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後書き


   1


 三宅花圃は小説『藪の鶯』の後書きについては、和歌の師匠である中島歌子に頼んだ。

 中島歌子は「若き男女の戒めとなりぬべき筋」と評した。

 小説『藪の鶯』で幸福になる登場人物たち(お貞・浪子・秀子)は、いつ周囲が敵に回るかわからないという緊張感をもって、目の前の現実と全力で向き合あおうとする。

 そういう点においては、彼女たちは桂園派の和歌が重視する誠情の体現者だ。

 桂園派の誠情はさかのぼるところまでさかのぼれば禅の臨済宗の考え方に行き着くのではないかと思われる。

 逢仏殺仏。

 信疑不二。

 一面的な見方に固定されることを嫌い、動き続ける。

 他者に敬意を払い、危険にも飛び込み、最後まであきらめず多くの材料を得て動的な分析を行う。

 そんな誠情には欠けているものがある。

 実は「知っていること」と「意識にのぼらせること」は違う。

 多くの情報を知っていても、必要なときに、それを意識にのぼらせることができなければ知らないも同然だ。

 特に当たり前すぎて意識から消えやすいものを意識にのぼらせるためには、多くの材料を求める気持ちから離れるべきなのである。

 己を見つめなおすことを重視するのが、禅の曹洞宗の考え方である。

 只菅打座。

 問題を解きたいと言う感情から離れる方が正解に近づくこともある。

 感情を切り捨てたものこそ理性であるというカントの真意もおぼろげながら見えてくる。

 単なる独断主義になるおそれが多分にあるにせよ、新しい情報による訂正の可能性を一切に切り捨てて、手持ちの情報だけを徹底的に静的に分析することも大切だ。

 自分が決した読みに対して全てを預けるという感性が誠情には乏しい。

 誠情を学ぶのはよいが絶対視するなかれ。

 その欠点に注意することも必要である。


   2


 おそらく樋口一葉ファンであれば知っているだろう。

 一葉は自分が小説家になりたいと思ったときに花圃のもとに相談をおとずれた。

 花圃の言によると、一葉はしねしねくねくねしたあげく、「あの、私、貴女様のお真似をしたいのでございますけれど、あの、私のような者がそんなお真似をしたいなどと申し上げるのは恥ずかしうございますわ」と言ったらしい。

 どういう返事を一葉が欲しいのか、花圃は気づいた。

 もちろん「そんなことはないよ」と言って欲しかったのに決まっている。

 言えば、花圃にも責任が生じる。

 虫がよすぎると花圃は腹を立てて「自分で決めなヨ」と突き放した。

 一葉の下心を素早く読み取った。

 それが限界だ。

 未知の世界に飛び込もうとする一葉の心の痛みに共感を花圃は示さなかった。

 冒険を日常的にするタイプは、悩むことに慣れすぎて感覚が麻痺しており、悩むことに痛みが伴うという簡単な事実を知っていても、それに意識がなかなか向かない。

 花圃が一葉をデビューさせるために八面六臂の活躍をして一葉を感激させるのは、一葉が実作を用意してからのことだ。

 弱々しくお願いをしてくる相手に対しては、おそろしく冷たい態度をとる悪い癖が花圃にはあった。

 誠情の華やかさばかりに目を奪われないように、欠点を指摘しておくことにした。


   3


 言うまでもなく、誠情には大いに学ぶ点がある。

 桂園派の才童である田辺龍子(花圃)は、松尾虎子(北里虎子)とともに、当時の跡見塾の竜虎とも呼ばれるべき女学生であった(悪戯に関して)。

 ろくでもない馬鹿をやろうとする以上、失敗しないように計画を立てる。

 花圃自身の小説家デビュー時を思い出してほしい。

 自分の小説を坪内逍遥に認めさせるにはどうすればよいか?

 写実主義はご都合主義を嫌う。

 ご都合主義の権化といえば、デウス・エクス・マキナ。

 古くから問題になっていた機械仕掛けの神の封印を手土産にすれば、写実主義の大家である坪内逍遥は必ずや自分を認めてくれる、と。

 お願い事があるときには相手の欲しいものを手土産にする。

 決して独り善がりにならない。

 それが花圃の誠情だ(繰り返して注意するが、時には独り善がりになることを恐れないことも必要だったり、独り善がりにならざるを得ない他人の悲しみに共感することも大切だったりする!)。

 写実主義文学・女学生・制服・女学校・国家主義的女子教育・女尊主義・ギリシア悲劇・英国宮廷ロマンス小説・シェークスピア・中国古典・落語・人情本・日本画・歌舞伎・家族法・財産法・秩禄処分・和歌・長唄・芸妓・鹿鳴館。

 小説『藪の鶯』はとんでもなく多彩な知識のもとに成立している。

 誠情がもたらす好奇心と行動力。

 明治時代にカステラを口にくわえて廊下を駆け抜けたパワフルな女学生作家、三宅花圃を再評価する一助になることを願いつつ、今回の企画を終えることにする。




(主要な参考文献)


三宅花圃「藪の鶯」「歌人」「八重桜」「大学学士」「その日その日」「花の趣味」「女文豪が活躍の面影」「逝きし三才媛の友」「その頃の私達のグループ」/樋口一葉「一葉日記」「にごりえ」/坪内逍遥「当世書生気質」「小説神髄」/二葉亭四迷「小説総論」/田辺夏子「一葉の憶い出」/小関三平「明治の「生意気娘」たち」/長崎靖子「女学生の言葉遣いに対する社会的変化」/河野龍也「二人の夏子」/香川由紀子「女学生の絆」/為永春水「春色梅児誉美」/長谷川時雨「樋口一葉」/柳田泉「女性作家七人語」/手塚龍麿「明治女学校と英学」/滝藤満義「花圃と一葉」/河鍋暁斎「河鍋暁斎日記」/池田浩太郎「秩禄処分の経過と公債交付」/鈴木桜子「19世紀イギリスにおける改良服運動とその周辺」/武者小路実篤「お目出たき人」/大津山国男「武者小路実篤の系譜」/鷲泉漁朗「公開状」/中島昌吉「名媛の学生時代」/田辺康雄「蓮舟田邉太一のつぶやき~翁の著書「幕末外交談」から~」/今井邦子「花圃と一葉」/吉田昌弘「森有礼文相における「学政」・「教育」と教師・家庭」/掛水通子「明治期における私立女学校,高等女学校の体育の指導者について」/藤田美実「厳本善治の女学思想と文学論」/孫東芳「女学校の創設と明治国家 : 下田歌子と津田梅子の比較を中心として」/林言禅「良妻賢母と女性教育について」/山田美穂子「明治日本における女子教育とキリスト教教育の試みの一例:女子学院の歩み」/河竹新七「青砥稿花紅彩画」/滝内大三「19世紀イギリス女性の職業とキャリア形成」/大賀紀代子「産業革命期イングランドにおける職業教育の制度的変容:手織工世帯を事例とした一考察」/郭妍琦「下田歌子の女子教育思想の変容」/水野真知子「『女学雑誌』における女子高等教育論――明治期女子高等教育論と巌本善治――」/長谷川精一「森有礼の女性観と女子教育思想」/任夢渓「幕末明治における女子教育思想の転換について-西村茂樹、福沢諭吉、森有礼の教育理念を中心に-」/李卓「学と不学のちがい・近代中日女子教育の比較」/平松秀樹「日タイ文学における良妻賢母」/岩佐貫三「中世の神佛習合過程に見える司命奪算思想」/高柳真三「代襲相続の性格」/増原啓二「明治初期における戸主の財産と家族の財産」/「恋部における恋歌比率の変遷と構造変化」/菅聡子「樋口一葉と天皇」/松澤俊二「明治期日本の和歌と〈政治〉高崎正風を中心にして」/関礼子「花園と鉄幹をめぐる問題系━「亡国の音」前後━」/司馬遷「史記」/シェークスピア「タイタス・アンドロニカス」/アイスキュロス「エウメニデス」/帆刈芳之介「貧乏を征服した人たち」/鈴木光次郎「現代百家名流奇談」「明治閨秀美譚」/中村秋人「名媛と筆蹟」/浅川玉兎「続長唄名曲要説」/岩井茂樹「恋歌の歴史――日本における恋歌観の変遷」/山崎光夫「トンネルの男・北里柴三郎」/中島湘煙「同胞姉妹に告ぐ」 /江崎満子「清水豊子・紫琴(一)─「女権」の時代─」「清水豊子・紫琴(二)─「女権」と愛─」/関岡一成「内村鑑三における東西宗教思想」/岡本綺堂「綺堂むかし語り」/荻野美穂「〈性〉の分割線 近・現代日本のジェンダーと身体」/若葉みどり「お姫様とジェンダー」/片岡懋「三宅花圃についての一考察」/ボーヴォワール「第二の性」/ジョン・スチュワート・ミル「女性の解放」/山本藤枝「三宅花圃」

 

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