【 五話 】
カッポ、カッポと軽快な蹄の音に、進み出した馬車のその先を思い、そわそわと落ち着かない心地になってしまいます。
今、馬車に乗ったばかりなのに。まだ、屋敷の門さえ出ていないのに。つい、小窓から外を見てしまう。それ程今日のお出掛けは、楽しみにしていましたの。
あの夜会から三日。
今日。お兄様とお姉様の婚約が整います。
私はどうしてもお二人へのプレゼントを用意したくて、お買い物に行きたいとお願いをしたのです。お買い物をしたいのでは無く、行きたいと。ただのお買い物なら、屋敷に商人が呼ばれてしまいます。私は、型通りに持ち込まれる物では無く、沢山の並んだ物から探したいのです。
浮き浮きとしてこれからに思いを馳せていると、騎士の静止を叫ぶ声と、御者の焦る声。
馬車の中の私は振られて座席から落ちそうになりました。侍女が立ち上がり、私の体を抑えてくれなければ、鈍い私の事ですから、顔面をぶつけてしまったことでしょう。
「大丈夫?」
私は無事でも、侍女は肩をぶつけてしまったようで、小さな呻きが聞こえました。
「大丈夫です。お嬢様は何ともありませんか?」
確かめる様に見詰められて、私は頷きました。
強いて言えば、びっくりして、胸がドキドキしている事くらいでしょうか?
それより、どうしたのでしょうか? 門を抜ける前に馬車が止まってしまいました。
耳をすませば、私の名が聞き取れました。
私が乗って居ないかと問うと同時に、話しがしたいとの言葉が聞こえます。
それと同時に、叱責する騎士の声。彼等の仕事は護衛です。必要を感じれば、相手を切って捨てる事を厭わない。辺りを警戒する様にと言葉が飛び交っています。
私は、ただの伯爵令嬢ですのに…。
私に付けられた護衛は、何事も無く行って帰る為の保険でしたのに…。
外から聞こえて来るこの声は、あの夜会の夜にも聞きました。異母妹のお友達の声です。
同乗していた侍女が、扉の外で様子を伝える護衛と声を交わします。
門を塞ぐ形で、あちらの馬車が横付けされているのですって。何て迷惑な事をなさるのでしょう。
場合によっては怪我人が出るところです。
ぶつかっていたら。御者が投げ出されていたら。馬が暴走していたら。侍女が、私の体を抑えてくれていなかったら。色々なもしもが無くても、あってはならない事です。
このまま引き返すかと聞かれて、私は否と答えます。
私は、伺うと言ったのです。商人の時間は有限です。その時間を頂くお約束をしたのですから、違えたくはありません。貴族の中には簡単に反故にする様な事方もいらっしゃいますが、余程のお金をお持ちでない限り、商人に軽んじられていきます。まだ小娘の私が、この先を考えずにそうなる訳にもいかないのです。
ですが、追い払うにも時間がかかりそうです。抗議を申し立てても、謝罪は後日。今、速やかにとはいかないのです。
私は馬車を降りました。
侍女も護衛も、私を止めようとします。
周りの確認は済んでいる様ですが、何があるか分からないからでしょう。
ですが、私を呼ぶ彼を、屋敷に招いてまでして話しなんてしたくないのです。この門から内側へと踏み入れられるくらいなら、こちら側から話した方がましなのです。お茶を出す間でもなく立ち話しで十分です。
「エリーゼ!」
「どの様なご要件でありましょう? 私、時間がありませんの。何の御用かは分かりかねますが、急ぎなら公爵家を通して下さいませ」
目の前に居るのに、公爵家を通せというのも変ですが、保護者であるお祖父様が側にいらっしゃらない以上、私の保護者は公爵家です。
「婚約破棄されたんだろ? なのに、なんでまだ公爵家を通さなきゃならないんだ? その馬車だって公爵家の物だし」
「破棄ではありません。解消ですわ」
「どっちだって同じだろ」
いいえ。全然違います。
「あんなに仲良くしていた婚約者に捨てられたんだろ? 気落ちしてるかと来てみれば、楽しそうに笑ってるし」
あら、馬車に乗り込む所を見られていた様です。嬉しくて御者の方にも護衛の方にも、笑って話し掛けていましたから…。
ですが、見られていたなんて恐いです。
それで、何を仰りたいのでしょうか? 破棄と言葉にしたからには、何時もの様に笑いに来たのでしょうか? そこまで嫌われているのですね。
ついついため息が出てしまいます。
「兎に角! エリーゼ。お前の婚約は無くなったんだろ?」
答える必要を感じませんので、曖昧に首を傾げます。
「俺が貰ってやる。公爵家に捨てられたんだ。他に貰い手なんて無いだろ!」
こんな所で、随分な言い様です。
あ、邪魔な馬車の移動が済んだようです。私も馬車に乗り込みましょう。
「エリーゼ! 返事は?」
恐いお顔です。
返事…。そんなの決まってますわ。
「お断りをいたします」
「どうするんだよ! 行く宛てなんてないだろ?」
行く宛て。ないのでしょうか?
私に近寄ろうとする彼を、護衛と、屋敷の者達で押さえ込みます。
馬車の前に立たれても迷惑ですものね。
短い時間でしたが、驚いた馬も落ち着いた様です。金具の点検をさっと済ませた御者が、申し訳なかったと頭を下げます。
貴方のせいでは無いのです。気になさらないでね。貴方に怪我が無くて良かった。
私を乗せた馬車が走り出しました。
折角楽しみにしていたのに、心が萎みます。せめて、良い物が見つかるといいのですけど。
この事は、護衛を通して公爵家に伝わります。
本当に、このお出掛けも、どーしてもとお願いしてやっとでしたのに…。
心配されている事に幸せを感じますが、過保護です。公爵家の方々は過保護過ぎます。
今後のお出掛けは難しいかも知れません。
あっ! ご一緒だったら行けますかしら?
お兄様とは難しいかも…。でも、お姉様とのお出掛けに連れて行ってもらえないかしら?
お母様とは、私が気後れしてしまいます。(お伺いするお店的に)
なら、クリスに連れて行って貰うのが、一番なのかしら?
今話もお読み頂きありがとうございました。