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言の葉~言霊と人間の合間で~  作者: 蒼島光太郎
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第二回 「意思」

 …さて、今年も暑い暑い…情熱の夏がやって来た。多くの者が、学び、戦い、遊ぶ。そんな夏が、とうとう今年も訪れたようだ。

 巷を見れば、学生たちは夏休みの予定をどうするか、という話題で盛り上っている。運動部は特にこの時期、多くの練習をこなして、自らをパワーアップしていく。そんな夏に、最も盛んに盛り上がっている高校スポーツと言えば、夏の甲子園とも略される、全国高等学校野球選手権大会。情熱に燃えるこの季節。高校球児は、生涯計五回の公式戦を経験するが、三年生にとっては、これが最後…。もう二度と高校球児としてグラウンドに立つことはできない。誰にとっても負けられない季節だ。

 さらに、三年生の大半は大学受験が控えており、恐らく大半の者はこの夏が最も重要となるハズだ。ここをどう乗り切るかで、今後の彼らの運命は変わってくるであろう。多くの者にとって、これもまた、人生の勝負の要となる。

 そして、遊びの夏。よく『青春』という言葉で言い表されることがあるが、結局のところ、高校生でいられる期間と言うのは、三年しかない。高校生と言うのは、本当に多感なものである。であるから、この数少ない夏休みをどう過ごすかというのは、とても重要な問題である。彼らの話題が夏休みのことになるのは、当然の事だろう。

 …しかし宣彦は、とくにそういうことを考えることはなかった。彼にとって夏休みというのは、学期中の疲れを、長い、長い時間をかけて、次の学期が始まるまでの緊張も忘れて癒すのが、彼にとっての夏なのだろう。どこかに出掛けるというわけでもない、何かスポーツをやっているわけでもない、かと言って、勉強する気はすぐ失せるとなれば、やることはただ一つ。この夏を、のんびりまったりと過ごすだけ。彼にとって、夏休みなんてものはなんの意味も成さない、無意味なものになっていた。

 ―夏休みなんてつまらないな。別に勉強する気は起きないし。こんなの、何のためにあるんだろうな―

 宣彦は、軽くそんなことを呟いた。そんな宣彦に対して、両親は宣彦に何の言葉もかけないし、心配だとは思っているのだろうが、彼らは放任する。自分で全部分かっていると、そう信じているからだろう。しかし、どうもあの様子が続くようでは、宣彦は怠惰の塊となってしまうだろう。しかし、親はそれに目を向けようとしない。元々、家族は信頼し合えているのだろう。が、彼らにお互いコミュニケーションが取れているようには、誰にも見えなかっただろう。


 真夏の朝は早い。午前4時を過ぎると、暗い空から小さな光が射す。5時にもなると、西から綺麗な日の出を見ることができる。少年は、この日の出と共に目を覚ました。そして、早々と服を着替え、朝の比較的暑さの引いた空に駆け出していった。今日も今日とて練習がある。その前のアップと言うことで、軽くランニングを行っている。その目的はただ一つ。

 ―夢の大甲子園を目指して―

 彼は薮清哉。愛野ヶ岡高校に通う高校球児だ。宣彦のクラスメイトの一人で、ある時から席が隣同士になったことをきっかけに、互いの相談相手となっている。公立高校にしては珍しいスポーツ推薦生で、勉強はからっきしだが、野球センスは抜群と言われており、愛野ヶ岡高の次期エースとして、校内から絶大な期待が懸けられている。今年はすでに愛野ヶ岡高校が夏の地方大会で敗退してしまっており、これを境に、三年生はマネージャーを含めて全員引退…、と言うよりも、後事全て後輩たちに任せて、さっさと皆退部してしまった。

 この年の愛野ヶ岡高校野球部三年は、歴代でもトップクラスと言われるほどレベルが低いと言われ、ある者の話では、「部活は同好会レベルで、甲子園には何の興味も無い」とか、「選手は女子生徒目当て、女子マネージャーは男子目当てだ」とか、「入部当初から皆、練習をサボりがちで、当時の頼りない顧問の代わりに、上級生が叱っていた」とか言われていたという。また、この大会は初戦に大差を付けられて敗退しており、三年生の練習態度の無さや、あまりに統率力の欠ける指導を徹底的に追及され、顧問兼監督は退任させられたらしく、この夏休みから新しい顧問が就任するらしい。しかし、まだ誰が顧問に就任するかは、部員達には一切伝えられていないのだった。


 さて、時は過ぎて、いよいよ練習が始まる。清哉は、誰よりも早く学校に着いていたため、壁に向かって投球練習を行っていた。まだ朝は早いが、朝からしっかり走って体を慣らしていたせいか、体は十分に暖まっており、良い球が投げられるようになっていた。さっきはいきなり140㎞/h台の球を投げこみ、満足げな表情を見せたものだ。朝から絶好調。さあ、今日も飛ばして行くぞ、そう思っていたときだった。彼が投球練習を行っている近くのトラックで、誰かがランニングを行っている。その姿は見たところ、学生ではなさそうだ。まだ練習開始までそこそこ時間があるのだが、こんな朝早くから一体、誰がランニングなどしているのだろうか。清哉は、一旦投球練習を止めて、そのトラックの方へ向かった。よく見ると、とても見覚えのある姿だった。

「…あっ、合澤先生!」

 合澤先生、本名合澤尚治は清哉のクラスの担任で、英語の教科担当者だ。そう、この間のテスト返しで、「夏休みがカギだ」と言っていた、あの先生だ。

「おっ、清哉!朝から殊勝なもんだなっ!」

 合澤は、まるで自分が野球部の顧問だといわんばかりに、普通に挨拶してきた。彼は元々バドミントン部の顧問である。ここは、これから野球部が使うのに…。疑問に感じた清哉は、彼に質問をする。

「合澤先生って、毎朝ここのトラックを走ってるんですか?」

 すると、合澤は調子を崩さずに返答した。威勢の良いその姿は、人を元気にさせてくれるような、そんな気がする。

「いや、ここで走るのは今日が初めてかな。僕も、今日からこのグラウンドにはお世話になるからね」

「今日からここでお世話に…?」

 清哉は疑問を抱いた。バドミントン部は体育館で練習を行うため、本来は室内に居なければならないはずである。一体これはどういうことなのか。これから、ここでお世話になるって…?

「…どういう事なんです?ここでお世話になるっていうのは…」

「…まあ、まだ隠しておこうかな、と思ったんだが、しょうがねえ。じゃあ、教えてやるよ」

 ―僕は、今日からこの野球部の顧問兼監督になるんだ―

 …!この言葉に、清哉は衝撃を隠せなかった。前任者が退任するので、顧問が交代するとは聞いていたが、まさか、合澤先生とは…清哉は、口を動かせなかった。

「すまんな、驚かせちまったかな?だが、これはドッキリでも何でもなく、校長先生から『君にしかできない仕事なんだ』って言われてね、直々に頼まれたんだ。恩師にも推薦されたしね」

「はあ、そうだったんですね…」

 清哉は、中途半端な言葉を返した。担任が顧問になるという事で、内心は複雑だ。

「…おっと、そう言えば、清哉は投球練習してたんだよな。すまんすまん、邪魔しちまった。僕の事は気にせずに、練習を続けてくれよ」

「はあ…」

 清哉は、またしても中途半端な言葉でその場を去った。それにしても、先生は野球経験者なのだろうか…。清哉の中に、妙な謎が残った。


 「みんなー、集合っ!」マネージャーが、メンバーを集める。いよいよ、新体制下での練習が始まる。先述の通り、彼らには新しい顧問は明かされていない。果たして、これからの愛野が丘野球部はどんなものとなるのか。部員たちの期待は高まっていた。

「では、まず始めに、今日から新しく顧問になってくださる先生方を紹介します。どうぞ!」

 マネージャーに促され、三人の先生がやって来る。その中には、やはり合澤の姿もある。

「では、順番にお願いいたします」

「ああ。今日から、前任の室木先生に代わって、この部の顧問兼監督、それと、ピッチング、守備走塁コーチをさせていただきます、英語科担当兼、2-B担任の合澤尚治です。よろしくな、みんな」

「…次は私ですか?ええーっと。この部の副顧問と、このチームの作戦参謀を務めさせていただきます、数学科と情報科の佐崎常雄です。どうぞよろしく」

「最後は私ね。この部のマネージャー指導役及び、バッティング指導を担当します、国語科の南牟礼華美と申します。これからよろしくね!」

 …三人。しかも、ピッチング、バッティング、守備走塁の三コーチが就くとは、これはかなり本格的なチーム構成となっているようだ。しかも、作戦参謀まで…。指導の経験や、免許があるのかどうかは分からないが、これは、本気で甲子園を狙いに行こうという布陣だ。だが、清哉が驚いたのは、合澤が監督だけでなく、投球、守備走塁コーチを担当するということだった。合澤先生は、まさか野球をやっていたのだろうか?そんな疑問が、清哉の頭を重くした。

 その後もこの疑問が解消されず、どうも練習に集中できない。そもそもの話だが、彼に野球の経験はあるのだろうか。挨拶の時にはそのような文言は無かった。こんなことを言うのは何だが、本当にあの人で大丈夫なんだろうか。本気で戦おうという姿勢は見えるが、それだけでは大会で勝ち続けることはできない。指導には経験が必要である。やはり心配だ…。

「…清哉?おい清哉!何やってんだ!」

「…はっ!あっ…、先生…。すんません…」

「ったく、どうしたんだ。お前、いつもはちゃんと投げ込めてるんじゃないのか?早朝練も見てたけど、良い球放ってただろ。おかしいよ、今の清哉」

 …この疑問を解消しないことには、もう練習にはならなさそうだ。そこで清哉は思い切って、合澤に聞いてみることにした。

「…先生?失礼ながら、一つ聞きたいんすけど、先生って、野球やってた経験ってあるんすか?コーチもやるって言ってたけど、さっき、『野球やってた』って一言も言ってなかったじゃないすか。佐崎先生もそうっすけど…」

 すると合澤は、なあんだ、そんなことだったのか、とでも言わんばかりに笑った。

「何だよ、全く…。お前、気にしすぎだって。そもそも、野球の経験がなかったら、君らに野球なんて教えられないから」

「…じゃあ、先生も球児だったんすか!?」

 清哉の驚きようは相当だ。

「ははっ、まあな。元々中学までは野球をやってたんだ。これでも、当時は『西賓田の快速特急』なんて言われてたりした、西賓田中学のエースだったんだぜ?でもな、春の大会で投げすぎが祟ったんだろうな、肩をやっちまって、それをきっかけに野球の道から足を洗ったのさ。それで、高校でも別のスポーツをやろうと思って、テニスを始めたんだけど、全然続かなくてな。二年の時に辞めちまった訳なんだ」

「そうだったんすか…。なんか、悪いこと聞いちまった気がするな…」

 清哉は、合澤の黒歴史を掘り起こしたような気分になり、一転して暗い気持ちになってしまった。

「何言ってんだよ。それも、今となってはいい思い出さ。それに、もし肩をやらずに高校でも野球を続けてたら、たぶん、別の道に進んでたんじゃないかって思うんだ。だから、これで大正解だったんだよ。別に、甲子園に行くこと、そしてプロに行くってことだけが、球児の行きつく答えじゃないしさ」

「先生…。」

 合澤の言葉に心打たれた清哉。そんな清哉に、合澤は肩を持ってこう言った。

「…でもさ。あの時、西賓田の快速特急は何か、心の奥底に未練を残してた気がするんだ。『まだ投げたい』って…。でも、彼はグラウンドで投げ続けることは叶わなかった。自分の本当の答えを出す前に死んでしまったんだ。…でも、その魂は誰にでも引き継げるんじゃないかなと思うのさ。だからさ、清哉…」

 ―僕を、死にぞこないの野球人のこの僕を、甲子園に連れてってくれないか?―

 この時、清哉に一つの使命感が宿った。彼も、テレビで見た春夏の甲子園に憧れ、その夢の舞台に立てることを心に秘め、野球を続けてきた。いわば自分のため。だが、こうやって野球を続けていくのは、自分のためだけではなく、ほかの人の為にもなるのかもしれない…。清哉は、自分に課せられたものが、いかに大切なことなのかを思い知ったのだった。

「…俺、先生の分まで、投げて見せますから!夢、見せてやりますよ!」

 この時の清哉は、何か、いつもよりも輝いて見えたように感じた。


 さて、この日の練習は午前中だけだったので、案外すぐに終わった。清哉はあの後飛ばしまくり、周りを驚嘆させるピッチングを見せた。しかし、どうも不完全燃焼だなと感じ、清哉はおおよそ暇なのであろう、宣彦に電話した。宣彦は、携帯電話を持っていないので、話は家の固定電話で行うことになっている。

『…はい、間宮です。ああ、清哉じゃないか。どうしたの?』

「宣彦か。お前、今どうせ暇だろ?」

『…ん、まあ、そうだけど…』

「よし、じゃあちょっと付き合えよ!ミット、あるか?」

『…うん。まあ、あんまり使ってないやつだけどね』

「よっしゃ、じゃあこの後、猿渡グラウンドで集合な!」

『えっ、ちょっ…』

 …えらく威勢の良い清哉に、宣彦は動揺した。しかし、体を動かす機会が少ない彼にとっても、いい機会だったのだろう。

「…まあ、いっか。勉強する気も起きないし。暇潰しに付き合ってやるとしますか」

 そう言うと宣彦は、朝から着ている服を着替えて、グラブを鞄に詰めて猿渡グラウンドに向かった。


 猿渡グラウンドは、地域の子どもたちが野球をしたり、サッカーしたりと、様々なスポーツを楽しんでいる、子どもたちの憩いの場だ。清哉はそこで壁当てをしながら待っていた。

「おっ、待ってたぜ宣彦!…何だ、何だぁ?そんなやつれた顔しやがって。夏だからって怠けすぎたせいで、そんな顔になっちまったのかあ?」

「ははっ…ある意味、君の洞察力はすごいなあ。まあ、そんなに嬉しくないけどね」

「まあ、まだあれは次でも挽回できるさ。あんまり深く考えすぎると、若くして死んじまうぞ?」

「深く考えすぎなんだよ、清哉。心配性なんだから…」

 …それから二人は、グラウンドでキャッチボールを始めた。お互い、この場で色々なことを語る。学校では、互いの悩みを語り合うこともあり、こういったことは、二人にとってはお馴染みである。

「…今日も練習だったんだよな。ご苦労様でした」

 ピュッ、パシン。宣彦の球は軽い。運動の経験が少ないので、肩が弱く、いい球が投げられない。しかし、それにしてはフォームや球の握り方は悪くない。

「こりゃあどうも。それにしても、ヒョロヒョロなボールだなあ」

 ピュッ、パシーン!当然だが、清哉のボールにはキレがあり、重い。宣彦とは大違いだ。

「しょうがないじゃないか。小学校以来、球技の経験が無いんで…ねっ!」

 ピュッ、パシン。力を込めて投げたつもりだが、あまり変わらなかったようだ。

「はっはっは!そりゃすまねえな。で、お前は、どうだったんだよ?」

 ピュッ、パシーン!

「相変わらずさ。特に悩むことも、動くこともしない、そんな感じかな」

 ピュッ、パシン。

「何だぁ、つまんねえの」

 ビュッ!バシーン!

「うおっ、急に球速が上がりやがった。何するんだよ!」

 ビュッ、パシン!

「…へへっ、お前、なかなかうめーじゃん。そういや、小学校以来、球技の経験ないって言ってたけど、小学校の時、野球やってたんじゃねえの?なかなかいいフォームしてんぜ」

 ピュッ、パシーン!

「まあ、昔、花路にあったリトルチームに入っていたことが一時あったんだ」

 ピュッ、パシン!

「へえ、そうなんだ…。実は、俺、ここにあった、猿渡ハウンズって言うチームで、ピッチャーやっててさ。昔は、連戦連勝。よそのリトルチームをめった斬りにしてたなぁ」

 ピュッ、パシーン!

「猿渡ハウンズ…対戦したことはないけど、名前だけは聞いたことがあるな。確か、その頃から、地区の強豪だったって言われてたんだっけな」

 ピュッ、パシン!

「…おお、よく知ってるじゃねえか。そうそう、昔からチーム内では期待されててさ。不動のエースって、よく言われてたこともあったなぁ」

 ピュッ、パシーン!

「はえぇ、そうだったのかあ、って、今でもそうじゃん。…まあ、僕は小学校を卒業してから、野球やめちゃったからなあ」

 ピュッ、パシン!

「ええっ、もったいねえ!野球は人生の上でもプラスなんだぜ!?辞めるなんてもったいねえ!」

 ビュッ、バシーン!

「痛てて…ごめん。まあしかし、中学では勉強に専念したかったし。まあ、お陰さまで、その頃は立岡十傑とか言われてたりもしたなあ…。懐かしい…」

 ピュッ…パシン。宣彦の球の速度が、急に鈍った気がした。昔の事を思い出して、感極まってしまったのだろうか。しかし、それに清哉がこう答える。

「…まあ、過去は過去、今は今だからな。ここまでは、もう既に決まったことなんだし、くよくよしててもしょうがねえ。でも、未来ってさ、結構どうにでもなるもんなんだぜ。もしも、タイムマシーンがあってもさ、過去には行けるかもしれないけど、未来に行けると思うか?」

「…いや、無理だと思うね。だってさ、元々決められた未来なんてものは存在しないんじゃないの。未来なんて、後で何色にでも変えられる…。もしかして、そう言いたかった?」

「…ちぇっ、ちょっとカッコつけようと思ったのに。まあ、そういうこった。だからさ、過去のことなんて気にすんなよ!俺たちでさ、この世界に新しい歴史でも作ってやろうぜ!」 

 ビュッ!バシーン…今までよりも、数段速い球だ。清哉の、熱い思いが詰まっているように感じる…。宣彦はそう思った。そして、宣彦もこう返す。

「…そうだな。僕たちで、皆にすごいもの見せてやろうじゃん!」

 ビュッ!バシーン…宣彦の球が走った。清哉にも、宣彦の熱い思いが伝わってきたのだろうか。清哉は、目に涙を浮かべていた。そして…。

「うおーっ!待ってろよ、大甲子園!そして、プロの世界で俺を待つスターたち!ぜってー、ぜってー夢を叶えてやるかんなぁーっ!」

 清哉の叫び…。宣彦は、これを見て、色々な事に熱心だった、かつての自分を重ねた。まるで、昔の自分じゃないか…と。昔もこんな風に、他のやつに負けないように努力してたなあ…宣彦は、清哉の叫びに心を打たれた。そして、今の自分にできることは何か、と、そんなことを考えたのだった。


 それから、宣彦は清哉と別れ、帰り道を自転車をこいで渡っていく。すっかり陽は傾きかけていて、夕陽が黄金のように輝いている。宣彦は、この夕焼けを背に、ゆっくり、その道を進んでいくのだった…。



 ―おっ、ずいぶん暇そうじゃないか―

 …!この声は!聞き覚えがある。いつも自分を蔑んでくる、あの声だ。まさかこんなところで出くわすことになるとは…。

「なあ、間宮くん」

 養母田だ。彼も自転車に乗っている。どこかに出掛けていたのだろうか。持ち物は、どうやらカバンだけのようだ。宣彦は、この質問にこう返す。

「そっちも、自転車に乗っていると言うことは、どうも暇そうに見えますけど?」

 養母田は、これに対して反論する。

「心外だな。俺は、学校に行って、バカどもに仕方なく勉強を教えていたのさ。どうしても、そうして欲しいと、学校側から言われたからね」

「…さすが、天才のやることは、すごいもんだよな…」

 宣彦は、文句にもならなさそうな言葉を吐く。しかし、養母田はそんなことを耳にも留めていない。

「そっちは何をしていたんだ?この道だと、グラウンドかどこかにでも行っていたみたいだな」

「ああ。清哉に誘われたんだよ」

「だが、今のお前はそんなことをしていても良いのか?前回の状況も鑑みて考えれば、まず、こんな外で遊んでいられる余裕なんざ無いはずだぞ?」

「たまには息抜きも大事だろ?それとも、君はこの体を酷使してでもそれに専念すべきだと?」

「今のお前は、そうしなければ必ずこの学校で死ぬ。一生愛野ヶ岡の笑われものになるな」

 ここでの『死ぬ』とは、愛野ヶ岡高校内で、留年、または、学校から追い出されることを言う。留年者が、こぞって学校を去ったことから、ある時成績上位者が、留年した者に放った言葉らしい。気が付けば、成績低迷者に対してそう言った言葉を使う文化が、校内で浸透していた。

「まだ、まだ始まったばかりだ!これから挽回するかもしれないだろ?よくもまあ、そんな簡単に決めつけられたもんだ!」

 これに対し、養母田は冷静に、こう言った。

「…ふう、仕方ない。なら、現実を教えてやる。この学校では、過去に一度でも留年候補者簿に載ったものは、その大半が実際に死んでいる。これが、何を意味するか、分からないはずがないよな。そう…」

 ―お前のことだ。もし今のままで居続けるのなら、お前は必ずこの学校で死ぬ。そんな変われないお前を本当に認めてくれる奴なんか、ここにはいやしないんだよ―

 宣彦は、あの日をまた思いだし、その場に凍りついた。不思議だ。こんな真夏なのに、身体中に冷気が走っている。全く気持ち良くない、涼しくない、薄ら寒い、この感じ。やっぱり自分はダメなのか?宣彦は萎縮してしまった。

 その後養母田は、「これからまた他所に行く」と言ってその場を去った。また…、またか…。宣彦の心の中にあった微かな希望が、また叩き潰された気がした。そして、宣彦の心を、再び自己嫌悪と倦怠感が襲う。…あいつさえいなければ、こんなことにはなっていなかった…。そうなのかもしれない。

 とまれこうまれ、こうして、宣彦は、再び怠惰の中に沈んだ夏休みを送ることになるのであった。このままでは、また宣彦の夏休みは取り返しのつかないことになる。宣彦は、このまま終わりを迎えるのだろうか。自分の中にある何かを変えなければ、彼の意欲を上げさせるのは難しいのかもしれない…。

 少年たちの夏は、まだ始まったばかりだった。

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