1560年 6月12日 8:20 尾張国/鎌倉往還/八つ松
1560年 6月12日 8:20 尾張国/鎌倉往還/八つ松
織田方 300人 千秋季忠・佐々政次
その頃、千秋季忠・佐々政次隊300は、鎌倉往還の分岐点となる八つ松と言う場所で待機していた。扇川沿いにある相原郷と呼ばれる僅かな平地から更に奥に入った場所だ。此処は川沿いから少し離れ、山中と言っても過言ではない。此処から東に進み、山を幾つか越えれば沓掛峠に至る。しかし、直接沓掛峠に至るのは困難で、一度桶狭間道に下ってから再び北上しなければ峠には辿り着けない。逆に言えば、千秋季忠・佐々政次隊が八つ松を押さえている限り、今川方は鎌倉往還からの進出は出来ない。
「今日の早朝まで氷上砦に居たのが夢のようじゃな」
佐々政次の傍らで千秋季忠が呟く。まるで遥か昔を懐かしんでいる様にも窺えた。
「拙者とて同じ事」
佐々政次が返す。
「正光寺砦を歯噛みする思いで退去した事、よもや忘れられませぬ」
ほんの数時間前の出来事が遙昔の様に思えるのは、この二人が此処まで辿った足跡の厳しさがあるのからであろう。
「大高城の今川方の影に怯えながら何とか丸根砦に辿り着いたが素気無く同陣を断られ、鷲津砦も同様であった。漸く辿り着いた中嶋砦では善照寺砦に行けと命じられ、途方に暮れたものです」
「まさか善照寺砦に(織田)信長様が居られるとはな」
「相変わらず突飛な事を遣りなさる殿(織田信長)様じゃ」
二人で笑い合う。
「身どもも(織田)信長様に何と弁明しようかと言葉に詰まりました」
「その割には堂に入っていたようですが」
佐々政次が茶化す。
「止めて下され。思い出すだけで身が縮まる」
千秋季忠が苦笑する。
その時、千秋季忠・佐々政次隊の後背が騒がしくなる。
「・・・来たか」
織田信長からの下知を携えた使い番が佐々政次の元を訪れる。千秋季忠が万感の思いが込めた声で呟くのを佐々政次は静かに聞いていた。
善照寺砦に辿り着いた佐々政次は眠れぬ夜を過ごした。一つの砦も守れず、素気無い同胞たちの仕打ち、善照寺砦ではまさかの織田信長はと相見えた。怒りや悲しみ、悔しさや希望がごちゃごちゃになって朝を迎えた。
織田信長はから今川本隊義元本陣への吶喊を命じられた時、漸く心が静まった。全ての肩の荷が下り、心が軽くなった。後は一人でも多くの今川兵を道連れに冥途に行く事だけだった。
佐々政次が立ち上がる。
「皆の者よく聞けいっ!先程(織田)信長様から使いが参った」
その一言で兵卒達に緊張が走る。だが、誰も臆していなかった。
(いい目ぞ)
佐々政次は頼もし気に頷く。
「我らはが目指すは今川義元の本陣!」
兵卒がどっと沸き立つ。
「これは(織田)信長様の主命である。主命であるからには何の遠慮もいらぬ。憎き(今川)義元の首を挙げるだけじゃ!」
佐々政次の独演に兵卒の気持ちの高揚は最高潮に達する。
「皆の者、いざ出陣じゃあ!!」
「「「応っ!!!」」」
「目的地は太子ヶ根じゃ!着き次第隊列を整える。それまでは決して桶狭間道に先行するな!!」
「「「承知!!!」」」
兵卒は獲物を高々と掲げ、佐々政次の声に応じる。そして、我先にと桶狭間道に向かう。佐々政次も兵卒の行軍を待てたぬとばかりに足を踏み鳴らす。
「佐々(政次)殿、今からいきり立っていては戦まで持ちませぬぞ」
千秋季忠が苦笑交じりを佐々政次を嗜める。運命を感じていた。正光寺砦で初めて会ったばかりなのに、今や十年来の友のように感じる。千秋季忠にも忸怩たる思いがあるはずなのに、昨日は善照寺砦で、織田信長から呼ばれるまで熟睡していた。佐々政次は、自分と違い想像出来ぬ程の豪胆な心を持っておるお人なのだと実感した。最期の伴侶としてはこの上ない方だとも。
千秋季忠が立ち上がる。
「・・・行きますか?」
「はい」
二人にそれ以上の言葉はいらなかった。




