【 九話 】
我が家で兄さんの婚約に関する慶事があった。
兄さんとお姉様の婚約。顔合わせからの公的手続きで、締めの夕食会。
家族同然と言いながら、その場にエリーゼは居ない。
兄さんが嫡男のままで結ばれる婚約。兄さんが次代の公爵で、公爵夫人として迎え入れる以上、僕と結婚すると決まっていても、元の婚約者のエリーゼがこの場に居るのは相手方の親族には心証の悪い事。これから娘が嫁ぐのに、その娘以上にこの家に馴染んだエリーゼがいるというのは、面白くないと感じる事かもしれない。一年の半分以上をこの屋敷で過ごそうと、それを相手方も承知していようとも。
だからエリーゼは、お祖父様の居ない屋敷に戻った。
勿論止めたよ。父さん達だって気にする事は無いって。
色んな意味で上機嫌のエリーゼは、それは駄目ですよと、父さんを諭してた。そしてお強請りを一つ。家に居るのが心配なら、お買い物にお出掛けしたいと。エリーゼの可愛いお強請りに負けた父さんは、公爵家の馬車と護衛で、手配した所以外には行かないと約束をして許してた。
エリーゼに問題があったと聞いたのは、全てが終わった夜にだった。
例の馬鹿なうちの一人がエリーゼを待ち伏せしていて、僕達からしたら、何を言ってるんだと思う事をエリーゼに向かって言ったそうだ。
そもそも、馬車を止めるってどんなつもりだよ。
急いで飛び出そうとすれば、母さんに止められた。
エリーゼがお買い物中に報告を受けていて、侍女や従者に護衛をごっそりと送ったそうだ。今夜は、不寝番を増やしてエリーゼを守る。だから、今夜一晩は我慢しろって。早々にエリーゼを連れ戻したら、エリーゼが気を使った意味が無くなるでしょって言われたら、大人しくするしか無いじゃないか。
だから、悶々としたまま朝が来るのを待った。
嫌がらせしかして無い彼等の心理は、手に入らないエリーゼの目に映りたいだけだ。公爵家嫡男との婚約が解消になったのを機に、兄さんの場所だったそこへ自分がって思ったんだ。
僕は、それを許さない。
随分前から、そこは、僕の場所と決まってるんだ。
兄さんとも、エリーゼとも違う気持ちで、この時を待ってたんだから。
馬車を止めるだけじゃ無い。もっと強引な事を考える奴も居るかも知れない。そう考えると、本当に、気が気じゃ無かった。
涙声の拒絶。
エリーゼを連れて帰って来る様にと母さんに送り出されて来てみれば、心配は的中。
侍女は? 護衛は? 何で、ぴったりとエリーゼに着いてないんだよ。
エリーゼのお母様の庭。ここに居る時は、人が近くに居るのを嫌がるからといっても、せめて、声の聞こえる所に控えてるべきじゃ無いのか?
走り出して僕が見たのは、腕を掴まれて、身を攀じるエリーゼの姿だった。
「エリーゼ! 貴様っ、今すぐエリーゼを離せ!」
僕を見たエリーゼの顔が、一瞬安堵の表情を浮かべたけど、直ぐにぐしゃっと泣き顔になった。
相手の手を振り払い駆け出したエリーゼ。僕は、両手を広げながら駆け寄った。
僕の胸に飛び込んで来たエリーゼは、しがみつく様に僕の服を掴む。
もう大丈夫だと、何度もエリーゼの名を呼んだ。
僕の腕の中で泣くエリーゼに、道化の様に彼は言い募る。何を? エリーゼを欲しいと。僕が邪魔な様だ。話しをさせてくれ? エリーゼの耳に聞こえるその声、言葉は、嫌悪しか感じないよ。
本当は、すぐにエリーゼを連れて行きたいけど、このまま釘も刺さずにとは行かない。
そうしていたら、異母妹と残りの彼等が来た。
本当に、約束の守れない奴等だ。
「本当は、話しなんてさせたくもないけど…。これから暫く、何かあったらって心配するのも考えものだし。用があるなら、今、にしてくれないか? 因みに、そっちの彼は、エリーゼを好きなんだそうだけど…」
そう僕が言えば、さっきの彼は、意地悪を自覚しながらも母親同士の縁でエリーゼを貰うと言う。昨日の彼は、自分が先に言ったから、自分だと言う。
ねえ、エリーゼの顔には嫌悪しか浮かんでないって分かってる?
エリーゼに向かって「行く宛てが無い」と「年寄りの後妻」と「ずっと好きだった」には、もう、僕怒ってもいいと思う。否、怒ってるけどさ。
エリーゼが、彼等から逃げる様に僕の腕の中。ぴったりと胸に寄り添う。何だか、凄く可愛い。
「確かに、エリーゼと兄さんの婚約は解消になったけど、公爵家と切れた訳では無いんだ。それを、忘れないで貰いたいな」
取り敢えず、僕は目の前の彼等に言った。
行く宛ても何も、エリーゼは伯爵家を継ぐ。
年寄りの後妻? 円満解消なら、普通に婿取り出来る筈だよ。
ずっと好き? エリーゼは、君達の事ずっと嫌いだったよ。
不安になる様な事を並べ立てて、嫌がってるのに近寄って、それでエリーゼが手に入るの?
僕は怒ってる。だけど、腕の中のエリーゼは可愛い。
僕の中で、彼等より可愛いエリーゼが勝った。
両の手で頬を押さえたら、まだ涙に濡れてる目がきょとんと僕を見る。ゆっくりと唇を触れ合わせたら、エリーゼが小さく僕を呼んだ。
唇を食んだら柔らかい吐息。もっとと僕は欲張りになる。舌で歯列をなぞり、舌と上顎に触れたら、エリーゼの瞼が震えた。
駄目。本当、可愛い。
離れるどころか、僕に応えようとしてくれる。
エリーゼ、好き。エリーゼ、可愛い。エリーゼ、僕のエリーゼ。
心が、気持ちが溢れる。
少し唇が離れれば、エリーゼの唇が僕の名を呼ぼうと動く。
ああ、止まんない。
触れた唇を離したくない。
触れたままエリーゼを眺めていたら、ゆっくりと瞼が上がって僕を見る瞳。
「嫌じゃ無かった?」
声を掛けたら、頬を染めながらも僕を見詰めるエリーゼが「大好きよ、クリス」と言ってくれた。
どうしよう。もう一回してもいい? 唇を人差し指でなでながら、チロりと出た赤い舌で自分の唇を舐める。
だけど、こんな可愛いエリーゼは、僕だけで愛でたい。
だから、彼等に視線を向けた。
忘れてた訳じゃ無いよ。居ても居なくても、どうでもよかっただけ。
「うっかり既成事実なんかでエリーゼを傷付けられたくないから言っておくけど、兄さんとの解消は随分前から決まってたんだよ」
狼狽えるのも、別にどうでもいいよ。
「エリーゼの今後を心配して貰わなくても、全然問題無いんだ。エリーゼと僕が、公爵家と伯爵家の何方に入るかってだけが決まってなかったんだよ」
「そんなっ! 何で隠す様にしてたんだよっ!」
「それこそ家の事情? どんな事情でも、君達には関係無いよね」
侍女を呼んで、エリーゼを預ける。
「エリーゼ。連れて帰るから、その仕度をして待ってて」
そう言ったら、にっこりとした。
ほら、笑うエリーゼは可愛い。
今話もお読み頂きありがとうございました。




