【 六話 】
お花の時期が丁度では無いので少し目が寂しいのですが、私には咲き誇る花とお母様が見えます。
瞼の内側にだけですけれども…。ありありと思い写し出せるのです。
低い目線から見上げたお母様。思い出すお母様は、何時も下を向いているものです。当たり前ですが、その先には、何時も私がいましたの。
昨日…。少し嫌な思いをしました。
案の定、公爵家からは心配のお手紙がその日のうちに届いています。今は、お兄様の婚約のお話しで何かと忙しい時なのに…。
申し訳なさからか、少し重たい気持ちになってしまいました。それを、お母様を偲ぶことでこの日をやり過ごそうと思っていたのです。
会いに行っても迷惑がられる事は無いと知っています。会いに来てと我儘を言っても、嫌な顔…どころか直ぐに来てくれると知っています。ですが、私も一人前にならなくてはいけません。
お母様に心で語らいかける事で、私は私の心を落ち着かせようと思ったのです。
瞑っていた目を開けると、私の大切な庭に立つ招いた覚えの無い彼がいました。
目が合ったのに気付くと、名前を呼ばれました。
何ということでしょう。
待ち人どころか、今は、顔も見たくも無い彼です。
小さい時に、彼とこの庭で遊んだ思い出もありますが、思い出したくもありません。お母様との美しい思い出が汚されるような心地です。この場に彼が居る事が許せなく、追い出したい気持ちですが、きっと、私がここを離れた方が早いのでしょう。
私は彼から離れる様に振り向き、歩き出しました。
「エリーゼ! 待ってくれ、話しがしたいんだ!」
易々とこの場に踏み入れられるなんて、異母妹のせいです。異母妹が父と暮らした、今も住む離の庭からこちらに入って来たのでしょう。不可侵の約束が破られました。
異母妹の唯一の保護者であった父が亡くなった時。父の実家、異母妹の母方の実家の両家が引き取りをしようとはしませんでした。仲が良かった風な親子ですが、良かれという貴族の教育はなされなかった異母妹です。いえ、家庭教師は居たみたいですが、お給料の支払いを我が家にしてきた事がありました。ですが、何の関係も無い事を、丁寧に(公爵家のお母様が)説明して納得して頂きましたの。私が公爵家に嫁ぐ予定である事は周知でしたので、異母妹が伯爵家を継ぐのだと思われていましたの。血筋的に伯爵家とは無関係。だって父は伯爵ではありませんもの。それをご理解して頂いた後は、異母妹に家庭教師はつかなくなったようです。と言うか、父は離で暮らしているというだけで、ご自分の収入でお暮らしでした。その中から教育に当てるお金は出さなかったという事らしいので、やはり我が家には関係の無い話しなのですが。その日が良ければいいという両親だったのか、甘やかすだけ甘やかされただけの娘を引き取る事を、ご親族の方々は忌避されたのです。
どうしようもなく。本当にどうしようもないので、期限を切って滞在を許していたのが本当です。父の物は、何一つ要らない私でしたので、それを元手に此処を出て行く事だって異母妹は出来たのですが…。
彼は、昨日の彼と同じ。今では異母妹のお友達なのです。今の私のお友達でなんかありません。
「エリーゼ。俺の話しを、兎に角、俺と話しをしてくれ」
手首を掴まれました。
嫌です。
大声を出します。掴まれた手を取り戻そうと体を力を込めて引きますが、ビクともしません。
嫌と離してと繰り返した私ですが、次第に言葉も不明瞭になり、私の嗚咽と私の名を呼ぶ彼の声だけが聞こえます。
「すまないエリーゼ。泣かせたい訳じゃ無いんだ。話しを聞いてくれ。俺の話しを聞いて欲しいんだ」
無駄な抵抗だと思っても、私は嫌々と首を振るしか出来ません。悔しくてたまりません。
「エリーゼ。公爵家とは、婚約を破棄したって聞いた。それが本当なら、俺の話しを聞いてくれ」
そう言われても、是とは申しません。
「俺は、ずっとエリーゼが好きだった。公爵家との婚約が決まってるのは分かってたけど、仲良さそうにされて意地の悪い事をしてた。ごめん。本当にごめん!」
それが、今までに投げつけてきた言葉に対する貴方の行動理由ですか? たったそんな事で、私の髪や瞳の色を? この屋敷でお母様を亡くした私に見せ付ける様に異母妹と笑いあっていた事が?
「エリーゼのお母様が亡くなった後。なかなかこっちに来れる理由が作れなくて、異母妹と仲良くすれば、伯爵に呼んでもらえたから。だから、本当にごめん。悪かった」
両の手を掴まれて、ぞわぞわと鳥肌が立ち、心が冷える様に体が冷えていくのを感じます。
彼の言う事は言い訳です。私に会うのに、異母妹は関係ありません。異母妹と私の関係が無いからです。
それに伯爵にと言いましたが、爵位はお祖父様からお母様。お母様から再びお祖父様。一度たりとも父に渡った事などありません。彼の言う伯爵は、便宜上名乗っていた父の事でしょう。お祖父様が訪れを良しとしなかったのなら、それには理由があった筈です。
あの夜会の日に彼が言った言葉。「同じ黒髪でも、持って生まれた美しさが違うからな。婚約者の目が他所に向くのは当たり前だよ」と、「可哀想だから踊ってやろうと思ったのに、随分だな」は、何時もの彼らしい、上からの物言いです。「仲良くしてくれるように頼んでやるよ」だったでしょうか? 子供の時に彼が言った言葉は…。頼むのは彼が仲良くなった異母妹にだったのでしょうか? 当時、私はそう解釈しました。ですから、返事は「嫌」と「嫌い」だったと覚えてます。
「好きなんだ、エリーゼ! これから、いくらだって大切にするから、俺の事を見てくれ!」
こんなに近くから聞こえる声に、言葉に、私の中で何かがせり上がります。
「エリーゼ! 貴様っ、今すぐエリーゼを離せ!」
クリス…。クリスです。クリスの声です。
怒りを含んだ、クリスに似合わない低く荒い声でも、私が求めるクリスの声です。
一瞬緩んだ手を振り払い、クリスの元へ駆け出します。
強ばった顔が、泣きそうに歪み、それでも私に向かって両の手を広げるその胸に、私は飛び込みました。
抱きとめられた私は、クリスの名を呼びながら泣きじゃくりました。
怒り。怒り。怒り。色んな怒りが胸の中で暴れてどうにかなりそうです。
クリスの私の名を呼ぶ声が、安心と温かさを伝えてくれました。
今話もお読み頂きありがとうございました。