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そらのそこのくにせかいのおわり(改変版)4.0 < chapter.9 >

 マルコは考えていた。

 誰もいない海の底で、同じことばかりを何度も。

(……彼女はここで、いったいなにを……)

 ここは彼女の心の世界。この海は、彼女の心が置かれた現状そのもの。


 美しく、清らかで、何もない青の世界。


 発狂してしまいそうな、絶対的な孤独。そんな中で彼女は、それでも堕ちずに自分を保っている。

 もしも自分なら、と考える。一人きりの空間で自分を保つために、何をするだろうか。本や遊具の類もない。できることと言えば、楽しいことや、好きな人のことを考えるだけだろう。延々と続く時間を、ありったけの空想で埋めようとするに違いない。

 しかし、この世界はあまりに深い。思い耽るだけで足りてしまう、底の浅い孤独とは違うのだ。

 彼女にはなにか、とても大きな心の支えがあると思った。

 その支えとは何か。

 答えが出ないまま、もう何度も、はじめから考え直している

(……やはり、彼女の心を支えているのは思い出か何かだろうな。とすれば、それはきっと、楽しい思い出に違いないだろうが……)

 そこまで考えて、ふと、妙な違和感に気付く。

(……あれ? いや、違うな……。思い出が心の支えになるとしたら、なぜ、彼女は名前を……)

 自分の記憶をたどってみる。

 楽しい思い出、嬉しい思い出、ちょっと気恥しい思い出――すべての思い出に、必ずそれは存在する。


 おめでとう、マルコ。

 マルコ、ありがとう!

 まあ大変、マルコさまったら、こんなにずぶ濡れで……。

 マルコ、昨日は楽しかったな! 今度の休みはどこに行く?

 えっ? マルコ君、まだあの小説読んでないの!? 僕の貸そうか!?

 なあマルコ、帰りにどっか寄ってこうぜ!


 父が、兄が、ばあやが、クラスメイトが、同僚が、友達が――みんなが、自分の名前を呼んでくれている。

 その瞬間に見た彼らの笑顔も、しっかりこの目に焼き付いている。

 自分の名前と、それを呼んでくれた人の顔と、その瞬間の嬉しい気持ち。それらが一つになってはじめて、ただの記憶は『思い出』に昇華する。それは絶対になくしたくない、形のない宝物だ。思い出を大切に思うのなら、自分の名前を手放すはずがない。

「……貴方は……」

 まさかと思う反面、奇妙な確信を覚えた。

 おそらく今、自分は彼女の気持ちを理解できている。

 何の根拠も無いのに、漠然とそう思う。

「貴方は……『未来』を欲しているのですか?」

 水が揺らいだ。

 微かだが、確かに今、この青い世界に反応があった。

 マルコは海底に横たえた体を起こし、はっきりとした声で問いかける。

「貴方は、名前とともに過去を捨てた。違いますか?」

 また、水が揺らいだ。

 先ほどよりも強く、はっきりと。

 マルコは確信する。

 この水が何の濁りもなく、光も影も持たぬ理由。それは彼女が、過去の遺恨を何もかも捨て去っているからだ。

 彼女は、過去にすがって自分を保っていたのではない。

 過去を捨て去って、真っ新な状態で、いつか来る『未来』を待ち続けていたのだ。

(そうか……わかったぞ! この水は、彼女の精神世界のイメージではない! この水が……この水自体が、今の彼女そのもので……)

 マルコは立ち上がり、両手を広げた。


 さあ、おいで。


 言葉にせずとも伝わるように、その気持ちを、大げさすぎるくらい全身で表す。

 すると、水が応えた。

 激しく、叩きつけるように。

 体が引きちぎられるのではないかと思うほど、強烈に、狂ったように。

 渦巻く水流に揉まれ、マルコの体は出鱈目な動きできりきり舞いした。だが、不思議だった。そんな状態でも、マルコに恐怖はない。それどころか、むしろ楽しくて――。

(分かる……彼女が喜んでいるのが伝わってくる……。そう、彼女は待っていたんだ……)

 彼女が待った『未来』とは何か。いったい何のことなのか。その答えは、これ以外には考えられなかった。

 激流の中、マルコは必死に声を上げる。

「私は貴方に名前を付けたい! これから先! 何度でも! いつでも貴方に呼びかけられるように! どうか私に、貴方の名前を付けさせてください!」

 水の流れは変わらない。それでもマルコには、声なき声が伝わった。


 いいよ。なんていうの?


 玄武の声とは違う。これは頭に直接響く声ではない。全身に接しているこの『水』そのものが、自分の体の水分を共振させているのだ。

 体に直接響いた声に、マルコは波音の正体を悟る。

(そうだ……あれは……あの懐かしい音は……)

 血の巡る、生命の音。

 それは胎内で聞こえる音に、極めて近いものだった。しかし、人間に胎児のころの記憶はない。マルコが自身に対し、明確な答えを提示することは不可能である。

 けれども、今はそれで十分だった。

 ただ漠然と感じる懐かしさ。その懐かしさこそが答えであった。

(そう……『神』も生きている……我々人間と、体の作りは違っても……)

 生まれ変わる日を待ち続けた命。

 自分は今、その誕生に立ち会うただ一人の者として、最高の栄誉と最大の責任を与えられるのだ。

 マルコは覚悟を決めて、その名を口にする。

「貴方の名前は『サラ』。まだ誰も歩いたことのない、真っ新な道を往く者。サラ、お願いします。どうかこれから、新たな時代の神として、私たち人間を導いてください!」




 ドクン……――そんな、心音めいた音が聞こえた気がした。


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