前書き
1
日本で最初に写実主義の小説を書いた女性作家である三宅花圃(田辺龍子)は、当時に十七歳の女学生だった。
歌塾・荻の舎の後輩だった樋口一葉の日記『筆のすさび』で紹介されている特徴を列挙してみる。
家柄は、元老院議官である田辺太一の令嬢。
容姿は、清純さと洒脱さを兼ね備えていた。
学問は、和漢洋の何でもござれ。
書道は、師匠の中島歌子が既に自分を越えたと言うほどの達筆。
和歌は、幼い頃から才童の名前をほしいままにする。
小説は、学生時代から有名になり、皇后陛下から拝謁の栄を賜る。
性格は、自分の家柄や学問や知名度を一切に誇る気配もなく、洒落話や滑稽物語ばかり好み、身分の低い一葉のことも気安く相手にしてくれた。
日頃から世話になっている先輩ということで、一葉の『筆すさび』は花圃のことを褒めちぎるだけだ。
他の史料をあたってみると、花圃は相当に型破りである。
四歳年上の兄と子どもの頃から男のように遊び暮らしたせいか、運動神経もよく、「鬼ごっこは屋根の上でやらなければ面白くないヨ」と発言している。
酒乱と喧嘩で悪名が高い絵師の河鍋暁斎に「絵柄が気に入った」と弟子入りして四畳半一間の暁斎の部屋に通って絵を習った。
番随院長兵衛派を自称し、女学生時代は「喧嘩は買うヨ」とお転婆ぶりも発揮した(三人組の男たちに襲われて、瞬時に一人を柔術で地面に投げ落とし、残りを退散させたという逸話もある)。
そして、生涯の友人になる相棒(烏丸操子、烏丸光亨公爵夫人)と出会い、あらゆる種類の悪戯を行った。
お転婆の分野にも強敵(北里虎子、北里柴三郎男爵夫人)、勉強の分野にも強敵(日根野れん、夏目漱石の義姉)がいた。
これらは花圃伝説のほんの一部である。
2
花圃は、芸妓の杵屋お六に三味線を習い、長唄の分野でも名を残している。
長唄において藪の鶯といえば、曽我兄弟の仇討ちを扱った長唄『五郎時致』だ。
若者が恋人の協力を受けて権力者に対して復讐するという筋書き。
この構図が小説『藪の鶯』にも使われる。
和漢洋の物語において、権力者に対する復讐の物語は権力側からの報復を受ける。
例として、曽我兄弟、囁政、タモーラの名前を挙げておく。
無残な処刑エンド。
そういう悲劇的結末を避けるため、ギリシア演劇においては、デウス・エクス・マキナという手法が編み出された。
簡単に言えば、舞台の機械仕掛けによって偉い神様が派手に登場して権力側からの報復を制止するのである。
デウス・エクス・マキナ抜きで、権力者に対する復讐を行った者たちへの権力側からの報復を現実味のある手段で止めることができるのか?
機械仕掛けの神の封印。
物語の技法上に興味深いテーマをもって、小説『藪の鶯』は書かれている。
3
小説『藪の鶯』は十二回構成となっている。
整理のために小題をつけてみた。
* *
前書き
第一回 鹿鳴館
第二回 未亡人
第三回 洋癖家
第四回 桃夭学校
第五回 官員批判
第六回 跡見塾
第七回 道楽時代
第八回 女尊主義
第九回 新橋停止場
第十回 藪の鶯
第十一回 滝の川
第十二回 紅葉館
後書き
* *
復讐者(山中とお貞)がメインで登場するのは、第二回・第九回・第十回だけだ。
残りの回は全て、最後に権力側が復讐者に対する報復を思い留まる結末に説得力を持たせる伏線を引くために使われる。
その伏線に絡む女学生たちが目立つ結果、小説『藪の鶯』は明治の女学生の実情を描いた小説と一般に理解されている。
4
金港社から出版された小説『藪の鶯』の解説として、シェークスピアの戯曲を学んだという福地源一郎が文を寄せた。
シェークスピアの演劇よろしく、小説『藪の鶯』の登場人物たちは本心を隠し、台詞中に大胆な嘘も混じる。
しかし、現実の日常に近いものを書くという写実主義の主張にのっとって、嘘の整理はなされない。
演劇のように、自分の嘘の部分を長い独白で解説することは、写実主義の立場から禁じ手なのである。
繰り返して読んで気がつけという態度。
登場人物の誰がどこでどういう嘘をついているのかわかるようになると、小説『藪の鶯』は抜群に面白い。
小説『藪の鶯』を現在の読者が手軽に楽しめるようにするため、余裕派・新現実主義・新感覚派の技法を使って嘘の整理をしてみたい。
そのように思って、「明治の女学生小説『藪の鶯』を読み解く」という企画を今回に私は立ち上げてみた。