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異世界王子様ライフ3  作者: 銀紫蝶
第二部
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迷い猫


清らかな水と、光の満ちる緑の精霊達の森で。黒猫耳の少女は、今日ものびやかに散歩をしている。


健康的な生活と、護られた自由な環境が、幸せに満ちた表情をさせている。


なにか、自分にできる仕事はないか聞いたのだが、たくさん食べてたくさん遊ぶ事、と言われてしまい、素直にその通りにしている。黒髪も毛並みもサラサラ艶々である。ガリガリだった身体は少し太ったかもしれない。


「るんるんにゃ〜っ、あっ、野いちごにゃっ!」


甘やかされるのを、最初は戸惑っていたが、あまりにも周囲の精霊達が優しくて、大切にしてくれて、嘘がなくて、幸せな環境に慣れてきた。せめてもと、空中宮殿の真下の森を巡回する事が、自主的なお仕事だ。


「いただきま〜すっ……ンンっ、すっばあまニャ……」


美味しそうに野いちごをかじる彼女の左手には、銀色の細い指輪が光る。視界の端にその輝きが移り、思わず頬を染めてしまう。


「ふふっ、えへへ……もうすぐ会えるかニャ?」


大事な約束の日まで、指を数えていたら、ふいに風が吹き抜ける。反射的に目をつぶってやり過ごし、乱れた髪を押さえて顔を上げると──


光惑う樹冠の隙間から滑るように、ほっそりした美女が舞い降りた。流れる金髪がキラキラ輝き、あまりの神秘さに魂を奪われる。


白地に金の刺繍の優美な衣装をまとう、光の如き神───エーリリテである。びっくりして、野いちごが手のひらから落っこちた。


美々しく優しい金の瞳が、黒髪の少女を認め、ホッと安堵の吐息をつく。


「ミューちゃん、無事ね?」


唐突に、不思議な問いが掛かる。


「ぶ……? じ? えっ、……っまさか野いちご、毒のヤツですっ? 食べちゃ」


わたわた慌てる少女を微笑ましく両目を細めて眺め、エーリリテはゆるりと首を振る。さり気なく周辺を見回した。こっそり見守っていた見えない精霊以外、気配はない。


「──リュウキは、来ていないわね?」


「えっ? はい。まだ、約束の日にちまで、五日は……」


その時、さらに木々の上から、翼馬に跨った人物が現れた。バサリと大きな蒼い翼がはためき、風が吹き抜ける。


「エリ! 一人で行くな! ……っと、こっちは無事か……」


黒猫耳少女の姿を見て、リュウキの父親まで不思議な事を言う。


無事を確認するなんて、まるで……まるで。


「───なにか──あったん、ですね」


平和な日常に訪れた、唐突な不穏。







地球、日本の自宅に二人の姿がない事実が判明したのは、発端日から二日後だった。


一般人家庭にも、安全のため警備システムがあり、藤家の管理を委託されている警備会社から連絡が入ったのだ。


玄関を開けたあと、息子さんとご友人の帰宅履歴が一日経ってもありません、と。


仕事先から急いで帰ってみれば、鍵も掛かっておらず、靴も見当たらない。荷物もないし、二人の携帯電話もない。


位置情報にも反応が無く、監視カメラを確認してみれば、玄関ドアを開けた所でまず龍輝の姿が消え、続けてすぐにレテューの姿も消えていた。


警備会社の担当者は、器械の故障でしょうかと恐縮していたが。


エーリリテの感覚には、全く異なる感触があった。残滓が残っていたのだ。






「干渉されているわ。私の世界でも、地球でもない──何かに奪われた」


「そんな………いったい、誰が?」


空中宮殿に戻って、空の見える中庭の一角で簡単に説明されて、ミューレイは泣きそうだ。


「これから調べるから……ミューちゃんには、龍輝を探すのを手伝って欲しいの」


「! はいっ、もちろんですっ」


精霊達も何事かと集まってくる中、三つの尻尾を揺らす仙狐の姿もあり、エーリリテはそちらを手招いた。


「狐、お前の命を使うわ」


宇迦は軽い足取りでトトっと女神の足元に近寄り、頭を垂れる。


「御意」


「え……」


驚いて見れば、なんでもないように微笑まれた。他の精霊達にも動揺はない。采配は全てエーリリテが指示をしていく。龍一も鈴一も沈黙して見守るのみ。


不安で緊張が高まっていくミューレイに、最初の指示がされた。


「ミューちゃんには、龍輝の……そうね、好きなところとか……言って欲しいの」


「……っ? にゃっ!?」


ええっ? と疑問が頭の中を駆け巡り、意味を理解して羞恥になって顔に出た。


「すっ……きなところ……!?」


ウンウンと真面目に頷かれる。聞き間違いではなかった。長い尻尾がうねってから脚に絡む。


急にそんな事を言われてもと焦りまくる。必死に頭を搾ってうんうん考え込む。もっと難しい事を欲求されてもミューレイには無理だろうが、それにしても個人的に過ぎる。


「にゃ、えっとえっと……? 優しく撫でてくれる……とか?」


こんな事で良いのかな? 合ってるのかなと金の瞳をおずおずと見れば、ふわりと微笑が返ってきた。良いらしい。


「それは、猫の時かしら?」


突っ込みが容赦ない。さらに赤面が加速する。


「両方ですっ。猫の時の方が遠慮ないですにゃっ」


滑らかに毛皮を撫でる指先の、強くもなく弱くもない絶妙な感触を思い出して、さらに赤くなる。自分の手のひらで猫耳を覆い隠す。


「耳とか、尻尾とか触られると、もう……っ」


あら、と愉しそうに両目を細め、エーリリテは何故か龍一の方をチラリと見た。微妙な表情で見返される。


「他には?」


「声も……好きです。名前を呼ばれるだけで嬉しいし、ドキドキして……胸がきゅっとなって」


胸を手で押さえる。


大切に。宝物のようにそっと抱き締めてくれたり。表情がちょっとだけ大人びて真剣に見詰めてくれたり。でもちょっと恥ずかしそうだったり。


逢える時間はとても少ないし、いつもあっという間に時間が過ぎて。一緒にいられるだけで嬉しくて、好かれている事が奇跡のようで。


失いたくない。


奪われたくない……。


「龍輝、サマ……どこに……?」


此処ではない何処かへと漠然と、純粋に切ない想いが向けられる。仙狐がピクリと反応して頭を上げる。浮上する微熱が少女から立ち上り空へ。彼方へ向かって───


霧散した。


「あ……」


夢から醒めたようにぱちぱちと瞬きして、上空を見回す少女。


霧散して、名残り惜しく残滓を残すキラキラを、エーリリテは冷静に見定める。伸ばしかけていた片手が行き場なく、下げられた。


「……そう」


試みの結果は言うまでもないが、精霊達は心配そうに、龍一と鈴一は神妙に口を出さずに。


虚空を眺めしばし思案の様子を見せてから、不思議そうにエーリリテは小さく首を傾げた。なぜ上手くいかないのか分からない、と言いたげに。


「あ……」


ミューレイは思わず持ち上げた手を行き場なく震わせかすかに青ざめた。期待されたのに。出来なかったのだ。皆の前で。


「ミューちゃ……」


「っ!」


呼びかけられ衝動的に足が動いてしまった。


(怒られる)


ぎゅっと目をつぶって、後ずさった脚にスルりと仙狐が身を擦り付ける。大丈夫と言われた気がして怖々目を開ければ、気遣う視線が向けられていた。


(……怒られ、ない……?)


いたわるような優しい眼を向けられ、逆に胸が痛くなった。


「少し、急ぎすぎたかしらね……? お部屋に戻っておいて……?」


「……は、……い……ごめんなさい……」


役たたず。


聞こえないはずの声がよみがえる。


とぼとぼと力無く歩き、龍輝の部屋にたどり着く。いつも座る長椅子の端っこに、遠慮がちに腰を下ろし、膝の上にぴょんと乗ってきた仙狐を震える手で撫でる。


怒られないし、優しく扱われるし、理不尽な事もされないし言われない。嬉しいはずなのに胸の奥が痛いのだ。なぜたろう? 黒猫耳がぺたんする。


(リューキさま……)


眠いような、疲れたような。頭がぼんやりして。少しだけ、ほんのちょっと目を閉じる。座っているソファの弾力が、優しく包む聖域の爽やかな空気が、急に遠ざかり、曖昧になる世界との。


「───コン!」


つながりが、ほどける。


(───あれ?)


周りの空気が変わった。


ぬくもりが消えて冷たい空気に包まれた。急激な温度変化に耳鳴りと鼻がツーンと痛くなり、警戒を呼びかける仙狐の声に、手を乗せていた毛並みが緊張するのをとらえ、どうしたのと目蓋を持ち上げる。


真っ暗。


(……?)



座っていたはずの長椅子がなくなり、腰から落ちる。やわらかな草地に手をついた時、咄嗟に四肢がバランスを取る。獣の本能で、辺りを見回し見慣れない景色、景観に頭が混乱した。人間の姿から、猫の姿になっている。


(……え?)


馴染んだ気配が少し遠くから感じられ、慌てて目をこらす。


頭上には星あかりが暗く、遠くにきらめき、足下は湿った草地のよう。湿気を含んだ空気にヒゲがピクピクする。通った視界の端になにか、そう、輝くものがキラキラしている───。


(……あれは)


あれは……!!


反射的に駆け出した身体は地面をくしゃりと踏み抜き、ズルッと落下した。


地面が抜けた下もまた、草地の地面。よほどもろく薄いのか生える草は数センチしかなく、何層か踏み抜いてから体重をかけないように着地、なんとか茂みのような奥側に逃げ込む。


薄氷みたいな地面も、柱のように上に延びる柱も全て、氷のようにもろい。気を付けないと猫の身体でも、踏み抜いてしまうくらいにもろい。


はぁはぁとうるさい自分の呼吸が周囲に響くのを、慌てて静かにしなくちゃと息を止める。ひそめる。苦しいまま頭上を見上げ、なにかの気配を察知。身をすくめた。


(仙狐!)


後を追いかけて飛び降りてきた狐が、空中で何かに捕まった。明かりが少なくおぼろなシルエットしか確認出来ない。でも人間の姿のようで……。


「───……?」


(見つかった!)


闇夜でうっそり輝く眼差しと、目が合う。


氷がシャリシャリこすれる音。空気が震えて波紋のようなそれが自分に向けて放たれる。反射的に身構えるが毛並みがちょっと震えただけで、それだけ。何かに護られたようだ。


たぶん、人のようなシルエットの相手は滑るように上から降りてきて、またその音を発した。シャリシャリと。片手に狐の尻尾を捕まえたまま。チラリと見上げよく見れば、ようやく相手の姿が確認できた。


(?? 人……みたい? うしろ──背中に大きな、羽根……? 透けてる)


人の姿に似て、真っ黒なのに内側から輝いていて、背中に大きな半透明な羽根がある。何枚も。シャリシャリは、その羽根が震えて波紋を生んでいる。


おそらく、空気を震わす振動が何らかの意思表示で、でも黒猫にはさっぱり理解出来ない。出来ないが。


対峙しただけで、有り体の恐ろしさに身体が固まった。


(怖い怖い……! どうしよう……っ、なんて言ってるの!?)


せめて言葉が分かれば。


身をすくめ震えるしか出来ない黒猫の猫耳が、ふと、音をひろう。


「───……? ……か? 何処から迷い込んだ」


男性の低い声。声に聴こえた。感情の乏しい、低めな声。少し困った風で怒りは感じられない事に安堵する。


「に……にゃ……ぁ」


おそる、おそるか細く鳴き声を上げると。


羽根の震えが停止した。










(……どうしようどうしよう)


黒猫は撫でられる。


最初はそっと。


見知らぬ怖い怖い存在の、膝の上に乗せられて。


「……獣族? どっから拾ってきた」


さらに知らないがっしりした大人の男性と。


「あら。可愛らしいですわ。私も欲しい」


知らないキバのある大人の女性と。


「……」


他にもいっぱい、怖い怖い存在達に囲まれて。全く知らない場所にいる。狐は暴れたせいで、首輪をされ檻の中だ。


暗いのに、空から星あかりが降り注ぐ、脆く冷たい不思議な場所は、氷った山の上にあるようだ。


何故か急に彼らの言葉が理解出来るようになったのはいいのだが。


「……この、滑らかな毛並みは良いな。ずっと撫でていられる……人族が毛皮を欲しがるのが理解出来た」


(毛皮にされちゃう……っ!?)


ビクビクと怯えると、面白そうにクスリと笑われ。猫耳の先をツンとされた。







黒猫が、物珍しさから可愛がられている一方、仙狐は檻の中にいた。狐の姿で立ち上がり頭がぶつからない高さで、グルグルと歩き回れる広さの格子状の氷の檻。


首輪も鎖も溶けない氷だ。狐火で燃やそうとしたが溶かせない。魔法が、通じない。


(人化出来ん……何なのだ此処は?)


ずっと夜闇に包まれている、脆い氷で何層にもなる砦は空に届きそうな程、広そうな建物は、氷山の真上にあるようだ。


幾つもの小さな存在と、大きな幾つかの存在。人族に似た姿とそれ以外の者達の集団のようで、把握がしずらい。


だが何よりも大事な事がある。


(……若の存在を感じるが……薄い? 呼びかけに反応がない)


見つける事が出来たのだ、おそらく。黒猫はちゃんと龍輝の居場所を見付け、追跡は我等が神竜が抜かりなく。


『──見えているわ。そのまま大人しく』


脳裏に響いた思念の声に、狐は伏せの姿勢を取りながら油断なく、辺りを警戒し続けた。黒猫が、助けが来るまで大人しくしていてくれたらいいな、と一抹の不安を抱えながら。





じっと座っていたエーリリテが静かに立ち上がったため、美しい妻の横顔から目が離せないまま龍一も立ち上がる。


何かに集中している様子に、話しかけるのがためらわれたので、そっと片手を掴む。無意識に握り返してきたひんやりとした手と指の滑らかさが、同じ触り心地で、神竜の時の美麗な姿を思い出す。


妻として横にある時は、人の姿をしてくれる。けれども本質は竜なのだ。何時まで────いや今は自身の悩みより、息子の事だ。


幾度か瞬きし、考え込み、結論が出たのか、空いているもう片方の手を目の前に捧げ、光の泡が生み出され。何処かの見知らぬ景色が映り込む。黒、白、光。闇。星……?


夜の草地……の庭、庭園にしては、雑然と。半透明な壁のような。なにか建物のような。


映像だけ。音はないが。視界が上を向き、ガラスのような天井が幾層にも重なる先に。金色の。何かの台からこぼれ落ちる、ひとふさの髪……?


ぴた。


止まる。こちらの息まで。


「り」


「だめ──」


「龍一様ッ!」


光の泡に触れた。衝動的過ぎて、両手が塞がっていたエーリリテは動けず、少し離れて見守っていた鈴一も間に合わず。


泡が消える。


エーリリテの掴んでいた、手も。


周りで一部始終を目撃した精霊らは、迷わず逃げた。翼馬の将軍も絶死の表情をしながら神速に鈴一を担ぎあげ上空、やや横に逃げ翔ぶ。


手指から消えたぬくもり。すぐかたわらにあった体温。香り。存在ごと。


声も出ない。


みずからの指先が細かく震え始めるのを、エーリリテは止められない。金色の美しい長い髪がふわりふわり。白い美しい肌が艶々と、優美で神美な金色の眼が光り、輝き。輝き。かがやいて。


煌めき、光燃と、氾濫して、金のほむらが世界を───焼く。


空に大地に。眩しく神なる金焔があふれ返った。


闇竜が何事かと首をもたげ、夜を呼び焔を鎮めた。夜と光が荒れ狂う様は、神災を成す。


精霊達は恐怖に震え身を潜め、あらゆる生き物達は意識を失った。







──


───……


予想もしない、唐突な神災が数日。少なくない日を経て……。


生き物達がようやく、怖々と目を覚ました時には、光の世界は。美しい魔法の世界は。





夜の世界になっていた。













































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