。弾に当たれば幸いじゃ。

「よいか。儂の命に合わせ火縄銃の一斉射撃を行う。弾は全て撃ち尽くせ。打ち尽くした者から火縄銃を捨て、坂を駆け上がれ。行く手を阻む者は全て倒せ。兜首(かぶとくび)も打ち捨てよ。塗輿(ぬりごし)を見つけたら(今川)義元を探せ。見つけた者には褒美を取らす。(今川)義元に手を掛けた者は言うまでもない。遮二無二に進めいっ!」

「「おうっ!」」

 兵から掛け声が上がる。我が隊(柴田勝家隊)が準備している間にも、一度は義元本陣に向かって坂を登っていた今川方の別動隊(大将ケ根守備隊)の一部が背後の儂らに気づき歩みを止めていた。全軍には儂らの存在が完全に行き渡っておらぬようだ。隊が大きく乱れている。それでも、(大将ケ根守備隊後方隊)殿の部隊の一部が我が隊に相対し戦闘態勢に入る。

(ふん。今川方も存外脆い。動きがバラバラじゃ。これでは攻めてくれと言っておるようじゃ)

 (織田)信長様に相対した時の恐ろしさ-畏怖と申すか-に比べたら、何の事はない。

「(柴田勝家隊)後方隊の(柴田)勝春に伝えよ。火縄を撃ち尽くしたのと同時に、他の隊を迂回して今川方に攻め掛かれと」

 火縄を撃った後の兵はどうしても動きが鈍くなる。先鋒隊であれば、相手の圧が一番掛かり精神的な消耗が甚だしいのだ。直ぐには動きが取れまい。一番消耗の少ない(柴田)勝春の任せるのがいい。敵に付け入る隙は与えぬ。 


         

   桶狭間山北

   松井宗信

 

「馬鹿な」

 斥候(せっこう)の報告に一瞬耳を疑った。

「大将ケ根周辺には織田方はおらぬと言ったではないか」

「御意」

「ならば、何故我が隊(大将ケ根守備隊)の背後に織田の別動隊(柴田勝家隊)がおるのじゃ?」

「それは・・・」

 斥候(せっこう)は言葉に詰まる。斥候(せっこう)を問い質しつつ、別の事も考えていた。先程、別の斥候(せっこう)からの報告で、(義元)本陣を急襲しているのが信長本隊である事が確認された。

(そもそも織田の本隊が御屋形[今川義元]様を急襲している事自体、有り得ぬのじゃ)

 織田の本隊は清洲城に居たはず。勿論、その後に出陣し、善照寺砦や中嶋砦に向かったとしても不思議はない。だが、最前線である中嶋砦には今川の2隊が向かった。本当に迂回したのか?いやいや、山越えの経路だ。我が隊(大将ケ根守備隊)が引き払った時期を見計らうように現れるなど、余程の偶然が重ならない限り有り得ぬ。斥候(せっこう)を放ち、織田方の有無は怠っておらなかった。鳴海道(なるみみち)を通ったならば、松平(政忠)殿か井伊(直盛)殿から使いがあっていいはず。いや会戦しているはずだ。両者から何の連絡がないのはおかしい。まして、こちらが放った斥候(せっこう)からの連絡もない。

「松井(宗信)様っ!」

 近習の一人の逼迫した声で我に返る。

「我が隊(大将ケ根守備隊)を転回する」

 背後に織田方の別動隊(柴田勝家隊)を感じつつ部下に命ずる。

「無茶でこざる!」

 近習の一人が思い止まるよう袖を引く。

「このような山の斜面の途中で兵を帰せば、大混乱になりますぞ」

 副将・蒲原(かんばら)氏徳(うじのり))殿が追随するように言い募る。

「判っておる。じゃが、ここで兵を帰さねば、殿の部隊(大将ケ根守備隊後方隊)だけでは持たぬ」

 既に殿(今川本隊中備え後方隊)の一部が織田方の別動隊に気づき、独自の判断で兵を返し備えていると伝言があった。我が隊(今川本隊中備え)は、殿の隊(大将ケ根守備隊後方隊)の一部が踏みとどまった事で機能不全に陥っているのだ。放っておけば、進軍する他の隊と乖離し、殿の隊(大将ケ根守備隊後方隊)は孤立してしまう。そうなれば、殿の隊(大将ケ根守備隊後方隊)は鎧袖一触(がいしゅういっしょく)だ。

 近習や副将の蒲原(かんばら)氏徳(うじのり))殿は顔を見合わせる。どちらの策も一理あるが良策とは言い難い。我が隊が動いた時点で、本陣を中心とした桶狭間山の均衡は崩れていたのだ!

「御屋形(今川義元)様にはどう弁明なさるお積もりで?」

 蒲原(かんばら)氏徳(うじのり))殿が訪ねる。大将ケ根の守りを放棄し、無断で御屋形(今川義元)様に向かうも、敵の伏兵に気づきそれも断念してしまった。敵の伏兵に備える事も儘ならぬ。私は苦し紛れに言い放った。

「御屋形(今川義元)様の救援は他の隊に任せるしかあるまい」

 消極的だが、そう言うしかなかった。副将の蒲原(かんばら)氏徳(うじのり))殿はそんな私の心の内を察したのか、静かに頷く。

「・・・判り申した。使い番を各隊へ!我が隊は背後の織田方に対するため、この場で転回するよう伝えよ」

 蒲原(かんばら)氏徳(うじのり))殿が集まった使い番に指示を出す。

(持ち堪えてくれよ)

 殿の部隊(大将ケ根守備隊後方隊)に期待するしかなかった。


 数分後、各隊に送った使い番が戻って来るが、芳しくない報告ばかりに思わず天を仰いだ。

「(大将ケ根守備隊)先鋒隊、殿の部隊が迎撃態勢となっているため、停滞しております」

「(大将ケ根守備隊)次鋒隊、(今川本隊前備え)先鋒隊と(今川本隊前備え)本陣に挟まれ、動けぬとの事」

「(大将ケ根守備隊)後方隊(殿の部隊)、既に織田方に備えているため、動けず。そのままの態勢を維持するとの事」

 完全な八方塞がりであった。自軍で喧騒がする。

「如何した?」

「・・・どうやら、先に進みたい(大将ケ根守備隊)先鋒隊と身動きが出来ない(大将ケ根守備隊)次鋒隊との間で諍いが始まったようですな」

 妙に冷たい言葉が投げ掛けられた。大将ケ根の守備の放棄に反対し、また、織田方の来襲に際して兵の転回にも反対した副将・蒲原(かんばら)氏徳(うじのり))殿だった。明らかに批判めいた目で私を見ている。

「何たる事か」

 私は思わず言葉を漏らした。

(そのような目で見るでない。我が隊はそもそも・・・守備隊であったろうが)

 矛盾している事は重々承知の上じゃ。私は混乱する頭の中で辛うじて言い訳めいた思いに縋った。



   桶狭間道

   柴田勝家


(来ぬな)

 今川方の殿の部隊(大将ケ根守備隊)は迎撃態勢を整えたまま、斜面の途中に留まっている。初めは余り見ぬ火縄に恐れをなしたのかと思っていた。これだけの火縄を使った戦など、儂とて聞いた事がないくらいだ。唐や南蛮など日ノ本の外の事は知らぬが、日ノ本で500もの火縄を用意した事など商人も初めてだと申しておったか。本来であれば坂を下る勢いに任せ距離を詰めて来るかと待ち構えたが、杞憂じゃったようだ。それに数も少ない。全軍の態勢が整わないため、殿の部隊(大将ケ根守備隊)の一部が独自の判断で備えているように見える。要は攻め込むだけの人数が揃っていないのだ。

「勝家様、火縄の用意が出来申した」

 傍らで副将・(佐久間)盛次が叫ぶ。霧のせいで言葉を伝えるのも楽ではないの。

 準備は整った。それならば此方(こちら)も思う様にするまでよ。

「火縄隊、10歩前進!」

 儂が命ずると兵に緊張が走る。ゆっくりとしかし整然と鉄砲隊が前に進む。桶狭間山の登り坂に入り込み、辺りの木々が目に入った。とても敵を狙い撃てるような場所ではない。道もなく、木々が生い茂っている。当たれば儲けものといった感じか。本当に精々脅しにしか使えぬ。貴重な火縄銃が勿体ない事よ。

 我が隊と今川方の距離が狭まり、耐え切れなくなった今川方の一部が恐怖に負けたように攻め込んでくる。今川方の組頭の怒声が聞こえたような気がした。だが、構う事はない。

「撃ていっ!」

 儂は大声で命ずる。先鋒隊から順次、火縄銃が一斉に撃たれる。耳を弄する轟音と火薬の煙が充満し、聴覚と視覚が遮られる。轟音は山々に木霊し、幾重にも繰り返された。桶狭間山一帯は霧が僅かに残っており、風も凪いでいて中々煙が拡散せぬ。立て続け様に撃たれる火縄銃の煙が濃くなり、辺りが全く見えぬ。しかし火縄隊は発砲する事を続けた。それこそが我が隊(柴田勝家隊)の強みであった。そして予期せぬ火縄銃の轟音と煙に今川方が大きく動揺している事は判った。再び視界が完全に遮られ、今川方は前に進めなくなったようだ。突進して来なければ、火縄の敵ではない。

(勝てる、勝てるぞ!)

 儂は一人確信した。



   桶狭間山北

   松井宗信


 突然の轟音に兵の動きが止まった。完全に思考が停止した。その轟音はその後も何度も桶狭間を震撼させた。我が隊(大将ケ根守備隊)の混乱は拍車がかかり、命令系統は寸断されていた。

「な、何が起きておる?」

 私は漸くその言葉を絞り出す。その時、斥候(せっこう)の一人が駆け寄り、副将・蒲原(かんばら)氏徳(うじのり))殿の一人に耳打ちするのが見えた。報告を受け、顔を真っ青にして私ににじり寄る。

「拙い事となり申した」

「どうした?」

「轟音-恐らく火縄銃の音だと思われますが-に驚いた(大将ケ根守備隊)次鋒隊の一部が近﨑道やその先の獣道に向かって遁走(とんそう)し始めたの事」

 先程は批判的な眼を向けたとは言え、流石は副将である。状況認識は確かだった。

「まずい・・・御屋形(今川義元)様の進路を阻む」

「何と・・・(それがし)遁走(とんそう)した兵を回収してきます」

 蒲原(かんばら)氏徳(うじのり))殿は慌てて配下の兵に声を掛け、呼び集める。しかし、恐慌を来した兵を返すのは難しい。私は蒲原(かんばら)氏徳(うじのり))殿を呼び止める。

「何か?」

「命に従わぬ場合、斬っても構わぬ。私が責任を負う。軍規違反として御屋形(今川義元)様にも後日報告しておく」

「承知っ!」

 蒲原(かんばら)氏徳(うじのり))殿は安堵した顔を見せた。もしかすると、同じ事を考えておったのであろう。責任の所在がはっきりとして、肩の荷が降りたのやも知れぬ。

 この戦が終わった後、蒲原(かんばら)氏徳(うじのり))殿には報いてやらねばならぬ。



   桶狭間山北

   柴田勝家


 その後も何度も轟音は絶え間なく続いた。儂の耳も耳鳴りが鳴り止まず、バカになってしまったようだ。暫くして傍らで叫ぶ副将・(佐久間)盛次の声に気づく。

「何じゃあ?聞こえぬぞ」

 儂は聞き返す。

「ですから、間もなく全弾を使い切るかと。急ぎ次の準備を!」

 (佐久間)盛次が大声で叫ぶ。

「うむ、相判った」

 儂は火縄の煙が充満する桶狭間道を見遣る。とにかく、敵が桟を乱しているうちに打ち掛からねばなるまい。敵に立て直すゆとりを与えぬ事が肝要だ。 

「殿(柴田勝家)、全弾撃ち尽くしましたあ!」

 副将・(吉田)次兵衛が大声を怒鳴る。儂は大きく頷く。

「火縄はその場に打ち捨てい!遮二無二に山を駆け上がれ!敵に立て直す猶予を与えるなあっ!!」

 火縄銃は貴重じゃ。兵の中には躊躇(ためら)う者もいたが、儂が一睨みすると悲鳴を上げて火縄を放り投げた。

(それでよい)

 儂も他の兵卒に負けじと坂を駆け上がる。

 眼前の敵(大将ケ根守備隊)は大きく乱れておる。密集隊形で進めば簡単に食い破れるだろう。隊(柴田勝家隊)は桶狭間山に続く斜面を駆け上がり始める。

(思うたより木が多い)

 辺り一面に火縄の煙が充満し、只でさえ木々が林立する斜面は思った以上に登り難かった。木が前方にあれば一々迂回し、(くさむら)はそこいらにあり、行く手を阻む。木の切り株などあろうものなら転んで怪我をしかねぬ。実際儂の横を走っていた兵卒の一人が派手に転倒し、数メートル下に落下した。しかし、助けている暇などない。

 逆に走り難い分、敵から姿を隠す効果もあった。今川方の兵が視界を奪われて右往左往しているところにいきなり接敵され反撃も出来ないまま倒されていく。

(有利なのか、不利なのか)

 儂は頭の中で独り言ちし、苦笑するしかなかった。


 初めに当たったのは大将ケ根を守備していた軍の殿の部隊(大将ケ根守備隊後備え後方隊)だ。辺りは霧の残滓と火縄の煙で視界が悪かった。その上、先程までの火縄の一斉射撃が利いたのか、(大将ケ根守備隊後備え後方隊)殿の部隊はバラバラに散っていた。儂は兵の一人に体当たりした。不意打ちにその兵は吹っ飛び、木の幹にぶつかり、そのまま動かなくなった。

(ふん。手応えのない)

 儂は更に前進する。漸く視界が開けてきた。突然、此方(こちら)に向かって来る何人かの今川兵とかち合った。遭遇戦じゃ。先頭を行く者は兜を被り、名のある将と見受けられた。だが・・・

「除けいっ!(今川)義元の首以外興味なし!!」

 儂は刀を振り下ろす。将は刀で受け止めようとするが、儂の剛力の前に刀の刃が折れ、儂の刀の切っ先が将の顔を捉える。

「ぐはっ」

 将は顔を押さえる。儂は将を一瞥し、更に先に向かう。あのような端武者、我が隊(柴田勝家隊)の後続が片付けてくれよう。

 さらに進むと(大将ケ根守備隊後備え)の殿ではない部隊に遭遇する。しかも横向きだ。

(今川の兵は余程悠長じゃな)

 儂はほくそ笑む。

「柴田勝家、推参っ!」

 駆け抜け様に一人を切り捨てる。

「(柴田)勝家様っ!」

 (柴田)勝定が後方から叫ぶ。

「この煙で方角が判りませぬ。あまり先行しては道から外れるでしょう」

 この男、儂の遠縁に当たる。兵の指揮が上手い事から先鋒隊長に抜擢している。使い番を使わず、直接儂の元に来るなど軍規違反だが、この戦は時を争う。一番伝えやすい方法を採ればいいのだ。

「ううむ。しかし、(今川)義元の首が・・・」

 儂は躊躇する。(義元)本陣は今も逃げているだろう。同じ場所に留まればそれだけ遠ざかる事になる。

「とにかく!眼前の敵は蹴散らしどこかに追いやりましょう。主将を討ち取れれば最善じゃが、手酷く叩けば、暫くは大人しくなりましょう。敗走すれば勿怪(もっけ)の幸い」

「判った。使い番は密にせい」

「承知!」

 (柴田)勝定は持ち場に戻って行く。

(使える男じゃ)

 儂は再び走り出した。

         


   桶狭間山北

   松井宗信


 戦況は予断を許さぬ。火縄銃の轟音が止み、我が隊(大将ケ根守備隊)は少し落ち着きを取り戻し始めていた。火縄銃の弾は高価である。材料の殆どを日ノ本の外から仕入れているため、値が嵩むのだ。故に実戦で使われる事は殆どなかった。

 (大将ケ根守備隊)後方隊の使い番からの報告で、火縄銃による死傷者は100に満たず、あの轟音の衝撃が余りにも強かったが、兵の損失は少ないようだ。

「(大将ケ根守備隊)後方隊の部隊の将に兵の再構築を命じろ」

「はっ」

 (大将ケ根守備隊)次鋒隊の部隊が遁走(とんそう)し、(大将ケ根守備隊)先鋒隊が転回して前に出るまでは、織田方の別動隊(柴田勝家隊)は(大将ケ根守備隊)後方隊と(大将ケ根守備隊)主将隊の部隊で止めるしかない。

 まだ、(大将ケ根守備隊)次鋒隊を呼び戻しに行った蒲原(かんばら)氏徳(うじのり))殿はまだ戻って来ぬ。使い番が何度か復唱するが、芳しくないようだ。一度崩れた隊を立て直す事ほど難しいものはない。

(逃げた兵が上手く織田兵を攪乱してくれればよいが・・・)

 私は自嘲気味に願うしかない。(大将ケ根守備隊)次鋒隊がいなくなったのが幸いして、(大将ケ根守備隊)先鋒隊が転回目途が立ったのは救いだった。

 (大将ケ根守備隊)後方隊の部隊に戻る使い番が本陣を離れるのを見送り、他の重臣達の居る場所に向かおうと背を向けた時だった。背後でくぐもった声と兵の喧騒が聞こえ振り返ろうとした。いきなり腹部に衝撃を受けた。初めは混乱した今川方の兵卒がぶつかって来たのだと思った。

(無礼な・・・かはっ!)

 次の刹那、腹部に激痛が走った。見れば、甲冑の隙間から大量の赤い物が流れ出ていた。斬られたのだと判った時は、その後続の兵に倒され、地面に這いつくばっていた。

「敵襲じゃあ!織田方が主将隊に入った」

 誰かが叫ぶ。

「こ、後方隊の部隊はどうした・・・破られたのか」

 火縄銃の弾を撃ち尽くした織田方の別動隊(柴田勝家隊)は、間髪入れず後方隊の部隊を倒し、この主将隊に突撃したのだと理解した。敵はその場に留まらず前進していく。一方で、注意深く周りを見ながら進む隊が別の隊に追い越されたのを見て、名のある武将が怒鳴る。

「(柴田)勝家様、先行めさるなと申したであろうに!」

 その場で地団駄を踏む。

 私は薄れゆく意識の中で、我が隊(大将ケ根守備隊)が織田方の別動隊(柴田勝家隊)に蹂躙(じゅうりん)されていくのを目の当たりにした-

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