1560年 6月12日 7:30 尾張国/大高城周辺 1
1560年 6月12日 7:30 尾張国/大高城周辺
織田方 鷲津砦 200人 守将・織田秀敏/副将・飯尾定宗/飯尾尚清
丸根砦 300人 守将・佐久間盛重
今川方 大高城 鵜殿長成・鵜殿長照
大高城方面隊
丸根砦攻撃隊 2000人 主将・松平元康・副将/・酒井忠次/軍師・石川家成
鷲津砦攻撃隊 3000人 主将・朝比奈泰朝/副将・匂坂長能/先鋒隊長・久貝正勝/次鋒隊長・新野親矩/三隊長・本多忠真/後方隊長・大原資良/本多忠勝
同時刻。丸根砦の北西にある鷲津砦でも戦いの火蓋が切られようとしていた。鷲津砦の守将は織田信長の大叔父に当たる織田英敏である。織田秀敏は織田家でも最古参であり、織田信長の信も厚い。織田家が織田信長と織田信行に分裂して相争った時にも、織田秀敏は織田信長方に就き、若き当主を支えたのだ。
「今川方の仕寄りが終わったようですな」
織田英敏の傍らに居た飯尾定宗が呟く。鷲津砦も既に臨戦態勢だ。朝比奈泰朝・松平元康隊が大高城への兵糧入れに成功した報告を受け、いずれ砦に攻め寄せて来るだろうと予期していたのだ。
「数は?」
「およそ3000」
(多いな)
織田英敏は独り言ちする。鷲津砦の兵力は200。攻め手は味方の15倍だ。一般的に城攻めの場合、攻撃側は守備側の10倍の兵力が必要とされる。今回の砦攻めはその条件を満たしており、砦側の落城は必至だ。しかし、鷲津砦は丸根砦と同様に小高い丘全体を要塞化しており、丸根砦より小振りながら丸根砦以上に急峻な崖に囲まれ、東は伊勢湾に面し、地上からの攻めを難しくしていた。必然、鷲津砦攻撃隊は急峻な崖に繋がる一本の細い山道にのみとなる。他にも人一人通れる程度の獣道はあるが、俄かに表れた今川方に直ぐに気取られる心配はなかった。
「全面のみに集中すればよい」
守将である織田英敏は扇で正門のある方を指す。
「既に弓兵の全てを正門に配置しており申す」
副将・飯尾定宗が応える。
「うむ」
織田英敏は満足そうに笑みを零す。そして傍らの飯尾定宗に振り返る。
「判っておろうな」
織田英敏が確認するように繰り返す。
「は、はあ」
何度も繰り返し命ぜられているが、飯尾定宗は釈然としていないようだ。嫡男である飯尾尚清が後ろに控えている。彼も父親同様不満そうな表情を隠していない。
「飯尾家は残さねばならぬ。これは主命ぞ」
飯尾定宗は元は織田家の一族である。飯尾定宗は織田英敏から見て甥に当たる。奥田城主となり、織田家の主筋に当たる斯波氏の一族である飯尾家の養子となり現在に至っている。織田信長による主家取り込みの一環と見られ、政略として不可欠であった。
「しかし、戦の最中に我が息子(飯尾尚清)を逃がせとは・・・」
幾ら主命とは言え、敵前逃亡にも近い形でお家存続などといった了見に納得がいっていないようであった。
「(飯尾)定宗、そちの気持ちは痛いほど判る。だが、先の事も考えてほしいのだ」
「先・・・ですか」
「そう、先だ。此度の戦の趨勢は織田方にとって極めて暗い。しかし、戦と言うものは水物。どう転ぶが判らぬ。もし、織田家が此度の戦の後も生き残るようであれば、必ず手足となる家臣は必要になってくる。もし、其方ら親子がこの砦で討ち死にしてしまえば、飯尾家は断絶してしまう。そうしないためにもそちの息子(飯尾)尚清には生き延びて貰わねばならぬ。場合によっては・・・拙者の後を継いで織田に復する事もあろう」
その言葉を聞き、飯尾定宗はほろほろと涙を零す。
「勿体無きお言葉。(織田)英敏様にお供出来た事だけでも望外と思っておりましたが、そのようなお言葉まで頂けるとは、息子(飯尾尚清)も幸せ者です」
飯尾定宗の傍らで飯尾尚清が貰い泣きをしている。
「さっ、湿っぽい話はこれまでじゃ。兎にも角にも今川方を一度でも破らねば(飯尾)尚清を逃す事は叶わぬ。気合いを入れよ」
「「応っ」」
飯尾父子は泣きながら握り拳を振り上げた。




