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そらのそこのくにせかいのおわり(改変版)4.0 < chapter.3 >

 六月十三日、金曜日。この日の朝礼はベイカー不在で行われた。

「はいみんなぁ~? おっはよ~ん♪ 今日はアタシが朝礼やっちゃうわよ~ん♪」

 朝からやや高めのテンションで、ウィンクしながら投げキッスを飛ばしまくる男。この女言葉の人物は特務部隊副隊長、セレンゲティ・グレナシンである。顔にはしっかり化粧を施しているが、生物学的には男性だ。

 グレナシンは連絡事項をメモした紙を広げ、一通り読み上げていく。

「え~と、まずは今日の持ち場について。ベイカー隊長とチョコはレイクシティの建設作業員慰霊式典に参加するため、丸一日不在です。キールとハンクは現在進行中の任務に継続して当たること。トニーとゴヤは、昨日のうちに隊長から指示書もらってるのよね? 朝礼終わったらすぐ現場に向かってちょうだい。レインはアタシと一緒に本部待機! って、ちょっとなによその顔! もっと喜びなさいよね! で、ロドニーとマルちゃんは、ちょっと遠いんだけどここに行ってちょうだいね」

 グレナシンがペラリと差し出した紙。ごく普通のコピー用紙には、簡単な地図と目的地の住所だけが印刷されていた。

 セントラルシティの隣、スフィアシティの歓楽街のようだ。

 コピー用紙を受け取ったロドニーは、首を傾げる代わりに狼耳を片方だけ倒してみせる。

「副隊長、この場所なんですか?」

「イメクラよ」

「え? イメクラ? 任務でイメクラ行くんですか?」

「ええ、そう、任務でイメクラなのよ。やんなっちゃうわよねぇ~。あ、マルちゃんには馴染みが無いだろうから、説明するわね。イメクラって言うのは、一言で言えば娼館。けど、ここはただの娼館じゃなくて、学校とか病院とか、特定の状況を再現したプレイが楽しめるお店なのよ。個室もそういう内装になってて、お相手してくれるオネエサンも、コンセプトに合わせたコスプレで役になり切って受け答えしてくれるわ。ハマる人はとことんハマる性風俗店よ。お分かり?」

 イメクラについて説明され、真面目な顔で頷く青年。彼はマルコ・ファレル・アスタルテ。王宮外で生活・就労している、少々特殊な王族である。

「その性風俗店に、なぜ私たちが?」

「ハイ、いい質問。実はそこで働いてる子がね、とある地方貴族のお嬢様じゃないかって噂があるの」

「貴族のご令嬢が? いったいなぜそのような場所に……」

「そこのお家、事業で失敗して多額の借金を抱えちゃってるのよ。それで五人いる娘のうち、一番器量の良い子を娼館に売ったんじゃないかって噂が流れてて」

「人身売買とは、なんと許しがたい」

 グッと拳を握るマルコの横で、ロドニーは眉をハの字にして要旨を問う。

「っつーことは、俺たちはその子がその店にいるかどうか、見てくればいいんですか?」

「そう。多分アンタなら面識あると思うのよねー。ムルターグ子爵家のアデリーナ嬢」

「えっ!? アデリーナちゃんですか!?」

「やっぱりチェック入れてたわね」

「そりゃ、パーティーで見かけたら『あの子誰!?』って聞きますって!」

「それほどお美しい方なのですか?」

「おう! もう半端じゃねえぜ!? 顔だけなら小学生って言っても通用しそうなロリっ子フェイス! 全体的には八頭身スレンダー美女っぽいのに、胸のサイズは少なくともFかG! 舌っ足らずな口調が可愛い甘えん坊妹キャラ! で、簡単に落とせるかと思うと、これが意外と難攻不落! 体目当てで話しかけてきたアホはどんな話題でも完全論破してみせるガチ才女! 滅茶苦茶攻略しがいのあるラスボスタイプだっつーの!」

「あ、論破されたのですね?」

「うん! けちょんけちょんに! 次こそ落とす!」

「ロドニーさんのそういうところ、非常に尊敬しております」

「へへ! そんな褒めるなよ、照れるじゃねえか!」

「あんたソレ、褒められてるの?」

 副隊長の冷静なオネェ口調ツッコミが炸裂したところで、話の筋が戻される。

「真正面から聞くもヨシ、こっそり張り込んでみるもヨシ。現場の状況と自分たちの能力に合わせて、やり方は好きにしてちょうだい。いい? アデリーナちゃんかどうか、確認するだけよ? もしかしたら、その子以外にも人身売買の被害者がいるかもしれない。妙な騒ぎを起こしたら、その子たちの身の安全が確保できないわ。無理に連れ出したり、店の連中を刺激したりしないこと。周辺も似たようなグレーゾーンの店ばっかりだから、いざやるとなったら、町全体を敵に回すと思いなさい。分かったわね?」

「はーい!」

「心得ました」

「それじゃ、次。総務部長のほうからいつもの連絡。『男子便所において、小便器周りの汚れが目立ちます。よく狙い、あと一歩前へ!』ですってよ。良い子のみんな、唱和行くわよ!? よく狙い、あと一歩前へ! ヨシ!!」

「「「よく狙い、あと一歩前へ! ヨシ!!」」」

「ん! オッケーオッケー! どっかのアホ情報部員みたいに飛距離対決するんじゃないわよ! それと、あともう一点。昨日の夕方ごろ、裏門横の鈴蘭花壇が一部陥没しちゃったらしいの。この前の雨で中央市の地盤も全体的に緩んでるから、妙に凹んでるトコとか舗装の亀裂とか見つけたら、すぐに市のほうに連絡してあげて。何か起こってからじゃ遅いから。ってコトでぇ~、以上で朝礼終了よ~ん♪ みんな、今日も一日がんばってね~ん♪」

 グレナシンに見送られ、それぞれが自分の持ち場に向かう。ロドニーとマルコも、まずは装備を整えるために同じフロアの倉庫へ向かった。

 五階備品倉庫。ここは任務に必要なありとあらゆるものが格納された倉庫である。武器や特殊装備品のみならず、変装用の衣類、小道具、メイク道具一式、カツラまで揃っている。

 しかし、顔と名前が知られ過ぎているロドニーとマルコにこんなチープな変装セットは使えない。彼らに必要なのは素性を隠す衣装ではなく、『隠したがっている貴族の装い』である。

「ええと……こんな感じでしょうか?」

 マルコが選んだのは灰色の上着と黒のズボン。上下ともに、非常に地味なデザインの服である。品質自体は上等で、裕福な商人が身に着けていてもおかしくない。組み合わせ次第で高級品にも安物にも見え、誰でも違和感なく着られる無難な服であると言えた。

「お、いいんじゃねえか? じゃ、俺はこんな感じで」

 ロドニーのほうは黒字に蛍光ピンクで『レジェンドリーグ』とプリントされた、非常に派手なパーカーである。『伝説の同盟』とは何かと尋ねたくなる謎の文字列だが、若者向けのパーカーに意味を問うのはナンセンスだ。世俗に疎いマルコにも、さすがにそれは理解できる。

 インナーとしてピンクと黒の水玉柄のタンクトップを着込み、ボトムスはデニムのハーフパンツ。黒のショートソックスと白のラバーソールシューズで足元を固める。

 パーカーと同ブランドのポップなキャップを目深に被れば、顔はほとんど分からない。

「すごいですね! とても貴族には見えませんよ!」

「だろ? よくダウンタウンのほう行くから、こういう服けっこう着慣れてんだ」

「あの、私も帽子をかぶったほうが良いでしょうか?」

「いや、これで十分だろ」

 ロドニーはマルコの髪留めを外し、結い上げられていた髪をほどく。変装用に用意されている毛染め用の魔法塗料を吹き付ければ、絹のように滑らかな金髪はあっという間に地味な黒髪になってしまう。

 地方都市ならともかく、セントラルとその周辺都市は全国からあらゆる種族が集まってくる。それぞれの文化圏で服装や髪形の常識が異なるため、腰まである長髪も、それほど珍しいものでもない。

 鏡を見て、マルコは苦笑した。

「結い上げていない状態は、どうにも落ち着きませんね……」

「貴族で長髪のヤツは、大体なんか結んでるもんな。けど、庶民ならそれでフツーだぜ? ゴヤだって結んでねえだろ?」

「そう言われてみれば、そうですね。髪型よりもターバンとストールの印象が強いので、気にしたことがありませんでした」

「あれ外して前髪上げてると『誰だてめえ!?』って感じになるぜ」

「そんなに変わりますか?」

「おう。マジ別人。今度ゴヤ捕獲して見せてやるよ」

「ええ~と……御本人の同意が無いのは、ちょっと……」

 ときどき後輩の扱いが雑になるロドニーに、マルコはまだ上手いツッコミを入れられずにいる。ゴヤ本人が嫌がっている様子はない以上、ハラスメントではなく、『大味な絡み』ということになるのだろうが――。

(今までにないタイプのコミュニケーションですし……どうしたらよいものか……?)

 マルコは近頃、隊員たちの『ドツキ漫才』に入っていけないことにフラストレーションを覚えていた。彼らの会話は『中央のノリ』ではあるのだが、そのテンポの良さも当たりの激しさも、貴族階級のそれとは根本的に異なる。マルコが中学、高校時代を過ごしたのは上流貴族の子弟のみが通う名門校。十代の若者らしくテンポよく、崩した言葉で会話していたが、庶民的なスラングや差別用語が使われることはなかった。

 マルコはこれまで、種族差別になるようなことは言ってはいけませんと、厳しくしつけられてきたのだが――。

「あいつ二足歩行だから捕獲しやすいんだよ。耳の向きも変えられねえから、逃げるとき絶対振り向くし。なあ、後ろの音聞けねえのって不便じゃねえの? 人型種族的に、そこんとこどうなんだ?」

「後ろの音ですか? 元々、あまり聞こえないものと思っていますから。特に気にしたことはありませんが?」

「そうなのか? 元から聞こえないと、気にならないもんなんだ? よく分かんねえなぁ……?」

 足の本数や耳の長さ、指や鼻の形状については、あまり触れずに別の話題を選ぶ。それが他の種族と仲良くするコツだと教わってきたのだが、どうもそれは、社交界のみで通用する常識であったらしい。

 特務に異動して以来幾度となく耳にしてきた、互いの身体機能を尋ね合う会話。隊員ごとに異なる能力値を正確に把握する目的なのだろうが、時折、かなりきわどい質問も飛び出す。

 そう、例えばこんな――。

「あのさ、お前、女の匂い嗅ぎ分けられる?」

「体臭で男女を区別する、という意味でしょうか?」

「あ、違う違う。そうじゃなくて、アソコの匂い」

「えっ!?」

 さらりとさわやかな笑顔でこういう話題をぶつけてくる。声からも、表情からも、下ネタのつもりで言っているニュアンスは感じられない。おそらく、純粋に気になって訊ねただけなのだろう。

「え、ええ~と、その……よくわかりませんが……」

「あ、やっぱり、匂いじゃ区別付かねえの?」

「は、はい。いえ、その、そもそも、人の体臭を嗅ぎ分けるいう行為は、私には……」

「そっか……匂いじゃ無理なんだ……なるほどなー……」

 何が「なるほど」なのか説明を求めたいと思ったが、あいにくマルコには、この状況を切り抜ける上手い言い回しが思いつかない。ロドニーが確認したい事柄は人狼族と人間の嗅覚の差についてなのだろうと、おおよその察しはつく。しかし、あまりにも予期せぬ質問をぶつけられると、人の脳は誤作動を起こすものである。

「あー、その……匂いが好みの女性もいらっしゃるのですか?」


 何を訊いているのだ、お前は。

 アソコの匂いが好みってなんだ。

 変態か。


 脳内に残るまだ幾分か冷静な部分が、トチ狂った発言にひどく乾いたツッコミを入れる。

 だが、人型種族とは何かがズレた狼男は、さも当然のように回答してくれた。

「んー、好みかぁ……そーゆーフェロモンって、個人差っていうより体調次第だからなぁー? 向こうもノリノリでOKなときはだいたい匂いで分かるし。そういう時は、やっぱこっちもテンション上がるかなー」

「あ、そ、そういうものなのですか?」

「おう。だからさ、その気になってる女の子だけナンパすれば絶対に外さねえの。いやー、なんでみんな、全然その気になってない子ばっかり口説いてるのかと思ってたんだけど……やっぱ、全然分かってなかったんだ?」

 納得した。ロドニーが何を確認したいのか、やっと正確に理解できた。

 これから行く先は性風俗店。『その気になっている女性』を簡単に識別出来て、双方合意の上で事に及ぶロドニーには用のない場所である。ロドニーが確認したかったのは、『決して安くはない金を払ってまで、その気になっていない女性に嫌々相手をしてもらうのはなぜか』という根本的な部分だ。

 特務部隊内で人型の種族はゴヤ、キール、マルコの三名。ゴヤは自他ともに認める童貞。キールはロドニーより年上で、この手の話題を自分から持ち出しづらいのであろう。マルコは同い年で、少なくとも童貞ではないと分かっている。率直な疑問をぶつける相手として、適任であると判断されたようだ。

「え~と……ということは、ロドニーさんは、これから行くお店でも……」

 風俗嬢が自分の意思で働いているのか、売春を強要されているのか、簡単に区別できるということか。そう尋ねようとしたのだが、ロドニーには少々違ったニュアンスで伝わってしまった。

「うん、まあ、アデリーナちゃんかどうか匂いでも区別できるけど。もし素性を隠すために整形してたとしても、俺は一度見たおっぱいは忘れねえぜ?」

「あ、はい、そうですか。そうですよね、分かります……」

 ロドニーと知り合ってから一か月、マルコはこの友人について大分理解を深めてきた。その結果導き出された答えは、彼は極度の『おっぱい好き』であるということだ。

 おっぱい星人と呼ばれる属性の人々が女性のバストについて語り始めたら、ひとまず肯定して話を流し、その後可及的速やかに話題を転換せねばならない。

(この場合、何の話題がいいか……? 流れとして違和感がない程度に、軽いセックスジョークか何かを……いや、だが、ロドニーさんのほうが明らかに経験豊富だし……)

 ロドニーは『爽やかなスケベ』である。可愛い女の子が好きで好きでたまらないドスケベ狼男なのだが、それでも彼は女性たちに嫌われない。なぜなら彼は、女性の気が乗らない日には無理強いしないからだ。楽しく盛り上がりたい気分の日にだけ声を掛けてきて、そうでない日はあいさつ程度でスマートに立ち去る。遊び相手として、これほど都合の良い男もいないだろう。彼女募集中の成人男性としては、ぜひともご教示願いたいナンパテクニックだ。

(しかし、コツを知ったところで私には使えない技だし……っと、こ、こら! マルコ・ファレル! お前はいったい何を考えているのだ!? いくら独身とはいえ、不特定多数とそのような関係になっていいわけがないだろう! 恥を知れ!)

 残念に思う自分の心に喝を入れ、マルコはいつもの真面目君モードに戻る。

「さあ、装備も整えたことですし、現場へまいりましょう!」

「おう、そうだな!」

 二人は車両管理部に連絡を入れ、民間馬車に偽装したゴーレム馬車で出発した。


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