第八回 女尊主義
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道楽時代の怪物とも言うべき浜子が信奉する西洋の女尊主義は、女性を弱い存在として扱う。
純心の淑女を理想とする女尊主義の欠点は、女性個人の問題解決能力を評価しないことである。
能力の評価がないところに責任は生じない。
結果として、自分の行動に責任をろくに感じない女性をつくりかねない。
かかる現象については、ボーヴォワールが好著『第二の性』で女尊主義の問題点として詳しく論じたところである。
女尊主義の悪いところばかりを示す娘が篠原浜子だ。
もしも、浜子が逆に女尊主義の良いところを明確に示す娘として育っていれば、今回に篠原勤は洋風社交に対する批判を差し控えただろう。
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暑さは金を溶かすと言われる水無月(閏月がない年ならば現行暦の七月下旬から八月下旬)のこと、行燈に『遊船宿』と記してある店に、男が入ってきた。
年頃は二十四歳か二十五歳ぐらい。
鼻筋とおり色白く、目もとは尋常に見えたけれども、どこともなく鋭いところがあって、いわゆる岩下の稲妻とも表現したい。
口はむしろ小さすぎるほどだが、ちょっと八の字の鬚をたくわえている。
身長は高く、縞の薄手のフランネル・シャツを仕立て、ジャケットに同じ色のズボンをはき、細きステッキを手に持って、大きなパナマハットをかぶる。
篠原通方子爵の養子、篠原勤だった。
船宿の女房が声をかける。
「駿河台の若殿様。お久しぶりでございます。この間、『(若殿様が)御洋行からお帰りになりました』と宮崎さんから伺いましたが、よく、まあ」
五年間の洋行。
計算してみれば、篠原勤は二十歳になるやならずの年齢で日本を出たことになる。
それまでに船宿の女房に顔を覚えられるぐらい遊んでいた。
華族の貴公子。
「今日はあんまり暑いから、その宮崎と涼みに出かける約束した。今に来るだろう。屋根(屋形船)を一艘、仕度してくれ」
金払いがよい上客が復活したことは、船宿の女房にとって嬉しいかぎりだ。
愛想よく、
「お酒は要りますか? お肴は?」
「stockを三本ばかりと。他所で買いつけなくてもいい、そちらに置いてある酒で十分だ。
肴は三通りばかり見つくろってくれ。いずれ何処かの河岸につけて料亭にでも行くつもりだから、沢山はいらない」
篠原が注文をしている間に、待ち人の宮崎も店にやってくる。
宮崎は斎藤も連れてきていた。
3
屋形船での会話は、まず、宮崎が口を開く。
「五年というと久しいようだったが、もう、こうなってみれば早いものだ。
洋行中には色々の話もあろうし、君のことだから学術上には発明の説もあろうから、お訪ね申しゆっくりお聞き申したいと思っていた。
しかし、尊大人(篠原通方子爵)のお身体の具合がすぐれなさらず、見舞い客でお屋敷が御混雑の様子ゆえ、ご遠慮していた」
僕も身動きが取れなかった、と篠原は応じた。
「君たちのような同窓の友と会って、ゆるゆるお話がしたいけれども、親父があの様子ゆえ、外へも出られない始末だった。この二三日ぐらい親父の様子がめっきりいいから、今日お誘い申した」
話題は篠原の洋行の話になる。
宮崎はたずねた。
「御洋行中、君はいつもお手紙を下さいましたね?
僕の方は例の筆無性で三度に一度の御返事もあげませんでしたが、僕が東京の現況を新聞の文体を真似てお報せしたことがございましたでしょう?
その時の御返事に、『日本人はmesmerism(催眠術)に誑かされた人のように、西洋人の指先次第。色々な真似をする』との御論でした。
御洋行前に君からうかがっていた話とは大層違いました。『世の人は洋行すると西洋好きになるが、篠原君は嫌いになったのか?』と友人連中は不思議に思いました」
果たして洋行して篠原は西洋嫌いになったのか?
簡単に説明しにくい。
自分の考えを完全に伝えようと願っても無理だ。
不完全でもかまわないだろう。
篠原は酒の力を借りることにした。
「なるほど、お怪しみもございましょう。僕が五年の洋行で得るところ、とはちと大げさのようだが、まあ、そこのところばかりサ。
おお、何だ? 氷が溶けて残り少なくなった。一杯やりたまえ。おい、船頭、どこかにつけて氷を二斤ばかり買ってくれんか?」
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酒が入るとどうにも口が軽くなる。
宮崎は笑う。
「ときに、篠原君、君が帰国したからには、君のご結婚の祝宴のお招きにあずかろうと楽しみにしているのだが、尊大人(篠原通方子爵)の御所労でまだそれどころではないのかネ?」
結婚。
明るい話題に斎藤も調子を合わせる。
「実に篠原君は幸運だよ。
尊大人は従前の勲功とは言いながら、華族に列せられる。
lady(浜子)は才色兼備の上に、近ごろは英語もおできなさるし、pianoなどは殊にお得意。dancingから何から、貴女連中との交際でも恥かしくない。実に君とはお似合いだと朋友中の評判ですぜ?」
しかし、篠原は言う。
「そう言えばそうかもしれないが、僕は何分にも面白くないから、婚姻のところはどうしようかと思っているのさ。
これも両君のことだから僕のsecret(秘密)をぶちまけて言うのだが、ご存知の通り僕は五つか六つの歳から養子になった。
両親もあれ(浜子)と僕を結婚させて家を譲ろうという志願なればこそ、大金をも出して欧州留学もさせてくれたわけだから、今さら彼女を嫌っては、内に顧みてはなはだ道徳に恥じるわけさ。
あの家を出れば、今までの恩を無にすることになる。
いろいろ考えて見ると、実は岐路に彷徨しておるようなわけで。婚儀のことは親父の病気を幸いにずるずると延ばしているようなわけで」
━━今さら彼女を嫌って━━
斎藤は驚いた。
「これは意外なことです。洋行して君の議論はよっぽど変わったが、して見ると議論ばかりではありませんネ? 人も羨ましがる婚約者に、何のかんのと文句をつけるのは合点がいかない」
しゃべりながら反応を待つ。
篠原は難しい顔をして考え込む。
口が固い相手から言葉を引き出すためには、意表を突いて平常心を失わせるというのも一手だ。
そのあたりの駆け引きに関しては斎藤が一枚上手だ。
「ああ、読めた!
西洋は嫌いになったぞと言って、実は何ですね? この節の流行のgolden hair(金髪)の令嬢と向こうで婚約したというようなわけで、今にそれがやって来ると?」
金髪美女。
刺激的な言葉に篠原は泡を食った。
「とんでもない御嫌疑だ! 実はも何もありはしない。
つまり、嫌になったというわけは、浜子と一生苦楽をともにしようという目的が立たないからさ」
斎藤は腑に落ちないといった表情を浮かべる。
━━浜子と一生苦楽をともにしようという目的が立たない━━
その目的が立たない理由を説明するためには、浜子と山中との醜聞について触れるのが一番簡単ではある。
もっとも、醜聞の証拠については全て噂レベルで確認が取れていないのだから、その簡単な方法を選んだところで、強烈な反論が予想される。
話の混乱を避けるべく、醜聞について触れないようにしつつ、篠原は浜子に対する不満を説明しようと試みる。
「まあ、君たちが言うことも間違っていないよ。
僕の心事は一変した。
欧州に遊歴して見ると、なかなかここで想像して書籍中に求めたとは、大いに違ったところがある」
━━書籍中に求めたとは、大いに違った━━
当時に日本に入ってくる書籍による情報においては、西欧では女性を大切にするという話が多かった。
洋行した篠原が個人的に感じるところ、西洋の方が日本よりも女性を残酷に扱っているように見える部分もあった。
「実に、豁然と通悟したところがあった。何でも人間には道徳が大事だということに気がついた。
ところが帰朝してみると、親父(篠原通方子爵)が例の洋癖家だろう?
また、それに仕込まれたものだから、浜子は、『今ではParisでは、どんな髪の風が流行るの? どんな服装が流行るの?』と、そんなことばかり聞きたがるのさ。
僕は西洋の学問と芸術には感心するが、風俗には決して心酔はしない。男女が抱きあって舞踏するなど、みっともない。
それに少男少女のいまだ婚姻しないものなら、婚姻の手段の一端にて、支那にいわゆる仲春会男女という工合もあろう。
それでも淫風ならずとは言いにくい。
野蛮風俗の名残だね?
その上、夫ある婦人は、その夫と舞踏することを許さないというのはなぜだろう?
千代を契って一身も同じとまでいう夫婦だから、夫婦同士で踊ってこそ、面白くも楽しくもありそうなものなのに、ぜひ他人と踊らなければならないというのは、どうか?
そいつを押し進めていけば、最終的には、間男をしなければつまらないという論理になるではないか?」
━━夫ある婦人は、その夫と舞踏することを許さない━━
女性が社交の道具になる。
西洋の上流階級では、男女の平等が行き届いておらず、夫婦間の愛情を重視しない、と篠原は受け取った。
━━間男をしなければつまらないという論理━━
夫婦の愛情を軽視する西欧上流社会の影響を受けて、浜子はおかしくなったのだと篠原は考えている。
「コルセットで胸を締めつけて、女性の健康に悪くても、ひとえに俗眼の好むところに従うなども、支那で足を縛って小さくするのと五十歩百歩の論さ。こんなことを言い立てればいくらもあるさ」
中国の纏足。
纏足にしても、コルセットにしても、家と家との社交のために、女性の肉体を改造しようとするものである。
「そこで、僕は西洋の風俗には感心しない。
この間も親父の看病をしながら、どうしても西洋風俗の話がでるから、我知らず道徳論を持ち出して、舞踏のことなどを話したところが、親父は『そこらが交際のごく親密なところでよいではないか』と言うから、病人に逆らうのも、と黙っていた。
しかし、浜子に『兄さんは洋行した甲斐もなく、やっぱり支那風の七歳男女不同席という腐れ論をおっしゃるよ、フーン』と鼻で笑われた。
そのフーンが骨身に透ってぞっとした心持がして、それから急に嫌になったのだが、親父には義理も恩もあるから、嫌でも嫌と言えないし、実に胸を痛めているのサ」
━━フーンが骨身に透ってぞっとした━━
西洋における女性は、家同士の社交のために、外面を着飾ることに熱心にならざるを得ず、肉体改造まで受けさせられる。
それは女性にとって耐えがたい屈辱であるはずだというのが篠原勤の理屈である。
現実には、肉体改造をも大喜びで受け入れる浜子が存在する。
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篠原浜子が好む西洋の床に引き摺るロングドレスは、中国の纏足の習慣と同じ狙いを持っている。
女性を家庭に閉じ込めること。
守られるべき存在として女性が社交の道具になることの利点は確かにある。
それを作中において花圃は篠原通方の口から語らせている。
━━交際のごく親密なところでよい━━
社交手段としての舞踏には、家同士の諍いを未然に防止する効果がある。
中世の西欧世界のように、王家同士に親戚関係や縁戚関係があって普段から交流があれば、戦争もルールを守った抑制的なものになり、止め役にも不自由しない。
男同士で争っても「妻が止めるから」ということが和平の理由となる。
女尊主義がもたらす平和。
平和を守るために肉体改造を受けても変身ヒーローになりたい男がいるのと同様に、平和を創るために肉体改造を受けても社交界の花形になりたい女もいること自体は不思議ではない。
浜子の洋風社交について問題にされるべきなのは、その動機だ。自分がちやほやされたいだけで他人の迷惑なんてちっとも考えていない。
6
浜子が山中を向島まで連れ出した一件のことなどを斎藤は知らない。
だから、
「それにしても、世間での評判には『あの娘(浜子)ならどんな官員のmadame(夫人)といって押し出しても交際ができる』というくらい。そんな短気は……」
━━そんな短気は━━
普通に考えれば、篠原通方子爵から受けた養育の恩義は重く、その意に背くべきではなかろう。
浜子と結婚して官員となるべきである。
それは篠原にもわかっている。
しかし、
「斎藤くんの言うことだが、僕はその官員が嫌いになった。官員になったとて、社会にどれほどの利益を与えることができると思う?
僕はワシントンよりもフランクリンを敬慕するよ。フランクリンも官員でないとは言えないが。
ワシントンがボストンに義旗を翻がえし、三十余州を一致し、アメリカに連邦を創立し、今は欧州各国と比肩して恥じざる国とまでにしたのは、偉いことは偉い。
けれども、ただ一つの国が豪儀に強くなったと言うまでだろう?
少しも世界に利益を与えない。
フランクリンは電気を発明して、それから電信機もでき、電気燈もできた。世界幾百の邦土、幾億の民生がみんなその利によることは、また偉いことではないか?
現今でも偉人を数えるのであれば、ビスマルクよりレセップスに指を折ります。
ビスマルクはフランスの鼻を挫いて、自分の国のプロイセン王をしてドイツ統一の皇帝とし、今では欧州で牛耳るというまでにした。
それだけだろう?
他の国には何の利益もない。
レセップスはそうではない。
スエズ運河を掘り割りって、世界万国交通の便を開いたのはどうでしょう?
このうえはパナマの掘割まで出来ようとするは、実に偉いじゃないか?
アメリカ合衆国ができなくても、わが日本などは何の不自由も何もなかろう。電信機がなかったら、どんなに不便だろう。
プロイセンが帝国にならなくても日本では屁でもないが、スエズ運河がなかったら、交通貿易にもどのくらいの不利を感じるかしれん。
日本ばかりではない。
どこでもそうであるに違いない。
だから、僕は官員になっての功名は、たかが知れたことと悟った。何でもフランクリンやレセップスに倣おうと思う」
官員批判。
「ヒヤヒヤ、もっとも。賛成だ」
と、宮崎は喜ぶ。
━━僕はワシントンよりもフランクリンを敬慕するよ━━
━━現今でも偉人を数えるのであれば、ビスマルクよりレセップスに指を折ります━━
篠原はケンブリッジ大学で技芸士の称号を得て日本に帰国し、科学技術こそ世界人類を幸せにするという気負いがあった。
科学技術の発達に貢献することの方が官員になるよりも偉い。
自分が官員になれば嫁さんに社交上手が求められ、それによって嫁さんが人間としての尊厳を失って、道徳的に堕落してしまう。
そんなことを心配するぐらいならば官員にならないという選択をしたいというのが、篠原青年の主張なのである。
「それだから、交際上手の女房などは、少しも望まんのさ。
僕が好みの女房は、まんざら文盲でも困るが、婦人の美徳と称する従順の徳があって、少しは文字も読め、家族円満に気を配ってもらいたい。
跳ねた性質に世界の酸素を交ぜてお転婆という化合物になったのなのは好まない。いわば舞踏の上手より毛糸編みの手内職をして僕の家計を助けるというようなのが欲しい」
━━僕の家計━━
それを聞いて斎藤は笑った。
「華族様がけちなことをいいたがるものだ」
篠原勤が浜子と結婚して、篠原通方の子爵の地位を継げば、身分に伴う収入がある。
もしも、篠原勤が家計の心配をしなければいけないとすれば、浜子とは結婚しない場合だけだろう。
斎藤の言葉は、篠原を現実の世界に引き戻した。
いくら彼が理想の結婚を語ったところで、幼い頃から育ててくれた養父を篠原は裏切ることができるはずもない。
浮世の義理の重さよ、と男たちは笑うしかなかった。
7
男たちの敵/味方の対立の論理だけで解決できない問題を、守られるべき弱い女性の存在が一瞬に消し去ってしまうことがある。
女尊主義を理解する鍵になるのは、キリスト教の原罪━救済の構図である。
基本的に全ての人間は原罪で汚れているが、稀に神に祝福された者がいて、その存在だけで周囲の心を清めてしまう。
その構図がどのようなものか知りたければ、バーネットの『小公子』を読むとよい。
主人公の少年であるセディの無邪気な行動が、周囲の頑なな心を溶かし、人々の対立を消し去ってしまう。
今でこそ日本のカワイイ文化の創作物によく見られるが、この展開は明治十六年に若松賎子が『小公子』を翻訳するまで日本に存在しなかった。
内村鑑三が指摘するところ、他力本願を説く浄土真宗ですら、原罪の発想を持ち合わせていなかったのであり、原罪━救済の構図を描けなかった。
原罪━救済の構図からすれば、最高に賞賛されるべき女性は、存在するだけで周囲の善意を呼び起こし、彼女のための平和をもたらそうとみんなを努力させてしまう純心な淑女だ。
なお、純心な淑女のイメージを前提にした上で、その模造品ともいうべき賢夫人もまた賞賛される。
知的に優れた女性は、男たちが対立する最中に、守られるべき存在という社会的イメージを活用して巧みに人間関係を操り、対立そのものを消去してしまう。
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賢夫人による洋風社交の素晴らしさについては、三宅花圃も理解している。
和歌の天才少女であった花圃は、十代前半の跡見塾時代から、鹿鳴館の華と呼ばれた鍋島栄子(鍋島公爵夫人)のもとに和歌の出張講義を行っており、子ども先生として二十代の栄子から可愛がられた。
大人になってからも続いた栄子との親しい関係からすれば、花圃が賢夫人に対して好意的なのは当然だ。
小説『藪の鶯』においても、将来の賢夫人の卵と目される服部浪子は作者から露骨な贔屓を受けている(周囲の人間関係を俯瞰して把握できる賢夫人になるためには女性の役割を家庭内に限定する国家主義的女子教育を受けるだけでは足りず、兵書・歴史書を大いに学ぶべしというユニークな主張を伴うとしても!)。
また、存在するだけで周囲の心を穏やかにしてしまう天然の純心な淑女に対しても花圃は敬意を払う。
花圃は、身分が低くても本当に可憐な存在である樋口邦子(樋口一葉の妹)に対して「自分はうまく口の利き方を心得ない」と恐縮した(生まれこそ上流階級の令嬢なのに花圃の普段のしゃべり方が少し気を抜くとチャキチャキの江戸っ子の姐さんとも評される洒落がきついものになってしまうからこそ生じた悲喜劇だ)。
鍋島栄子。
樋口邦子。
まるで煌めくような女尊主義の輝かしい成功例にも確かに花圃は出会っている。
それでいて、小説『藪の鶯』を執筆していた当時の花圃は東京高等女学校において女尊主義の惨めな失敗例も知ることになる。
学友たちに対する花圃の冷やかな見方は、篠原浜子に結実している。
おそらく、小説『藪の鶯』が出版された当時、東京高等女学校の関係者は、作品の内容そっちのけで、浜子のモデル探しに夢中になったことだろう。