被害者(狼少女)
「女神教、『導き手』の、モイエン・ビャクマ。銀狼人よ」
服の裾をしっかり掴んだまま、唐突に少女が名乗る。
「女神……教?」
ピクッと頭部の獣耳が動く。
言われてみれば、彼女の格好が、まるで修行僧のようなものだ。
胸元と腰回りに布を巻き付け、あとは袖の無いフードのついた長い外套。
一般人にも、商人にも見えない。肩までの髪も砂ぼこりにまみれ……リュウキが浄化をかける前は、かなり薄汚れていた。
むっちりした身体付きは、多分鍛えているからだろう。腕や拳、脚にも布が巻いてある。
名乗った少女は、ムスッとしたまま、待っている。
──待っている。
「……え、オレも?」
「当たり前でしょうっ! 名乗られたら名乗り返しなさいよっ!」
距離が近いので、キャンキャン吠えられると耳が痛い。たしかに、犬っぽ……ギロリと睨みあげられる。
仕方ない。
リュウキはしぶしぶ口をひらく。
「藤龍輝。地球の日本人。異世界で迷子中。こっちはレテュー。……黒猫教?」
「……??」
分からない顔をされた。当たり前だが。
穴の空くほど、じっと見詰められる。
「……ウソは、言ってないみたいね」
そういうスキルか、またはカンなのか。今ので通じたのか?
「で、いったいどこから現れたのよ? 見渡せる範囲に、あなた……トー? の気配はなかったわ」
リュウキは上空を指差す。
少女はつられて上を見て……察知したらしい、わなわなと口を開け閉めさせた。八重歯が牙っぽい。
「そっ、空を飛んでたの……っ?」
「そう。あと、名前はリュウキ。藤は苗字」
「り……リューキね。分かったわ」
「……えっと、モイエンさん?」
「なによっ?」
「離してもらえると……」
「離さないわよっ、逃げられるじゃないの!」
子狼も、困ったように見上げている。
なにせ、悪いのはこっちだ。悪気はなかったとはいえ、下手したら彼女も真っ二つだったろうから。
「……どうすれば?」
少女──モイエンも冷静さを取り戻したのか、顔が近すぎなのに気付き、慌てて身を引いた。ちょっとだけ頬が赤い。
「と……とりあえず、共和国に向かうわ! り、リューキは何処へ行くの?」
「……あっちの方」
「あっちじゃ分かんないわよっ、国名とかはっ!?」
「知らない」
「はあっ!?」
神殿のある都市名を聞いただけで、国名まではちゃんと確かめていない。
近くまで行けば、なんとなく分かるだろうと思っている。
実際に『神』に等しい存在がいるなら、または残滓でもあれば。
少女はぶつぶつ文句をつぶやいていたが、リュウキの目的が神殿であると聞くと、馬車に乗れと言ってきた。
「仕方ないわねっ、今どき神殿詣でなんて流行らないけど、このあたしが連れてってあげるわ!」
「いや、ひとりで行け」
「いいから乗りなさいっ」
ぴるぴる震える獣耳を見て、怯えながらも懸命に強気に振舞っているのに気付く。
「……」
若い娘が荒野を一人きりで進むのは、かなり勇気がいるに違いない。
絶対逃がさないと涙目で睨まれ、リュウキは観念した。……近場の街までくらいなら、この少女に付き合っても。決して獣耳に魅かれたワケでは。
「オン!」
「え? なんで屋根の上に乗るのよ」
「馬車の中、荷物いっぱいみたいだから」
「あ」
チラッと確認したが、少女の衣服が散乱していたのだ。
モイエンは真っ赤になって、乱暴に馬車を走らせた。
女神教がなんなのか尋ねたら、なんで知らないのかと怒りながら、教えてくれた。
「昔から、大陸が分断される前からずっとある、『名も無き女神』様を信仰する教えよ! なかでも導き手は、迷っている人を導く指導者として、世界中を回るの。え? 他の教え? ……あなたねぇ、それをあたしに聞くの?」
ぶつぶつ文句を垂れながらも、律儀に教えてくれる。
「最近出てきた……分断されるちょっと前に流行った、『解放教』があるけど……人の全ての自由を認める、とかいう危ない教えよ? スキルを勝手に作ったり売買して、危険なの。間違っても関わっちゃ駄目よ? アイツらは無法精神だから」
スキルを作って売買? 何処かで聞いた気が。
リュウキは、もう見えなくなっている、辺境都市を振り返る。
……まぁ、もう会う事はないし。
荒野にも、当然魔物や動物が出没する。
岩に擬態した岩トカゲやら、砂ぼこりに紛れて襲ってくる砂蜂の集団やら、
荒地をうろつく死犬の群れやら。
「……ゾンビ?」
「死王の配下と言われてる魔物よっ! 不味いわ、炎魔術なんてないから、逃げるわよっ!」
枯れ草が襲ってきたり、動く水溜まりが襲ってきたり。
「……スライム?」
「汚れ水よっ、触らないでね! 溶かされちゃうから!」
子狼の出番もなかった。御者の腕前は確かで、器用に魔物達から逃げる。逃げる。
馬車の屋根から落とされないよう、しがみつきながら、こっそり結界を張っていたが──気付かれていない。
「まだ、魔物相手はいいんだけど……」
まばらに枯れ木が生える荒地で、野営する事になった。
モイエンは、かなり疲れた様子で、ぐったりしている。
「馬に、水あげる」
「ありがとう…………え? みず?」
両手の中に水を作り、鼻先に差し出すと、馬はたいそう喜んでごくごく飲む。
とめどなく、延々と満たされる水を見て、モイエンの目が大きく見開かれる。
「モイエンさんも、飲む? 水筒とかあるなら」
「飲むわよっ! ていうか、水……! 水を出せるって……! なんなのよもうっ」
信じられない、と叫びながらも馬車の中でゴソゴソして、水筒を三つ出してくる。
頬がぷっくり膨らんでいるのは何故なのか。
要望通り水を満たして、一口飲んだ彼女は……。
「な、に、これ……水……?」
リュウキをきっと睨み、ごくごく水を飲み、顔をくしゃくしゃにして、ノロノロと野営の準備をはじめた。
「もうっ、なんなのよっ、ありえないのよっ!」
「あ、オレのメシとかいらないから」
「えっ?」
「食べなくても平気なんだ」
「……あなた、本当になんなの?」
微苦笑して、誤魔化すしかなかった。
魔物避けだという香炉を焚いて、モイエンは馬車の中に引っ込んだ。
リュウキは馬車の屋根上に、子狼と一緒にごろ寝だ。
天上を埋め尽くす星がきれいに見えたが、まるで知らない夜空に悲しくなった。
……夜中、馬車の中で泣いている気配がした。
落ち着かない気持ちのまま、朝焼けにさらされる。
起き出してきたモイエンの顔は、ひどいものだ。
「なに見てんのよっ」
「目、痛くない?」
つい。本当につい、手か伸びた。
水で冷やした手のひらで目元を覆う。
わなわなと口を開け閉めしていたが、結局じっとしていて……手を離すと、オパール色の眼が呆然と。
「え……? 痛くない……なんで?」
「冷やしたから」
「そんなことで……っ」
また怒りだしそうだ。リュウキはさっさと離れて、馬車の屋根に乗った。
泣いていた理由を尋ねるつもりはない。
ジトっといぶかしむ視線が下から来たが……やがて諦めて、馬車は出発する。
しばらくは、何も出なかった。昨日、あんなに魔物に襲われたのは、それだけ危険な荒地だったからだという。
「もう少し……あの山を越えればジースタン共和国よっ」
「頑張って」
「……っ」
遠く、森林が見えてきた辺りで、異変は起きた。
のんきに景色を眺めていたが、手前の森の中で、なにか争う物音が。
「! ……つかまってて!」
モイエンは、馬車を停める事なく、スピードを上げる。
土を慣らした街道らしき道が見えて、迂回するように森の中に続いており、ちょうど曲がり道の先で争い事の真っ最中。
襲われている人間が二人。身なりの良い、市民ぽい。
襲っている人間が十人以上。身なりが悪い、覆面の男達。手に手に武器を持つ。
わかりやすいなと見ていたら、モイエンはなんと、馬車を突っ込ませた。
慌てて、覆面達が飛び退る。
「こんな朝っぱらから、騒ぎを起こしてんじゃあないわよっ! 争いを止めなさい!」
思いっきり、厄介事に突っ込んだ。
覆面集団が、いきなり割り込んだ馬車から距離を取り、伺っている。
「……ッ、裁きの手か!」
「チッ」
「小娘ひとりだ! 構うな!」
いえ、馬車の上にもう一人と、もう一匹います。
「オン!」
久々の出番とばかり、子狼が飛び降りた。
「あたしは導き手よっ! 物騒な理由なら、力ずくで止めるわっ! ──って、ちょっ? 狼くん!?」
一人。二人。三人。
子狼に次々倒されていく覆面達。
襲われていた、身なりのいい二人組は唖然呆然。それはそうだ。
「ちょっとぉっ! あたしの仕事を取らないでよーっ!」
「オン?」
しょうが無いな、と言わんばかりに子狼がピタリと止まり、馬車の上に戻ってくる。
まだ、馬車の上に座ったままのリュウキを見上げて、モイエンは不服そうな顔になる。
「なんで降りないのよっ!」
なんでと言われても、今のリュウキが手を出せば大惨事になる。なので。
「頑張って?」
淡々と、応援だけだ。
「───ッ!!」
子狼を抱き上げて撫でながら、分かりやすく暴れ出した彼女の活躍を、見物した。
武器は使わず、素手と足技で着実に倒していく様子は、とても慣れている。
途中で、覆面達は退散。
残ったのは、呆然と立ち尽くす二人連れと、服のホコリを払う武闘派少女。
「やっぱり、物騒になってきてるわね……。あなた達、大丈夫?」
「は、はいっ」
「助けていただいて……」
「何があったかは、聞かないわ。割り込んで悪かったわね。じゃあ──女神さまのお導きが、ありますように」
ペコっと頭を下げたあと、気軽に片手を振って、モイエンはさっさと御者席に戻る。
てっきり、詳しい話を聞いて助けてあげたりするのかと思っていたが、そこまではしないようだ。
「……なによ。言っとくけど、いまはどの国も物騒なのよ。崩壊してないのは中央国家群くらいで──こんな僻地じゃあんなのしょっちゅうよ? それに、いまは……」
チラッと振り向くモイエンは、ジト目だ。何故だ。
「あなたを神殿に案内してるしっ」
「……ありがとう?」
「ぜんぜん、有難みがないのよっ!」
ぷんぷん怒る少女の馬車は、真っ直ぐに街道を進んで行く──。




