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第三回 洋癖家


   1


 巍々(ぎぎ)たる高閣が雲に聳え立つ。

 打ちめぐらした石垣の正面に鉄門があり、門柱は太く厳めしい。

 新しい標札には、従三位子爵と黒々と書かれている。

 華族に列せられている豪華な洋風建築の主人は、西南某藩の出身であり、明治維新の際に優れた勲功を立てた篠原通方しのはらみちかたである。

 彼は、幕末に尊王攘夷を唱えて四方に奔走していた頃、西洋文明の国々を醜夷と卑しめ黠虜と罵っていた。

 往時の西洋文明に対する偏見から、彼は、元号が明治に代わってからも、しばらく脱することはできなかった。

 その様子を見かねて、同郷出身の大臣が、

「貴殿のように頑迷では世界の風潮から取り残されるべし。官職を帯びて洋行し、西洋各国を視察すれば、必ず悟るところがあるべし」

 と洋行を勧めた。

 一年の欧州視察を経験すると、篠原通方は、打って変わって「洋癖家」となった。

 和食は衛生がよくないと言って洋食ばかり食べる。

 住居も石造玻窓の洋風建築にする。

 衣服も筒袖布でなければ着たくないと言う。

 自分だけではなく篠原の洋館において働く者にまで和服を禁じて洋服を強制する。

 一も西洋、二も西洋。

 ━━かの風俗てぶりをのみまなぶこととなりぬ━━

 と原作者の三宅花圃は記す。

 篠原通方は、西洋から、近代科学の合理的な思考方法といった内面的なものを学ばず、文化の表面的なものだけを真似ようとしたのである。

 そのはら間違った、と言われても仕方あるまい。


   2


 篠原通方は、五十歳になっても、子供を一人娘の浜子の他に持たなかった。

 溺愛というほどでなくても、娘に甘くなるのは無理もない。

「西洋の女の子たちは、男女の交際を専らとし、芝居見物、夜会、舞踏と昼も夜も遊び暮らしているそうですよ」

「そうか!」

 出所不明の与太話を聞きつけて、篠原通方は本気で信じた。

 一人娘である浜子にも、学校の勉強などを二の次とさせて、ピアノやバイオリンの稽古ばかりさせた。

 家庭教育は母親が大切だと言うけれども、浜子の母親は元よりの田舎育ちで、一通りの読み書きさえも怪しかった。

 そんな母親のことを浜子は、「教育なき女子は仕方なし」などと、口に出して馬鹿にする始末。

 母親は自分の無学を責められて口を閉ざす。

 そういう異常な家庭環境のもと、篠原浜子は、華族のお姫さまとして、ぬくぬく遊び暮らしていた。


   3


 浜子の夜遊びには、篠原の洋館で働く者たちも迷惑していた。

 以下は不満を持つメイドたちの会話。

 原作では、彼女達の名前はないが、ここは読者の便宜のため、お栄とお眉という名前をつけておこう。

 メイド服を着たお栄が大理石の廊下にばったり倒れている。

 通りがかりにお眉は声をかけた。

「おや、お前はどうしたのだ、まだお嬢さまのお帰りのないのに、寝そべってサ?」

 眠いヨ、とお栄は言った。

「もう十二時ではございませんか? 男でさえそう夜更かしはしませんのに。いくら何でもネ」

 それを聞いてお眉は笑った。

「またそんなことをお言いだ。殿様がお聞きなら、怒られるヨ」

「大変ダ」

 仕方がないネ、とお栄は身を起こす。

 眠たいのはお眉も一緒。

「殿様の話によれば、西洋では、夜明かしが当たり前だから、朝はいつでも十一時か十二時まで起きないそうな」

「私たちは夜遅いばかり。朝はやっぱりお隣やお向かいで起きる時分には起きなければならないから、つい眠くなるの」

 と、お栄。

 昼まで眠っていてもよいのは浜子だけ。

 浜子の帰りを迎えるために深夜まで待機するメイドたちには、明日も朝早くからも仕事がある。

 下働きの迷惑を考えないのが西洋風というならば、即刻やめていただきたい。

 ヤレヤレ、とお眉は溜め息をつく。

「西洋風には、私たちだけではなくて、奥さまも随分お困りサ。

 いつかも『どうも食べつけた物だから沢庵たくあんが食べたい』とおっしゃって、(奥様が沢庵を)召し上ったことがあった。

 その時いた書生さんがネ、『令夫人は殿様に隠して沢庵と間男をなさった』とケチをつける」

「誰だヨ、その唐変木とうへんぼくは?」

 お栄に教えたところで、余計なトラブルが増えるだけだ。

 言わない方が賢明か。

 お眉は話題を変えた。

「それはいいが、お嬢さまはお帰りでも、なかなか、すぐには自分の部屋に戻らない。

 でもって、『今日は誰さんと一緒に踊った』とか、また『誰さんがこう言った』とか、益体ない惚気のろけを聞かされる。辛いヤ」

「お嬢さま、若様(篠原勤)が洋行からお戻りになられたら、どうするんだね? もうすぐお戻りになられるのだろう? あんなことばかりしていてもいいのかネ?」

 と、お栄。

 浜子が早く結婚して、篠原勤に再教育されることをお栄は希望している。

 わざとらしく、お眉は厳しい表情をつくる。

「そこが開化とやらで、お前のような旧弊を言ってはいけない。『何も怪しいわけがなければ、男と女のつき合いは(鹿鳴館風に)開けた風でなければいけない』と、いつも殿様がおっしゃるよ」

 ここで『私は別におっしゃりやがらねえけどナ』といった余計な言葉を口には出さず喉に飲み込むのが、篠原家の瀟洒なメイドの嗜みだった。


   4


 物語において悪役の酷さを演出するために、部下も不満を持っているところを描く。

 これは常道である。

 また、メイドたちは篠原の洋館において洋風の生活を求められる一方でご近所とは従来の日本風のつきあいをしなければならない。

 二律しょう背反は部下に最も強烈なストレスを与えるとされる命令方法とされる。

 色々と三宅花圃も計算して書いていることはわかる。

 あまり上手くいっていない。

 浜子に悩まされても、篠原家のメイドたちはお互いを励ますように冗談まじりの楽しい会話をしてしまうからだ。

 ここは陰々鬱々と涙ぐませた方が、浜子の迷惑さ加減を読者にわかりやすく伝えられたように思う。

 ただ、明るく元気な篠原家のメイドたちの人物造形それ自体は魅力的である。

 深刻小説ばかりを競うように描いた明治の女性作家たちの中で、三宅花圃の作風は異質なのである。

 お嬢さまが帰ってこないからといって、大理石を敷いた床に寝そべって勝手に休憩をとるメイドなんて、他の誰が書いた?


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