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第四回 桃夭学校


   1


 小説『藪の鶯』第四回は、現代の物語技法上の観点からすれば、最も拙劣と言ってもよい回である。

 直前の回である第三回とまったく共通する要素がなく、かろうじて第一回に登場した宮崎一郎が名前だけ出てくるのみだ。

 読者からすれば唐突に別の話が始まったような違和感を覚える。

 第三回の最後に第四回の冒頭につながるようなヒキをほしい。

 ご都合主義の制限を主張する写実主義が行き過ぎると、読者に対するサービス精神が不足しがちになる。

 明治二十年頃に書かれた写実主義小説『藪の鶯』が抱える限界か?

 冗長な前置きを終える。

 メタ技法によって前もって解説してしまうと、今回から登場する松島秀子は、第十一回で篠原勤の心を奪ってしまう。

 秀子に一目惚れした篠原勤は、浜子のために山中とお貞の報復をしようという気持ちを失ってしまう。

 小説『藪の鶯』におけるデウス・エクス・マキナ(機械仕掛けの神)の封印の鍵を握る松島秀子は、重要な登場人物である。

 貧しさ酷い子。

 松島秀子は、さして身分の高くない家柄に生まれたのにもかかわらず、異常な幸運でもって、当時の日本女性にとって最高級の学校とされる桃夭学校(後の実践女子大学)に通った。

 父親の死によって退学を余儀なくされたが、秀子は弟を高級官員にして桃夭学校に復帰することを夢見て、弟に猛烈なスパルタ教育を施し始める。

 貧しさ悪しヨ。

 弟である松島葦男は、吹き荒れる暴風に耐える葦にも似た生き方を強いられる。


   2


 九段坂より堀に沿って、ほおの木歯きばの足駄がガラガラと音を立てる。

 東京府立中学校からの帰り道。

 年ごろは十五歳ぐらいの三人の少年たち。

 一人の少年は、白い帆木綿のカバンを小脇に抱え、毛糸織りの大黒頭巾をかぶっている。

 貧乏くさいとまでは言わなくても、連れの二人の服に比べれば、その少年の服は幾分か安っぽい。

 縦縞の少し派手過ぎる木綿製の綿入れ(和服のコート)も、汚れているわけではないが、肩のあたりに修復した跡が見られ、同じものを長く着ていることがわかる。

 この少年の名前は、松島葦男。

 彼と連れの二人の会話から第四回は始まる。

 彼らは脇役であるから、原作における名前は○と□である。

 明治時代の小説では、そういうネーミングが十分に許されたのであるけれども、現代の読者のために竹井と梅田という名前をつけておく。

 歩きながら梅田が話す。

「今日のlesson(授業)はdifficult(難解)だったねえ?」

「僕は昨日brother(兄貴)に下読みをしてもらったから、すこぶるeasy(簡単)だったぜ」

 と竹井は応じた。

 ━━下読みをしてもらった━━

 要するに、英語のテキストに日本語訳をつけてもらったということである。

 家が重視されていた時代のこと、年上の家族に子どもが勉強を見てもらうということは珍しくなかった。

 梅田も同じく家族に下読みをしてもらっていた。

「僕も親父にしてもらったヨ」

「ふむ」

 葦男にとって避けたい話題だった。

 竹井は気づかない。

「松島くんは、誰も下読みをしてくれないから、どうしても講堂では出来ないけれど、そのわりには試験に好結果を得るから希代だよ」

 英語の試験の成績がよい葦男には、下読みをしてくれる家族がいない。

 三年前に父親が死んだという理由で、葦男は転校してきた。

 そして、一年前に葦男の母親が死んだ。

 現在に葦男は姉の秀子とともに二人だけで暮らしている。

 このあたりは梅田も知っていた。

「でも、松島くんのうちは姉さんばかりで、よく月謝に困らないね? どこから金が出るのだ?」

 ちょっとした好奇心。

 両親がいないのに、松島くんはどうやって暮らしているのだろう?

 横から竹井が解説する。

「それは、松島くんの姉さんがなかなか偉いひとだからね。

 この間、僕の親父が一番町の宮崎さんの宅を訪ねたのだけれどもネ、『宮崎さんが経営している)あっちの長屋にお秀(秀子)という娘がいるけれども、毛糸編みの内職をして弟の学費に充てている』と言っていたヨ。

 そのお秀さんが松島くんの姉さんサ。松島くんのうちには公債証書もあるのだけれど、姉さんが少しも手をつけないそうだよ」

 明治九年の秩禄処分。

 士分階級の土地が取り上げられて代わりに公債証書が与えられた。

 その平均額は四百二十円で、公債証書を持っていると月々に利息が入ってくる。 

 ただし、その利息は普通であれば最低賃金にも満たないので、生活が苦しくなると大部分は公債証書を売った。

 生活が苦しくても松島くんの姉さんが公債証書を売らないのは、士族の誇りに違いない。

 そいつは偉いものですナと梅田もしきりに感心した。

「松島くん、本当か?」

 ああ!

 葦男は涙をこらえた。

「僕はそんなことは知らない。失敬」

 曲がり角。

 ここを曲がれば、葦男は竹井と梅田から離れることができる。

 二人はのほほんとした表情、

「Good-Bye(さようなら)。じゃあ、松島君、また明日も一緒に帰ろう。誘うゼ」

「誘ってくれなくていい!」

 と怒鳴りつけて、葦男は逃げるように走り去った。


   3


 松島家の話をしよう。

 原作の記述に従うならば、その設定は以下の条件を充たさなければならない。

 (一)父親の田舎には遠い親戚しかいない。

 (二)松島家に公債証書が残されている。

 (三)東京で親しくしていた知己を父親は持たない。

 (四)秀子は桃夭学校に通ったことがある。

 これらの四つの条件を充たす松島家の設定は厳しいが、満更に不可能でもない。

 私ならば、こう設定する。

 維新前の松島家は地方のある程度の高禄の武士の家柄だったが、どういうわけか子どもが早死にすることが多かった。

 跡を継いだ当主に兄弟姉妹がいないというケースが続いた。

 松島姉弟の父親は、国学の才能があるということで、京都あたりの老大家に弟子入りしたものと設定する。留学先の地において、松島姉弟の父親は母親と結婚し、そして、いったん自分の田舎に戻る。

 この設定であれば、松島姉弟は父親の田舎に遠い親戚しかいないということになり、(一)と(ニ)を充たせる。

 明治五年まで国家神道をつくろうと明治政府の一部が画策した際、老大家に声が掛けられた。老大家は年齢を理由にして固辞し、代わりに若手の俊才として、松島姉弟の父親を推挙した。

 維新政府に仕官したものの、松島姉弟は田舎にいて、会合がある時だけは東京に上っていた。ただし、東京の学者たちとはソリが合わなかった。

 神道の各教派の教えがバラバラすぎて、国家神道の教義をつくることは不可能であるとみんなが匙を投げた頃、明治十五年に華族階級の子女を教育する桃夭学校が設立された。

 華族の一人から、東京の学者たちに相談が行く。

 娘の学習を助けてほしい。

 すると、一人の学者は思いつく。

 ━━松島の娘がよい。松島の娘に、一緒に桃夭学校の授業を受けさせて、お姫さまの学習を手伝わせる形がよかろう。

 もともと東京の学者たちと松島姉弟の父親は仲が悪い。

 松島姉弟の父親が断れば、「あの男は心が狭くて、娘の機会を棒に振った」と笑い者にされることは必至。

 松島姉弟の父親は不承不承に秀子を華族の姫君の補助役として桃夭学校にやることに同意する。

 華族のコネで松島姉弟の父親も東京の官職を得ることになり、十三歳か十四歳の秀子につき従うかたちで松島一家は上京して官舎に住んだ。

 上京すると、田舎で風変わりな娘としか扱われなかった秀子は、その学習サポート能力の高さゆえ、華族の奥方たちや姫君たちから可愛がられた(だからこそ、秀子は父親が死んだ後に官舎を出て長屋住まいになっても桃夭学校への復帰を夢見る)。

 ただし、松島姉弟の父親は、東京の学者達から恩を売られた形になるのが嫌で、秀子が世話になっている華族の家とも交際をしなかった。

 ここまで設定しておけば、(三)も(四)も充たすことができる。

 どっとはらい。


   4


 松島葦男は口をムグムグやりながら、坂をあがって、三丁目谷のとある長屋まで一目散に駆けてきて、格子をガラリバタリどたどたと家の中にあがる。

 おや、と手編みをしていた秀子は振り向いた。

「今日は遅かったネ?」

「ごめんなさい」

 別に遅いと言うほどではないが、葦男にしては珍しく友人達とおしゃべりしながら歩いて帰ったので、普段よりも少し遅くなった。

「お母さまの御命日で、お茶の御膳を炊いたから、お腹がへったら、おむすびにでもしてあげようか?」

「何もいらない」

 葦男は帽子と弁当箱を畳の上に放り出す。

 いけませんね、と秀子は弟を注意する。

「あたしはこのshawl(ショール)を一つ編むと、糀町こうじまちの毛糸屋へ行かなければなりませんから。

 あたしが外に出かけている間、いつものように机を出して、今日の授業を復習しておきなさい。あたしが帰ってきたら、内容を説明して下さい」

 ━━今日の授業を復習━━

 学校から帰ればすぐに授業の復習をすることが葦男には義務づけられている。

 葦男に勉強させることに秀子は執念を燃やす。

 一緒にいて息が詰まる。

 姉さんがおかしくなったのは、お父様がお亡くなりになって、桃夭天塾に行けなくなってからだ。

 父のことを葦男は懐かしく思う。

「もう来月はお父様の三年になるね? 三回忌は立派にしたいヨ、配り物でもして」

 そっけない返事。

「お父様のお知り合いでお配り物でもするようなおうちがあるといいけれども、東京に出てきて、すぐにお父様はお亡くなりになったし、お父様の三回忌には誰にお配り物をすればいいのやら?

 田舎には遠い親類もいるけれども、田舎へ帰れば、お前もあたしも本当の無学文盲になるから」

 和歌が好きな秀子のような女は田舎に帰ってしまえば、変人扱いされるだけだ。

 東京にいれば、彼女の才能を認めてくれる人々たちがいる。

 短い期間であったが、桃夭学校で華族の奥方たちや姫君たちと過ごした日々は、秀子にとって夢のように素晴らしい日々であった。

「何でもあたしが一生懸命になって、東京でお前を偉いものにしたいと思っていますから、そのつもりで勉強して下さいヨ」

 ━━東京でお前を偉いものにしたい━━

 葦男が東京で官員になれば、桃夭学校で得た秀子の華族に対する個人的コネクションも活用できるので、出世にも有利だろう。

 松島の家名を上げるという大義名分を秀子が掲げれば、母親も反対できない。父親が死んで官舎を引き払った後も、松島一家は東京に残り、宮崎の長屋に移った。

 そして、一年前に母親が死んでも、弟を大学に入れて官員にするという秀子の計画は止まらなかった。

「あの宮崎さんは色々お世話にもなるし。親切にお店賃まで安くして下さるから。お父様の三回忌にはおはぎでもこしらえて、持っていってもらおうと思っています」

「そうして」

 宮崎さんにお配り物をすることについては、葦男にも異存はない。

 異存があるのは、秀子のことだ。

 ━━あたしが一生懸命になって━━

 ━━勉強して下さいヨ━━

 口うるさいこと、この上なし。

 しかし、当時の世間の目からみれば、秀子は家名を守るために努力する立派な娘という評価になる。

 葦男は言った。

「うちの公債証書はどのくらいあるの?」

「千五百円ばかりあります。もっとも、お母様がお亡くなりなさった時、お弔いだの何かによっぽど遣いましたが、もうあればかりはそっととっておいて。お前もあたしも身の固まる時の大事な資本で」

 ━━千五百円━━

 第四回において、松島姉弟の大家夫人(宮崎一郎の母親)は「今でも公債の利子が月々八円か九円か入るそうです」と発言している。

 資料を参照しながら、電卓で計算すると、八円二十五銭だった。

 この『藪の鶯』が書かれた明治十八年の頃の石工の平均月給は、十円。

 明治二十七年に、樋口一葉は友人の伊藤夏子から借りた八円で一家三人がぎりぎり暮らしていけたという。

 松島姉弟が持っている公債証書の金額は全国平均の三倍以上である。

 利息収入だけで姉弟は普通に暮らしていける。

 ただし、姉弟が同時に学校に行くとなれば、誰が家事をやるのだという問題が生じてくるが、そのために人を雇う余裕はない。

 絶妙な金額設定をしている。

 そんな公債証書の額を前提にして姉弟の会話は心理戦に突入する。

 まず、葦男は口火を切った。

「僕はもうじきに大学の官費生にはいるから。もう三年ばかりのところ、あのお金を出して遣って、姉さんも塾に入って、二人とも勉強した方がいいじゃあないか?」

 ━━姉さんも塾に入って━━

 秀子が通っていたと設定される下田歌子の桃夭学校では、国学や和歌が教えられ、伊藤博文夫人、山県有朋夫人、田中光顕夫人らも生徒となった。

 生徒数は二百名を超えることがあり、上流家庭の子女たちが官立の華族女学校(後の学習院女子)よりも私立の桃夭学校の入学に憧れる異常事態が生じていた。

 有力なコネクションを一切に持っていないのにもかかわらず、秀子が桃夭学校に通っていたのは、一つの奇跡といってもよい。

 妄執と言ってよいのだろうか?

 今更に格落ちの他の学校に通うことはできない。

 私が大手を振って桃夭学校に戻るため、お前には官員として出世してほしい。

 お前さんに勉強してもらいます。

 姉弟の力を合わせて松島の家名を高めましょうネ?

 秀子は言った。

「今使ってしまっては、せっかくのお父様のお骨折りも水の泡になりますヨ。

 あたしがこうして内職をして月々残ったのを、三銭五銭ぐらいずつ郵便局へ預けたのが、二円五十銭ばかりになりますから、欲しいものでもあるならそれでお買いなさい」

 鞭だけではなくて飴もあげる。

 お小遣いで弟の口を封じようという算段。

 その手には乗らない。

 葦男は話を引き戻す。

「欲しいものなんかちっともないよ。学問好きの姉さんが、毎日毎日毛糸編みばかりしていて、僕は何だか気の毒だもの」

 ━━気の毒━━

 読者の目線からみれば、気の毒なのは葦男の方だ。

 学校から家に戻ると、ずっと勉強しなければならない。

 厳しい姉の監視つきで息をつくことができない。

 そういう葦男の気持ちは、秀子も肌で感じ取っている。

 構う余裕はない。

 今が大事のときなのだ。

 秀子は言う。

「学問はお前が学校で習ってきたところをよく覚えて教えて下さるから、学校へ行って勉強するも同じことです。あたしを気の毒とお思いなら、早く立派な人になって下さいヨ。なかなかお前の今の学力では、大学に入れるかどうかわかりません」

 葦男の学力を確実にあげるためには、自分が毎日つきっきりで葦男の勉強を見てやった方がよい。

 今、自分が学問をやっている場合ではない。

 もっと葦男に勉強させなければならない。もっともっと、だ。

 秀子は言った。

「今度、宮崎さんのうちへ行ったら、一郎さんは大学の助教もなさるそうだから、よくよくお前の将来の夢を話して、入試に向けた勉強の仕方を教えていただけるように、お願い申しておいでなさい」

 父親の三回忌のお配り物をお渡しするという機会に、葦男が宮崎家にあがりこみ、宮崎一郎にお願いすればいい。

 宮崎家は松島姉弟に甘いのである。

 父親を亡くした悲しみを訴えながら葦男が頼み込めば、宮崎一郎だってむげに断ることは難しいだろう。

 しかし、大家と店子の関係は親子同然といっても、そこまで図々しいお願いをしてよいものなのか?

 葦男は泣きたくなった。

「ああ、だけれど、僕は口惜しくってたまらないもの」

 なみだ声。

 厄介な役目を弟に押しつけているという後ろめたさは秀子にもある。

 宮崎一郎さんにお願いしなさい。

 是が非でもお前が大学に合格しなければ、話になりません。

 使い勝手がよいひとが近くにおられるのは、まさしく天の与えるところ。

 秀子は言った。

「何が? ぜんたい神経質で下らないことを気になさるヨ。どうしたの?」

 宮崎一郎に迷惑をかけたくない、とは葦男は言えない。

 代わりに、

「学校で、僕のことを『姉さんの毛糸編みの内職の金で勉強する意気地なしだ』とか、『姉さんのすねかじりは珍しい』とか友達が噂話をする」

 と言う。

 竹井など松島姉弟のことを絶賛している。

 それが悪口に聞こえたというのであれば、葦男の精神は病んでいるのだ。

「みんなは両親がいるからいいけれども」

「両親?」

 それを言われると、秀子も辛い。

 父親が生きていれば、自分は今でも桃夭学校で楽しく過ごしていたはずだ。

 溜め息。

「ですから、両親ほど大切なものはありません。お亡くなりなさってから、いくら孝行をしたいと思っても追いつかない。そんな愚痴はおやめにして。御仏壇へお線香でもあげておいで」

「うん」

 葦男はうなずいた。

「おかしな人、涙ぐんで。そんな気の狭いことではいけませんネ。

 徒然草にもありましょう? 

 昔から『心をもちいること少しきにしてきびしき時はものにさかう』と言うではありませんか?」

 ━━心をもちいること少しきにしてきびしき時はものにさかう━━

 他人に対する配慮の欠けた社交下手は、流れが悪くなると、袋叩きにされてしまう。

 人間には、人の間のコミュニケーションが必要である。

 第十二回の斎藤による社交上手に対する批判と併せ読むと興味深い。

「何でも気を大きく持ちなさい。将来に偉くなって、お前を悪く言った人に、赤い顔をさせておやりなさい」

 ついでだから、と秀子はまた勉強の話に戻す。

 葦男は努力している。

 そして、葦男を努力させるように秀子も努力している。

 しかしながら、努力が報われるとは限らない。

 わかっている。

 どうすればいいのだろう?

 泣けてくる。

 まだ十七の乙女には珍しきまで悟りたる顔はすれども、しかし、げに弟の心、亡き親のことを思えば、思わずもそらにしられぬ袖の雨。


   5


 三宅花圃の父親である田辺太一は、著書『幕末外交談』において、松島秀子のモデルとして片山鑑子(樋口一葉の日記『筆すさび』においては片山照子)の名前をあげている。

 片山鑑子は、秀子と同様に、両親を早くなくし、弟である田辺朔郎とともに、叔父である田辺太一のもとで世話になっていた。

 また、鑑子が和歌と手芸を得意としていた点も秀子と一致する。

 しかし、元老院議官である太一に引き取られた片山鑑子は、松島秀子のような貧しさは酷くもなかった。

 上昇志向が強い性格が秀子に似ているのは、花圃の荻の舎における後輩のひなこちゃん(樋口一葉の本名は樋口夏子であり、荻の舎時代のあだ名はヒなこちゃん)だ。

 また、学問の道に戻るために秀子が十二回で篠原勤と結婚するが、結婚しながら東京高等女学校に通って花圃と首席を争ったというひねのさん(日根野れん)想起させる。

 おそらく、花圃は周囲にいた複数の人たちの様々な部分を組み合わせるかたちで、松島秀子という登場人物を造型したのであろう。

 

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