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そらのそこのくにせかいのおわり(改変版)4.0 < chapter.18 >

 それから数時間後のこと。ベイカーは一人、本部庁舎の六階にいた。

 ここは隊長室の真上の部屋。空き部屋の壁にはたったひとつだけ、ポツンと設置された内線端末がある。

 ベイカーは受話器を手に取り、押し慣れた番号を呼び出した。

 待つこと一分二十秒。

 相手は通信に出るなり、忌々しげな声でこう言った。

「……よくも逃がしたな……」

 いつもの相手、いつもの声。しかしその声を発する『器』の制御権は、今は神のほうにあるらしい。

「タケミカヅチ……俺のものにならないばかりか、他の神まで逃がすとは……許さん……許さんぞ……」

 この言葉に、ベイカーも制御権を神に譲った。

 タケミカヅチは、嘲笑うような声で言い返す。

「悪いな。俺はお前と違って、力ずくで女を抱く趣味は無い。正々堂々真正面から口説いて、全員まとめて寝取らせてもらった。おかげでこのところ睡眠不足だ。安眠できるお前が心底うらやましい」

 美少女のような顔で、こういうセリフを平然と言い放つ。元より口が達者な神ではあるが、口喧嘩はベイカーの得意分野である。器の性格がすこぶる良いので、タケミカヅチの『クソ野郎ぶり』にも年々磨きがかかっている。

「で? どうする? これまでお前が偉そうにしていられたのは、女神たちから吸い上げた力のおかげだろう? 夢に監禁されていただけにしては、随分と弱っていたからな。あの空間には神から力を奪い、それをお前に送り届ける仕掛けがあった。違うか?」

 相手は内線越しにも分かるほどの歯軋りを立て、呪詛の如き唸りを上げた。

「タケミカヅチ……俺を舐めるなよ。あんな連中の力などなくとも、俺はお前くらい、ひと捻りにできるのだぞ……」

「あっれー? おっかしいなー? それならお前、どうして俺を手籠めにできなかったのかなー? 俺にキンタマ蹴り上げられたからって、腹いせに同じ顔の『器』のほうをイジメてたんだろー? 子供を夢世界に監禁して手籠めにするなんて、それが『神』のすることかぁ? お前、本当はたいしたことないんじゃないかぁ?」

「舐めるな! 我はオリュンポス十二神が一柱、ヘファイストスなるぞ! 貴様が如き『新参者』に、我の力が劣ると言うか!」

「はっ! ちょっとばかり古株ってだけで偉そうにするなよ? 事実、俺が一回勝っている! 決まり手は『キンタマ潰し』でな!」

「よかろう! どちらが強いか、その身をもって思い知るがいい!」

「その言葉、そっくりそちらにお返ししよう! 『器』の安全が確保された今、もはや貴様に付き従う理由などない!」


 雷と炎と刀剣の神、タケミカヅチ。

 炎と雷と刀鍛冶の神、ヘファイストス。


 つかさどる能力ゆえか、はたまた本人の性癖の問題か。ヘファイストスは刀剣の神タケミカヅチを手元において、自分の好きなように『お手入れ』したくてたまらないらしい。

 自分の体からタケミカヅチが抜け出る反動で、ベイカーは受話器を持ったまま、軽くよろけた。

 内線の向こうからも、転んで何かにぶつかったような物音が聞こえてくる。

「アル=マハ隊長? 大丈夫ですか?」

 ガチャガチャと何かを掻き分ける音の後、ため息交じりの返事があった。

「全然大丈夫じゃない。コーヒーぶちまけた……」

「あー……それはお気の毒に……」

「そっちは大丈夫だったか?」

「ええ、どうにか踏ん張れました。ご心配ありがとうございます」

「で? これからどうする? 当初の予定とかなり違う方向に行ったようだが……」

「申し訳ありません。ツクヨミが勝手にロドニーを覚醒させまして……」

「だが、完全覚醒ではないのだろう?」

「はい。オオヤソマガツヒの出現までは時間があります。それに、青龍を『戦力』とすることは出来ませんでしたが、代わりにニケやフォルトゥーナらを味方につけることができました。状況としては、当初の想定より幾分か有利なのではないかと……」

「だといいんだがな。うちのカミサマがあのブチ切れ方では……」

「監禁してエネルギーを吸い上げているよりは、現状のほうがよほど『戦力』になると思いますが?」

「それは同意見だが……せっせと集めた美女軍団が、一晩で丸ごと寝取られたわけだからなぁ。この分だと、このまま同盟解消という事にも……」

「それは仕方がないと思いますよ? 何と言ってもそちらのカミサマは、タケミカヅチの兄二人までハーレムの女扱いしていたのですから。てっきり死んだものと思っていた兄弟が、同盟を組んだ相手の玩具にされていたとなれば……」

「普通はぶっ殺したくなるな」

「そちらもこちらも、相手を殺害するに足る動機があります。同盟の維持は諦めて、今後は衝突を回避する方向で動きましょう」

「異議なし。しかし、ツクヨミの監視だけは怠るなよ。あれは危険だ。何をするかわからない」

「ええ……ですが、今はそれ以上の懸念事項が……」

「なんだ?」

「マルコの事です。もしかしたら、マルコは『予言』を覆したかもしれません」

「……どういうことだ?」

「今、そちらに写しはありますか? あの日、六月十三日の記述をご確認ください」

「待て、今調べる。えーと……ああ、確認したぞ。六月十三日は……」


〈六月十三日、金曜日。

 今日は朝からひどい雨。

 足を滑らせて王子が怪我をした。

 玄武の加護は、こういうことには適用されないらしい。

 もっと大怪我しそうなら、助けてくれるのだろうか?〉


 同じページのコピーを見ながら、ベイカーははっきりと断言する。

「あの日、マルコは足を滑らせていません。あれだけの混乱の中でも、怪我一つ負っていませんよ」

「その前日も、翌日も?」

「はい。日付をまたいで数時間は『誤差』として納得できる範囲ですが、マルコは六月十三日の前後三日間、一度も転んでいないそうです」

「……王子が、予言を覆したのか……?」

「そう考えるのが妥当かと。あの日、予言と現実の間には『誤差では済まされない相違』が生じました。続けて十四日以降の記述をご覧いただきたいのですが、その先のどの文章を読んでも、玄武のことしか書かれていません。ニケも、フォルトゥーナも、ボナ・デアも……この一週間でマルコと面通しを済ませた他の神々のことは一文字もありません。おそらく今、我々は予言されていた未来とは『異なる時間軸』に存在しているのではないかと……」

「サイト、そのまま待て。今オリジナルを持ってくる」

 慌ただしく席を立つ音、離れていく足音。聞き慣れた旧本部庁舎の石壁の反響音。それが消えて三十秒後、再び近づく足音に、ベイカーは何とも言えない違和感を持った。

 通話の相手、先代特務部隊長アーク・アル=マハは、上背も厚みもある筋肉質な大男だ。足音にも、言葉では表現しきれないどっしりとした重量感がある。

 しかし、この足音は軽い。

 せいぜい六十キロにも満たない、細身の人物の足音のように聞こえる。

(旧本部にいる中で、そんなに体の軽い人間は……エリック先輩か? いや、しかしあの人は、今日は中央にいないはず……ほかにこんな足音の人間がいたかな……?)

 足音の主は内線端末の前で立ち止まり、動かない。

 本体から外れた受話器を見れば、通話が保留状態にされていることは分かるだろうが――。

(……誰だ? この番号はアル=マハ隊長への直通だぞ? あの部屋に『偶然通りかかる人間』なんか存在しないはずなのに……)

 その人物は受話器を手に取ることなく、そこで何かをしている。

 『ザラザラ』と『ガリガリ』が混ざったような、何かが小刻みに引っ掛かるノイズ。

 しばらく聞いていると、『ペラリ』という、紙をめくる音が聞こえた。

(何かをメモしている? いや、それにしてはノイズが途切れない。なんだ? なにかを筆記しているにしては、ペン先の動きがあまりにも早すぎるし……?)

 絵や図面を描写する音とは根本的に異なる。やはり、文字を書く音には違いない。

 ベイカーはここで、思い切って声を出した。

「お前は誰だ?」

 内線端末の前の人物は、ピタリと手を停めた。

 相手の出方を待つつもりで耳を澄ませていると、しばらくして、何かの筆記が再開される。

 受話器を耳に当てたまま、ベイカーは首を傾げた。

(先ほどまでと、音が違うような……?)

 そのときベイカーは、何気なく受話器を持ち替えた。ずっと右耳で聞いていたせいで、聞こえ方がおかしくなったのかと思ったのだが――。

「…………!?」

 聞こえている。

 受話器は今、自分の左手の中。まだ、左耳に当ててはいない。

 それでも音は聞こえている。


 筆記音はこの部屋の中――自分の真後ろから聞こえてくる。


 ごくりと唾を飲み、必死に呼吸を押さえる。噴出する冷や汗で、受話器を握る手がじっとりと濡れていくのが分かった。内側から激しくノックする心臓は、このまま肋骨を突き破って飛び出して行ってしまいそうだった。

 筆記音は止まらない。うなじに吐息を感じるほどの距離で、それは何かを書いている。そして時折、「うん、うん」と頷くような気配がある。

 なぜかベイカーは、振り向くことも声を上げることも出来なくなっていた。

 振り向いたら、なにか、とんでもないものを目撃してしまうような――そんな得体の知れない恐怖に身がすくみ、一ミリたりとも動くことができなかったのだ。

 不気味な沈黙に囚われること、約一分。その沈黙を打ち破ったのはアル=マハだった。

「……イト? サイト? もしもーし! おい、サイト?」

 受話器の向こうのアル=マハの声に、ベイカーは弾かれたように顔を上げる。

「は、はい! あの! アル=マハ隊長! い、今、ここに何かが……っ!」

「何か? いったいなんだ?」

「あ、いえ、その……なんだと聞かれると……」

 アル=マハの声が聞こえたと同時に、背後に感じていた気配は消えている。

 振り向いて確認しても、何もいない。

「またゴキブリでも出たのか? お前、虫一匹でえらく大騒ぎするからな。それよりサイト、お前の読みは当たったようだぞ。記述が変わっている」

「え?」

「六月十三日から先が、これまでとは明らかに異なる内容に書き換えられている」

「どのような内容ですか?」

「それが……」

 アル=マハは、ためらいがちにその日記を読み上げる。


〈六月十三日、金曜日。

 月のみそぎは邪気祓い。

 洗い清めて心をそそぐ。

 月は姿を変えれども、月であるには変わりなし。

 信じてその身を任せれば、どんな悪夢も祓われる。〉


 まさかと思った。

 あの強制シャワータイムは、オカマ副隊長のセクハラではなかったのか。

 いろいろと強引に触られまくっていたのだが、確かにあれから、妙に強気で突っ走れたように思える。

 いや、だがしかし――。

「副隊長には、本当に考えがあって……?」

「ああ……ツクヨミは敵対勢力になるかと思っていたが、この記述が正しければ、むしろこちら側の最重要戦力ということに……」

「え? あ、はい、そうですね。ハハハ……」

「ん? どうした? やっぱりその部屋ゴキブリいるのか? お前、ゴキブリ出るとガチで発狂するからな。今から殺虫剤持ってってやろうか、お嬢ちゃん?」

「いえ結構です! 大丈夫! こっちにも『ゴキ殺しジェット・ハイパーデストロイEX』がありますから! グロスで!」

「百四十四本も買ったのか!」

「だって一匹で一缶終わるでしょう!?」

「撒き過ぎだ! お前の反射神経なら叩いて潰せるだろうに!」

「無理です! 無理無理! それ絶対、ぜえええぇぇぇ……ったいに! 無理ですから!」

「ったく、たかが虫一匹で……『今夜は俺と寝てください!』とか言われたときには、本気でそっちの趣味かと思ったぞ……」

「奴が出現した部屋で寝るくらいなら、アル=マハ隊長に抱かれるほうが百万倍マシです!」

「いくら女顔でも、キンタマついてるのは要らん!」

「だから安心して逃げ込めるんです!」

 ヘファイストスの『器』は完全なノンケなのに、どうしてカミサマのほうは無節操なド変態なのか。ベイカーとアル=マハは揃って溜息を吐き、いくつかのことを打ち合わせてから通話を切った。

 ベイカーは受話器を戻すと、改めて室内を見回す。

 誰もいない。

 しかし先ほどまで、確かに誰かがいて、何かを書き記していた。

(……まさかとは思うが……あれが、『二階堂階二ニカイドウカイジ』なのか……?)

 全身に鳥肌を立てながら、ベイカーは逃げるようにオフィスへと戻った。




 内線を切った瞬間、アル=マハは目の前の壁を殴りつけていた。

 壁には、日記帳と同じ筆跡でこう書かれている。


〈どうして日本語が読めるのかな?

 今、君は翻訳されていない原文をそのまま読んでいるだろう?

 大和神族のタケミカヅチならともかく、なぜ君が?

 君は本当にこちらの世界の人間か?〉


 食いしばった歯の隙間から、呪いのようなつぶやきが漏れる。

「……貴様がそれを聞くのか……?」

 まるでその声に答えるように、壁に書かれた文字は音もなく消えてゆく。

 そして日記帳も、いつの間にか、アル=マハの手の中から消えていた。

「……クソ野郎が。貴様は何がしたいんだ、二階堂階二ニカイドウカイジ……」

 書き換えられた日記の記述。先ほど読んだそれは、今日、この瞬間までで終わっていた。

 最後の記述は、神も人間も、世界の今後も関係ない。『ニカイドウカイジ』という人物の個人的な気持ちと、アル=マハたちへのメッセージが綴られていた。


〈六月二十日、金曜日。

 快晴。なんて見事な日本晴れ、と言いたいところだけれど、ここは遠い異国の地。ここでの僕は、ただの異邦人だ。この国の言葉で、この空を何と言い表すのかを知らない。


 ずいぶん長居をしたけれど、そろそろ日本が恋しくなった。

 あの頃買ったレコードは、まだ聴けるだろうか。

 僕は、吉田拓郎の『親切』という曲が大好きなんだ。

 アーク君、もしも地球に来たときには、ぜひあの曲を聴いてくれ。

 気に入ってもらえるかは分からないけれど、なかなか面白い歌詞なんだよ。


 サイト君、どうもありがとう。

 君を見ていたら、僕にもできる気がしてきたよ。

 あの頃変えられなかった世界は、今なら変えられるのかもしれない。

 本当にありがとう。

 そしてさようなら。

 僕も、僕の戦場で、僕の為すべきことをしよう。

 もしもう一度会うことがあれば、その日の僕は予言者なんかじゃない。

 革命戦士かテロリスト、もしくはただの大馬鹿者だ。


 そして最後に、マルコ君。

 君の未来は僕の『眼』に映らない。

 それがどういう意味を持つことなのか、僕にはわからないよ。

 けれどもきっと、悪いことではないと思うんだ。

 だから君は、君の、一番進みたい道を進めばいいと思う。

 僕なんかが祈らなくたって、君にはカミサマが二人もついているけれど。

 それでも祈らせてほしい。

 君の往く先に、幸多からんことを。〉


 消えてしまった日記帳の文面を、何度も何度も思い返す。

 アル=マハ、ベイカー、マルコ。この三人だけが名指しで記されていた。

 それも最後の、マルコへのメッセージは――。

「……二階堂にも読めない未来、か……。とすると、まさか……」

 マルコ・ファレルには自分たちと違う、何か特別な『能力』が存在するのではないか。アル=マハがそう考えるのは自然な流れであった。

「……直接、確かめてみるか……」

 呟きながら部屋を出て行くアル=マハ。

 彼は気が付かなかった。自分が部屋を出て行く瞬間、先ほどの壁に、新たなメッセージが浮かび上がっていたことに。


〈そうそう、まだ思い出したことがありました。

 お別れの前に、最後の親切としてお知らせしておきます。

 ゴキブリが発生しているのはこの部屋のほうです。

 一昨日から今朝にかけて、本棚の裏で卵三個、八十七匹が孵化してしまいました。

 嗚呼、なんて尊い命なんだろう! 感動しすぎて鳥肌が止まらない!

 その辺の事情も踏まえて、僕は実家に帰らせていただきます!


 ゴキブリの皆さん、お誕生日おめでとうございます!〉


 数時間後、アル=マハがそのメッセージを発見し、絶叫しながら殺虫剤を撒いたことは言うまでもない。


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