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第六回 跡見塾


   1


 押入れがついた床の間の部屋には、本箱と箪笥が置かれ、インキのこぼれた跡がところどころにある。

 箪笥の前にはブリキの小さな金盥かなだらいの中に、くせ直しの布きれが丁寧に畳んで入っている。

 その側に、毛筋立てと鬢櫛びんぐしが横たわっているが、あたりはさすがに整頓されていて散らかっていない。

 これが跡見塾の寄宿舎における浪子の部屋である。

 日曜日のお昼時が近い時間帯のこと、自分の部屋の窓際で、浪子は母親からの短い手紙の内容を口の中で繰り返していた。

 今日は帰らないでくれ、明日は帰ってこい、とのこと。

 理由がよくわからない。

 浪子が悩んでいると、廊下に続く部屋の障子がそっと開いた。

 宮崎福子の姿が見える。

「服部さん、あなた、今日はお帰りにならないの?」

「今、この手紙が来まして。今日は帰るな、と言ってきました」

 そう浪子が言うと、福子は目を輝かせた。

「賑やかでいいこと」

 人が多ければ賑やかなだけではなく、辞書の貸し借りなどもできる。

 福子からのお願い。

「英和辞典があるなら、お貸し遊ばしてちょうだい」

「お持ち遊ばせ」

 快く浪子は貸してやる。

 ついでに、

「今、食べもののお包みを母が持たせて寄越しました。宮崎さんも一緒に召し上がりましょう」

 と声をかける。

 美少女である福子はもともと可愛いが、職業・収入・財産・性格・容姿とそろった結婚適齢期の兄を持っていると思うと、浪子の目にはより一層に輝いて見える。

「ありがとう」

 無邪気に福子は破顔した。

 続けて、

「では、斎藤さんもお呼び申しましょう」


   2


「なに? 私は今日眠くってしょうがないのヨ。

 夕べは夜の八時頃に講堂で勉強しているうちに居眠りをして、相沢さんに起こされて、びっくりしてお部屋へ帰って、寝巻も着替えないで寝てしまった」

 斎藤松子の登場。

 勢いよくバタリと障子をしめて浪子の部屋に入ってくる。

 大あくび。

 福子はとがめた。

「ちょっと、斎藤さん、品がないわヨ」。

「よくってヨ。あんまりこもっているから、炭素を追い出してやるんだワ」

「いつも口の減らないこと」

「口は減らなくってもお腹が減ってヨ。何かお相伴にあずかりたいこと」

「ですから、お呼び申したの」

「お呼び遊ばすからおいで遊ばしたのヨ」

 にへらにへら松子は笑う。

 畳に座ると、何も言われなくても、勝手にお包みに手を伸ばす。

 どれどれ、と。

「お包みを開けますヨ。中身は何ですかね? 風月堂のカステラに、落花生が一袋。この袋は五銭ぐらいか?

 重箱の下は、お惣菜です。白魚と慈姑くわいの手料理は、きっと奏令官の令夫人が、お浪に食べさせたいとお拵え遊ばしたの。親の恩は海より深い」

 横から福子が不満そうに言う。

「斎藤さん、喋ってばかりいないで、いただきましょう」

「私は夕べおかしな夢を見ましてネ。

 福ちゃんがあたしの兄のところへ嫁に来たいと言いますから、『そんなことを言わないで、あたしのお婿さんにおなりなさい。兄さんは、夜会でお目にかかるMiss服部という人が大好きですから、お気の毒さま』と言ったら、福ちゃんが怒って━━」

 ただの夢の話。

 福子は頬をふくらませながら、

「斎藤さん、およしなさい」

 カステラをペンナイフで切って何切れか差し出した。

「Many, many(沢山あるね)。Thank you for your kindness.(ご親切に感謝します)。それからね、宮崎さん」

 まだ、松子は夢の話を続けたいらしい。

 確かに、福子は松子の兄である斎藤に憧れを抱いているが、そういう話を人前でされるのは迷惑である。

 福子は頬を紅くして、

「およしなさい。あなたは磊落らいらくだからお構いにならないけれど、もう、よしてちょうだい」

「ヘイヘイ、恐れ入谷の鬼子母神と。相沢さんを連れてくる。宮崎さんが相手してくれないから、あたしは相沢さんと一緒にお話しするワ」

 そう言い捨てると、松子はカステラを口にくわえたまま廊下をバタバタ走っていく。

 あきれ顔で福子は見送る。

「本当にquick motionなひと」

「ですけれども、あの方(松子)は兄さん(斎藤)によく似ていて、才はなかなかありますよ。いくらでもああいう人がいるものです」

 と、浪子。


  3


 作者の花圃の本名は、龍子たつこであり、和歌の世界では、幼い頃から才童の名前をほしいままにしてきた。

 才童龍子と斎藤松子。

 音が似ている。

 仲のよい兄を持つことも共通している。

 花圃の兄である次郎一は、落語家として三遊亭園朝を支持しており、落語について花圃と熱く語り合う仲だったという。

 次郎一が三井物産の支店長となって英国に渡ると、花圃が寄席に行って落語を速記したものを手紙として送っている。

 本人の学生時代の思い出を読むかぎり、三宅花圃の学生時代にもっともイメージが近いのは、斎藤松子だ。

 カステラを口にくわえたまま廊下を駆け抜ける明治の女学生。

 斎藤松子のモデルは花圃自身。

 花圃が九歳から十五歳までの間に通っていた跡見塾は、自由な校風で知られていた。


   4


 松子が浪子の部屋から飛び出していった後、福子は篠原浜子の話をしていた。

 曰く。

「本当に嫌なのはあのおナマさん(篠原浜子)ね。

 いやに体裁ばかりつくって、何か自分の作文の点でも悪いと、忙しかったからいけなかったとか言い訳ばかりして。

 そのくせに西洋好きでいらっしゃって、内地雑居になるとどうだのこうだのとおっしゃるのヨ」

 ━━あのおナマさん(篠原浜子)━━

 原作においては、おナマさんの正体について、朋輩生徒か、と三宅花圃はわざとらしく言を濁している。

 それでも、篠原勤の帰国を浪子が話題にする前に、篠原さんでも別の篠原さんの話、と浪子が前振りを入れることから、おナマさんの正体が篠原浜子とわかる。

 ここで浜子の話を福子がするのは、福子も浪子と同様に宮崎一郎から頼まれて浜子の相手をしているから。

 ━━本当に嫌━━

 福子は浜子を嫌っている。

 第一回でわかるように、浜子の方も福子の悪口を言っている。

 困ったものだと浪子が適当に話を聞いていると、いきなり福子の口から浪子に関係する話が飛び出す。

「私は口惜しくなりましたけれども、何も言い返さないで黙っておきました。

 いつかのあなたの作文ね、私は暗誦しておりますヨ。


 聖賢の教えも得手勝手に取りなして聞く時は、身を乱すこともあるべし。卑しきしずが小歌も心をとめて聞く時は、教えにならざるはなし。げにその地にあらざれば、これを植うれども生ぜず。その人にあらざれば、これを語れども聞えず。


 私は大変この作文が好きですから、お手本にさせていただきました」

 は?

 思わず浪子は口からお茶を吐き出しそうになるのを必死にこらえた。

「お記憶のよいこと。私すら忘れてしまいました」

 暗誦しなくてよろしい。

 むしろ今すぐ忘れてほしいと思う浪子だった。

「そういえば、同じ篠原さんでもお兄様(勤)がきのう御帰京になりましたとネ」

 福子は首をかしげる。

「あの方(勤)はhusband(夫)じゃないの?」

「husband(夫)ですけれどengage(婚約)だけですから、浜子さんも兄様とおっしゃっていらっしゃいますヨ」

 と、浪子は説明する。

 おやおや、と福子は言う。

「どうするのでしょう? あの不品行では到底お嫁になれないですネ?」

 ━━あの不品行では到底お嫁になれない━━

 この浜子に対する悪口はさすがに限度を超えている。

 油断や隙を戒めるのが跡見塾の訓え。

 見や、先、福。

 自分の言葉に宮崎福子はもっと気をつけた方がいい、と浪子は心配になった。

 忠告。

「そんなことをおっしゃったらいけません。あの方(浜子)はなかなか教育もありますから、そんなこと(不品行)はありません。

 世間の噂でしょう?

 この頃は、みんな良い方は文明の国に負けないで、夜会などに御尽力です。

 けれども、我々下の人たちは、見たこともないことばかりですから、疎いことは疎んじたり賤しんだりしてしまいます。

 ちょっと珍しいことがあると、尾にひれをつけてそれを悪く言って、何も知らぬ人にまで、色々な噂をみんな言いますから、人の口ほど怖いものはございません。

 まだ社会に出ないで生徒でいるうちは、引き込み過ぎるよりも出過ぎてしまうことに気をつけましょう」

 なるほどね、と福子は素直にうなずいた。

「あなたのおっしゃることは、よく私の気にかないますヨ」


   5


 お気づきだろうか?

 今回の宮崎福子に対してのお説教では、「自分がわかっていないかもしれないことについて、出すぎた口を利かない方がいいですよ」と優しく語る。

 過去の作文では「わからず屋と話しても時間の無駄である(その人にあらざれば、これを語れども聞えず)」という身も蓋もない内容を冷たく述べる。

 いずれに浪子の真の性格が現れているのかと言えば、断然に後者であるとしか。

 ━━聖賢の教えも得手勝手に取りなして聞く時は、身を乱すこともあるべし━━

 ヘーゲルの一般論理学が語るように、論者の目的によって同一と区別はくるくると入れ替わる。

 オリジナルの論者の感情に由来する目的が抱えるリスクを受け止めるメンタルの強さがなければ、本来の意味から遠く離れた意味にしか解釈できない。

 ━━卑しきしずが小歌も心をとめて聞く時は、教えにならざるはなし━━

 一般に反社会的とされる知識も役に立つ場面がある。

 漢代における詩妖の思想など、子どもに教えるのは危険すぎて、とても学校の授業で教えられないだろう。

 与えられた知識を丸暗記することよりも、知識の意味を受け止めることができる人間的器量を先に磨くことが大切なのである。

 一理も二理もある。

 東西の哲学において同様の意見が存在する。

 しかし、明治日本の常識からすると、十代の小娘がそれを語るのは生意気に過ぎる。

 わりと偉そうな性格が現れる浪子の過去の作文を宮崎福子がしつこく丸暗記しているのは笑いどころである。

 おっちょこちょいの福子の口から浪子の過去の作文が漏れれば、浪子の本性に宮崎一郎だって気づいてしまうかもしれない。


   6


 いきなり浪子の部屋の中に一人の女学生が走って飛び込んできた。

「ああ、苦しい、苦しい」

 相沢品子。

 いつも斎藤松子と一緒にいる相方である。

 福子は驚く。

「どう遊ばして?」

 早口で品子がまくし立てる。

「あの斎藤さんにsnatch(奪取)されようとしたわ。あのお芋をネ。西村さんにもらって食べていたら、斎藤さんが来て取ろうとするのだもの。嫌な人ヨ」

 その後から松子が入室してくる。

「だから、私がカステラを御馳走して上げるから、取り換えっこにしようと言ったのだワ」

 カステラを浪子と福子が食べていることに品子は気づく

 驚く。

「おや、斎藤さんが本当のことを言ったの? ここにカステラがあるワ。じゃあ、これ(お芋)を上げよう」

 品子はお芋を松子に渡した。

 それを見ていた福子はあきれる。

「現金ね」

 だって、と品子は言う。

「カステラのsubstance(実物)を見ないでは、信じられませんよ。斎藤さんはliar(嘘つき)だから」

 品子のことを何度も嘘で担いだという事実があるのは松子も否定しない。

 しかし、お互い様だ

 松子は苦笑する。

「私の悪口ばかり言って、ひどい」

 横から福子は止めた。

「そんなことは閑話休題として、カステラを召し上がれ」


   7


 斎藤松子の相方である相沢品子のモデルとしては、才童龍子(三宅花圃)の生涯の友人である勘解由小路操子(烏丸操子)の名前を挙げたい。

 操子は、跡見塾時代には、龍子(花圃)の相方になってあらゆる悪戯を行った。

 才童龍子は斎藤松子。

 相方操子は相沢品子。

 当時には、跡見塾には、龍子と操子の他に、松尾虎子という娘がおり、お転婆にかけて好敵手だったという。

 これは偶然だが、龍子と虎子で竜虎の争い。

 なお、虎子は、北里柴三郎男爵夫人として立派な淑女に変身し、同窓会で龍子(花圃)に衝撃を与えた。

 とんでもない問題児たちを見捨てることなく、親切に面倒を見た跡見塾の主宰者である跡見花渓女史のことを、花圃は最高の教育者と称えた。


   8


 カステラを食べながら品子が言う。

「なくなりそうだね?」

「よくってヨ。明日、服部さんはお帰りなさるのだもの。なくなったっていいワ」

 と、松子。

 ━━よくってヨ━━

 浪子が明日に実家に帰るというのならば、実家の側は何日もかけてカステラを食べるということは想定していない。

 だから、今日中に全部食べてもよい。

 足りなければ明日に実家に帰ったときに追加のカステラを浪子がお土産として持ち帰ることも可能。

 また私もお相伴に預かる、というのが松子の理屈であろう。

 浪子はあきれながら、

「いくらでも召し上がれ。私は明日のlesson(授業)のところを少し見ておきとうござりますから。失礼よ」

 と言った。

 席を外すべく腰を浪子は浮かせた。

 家の用事で明日の授業を休まなければならないのだから、その分を講堂で自習しようというのである。

 驚いて品子が止めた。

「およし遊ばせヨ。お休みになるのだから、見ておかないでもいいではありませんか?」

「本当に服部さんのように勉強しては、身体が続かないでしょう?」

 と、福子。

 堂々と松子は言い放つ。

「あたしなんか、出席しない日の教科書の部分は読まないヨ」

 他山の石。

 松子の言葉を聞いて品子は反省する。

「できれば見ておいた方がいいかもしれません。私も試験前は大変に心配して、この間も夜の二時ぐらいまで起きて勉強していたのに、あんな低い点ですもの」

 そして、

「嫌になっちまった」

 と吐き捨てた。

 それに対する福子の感想。

「偉いことです。相沢さんはそんなに夜遅くまで試験勉強をしていたのですか?」

 感心ばかりしてはいられない。

 浪子は注意した。

「けれども、大変にお身体には毒です。

 女子生徒は、男子生徒より大気たいきでないせいか、あまり怠けません。周囲から色々と言われなくても、真面目に勉強しますね。

 でも、この頃は女に学問をさせるのが大変に問題と言われていますよ。

 あんまり相沢さんのように、勉強をしすぎると精神が弱って、弱い赤ちゃんしか産めなくなるそうです」

 要するに、女性にとっては学問よりも結婚が大切だ、と浪子は言っている。

 品子は腹を立てた。

「嫌なこった。誰がお嫁なんかに行くもんか」

 すると、姉と慕う浪子のことを加勢するべく、福子が口を挟む。

「お嫁に行く方がいいって思いますよ。たとえ相沢さん(品子)が先生におなりになるにしても」

「先生にもなれば、男なんかに膝を屈して、仕え奉ったりしないわ」

 馬鹿な男を立てるつもりはない。

 それが品子の考え。


   9


 福子に時間を稼いでもらっている間に、浪子は反論の準備を整えた。

 演説を開始する。

「この頃の学者たちの間では、女に学問をさせないで皆な無学文盲にしてしまった方がよかろうという説があります。

 女は少し学問があると先生になり、主人を持つ結婚をしないようになるので、人民が繁殖しませんから愛国心がないと主張されています」

 解説しよう。

 これはジョン・スチュワート・ミルの『女性の解放』(岩波文庫、一九五七年)の七十九頁に紹介される当時の英国の多数説であろう。

 ミルの『女性の解放』を下敷きに森有礼が明治六年に『妻妾論』を発表し、女性の権利については日本でも話題になった。

 浪子は言う。

「明治五年か六年頃には、女の風俗が大層悪くなったとか。

 肩を怒らして歩いたり、高袴を穿いたり、何か生意気な慷慨なことを口で言って、誠に悪い風だそうでした。

 この頃、大分直ってきたと思うと、また西洋では女を尊ぶとか何とかいうことを聞いて、少し後戻りになりそうだということですから、今の女生徒には大責任があります」

 ━━明治五年か六年頃━━

 明治六年の学制においては、教育内容に男女の区別なく、女学校の制服として男袴が採用された。

 ━━西洋では女を尊ぶ━━

 これは女性の社会参加・政治参加の意義を訴えるミルの議論のことを指しているのではないかと思われる。

 ━━少し後戻り━━

 十九世紀の西洋近代国家の間では、次代の国民を立派に育てるという国家主義の観点から、母親による教育の重要性が強く説かれた。

 そのような女子教育観からすると、母親が家の外に出る政治教育・職業教育は好ましくない。

 明治十年に文部省大書記官の西村茂樹の学制批判があり、日本も世界の趨勢に従って国家主義的女子教育の方向に進み始めたので、明治六年の学制による男女共通の教育に戻るのは少し後戻りという評価になる。

 第一次世界大戦といった総力戦が行われ、女性の労働力が国家にとって重要と認識されるまで、女性の参政権は世界で認められなかった。

 浪子は演説を続ける。

「ナポレオンは、子どもの将来を決定するのは母親だと言いました。善良の母親をつくるには、女も学問をする必要があります。

 しかし、一方で、女があまり多くのことを知りすぎると、押しの強い女になるおそれがあります。シェークスピアは、「顔の皮の厚い女は、男の女らしいのと同じことで、好ましくない」と申しました。

 何でも一つの専門を定めて、それをよく勉強して、高慢になったり生意気になったりすることを避けて、温順な女徳を損じないようにしなければいけません。

 そうすれば子孫に才子や才女が出来て、文明各国に恥じない新世界が出来ましょう、とある方がおっしゃいました」

 ━━ある方がおっしゃいました━━

 ここでいうある方とは、花圃の兄の次郎一の友人である厳本善治かと思われる。

 厳本は、女学雑誌を発行し、家庭の規範を一夫一婦の関係に基づく近代西欧の家庭に求め、知徳人品を備えた女性が家庭を内を平穏に治めることで国家に貢献するホーム思想を構想していた。


   10


 松子は頭を抱えた。

「ああ、嫌だワ、嫌だワ。あたしはそんなことを聞くと本当に嫌になってしまう。一生懸命に学問をしても、奥様になれば大変だ。面倒くさくって嫌だワ」

 そして、

「あたしは独立して美術家になるわ。絵描きになるワ。

 美術の内で、歌舞音曲その他一二を除いて、源はみんな絵画ですとサ。だから絵画は美術の King。feminine(女性形)の方かしらん? じゃあ、 Queen だワ。あたしはきっときっと絵描きになるワ」

 と言い出した。

 ━━あたしは独立して美術家になるわ。絵描きになるワ━━

 日本のマンガの源流となった一人と目される絵師の河鍋暁斎に、三宅花圃は『藪の鶯』執筆の一年ほど前から弟子入りしている。

 花圃の分身とも言える松子が画家になりたいと語れば、その相方の烏丸操子の分身とも言うべき品子が冷やかす。

「おや、斎藤さんが絵描きになるって? 面倒くさがりのくせにネ」

「斎藤さんだって一心一到ですもの。絵描きになれますワ」

 真面目に浪子は言った。

 松子は、当時の女子にしては磊落に過ぎるが、裏を返せば、強い情熱があるということでもある。

 それは品子も認める。

「じゃあ、あたしも一心一到だよ。この間は理科で高点をとったから、理科を頑張って理学士になろうか?」

 小説『藪の鶯』が書き始められた明治十八年に、三宅花圃よりも一歳年下の木村秀子が医術開業試験に及第している。

 品子は福子にたずねる。

「あなたは?」

「私はこの学校を卒業すれば奥様になるワ」

 あっさり福子は答えた。

 そして、

「お浪さん、あなたもそうでしょう?」

「私は文学が好きですから。文学士か何かのところへ行って夫婦共稼ぎにする」

 浪子の周りにいる文学士と言えば、宮崎一郎だ。

 妹の福子は大喜び。

「じゃあ、お浪さんは、うちの兄さんのところにお嫁にいらっしゃるといいこと。そうだと嬉しいけれど」


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