1560年 6月12日 8:15 善照寺砦・二ノ曲輪
1560年 6月12日 8:15 善照寺砦・二ノ曲輪
織田方 3300人 織田信長・池田恒興・河尻秀隆・佐々成政・金森長近・佐久間信盛・佐久間信辰・木下藤吉郎・菅笠を被った男
善照寺砦は同じ峰に今川方である鳴海城を要し、鳴海城を押える最前線基地であった。その善照寺砦に一人の武者が飛び込んで来た。地上から数十mの高さがある砦からは彼が大高城方面からやって来たのは一目瞭然であった。一ノ曲輪に居た諸将が騒ぎ出す。
「何か出立したか?」
せっかちな佐久間信盛が使い番を引き留める。
「ま、まずは(織田)信長様に・・・」
使い番は息も絶え絶えに応じる。
「悠長な事を。砦に何かあれば我らが後詰しなければならんのだぞ」
佐久間信盛が声高に叫ぶ。
「まあまあ佐久間(信盛)殿。内容は(織田)信長様と共にでも聞けるであろう」
気遣いの出来る池田恒興が使い番に水を渡しながら間に割って入る。
「これは忝い」
余程喉が渇いていたのか、使い番は池田恒興から渡された水桶の水を飲み干す。
「主命であれば!直接(織田)信長様にと佐久間盛重様より申し使っております」
同族の佐久間盛重を出され、佐久間信盛も黙ざるを得なかった。使い番は近習に抱えられる様にして二ノ曲輪に入る。
その急報は、傷だらけの使い番によって齎された。
「申し上げます!丸根砦失陥。佐久間盛重様お討ち死に!!」
続いてやって来た使い番は全身泥塗れだった。傷でも負ったか、何度も転んだらしい。
「・・・であるか」
織田信長が思わず立ち上がっていた。彼の心の中で大高城砦群包囲網が完全に崩壊した事を悟った。
(痛い・・・痛すぎる)
織田信長は瞑目した。
(戦略の練り直しか・・・)
その時続け様に別の使い番がやって来る。
「も、申し上げる。・・・鷲津砦失陥。織田秀敏様、お討ち死に!」
何度も息を継ぎながら復命した。
織田信長を天を仰ぐ。彼の顔に苦渋が浮かんだ。配下の前では決してマイナスの表情は見せまいとしていた。しかし感情を抑えきれなかったらしい。
(先に逝かれたか、大叔父[織田秀敏]上)
嘗て織田信長が弟・信行と争った時、常に織田信長側に立ち、調停をを試みたのが大叔父である織田秀敏であった。主家を含めた一族と争った織田信長が、一族で唯一人心を置ける人物だった。
「この鷲津砦は大高城を攻める要。拙者がお守りいたそう」
織田方にとって最前線の一つとなる鷲津砦を誰が守るから揉めた時、率先して守将になった男でもあった。きっと生きて帰れまいと誰もが悟っていた中での発言だった。男気溢れる男で、織田信長が絶大な信頼を寄せていたのだ。
暫し黙禱の後、織田信長が目を開く。闘気は衰えていなかった。寧ろ、近親者の死に奮い立った如くだった。
「(織田)信長様」
二ノ曲輪に集まった諸将を代表して池田恒興が声を掛ける。鷲津砦・丸根砦が陥落し、誰もが不安な表情を見せていた。
(|斯様《かよう》な状況で、この儂が臆している場合ではない)
自分に言い聞かせる様に心を強くした。自分を落ち着ける様に床几に座り直す。
(行動だ。先ずは動かなければならぬ)
織田信長は扇子で膝を叩き始める。
((千秋)季忠と(佐々)政次は早急に桶狭間道に転進させねばなるまい。[今川]義元の動向まで待てぬ。柴田勝家隊は・・・)
織田信長の構想では柴田勝家隊は奥の手である。幾ら大高城砦群包囲網が崩壊したからと言って、易々と動かすのは躊躇われた。
(沓掛峠の別動隊も動かせまい)
あれは鎌倉往還を封鎖するための部隊。幾ら鎌倉往還が久しく使われておらず通行困難とは言え、今川方に一隊を派遣されれば、裏崩れが起きかねない。まして織田信長本隊からは人は割けない。
(ならば)
織田信長は決断する。
「使い番を出せっ!」
織田信長は叫ぶ。
「はっ!」
池田恒興が織田信長の前に跪く。
「(千秋)季忠・(佐々)政次を動かせい!」
織田信長の命を受けた使い番は、鎌倉往還・八つ松で待機する千秋季忠・佐々政次隊に向かった。




