1560年 6月11日 22:00 尾張国/善照寺砦
1560年 6月11日 22:00 尾張国/善照寺砦
織田方 3300人 織田信長・池田恒興・川尻秀隆・佐々成政・金森長親・木下藤吉郎・佐久間信盛・佐久間信辰・菅笠を被った男
沓掛城を出立した今川方の2隊(朝比奈泰朝・松平元康隊)の続報が善照寺砦に次々と入って来る。重臣や近習達も織田信長の周りに固まる様に待機している。
「申し上げます。今川方(朝比奈泰朝・松平元康隊)は大高道に入った模様」
「かの2隊(朝比奈泰朝・松平元康隊)は、兵5000に対し、小荷駄隊を多数引き連れております」
沓掛城へ放った斥候が矢継ぎ早に戻って来る。復命した斥候は再び今川兵で溢れ返る大高道に戻って行く。取り敢えず桶狭間道の線が消え、一同は安堵していた。
「大高城への後詰・・・いや、兵糧入れか」
「今川も動きが早い」
「後詰に5000も送って来るとは・・・今川方も豪儀な事をしてくれる」
近習や重臣が口々に喋っている。
(|斯様《かよう》な刻限に後詰を送るとは!今川義元め、やってくれるわ)
織田信長は唸る。数と言いタイミングと言い、絶妙だ。織田信長の兵力では手が出せない。今川方にはまだ14000の兵が残っている。信長本隊が動けば、今川義元は桶狭間道に兵を差し向けるかも知れない。後詰も儘ならず、砦の強化も間に合わない。織田方に出来る事と言えば大高城を囲む砦に今川方の軍勢が近づいている事を伝える事位しかなかった。
(まずは手近な大高城を優先したか。兵法の常道に即しておる。大高城を囲む我が方の砦を排除した後、次は中嶋砦の半包囲か)
織田信長は今川方の手堅い一手に顔色が冴えない。初め、大高城への後詰は2、3000程度と考えていた。それが今川方が19000の兵を総動員したため、こちらの見込みを上回っているのだ。当然、大高城砦群包囲網も2,3000を想定して1800の兵を動員していた。しかし大高城の後詰の数は想定の倍近くであった。戦力差がある今川方にこの様な手を打たれては、織田方も手の打ちようがないのだ。
近習や重臣達は不安気に顔を見合わせる。
「大高城の砦群並びに中嶋砦に伝えよ!」
織田信長が命令する。池田恒興が慌てて立ち上がり、使い番を呼ぶ。命を受けた使い番が大高城の5つの砦を目指し散って行く。
(我らは砦に籠っておる。5000の兵ならば、何とか持ち堪えられるであろう)
織田信長は自らを鼓舞する様に言い聞かせる。だが、兵糧入れを阻止する事は難しくなかったとも思った。恐らく、多くの小荷駄隊を大高城の後詰は率いているが、5000の兵が居てはそれを阻止するのは至難の業だろう。兵糧入れの阻止を優先するあまり兵を損ねては本末転倒であった。大高城砦群包囲網は大高城の周辺に点在している。同盟者である水野信元が籠る向山砦には1000の兵が居るが、他の砦は数百の兵し居らず、5000の兵を前に連携を取るのは難しい。今川方が兵を分かち、それぞれの砦が囲まれては各個撃破されかねない。此処はひたすら砦の守りに徹するべきだと考える。今川方の更なる後詰も考えられるからだ。織田信長は考えを纏めると、再度使い番を送る事にする。
(いや、大高城砦群包囲網にはもっと今川方を引き寄せてもらわなければ。何としても今川義元を沓掛城から引き摺り出さねばならぬ。そうなれば、此方も後詰が必要となって来るやも知れぬ。だが予備兵力が・・・)
善照寺砦に集まる兵力は織田信長の決戦兵力である。動かす事は出来ない。なれば中嶋砦を考えるが、中嶋砦には100の守備兵しか配していなかった。
([柴田]勝家を先行させたのは早まったか)
彼は忸怩たる思いで爪を噛む。
(いや、あれは今川義元を押し切れない時の決戦戦力。割いた事自体は間違っておらぬ)
今更ながら、織田信長は兵の少なさに嘆いた。
「信長様、我らは如何致す?」
先走った佐々成政が織田信長に詰め寄る。
「まだだ」
織田信長は決して動こうとはしなかった。