表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
言の葉~言霊と人間の合間で~  作者: 蒼島光太郎
1/3

第一回 「堕落」

 ―くそっ、ボクは馬鹿だ、大馬鹿だ!何でこんなことになっちまったんだ…―

 少年は、一枚の紙切れを強く握り、ただそう言い続ける。ガクガク震えているその手は、何かに対する悔しさを表している。そして何度も、こう繰り返しす。ボクは馬鹿だ、ボクは馬鹿だ、と…。

 今、彼の握っている紙切れというのは、学期末テストの解答用紙。どうやら、さっき返されたばかりのようで、紙はえらくきれいでピチッとしているが、あんまり強い力で握るので、握られた箇所がくしゃっとなってしまった。果たして、何故こんなに悶々としているのか。

 それは彼が、そのテストで赤点をとってしまったからだ。ここの赤点基準は40点だが、彼はそれを下回る、31点を取ってしまった。もしこの結果を受けて、ポジティブに考えられるのならば良しとしよう。だが、彼にはプライドがある。この教科なら絶対に取れるはずだ、という、短絡的ながらも、絶対に破れるはずのなかったプライド。だが、現実は全く異なっていた。絶対的に取れるはずだった教科で赤点を取ってしまったダメージは大きく、彼を暗闇のドン底に陥れたあげく、その自尊心に、深く、そして暗い、修繕困難な傷を負わせた。そのうち彼は絶望の末に机に顔を伏せ、ただ、闇の中に落ちていった。そして、こう繰り返す。

 「ボクは馬鹿だ、ボクは馬鹿だ…」


 ここ、県立愛野ヶ岡高校は、偏差値61の中堅校。校内設備はなかなかに整っており、学校の規模自体も、公立高校にしては良い。そして、今こうして悶々としている少年は、2年1組の男子生徒、間宮宣彦。この愛野ヶ岡高の生徒だ。入学当時は、受験時の点数から「愛野ヶ岡高のエース」として、多くの生徒や教師陣に信頼されていたエリート学生だった。しかし、昨年の二学期、突然調子を落として順位が一気に100ランクほどダウン。その試験は問題の難易度が上がっていて、学年全体の平均点数が落ちていたことから、たまたま今回は調子が悪かっただけだろう、と思われていたのだが、昨年の学年末テストでさらに点数を落とし、赤点四つ、平均点は50点代に突入。提出物の提出率も急速に悪化し、周りからは、「堕天才」「風のエース」「勘違い野郎」と呼ばれるようになり、教師陣からの信頼も落ちていった。

 進級後も成績は伸びず、二年生に進級して迎えた一学期末テストでも成績が振るわず、天才と呼ばれて周りから羨望の目で見られていた少年は、一気に奈落の底へ転がり落ちていった。このままでは、信頼を無くしていくどころか、進級すら危うい…。これは彼にとって、半ば死と隣り合わせの状況下にあるということだったのだ。

 その後、二学期分の授業として、英語基礎の授業が再開された。しかし、宣彦は体を起こして授業を受けられるような状態ではなかった。今は、授業すら体が受け付けなくなっている。それだけショックなのだ。

 これを見ていた隣席の生徒、薮清哉が声をかける。

「おい、どうした宣彦?もう授業始まってるぞ。いつまで伏せてんだ」

 …しかし、反応が無い。清哉は、宣彦が寝てしまったのかと思い、背中を突いた。だが、それも無意味だった。

(この感じ、多分寝てる訳じゃねえな。多分、今回のテストの内容が、相当酷かったんだろな…)

 そう思いながら、清哉は授業を受ける。アイツの様子も気になるが、ここは自分に集中しなければ。清哉も、今回のテストは最悪だったらしい。

 …やがて時間は過ぎ、終了のチャイムが鳴った。本来なら、これで授業は終わりなのだが、ここで、先生から少しだけ話があるということで、僅かながら延長となった。と言うのも、彼はこのクラスの担任だからである。

「みんなご苦労さん。本来なら、ここで授業は終了なんだけど、まあ、今学期の英語の授業もこれで最後だし、少しだけ、僕の方から話しがあるんで、もう少しだけその場で座って聞いてくれ」

 クラスの一瞬緩みかけた緊張が、ふっと元に戻った。

「まあ、急にこんなことを言うのは何だが、君たち、どうやら他の教科でも調子が悪かったそうじゃないか。これは、風の噂だが、ウチのクラスの総合平均点、43.7点だとか…。まあ、詳しいことは、成績が帰ってきてから見れば良いが…。ちょっとこれは酷すぎるんじゃないのか?…なあ、本当は、自分達でも気付いてるんじゃないか?自分がこれくらいの点数しか取れていなかった、ってこと。どうだ?」

 教室には、空調機の音のみがゴーゴーと鳴り続けている。クラスの雰囲気が、凍りついたようにも感じる。さらに続けた。

「まあ、まだ一学期だからな。そこまで本気でやらなくても、ちゃんとみんなが進級してくれるっていうんなら、別にのんびりやってくれても構わない。それに、どうも今回はどの教科も難度が高かったらしいからな。そりゃあ、点数が下がるのも納得がいく話だよ。でも、ちょっと気を許しすぎたんじゃないか?はっきり言うが、このままじゃみんな、大変なことになるぞ。成績優秀者が養母田だけって言うのはさすがにな…」

 何故か今、あたかも北風を思わせるかのような、寒い風が吹いたように感じた。空調機の風だろうか。だが、今は節電だ、省エネだ、という事で、温度は少し高めに設定されている。だが、それにしては寒すぎる。何かこの雰囲気が、教室内に寒い風を吹かせているようだ。

「…もうすぐ一学期が終わり、来週から長い夏休みが始まる。この間、部活動に励む子は学校に来るだろうが、それ以外の子が学校に来ることは少ない。その結果、大体のヤツは、夏休みに入ってから一気に落ちぶれてしまう。現に僕も、部活動を辞めてからの夏休み後はそうだった。キツイ練習が嫌になって、部活動を辞めて、それから二年生になった後の夏休み。あれは今思い返しても酷かったな。自分に甘え、宿題を疎かにし、勉強もサボった。二学期は散々だったよ。僕は何をしてたんだか…ってな。何とか三学期は取り返して進級は出来たけどね。だが、夏を疎かにすると、こういうことが起きる。僕はこれまでの人生で、そう言う人を何人も見てきた」

 …もう何分たっただろう。相変わらず、その場の空気は変わることはない。そして、先生は最後にこう言った。

「それで、僕が最後に伝えたかった言葉。それは、『夏は、お前らガキの鬼門だ』、という言葉。これは、僕の恩師が、夏休み前によく言っていた言葉だ。夏だからといって自分に甘えず、自らにいくつもの課題を付けて行動しろ、という意味が込められてる。もう、この先は言わなくても良いよな。自らを窮地に追いやってこそ、得るものがある…。みんな、この言葉を忘れるなよ。じゃあ、今日はこれまで」

 こうして、長かった授業は終了した。その後は、各自友人と話したり、ふざけあったりする。中には、この今の話に愚痴を付ける者もいた。

 しかし、相変わらず宣彦は机に伏したままだった。さっきの話は、果たして彼の耳に入っていたのだろうか。それにしても、あんまり机にうっぷしたままだったので、その様子が気になった清哉は、もう一度声をかけてみることにした。

「おーい、授業終わったぜノブ。いつまでそうやってんだよ」

 すると、宣彦はようやく口を動かし、小声でこう言った。

「ごめん、清哉。でももうちょっとこうさせてくれない?ちょっと今、何にも考えたくないんだ」

「あ、ああ…、分かった分かった。また授業が始まったら言うわ。じゃ俺、ちょっと外行ってくっから」

 清哉は、何かやるせない気持ちになった。こんな時こそ、アイツの相談役になってあげるべきなんだろうが、自分に宣彦をフォローできる自信が無い。そういう時は、放っておくべきなんだろうか、としか考えられなかった。

「はあ…。ホントボクは馬鹿なヤツだよ…」

 相変わらず、机に伏してそう言い続ける宣彦。そんな宣彦の近くに、一人の生徒が近づいてきた。

「…ああ、そうだな。君はホントに馬鹿なやつだよ」

 …!宣彦は、この声に咄嗟に反応した。その様子からは、動揺を隠しきれなかった。その正体は、クラスメイトの養母田智だった。さっき、担任が評価していた男だ。学年一の成績を誇る指折りのエリートで、宣彦とは対照的に、入学後も実力を発揮している。宣彦にとっては、本来破るべきライバルでもあるはずの存在だった。

「全く、お前はいつまでそうやって伏せてるつもりなんだ?誰のせいでそうなったということを、自分でも理解しているはずだろう」

「……ああ、そうだな」

 小言ばかり言っていた宣彦が、少しずつ起き上がり、口を動かす。

「君の言う通りだよ、天才。自分でもどうしてこうなったかなんて分かってるさ。でも、そんなこと言ったって、もう今更どうしようもないんだよ」

「そうか。自分の事を、良くわかってるじゃないか。しかし、お前はずっとそうやって、自分から逃げ続けるつもりか?」

 宣彦は、また黙りを決めた。言っていることが図星で、返す言葉が無いのだ。養母田は続ける。

「入学してきたとき、お前は輝いていた。愛野ヶ岡の連中は、俺やお前の事を憧れ、羨み、どうすればそんな点数が取れるのかと、ギャーギャー騒ぎ立てていたな。しかし、今はどうだ。『バカな奴等』と同じレベルに甘んじてしまっているんじゃないのか?そんな奴が自分のクラスメイトだと思うと、虫酸が走るような気持ちになるな」

「…なんだと!?」

 この一言を聞いた宣彦はカッとなり、ついに席を立ちあがって養母田の胸ぐらを掴む。そして、語勢を荒げて言った。

「さっきから黙って聞いてたら、何なんだよお前!いくら、僕の成績が悪かろうが、それはお前には関係ないだろ!何が虫酸が走るだ!?じゃあ、僕に絡まなきゃ良いだろうが!それに、他の生徒の人たちを『馬鹿な奴等』だって!?いい加減にしろよ!お前のその態度、さっきから見てて腹が立つんだよっ!!」

 宣彦が、すごい剣幕で養母田に迫る。声の怒気はかなり強く、今にも殴りかかろうというような感じだった。しかし、それに対して養母田は冷静だった。

「そうか、忠告のつもりで言ったんだが、それは悪かったな。だが…」

 ―そんな自分に甘えてばかりの奴に、そんなことを言われる筋合いは無い―

 この一言に、宣彦は絶望した。養母田はたった一言で彼を全否定してしまったのだ。宣彦は、悔しさのあまり涙を浮かべる。しかし彼には、それを拭うことはできなかった。養母田に何もかも全部持っていかれた。こうなってしまっては、もうどうしようもない。何も言い返せない宣彦は、ただ、次の授業の始まりまで、ただ呆然とその場に立ち尽くしたままだった。


 さて、学期末考査が終わったと言うことで、授業時間も短縮されている。そのため、生徒たちは正午過ぎには皆帰路に着いていく。宣彦も早々と帰宅準備を進め、ロッカーで靴を履き替える。あれほどの罵声を浴び、自分自身でもあの成績に絶望していたにしては、今はやけに冷静である。もう忘れてしまったのだろうか。

「自分に甘い…か。アイツに言われるのは癪だが、実際その通りだもんな。たまには、友達の言葉にも耳を貸した方が良いのかもしれないな。それに…」

 ―何だか、アイツにあんなこと言われたら、かえってやり返したくなる。アイツにギャフンと言わせてやるんだ―

 宣彦はそう思った。さあ、早く帰って気持ちを切り替えて頑張ろう。そう思って気持ちを昂らせていた宣彦は、思い切って走って帰ろうとしたが、前が見えていなかったために、すぐ近くにいた生徒にぶつかってしまった。

「あっ、ごめんなさい!ちょっと前が見えてなくて…。あ、高波さん」

 クラスメイトの高波彩美だ。彼女は宣彦と同じ県立立岡中学校の出身だが、中学時代は一度もクラスメイトになったことが無いので、面識は薄い。

「あ、間宮くん。別に痛くなかったからいいよ」

「あっ、ホント…。良かった」

 ふっと安堵の息をついた宣彦。そんな宣彦に、彩美は急に聞かれたくないことを聞いてきた。

「あ、そう言えば間宮くん。今回の学期末、どうだった?」

 内心、そんなこと聞かないでくれよと思った宣彦。思わず顔を赤らめた。

「えっ、まあ…。残念ながら、って感じかな。ホントはこんなこと言いたくないけどね」

「あっ、ゴメン。なんか悪い事聞いちゃった。でも、私も成績なんて全然良く無かったし。お互い成績悪い者同士で良かったー、なんてね」

 そうだったのか、と、また安心してフッと息をついた。本当は、こんなことで安心してはならないというのに。

「あ、そうなんだ。まあでも、先生だって、夏頑張れば次で取り返せるかもしれないって言ってたし。お互い頑張ろうよ」

「うん、そうだね。じゃ、私さくらを待ってるからここで。また明日ね」

「ああ、また明日」

 宣彦は彩美と別れ、学校を後にした。彼の心の中に、絶対に今度こそは挽回して、養母田のヤツをギャフンと言わせてやるんだ、という決意が宿った。同じ失敗はもう二度としない。そう誓って、彼は自宅までの道を走って帰っていったのであった。


 しかし、人間とはかく愚かな生き物なのだろうか。気がつけば、その意思は薄れ、やがてやる気を損失して闇に堕ちていく。彼がそれに気がついた時にはもう遅い。すでに陽は落ち、やる気という言葉はどこかに消え去ってしまった。彼は、ただ何かやりきれないような思いを抱えながらも、ゲーム機を取り出して、それを触り始める。何かを成し遂げようという意志が長続きしなければ、結局はこうなってしまうと言う見事な模範例であった。やがて一日は終わり、布団に入って今日一日の事を回想したとき、彼は、自らの行いを悔やみ、そんなどうすることもできない自分を責める。「ボクは馬鹿だ、ボクは馬鹿だ…」と。しかし、目が覚めれば結局それすらも忘れてしまう。

 これが、毎日のように繰り返されていく。人とは、環境が変わることで、その性格をも簡単に変えてしまうというのか。それとも、何かを成し遂げた自分に安易に満足してしまうからなのだろうか。前はあんなに良い子だったのに…。しかし、その頃の栄華はもはや昔の話。間宮宣彦とは、自分の言ったことに忠実になれない人間だったのだ。

 やがて、一学期は終わり、長い、長い、夏休みに入る。宣彦のクラス担任が言うように、夏休みとは、学生にとって大きなターニングポイントである。ここの過ごし方が、その人の人間性や性格まで決めてしまうかもしれない。そうなると、夏休みを疎かにするわけにはいかない。今、宣彦には、そういうことに対する覚悟が求められている。もしも、この夏休みで急転落するようなことがあれば、この先の学生生活に大きな支障をきたすことは容易に想像できる。実際、過去にそういうことを経験したという人は多いだろう。当の本人も、夏休みを過ぎた辺りで、調子を落としたと言う過去を持つ。

 果たして、この夏休みは、彼を変える大きなきっかけとなるのか。それとも…。



 数日後、テストの返却も終了し、成績も確定した。自身の成績は、決して目を背けられる物ではない。しかし、それでも宣彦の目は澄んでいる。この成績が、返って宣彦の闘争心に火を点けたのか、それとも、もう開き直っているかのどちらかだ。

 また、この事について、養母田からまた何か指摘されるような気がしたが、彼もそれをしなかった。どうでも良いことなのか、それとも、見なくても分かる、もう目を向ける必要は無い、と思っているのだろうか…。どの道、この結果が宣彦自身に与えた影響は、どうも小さかったようだ。

 今日は、去年までクラスメイトだった友人、蒔野堅弥と帰ることになった。元々、二人はいつも共に帰る間柄であったが、昨日はたまたま宣彦がブッキングして、先に帰ってしまっていたのだ。宣彦が比較的落ち着いていて、その上、元来真面目な正確なのに対し、堅弥はやんちゃ坊主だった。あまり釣り合わなさそうな二人だが、意外にも二人は仲が良い。

「おう、ノブ!帰ろうぜ!」

 教室にやってきた堅弥は、開口一番そう言った。

「あ、堅弥。ちょっと待っててくれよ。すぐ用意するから…」

 そう言ってさっさと帰宅準備を済ませた宣彦は、堅弥と帰路に着いた。二人は、蝉の鳴く夏の坂道を下りながら、他愛もない話で盛り上がっていた。実は、堅弥にとって宣彦は、大切な相談相手であり、困ったことがあったときは、誰よりも先に宣彦に相談する。対する宣彦も、悩みがあったときは堅弥にぶつけている。二人はそんな仲だった。

 そんな帰路の途上、堅弥の顔が急に変わった。気持ち、いつもより顔が緩んだように見える。

「あ、そうそう、お前んとこのクラスのさあ…」

 …と言ってから、数秒が経った。堅弥は大事な話をするとき、若干間延びさせる癖がある。宣彦は戸惑った。

「…いや、何だよ、その変な間。どうしたのさ、さっさと言いなよ」

「何だよ、落ち着きねえなあ、ノブ。ちょっと落ち着けって」

「いやいや、落ち着きが無いのは君だよ。何か言いたいことがあるなら、はっきり僕に言ってみなよ」

「いや、だからさ、お前んとこのクラスのさあ、あの子、可愛いよなぁ」

 口を濁すような言い方をする。困ったときは、大抵こうやって口を濁して場を凌ごうとする。そのため、一体堅弥は何が言いたいのかはっきりしないことが多い。そんな彼に、よく宣彦は辟易するような気分にさせられる。

「その濁すような言い方、全く。ホント君ははっきりしない奴だな。まあ、相変わらずだけどね」

 半ばあきれたような表情で、宣彦は言った。徐々に堅弥の顔が赤くなっていく。

「ま、まあ。そう言うなって。ちょっと名前を忘れてただけだから…。あっ、そう!そうだ!確かその子、『さくら』って名前だぜ。あの子、良いよなあ」

「さくら……もしかして、紀藤さくらさんの事?」

「そうそう、その子だよ。お前も良いと思わねえか?」

 紀藤さくらは、宣彦の今のクラスメイトの一人だ。一見すると、弱々しい女子生徒である。成績は可もなく不可もなく。特徴もあまり無く、特別目立つ存在でもない。実際、あまり気が強くない性格だ。ちなみに、さっき宣彦がぶつかってしまった高波彩美は彼女と仲が良く、共に帰宅するような仲である。そんな彼女に堅弥が好意を寄せているとは、宣彦は想像だにしなかった。

「…まあ、確かに良い子だと思うよ。真面目だろうし、見た目も清楚で優しそうだよね。で、そんな君は紀藤さんの事をどう思ってんの?」

 堅弥の答えが気になった宣彦は鋭く切り込んだ。すると、さっきまで顔を赤らめて恥ずかしがっていた堅弥が、顔が赤いながら、真剣な表情に変わる。

「…ったく、しょうがねえなあ…。俺さ、はっきり言うけど、あの子、すっげえ好みなんだ。早く俺の手にしてみたい、そう思ってる。せめて、今年のクリスマスまでには…」

 相変わらず回りくどい言い方をする。それを聞いていた宣彦は、堅弥の言葉をスパッと断ち切って、突然こう言った。

「…ああ、堅弥って、紀藤さんが好きなのか」

 あんまり突拍子なくそう言ったので、堅弥は戸惑ってしまった。

「ちょっ…、お前…、驚くほどはっきり言いやがって…。まあでも、そういうことだな。でも、もっとあの子の事を知りたいし、見てみたいんだ。はっきり『好き』って言うのは、それからなんじゃねえの?」

「ええ…。それは、ちょっと回りくどすぎない?この際、紀藤さんにはっきり言った方が良いんじゃ…」

 すると、堅弥はいきなり語気を強めて「バカ野郎!」と言った。今までの堅哉からは想像できない、見たことが無いような表情だ。

「お前さあ。何で、何でそんなにせっかちなんだよ。落ち着けよ。こう言うのはさ、もっと、時間をかけて作っていくもんなんだよ。分かるか?お前、ゼッテー女の子と真剣に付き合ったことねえだろ。恋愛の事とか、全然分からねえんだろうな」

 堅弥が、さっきより荒くなった。自分で納得がいかない時、彼はこうやって感情を爆発させる事がある。ここまで熱い堅弥は見たことが無い。実際、宣彦には恋愛事情なんて全く分からなかった。

「う…、うん。そうだね。僕には分からないや。恋するって、そういうもんなのか」

 宣彦は戸惑った。こう言われても、どうやって返せばいいか分からない。もちろん堅弥は真剣に話しているのだから、こっちも真面目に考えて言ったはずだった。

「お前に相談しない方がよかったのかな、この件は」

 堅弥が残念そうな表情に変わった。しかし、宣彦も大して理解したわけでもないのに、分かったかのようにズバズバ言い過ぎたように感じ、後々になって申し訳なく感じた。

「…すまん。まあ、確かにいきなり本人に『好きだ!』なんて言えないよな。僕も短絡的だったよ」

 そう言うと、「分かりゃあ、良いんだ」と言って、いつもの元気な堅弥に戻った。それを見た宣彦は、少しホッとしたと同時に、もう少し恋の事を勉強しなければならないんだろうな、と感じたのだった。

 しかし、実はこの時、宣彦の心にも何か揺れ動くものがあった。紀藤さくらの名を聞いたとき、少しうっときた。これは一体何なのか…。恋心か…?これまで恋愛に縁も所縁もなかった宣彦の心の奥深くに、何か今まで味わったことのない、新しい感情が生まれていた。


 言葉。これは、他人に自分の感情や思想と言ったものを抽象化して表すために存在している。よく言霊と言う形であらわされることがあるが、一度発せられた言葉は、嫌でも自分の、あるいはそれを見聞きする人の心の中に刻み込まれる。その言葉一つ一つが、その人の人生すら変えてしまうかもしれない。言葉は生きているのだ。だから、軽々しく言葉を使うということはできない。

 これは、そんな多くの人々の言葉一つ一つから、自分たちの求めていた答えを探し、「自分は何のために生きているのか」という真理を追求する、少年少女たちの物語である。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ