そらのそこのくにせかいのおわり(改変版)4.0 < chapter.5 >
そこは青い世界だった。
通信機越しに聞こえていた波音から、マルコは浜辺の様子を連想していた。けれども目の前に広がる光景は、水面からの光も届かぬ、ディープブルーの水底である。どのような場所でも、光がなければ闇となる。それなのに、ここでは目が効く。透明度の高い水は空気のように、何の苦もなく、はるか遠くを見通せた。
(……なんだ? ここはいったい……?)
見渡す限り、何もない。
魚も海藻も、そのほかの生き物も、構造物も、何一つ見当たらない。誰もいない青い海と、どこまでも続く砂の海底。ここはただ、それだけの場所だった。
(息はできるが……だが、抵抗はあるのか……?)
海底を蹴って前へ進もうとすると、手足に水の重みを感じる。
ある程度の浮力があり、地を蹴った瞬間、何とも表現しがたい感覚とともに体が浮き上がる。
ふわりと着地すると、足元の砂は柔らかく巻き上がる。
ゆっくり、ゆっくり落ちてゆく砂粒。それらがすべて落ち切ると、世界は再び、青一色の静けさに包まれる。
水を伝わって響く、ザザーン、ザザーンという波音。それははるか彼方から運ばれる、『外』の音のようだった。
「……お招き有難うございます。あの……貴方は、どこにいらっしゃるのですか?」
マルコの声は、空中とは若干異なる響き方をした。
空気以上に音を伝える水の振動。それはマルコの視界には入らない遠方――途方もなく遠い彼方にまで届けられる。
だがその『遠方』に誰もいなければ、すべては無駄な呼びかけである。
(……ああ、そうか。だから、名前を手放したのか……)
確かにここは美しい。穢れ無き水、曇り無き青、純白の砂――しかし、誰もいない。
ここは光も闇もない、孤独な波の底だった。
鳥肌が止まらない。こんな世界で何年も、何十年も、何百年も――時の流れを忘れるほどに何千年も、たった一人で存在し続ける。『心』を持つ者に、そんなことが可能なのだろうか。
自分だったら、三日ともたずに発狂してしまう。
マルコはそう思い、不安に駆られた。
「あ、あの! どちらですか!? 貴方は、どちらにいらっしゃいます!?」
返事はない。
それから何回も、どれだけ大声で呼びかけても、どこからも答えは返ってこなかった。
マルコは泣き出す寸前だった。
今は必死にこらえているが、もしも泣いてしまったら、自分を保っていられないと思った。
(これは……玄武の闇とは違う。この世界に闇はない。闇はないけれど、でも……)
決して、光がさすことも無いのだろう。
玄武の心の世界は、夜が明ける直前のような薄明るい闇だった。誰かが手を差し伸べて、彼の心に寄り添う。ただそれだけで、長い夜は明けたのだ。
けれども、この世界は違う。明ける夜も、暮れる日もない水の底。声を届ける手段はあるのに、受け取ってくれる人がいない。何をしても、何を言っても、見てくれる人も、聞いてくれる人もいない。
寄り添う相手すら見つからない、孤独なディープブルー。
ただそれだけが存在していた。
名前の無い相手に、マルコは呼びかける術を持たない。
途方に暮れて座り込む。
どうしたら、この世界の主に会えるのか。いくら考えても、良いアイディアなど一つも思い浮かばなかった。
「……誰でもいいから、誰か……」
握り締めた砂粒は、指の間をすり抜けて、ゆっくりと落ちていった。