第二回 未亡人
1
第二回において、ようやく篠原浜子にしっかり迷惑を掛けられている者たちが登場する。
それが山中正とお貞。
山の中のような田舎から東京に出てきて悪い怪物(浜子)を退治して道を正す若者の名前を山中正という。
その若者の運命の女は、運命ではなくて、お貞という。
小説『藪の鶯』における登場人物の名前は駄洒落ばかり。
今回で納得していただきたいのだが、小説『藪の鶯』において、篠原浜子は悪の権力者の役回りとなっている。
元ネタの曽我兄弟の仇討ちで言えば、工藤祐教が篠原浜子であり、曽我五郎と化粧坂の少将が山中正とお貞である。
2
今川小路二丁目の横町を曲って三軒目の格子造り。
表の大地は箒木目立って塵もない。
格子戸は綺麗に拭き清められて光沢を帯びている。
お貞の家である。
華族のお姫さまである篠原浜子に比べれば、お貞は普通の平民だ。
しかし、お貞が決して自堕落な生活を送ってはいないことが、その家の手入れされた様子から見て取れる。
残った番手桶の水を撒いた靴脱ぎの御影石の上に二足ばかりしだらなく脱ぎ捨てられている駒下駄も、小町という好み。
足元にも気遣いがある。
芸妓あがりというお貞のお洒落は相当のものだ。
お貞の家には、二階には出窓があって、竹格子に濡れ手ぬぐいが掛けられている。
そのことから、お貞の家族以外の食客も住んでいるとわかる、と原作者である明治の女学生の三宅花圃は断じる。
理屈としては、家族のものならば、まとめて洗って干すはず。
それが明治の常識。
この二階に住んでいる食客が、第一回で浜子の台詞にも出てきた山中正だ。
年齢は二十七から二十八。
目鼻立ちがクッキリしている。
少し険はあるが、かかる顔立ちを粋と称える者もいる。
父親が陸軍少尉を勤めて西南の役で戦死し、翌年には母親が病死し、身寄りも頼りもない状況で山中正はお貞の家に転がり込んできた。
商人だったお貞の前夫は、山中に同情して家においた。更には、自分が死ぬ前に篠原子爵に頼んで山中が官員になれるように周旋した。
縁故で官員になった山中であるが、ただ色男なだけではなく、英語もできるし、周囲に対する如才のない気遣いもあった。
トントン拍子に出世。
山中の部屋には、二つに畳んだ嘉平の袴、紫の風呂敷に包んだ弁当箱など、官員らしい持ち物が置かれている。
湯屋から帰ってきた山中は、目の縁をほんのり紅くして、窓の上へ鏡をのせ、髪型を調えていた。
お洒落への気遣いは、お貞の仕込みだろう。
前夫が死後にその財産を相続したお貞は、山中を食客として家に引き止め、いつしか男女の仲となっていた。
3
「お邪魔してよろしいか? おあがりください。あたしがそう申すよ」
適当な一人芝居。
お貞は二階をどんどんあがってきて、山中の部屋に顔を出す。
髪の様子を見て、
「おやおや、きれいにおつくりが出来ましたネ。たばこの火を持ってきました」
火入れを片手にもって、火鉢のそばに立て、畳に座る。
お貞。
年ごろは三十ばかり。
肌の色は浅黒く、鼻筋は通っていた。
黒ちりの羽織は少し右の袖口が切れかかっている。
鹿がすりの着物はえり善好みの京鹿子。
幾度か活け洗いをしたという半襟。
松民の蒔絵をした朱入りの櫛で毛をよせて、ぐっと丸髷の下へさし込んでいる。
芸妓だった頃と違って衣装道楽をする金はない。
けれども、お洒落を忘れない。
すでに山中は官員として出世して結構な給金をもらっているのだから、山中に服を買う金をねだることもできるだろう。
しかし、山中は男が偉いとお貞に威張る真似はしないのは、山中が一文無しで転がり込んできてから、山中の面倒をお貞が色々と見てきたからだ。
お貞にとって居心地のいい今の関係を壊してしまうような金のやりとりはしたくない。
好きな男にだって、金で縛られたくないのだ。
━━ナアというけだもの━━
原作ではそのように表現される。
まるで猫のよう。
いい大人になっても稚気を忘れることができない。
鉄火肌。
お貞は火を火鉢へ取りながら、山中が吸った巻き煙草の吸殻を片づけた。
「山中さん。もう、いい加減にしてこっちをお向きなさいヨ。あのネ、さっき……、あの、今にお楽しみ」
「なぜ?」
山中は振り向いた。
「なぜって大変にいいことがあるのです。聞かしましょうか?」
にこにこお貞は笑ってやった。
山中は正座して向き直る。
「拝聴、拝聴」
「さっき私が湯に行きましたろう?
すると、留守に、黒鴨の拵えで立派な車夫が来て、あなたがおうちにいるかどうか聞きましたって。
お清が留守だって言いましたら、『では後ほどまた伺います。是非お目にかかりとうございますから』って帰りましたって。
お清がそう言いましたよ。たいへん品のいい西洋服のお嬢さんが格子の外に車に乗って待っていたって。何でも、きっとあの方に違いないと思いますわ」
「誰?」
「おとぼけなさるなヨ。知れたこと。篠原さんのヨ」
と、お貞は声を高くする。
篠原のお嬢さんのこと、あなたがお呼びでないでしょうネ? 面倒をみている情夫に、自分が留守している間、他の女を自分の家に引き込むような真似をされたら、立つ瀬がないワ。
そこまで言う前に、山中は気がついて、
「ああ、あのお転婆か。僕がしばらく行かなかったから、英書の質問に出かけてきたんだろう」
と説明する。
勝手に篠原のお嬢さんが押しかけてきたのであれば、山中がお貞を裏切ったことにはならない。
続けて、
「あの西洋好きにも困るよ。そばに寄ると、何だか毛唐人くさくって」
「いつ、そばに寄って?」
お貞はびっくりした。
━━そばに寄る━━
そいつは聞き捨てなりません。
懸命に山中は言い訳する。
「そりゃあ、何さ。毎日毎日稽古に行くから、あの縮れ毛の前髪を突きつけられつけているよ」
このひとは嘘を言っていないね。
お貞は安心する。
両手を伸ばして彼の頭を抱き寄せて胸に抱いた。
「だけれど、こうしていても、あんな美人が来ちゃあ、気が気じゃあないワ」
言いながら笑ってしまう。
離しやしない。
「本当に姉女房は心配だ。後ろ暗いことはないの? 後ろ暗いことは?」
「あるもんか」
「どうだか?」
4
お貞の人物造型について語る。
未亡人であるお貞の恋について、原作者の三宅花圃は、
━━良くいえ(結え)ば悪くいわるる(言われる)後家の髪━━
と川柳を引用する。
夫に先立たれた妻が新しい恋を見つけて身なりに気遣うことを、お上品なひとたちは悪く言う。
それが花圃(十七歳)にとって気に食わない。
━━泰西諸国にては、公然に再縁して恥じざる━━
未亡人の恋を悪く言うな、と。
正面から未亡人の恋を肯定する三浦花圃は、下層階級の出身ではない。
三宅花圃は、元老院議官である田辺太一を父親にもつ上流階級の出身だ。
子どもの頃は相当に活発な少女だったという。
四つ年上の兄の次郎一とともに「男のように育てられた」と花圃本人は述べているが、育てられたと言ってよいのかどうか?
父親である田辺太一は屋敷に芸妓を集めて遊興にふけり、母親は「内外の家事に忙しい」という理由で花圃の面倒をろくに見なかった。
むしろ、花圃の場合、当時の女らしい躾を受ける機会が極端に少なかったという方が適当であろう。
今で言えば、立派な放置児童だ。
ここからは私の想像だが、子ども時代の花圃は、田辺太一が自宅で連夜に開催する宴に、ちょいちょい顔を出していたのではないか?
子どもの教育に悪いと止める父親ならば、そもそも自宅に芸妓を呼ばない。
幼い花圃は頓着しない。
にっこり「遊びましょ」と笑う。
芸妓たちの中には、郷里の娘や妹に心を残して身売りした者もいたはずだ。
そして、父親である田辺太一から花圃がろくに構ってもらえない原因の一端は芸妓たちにもある。
ちょっとした罪悪感も手伝って、芸妓たちは、けっこう本気で、自分の娘や妹のように花圃のことを可愛がってしまったのではないだろうか?
お貞についての花圃の筆致は、温かく優しい。
どこまでも粋な女として描かれるお貞は、花圃と仲良く遊んだ芸妓のお姐さんたちの残像だったのではないだろうか?
5
玉子屋のお婆さんがお貞の家にやってきた。
下女のお清は階段の中ほどにあがって、お貞に知らせる。
「御新さん、御新さん。玉子屋がきましたヨ」
━━御新さん━━
ご新造さん(若奥さん)の略語である。
二階からお貞の声が響く。
「今日はいらないヨ」
「でも、もうありませんヨ」
すでに買い置きの玉子が切れているから、玉子を買っておいた方がいい、とお清は思う。
しかし、お貞は少し声を高くして、
「いらないヨ!」
あれだもの、とお清はぶつぶつ言う。
「いつでも二階へあがると、ちょっくらちょいと降りて来やあしないよ」
お清は台所へ戻ってきて、玉子屋のお婆さんに告げた。
「お婆さん、今日はいらないとヨ」
「はいはい、ありがとうござります。またお願い申します」
愛想よく応じる玉子屋のお婆さんをお清は気の毒に思った。
ちょうど玉子が切れている時に来てくれたのに、御新さんの気まぐれは困ったものだ。
せめて少し休んで行きな。
お清は玉子屋のお婆さんに煙草を勧めることにした。
「かけて一服お喫みヨ」
「じゃあ、少し休ましておもらい申そうかね。ドッコイショ」
玉子屋のお婆さんは椅子に腰掛けた。
気遣われたことが嬉しかったのか、玉子屋のお婆さんはお清の身なりを褒めた。
「お前さまはいつも身ぎれいにしていなさるネ」
そいつはお清の身なりにもお貞が口うるさいからである。
ただ、褒められると、お清も悪い気はしない。
玉子屋のお婆さんは続けて、
「篠原様の女中衆とおめえさまばかりだ、身ぎれいにしているは。だが、篠原さんの女中衆は洋服だからおかしい」
思いもよらない相手から篠原さんの名前が飛び出した。
お清は驚いた。
「おや、お前、篠原さんのところへ入るの?」
「行くどころじゃあない。いいお得意様サ。三日にあげず五六十ずつも買っておくんなさらあ」
と、玉子屋のお婆さん答えた。
先程に来た篠原の嬢さんのことをお清は思い出す。
他人に話したい。
「じゃあ、あの嬢さんも見たろう?」
軽く玉子屋のお婆さんは首を縦に振った。
お清は続ける。
「美しい女だろう?」
「いい女には違えねえけれど、私らが目には高島田のほうがいいのさネ」
と、玉子屋のお婆さんは言う。
ご維新の後になって、髪の流行が急に変化したことに年寄りは戸惑っている。
それはそれ。
お清が話したいことは別にある。
「あの嬢さんは、うちの山中さんネ」
「あのいい男か?」
「あの人にお熱をあげているヨ」
華族のお姫さまが自分の知り合いに岡惚れしている。
驚いたか?
凄い秘密を知っていると、自分が偉くなった心地がするものだ。
玉子屋のお婆さんは首をかしげた。
「だって、お前さんはこの間に御新さんと変だって言わしったじゃあないか?」
思いもよらない反応。
どうやらお貞が山中とできているらしい、とお清は以前にしゃべっていた。
嘘つきと思われるのはシャクの種。
それも本当だ、とお清は言う。
「ああ、どうも御新さんとも変に違いないよ。
一昨夜の晩も寄席へ行くと二人で出ていって、一時近くまで帰ってこないから、うとうと居眠りをしていると、車の音がしたから、飛んで出て格子をあけて見ると、二人相乗りでぐでんぐでんに酔って帰ってきなさった。
山中さんは男がよくって、口先がいいから誰でも迷うヨ。
うちの御新さんももとが泥水社会の人間だから、なかなか男を断ってはいられないよ……」
すっかり話し込んでいる途中で、表の玄関の方から声がする。
お清は振り向いて、
「おや取次ぎがあるようだヨ」
仕事を邪魔するわけにはいかない、と玉子屋のお婆さんは椅子から腰を上げた。
「じゃあ、また今度、お願い申します」
6
玄関をお清が覗いてみると、篠原浜子を乗せた馬車が戻ってきていた。
そう言えば、
━━では後ほどまた伺います。
と浜子は言っていた。
報告するためにお清が二階へ上りかけると、ちょうどお貞が階段を降りかかってきていた。
「誰?」
「さっきの」
お清が答えると、勘のよいお貞は誰が表に来ているのか察した。
小さな舌打ちの音。
「じゃあ、二階へお通し申して。あの、お呼びなすっても聞えないといけないから、次の間についておいでよ」
━━お呼びなすっても聞えないといけないから━━
お嬢さんに失礼があってはいけない。
これは建前。
お嬢さんと山中さんが部屋の中で変なことをしないか、見張ってちょうだい、と。
それが本音。
世間一般の恋愛感覚から見れば、華族のお姫様である浜子に対して平民の未亡人にすぎないお貞が対抗意識を燃やしているになんて、笑い話にしかならない。
だから、お貞は本音を口に出せない。
口惜しい。
その気持ちはわかる。
お清は、台所仕事用の襷を外した。
「とんだお張り番だ」
お貞は子供のように頬をふくらませて、
「針箱がどうしたの?」
と言った。
「あたしの針箱が通り道に」
と、お清。
見張り番は本来に下女のやる仕事ではないのだから、余計な仕事をあまり押しつけないで欲しい。
You are in my way!
邪魔をするなという意味の英語の日常会話表現を知っていると、この部分からも花圃の洒落っ気を感じることができる。
7
未亡人のお貞のことを、単純な悪役として扱う書評は多い。
もしも、未亡人の恋はよくないという前時代の偏見を抜きにして読めば(花圃自身も明確に偏見としている!)、篠原浜子よりもお貞に肩入れをしたくなる。
猫のような女として登場するお貞は、物語の最初から最後まで魅力的だ。
そもそもの話をしよう。
なぜ、この物語のタイトルが『藪の鶯』になったのか?
その謎を解くカギは、長唄である。
三味線を杵屋お六に学んだ三宅花圃は、長唄の作詞も手がけており、浅川玉兎の『続長唄名曲要説』にも彼女が作詞した長唄『横笛』が掲載されている。
長唄で「藪の鶯」と言えば、長唄『五郎時致』である。
藪の鴬、気ままに鳴ひて、うらやましさの庭の梅
あれそよそよと春風が浮名立たせに吹き送る
歌詞の中の「藪の鶯」は、曽我五郎であり、「庭の梅」は五郎の恋人である化粧坂の少将である。
復讐を誓うという点では曽我五郎と山中正は共通している。
芸妓という点で化粧坂の少将とお貞はイメージが重なる。
明治時代に生まれ変わった曽我五郎と化粧坂の少将が権力者に対する復讐を果たしたのにもかかわらず報復を受けることなく無事に逃げ延びてしまう話。
それが小説『藪の鶯』だ。
バッドエンドで終わった昔の名作をハッピーエンドに書き直したいという誘惑に駆られてしまうというのは、創作者にとってよくあることだろう。
小説『藪の鶯』のタイトルを無視してはいけない。
ここまで説明しても、復讐物語のストーリーラインを素直に読み取ることができないという方は、未亡人の恋に対する前時代の偏見が強すぎる。