そらのそこのくにせかいのおわり(改変版)4.0 < chapter.15 >
一瞬のブラックアウトの後、ハッとしたように目を覚ます。
夢の世界での会話は、実世界ではわずか一秒足らずの出来事である。ベイカーは左翼を折られ、真っ逆さまに落ちてゆく途中だった。
「ニケ! フォルトゥーナ!」
折れた翼の代わりに、勝利の女神の緋色の翼を。
足場の代わりに、運命の女神の歯車を。
たった今得たばかりの能力を用いて、ベイカーは空中で体勢を立て直す。そして無数に出現した歯車を駆け上がり、白虎に迫る。
「カリスト! 力を貸してくれ!」
ベイカーの手に純白の剣が現れる。光でできたその剣は、誰の心も容易く奪う、世界で最も美しい精霊の魔力で形作られている。
「はっ!」
光の剣を振り抜くと、白虎は唐突に動きを止めた。
カリストは美の精霊。彼女の能力は『誘惑』などという生易しいものではなく、文字通り『体から心を奪い取る』ものだった。
今の白虎は肉体のみ。精神体は既にない。しかしその精神体が最後に掛けた呪い、『タケミカヅチへの殺意』によって突き動かされていた。唯一にして絶対の原動力を奪い取られた白虎は、もはや自らの意思で動くことはできなかった。
墜落してゆく白虎の体。
全長千メートルにも及ぶ巨大な『腐乱死体』は、落下の衝撃で砕けた。
辺り一面に飛び散る大量の肉片、腐汁、どす黒い闇の断片。その間をすり抜けるように、ニケの翼が航跡を描く。
「ルキナ! 祝福を!」
コールしたのは出生と祝福の女神である。ベイカーが通ったあとには、柔らかな黄金色の光が振り撒かれていく。
蛍のように舞う大量の光は、「それっ!」とばかりに闇へと取りつく。死と堕天の象徴である『闇』を、生と祝福の『光』で中和しているのだ。
闇の断片は次々と消滅していく。だが、すべてを消すにはまだ足らない。ルキナらはこれまで、長期に及ぶ監禁生活を強いられていた。ニケも、フォルトゥーナも、カリストも、それぞれに『光』を放ってはいる。しかし、いかんせん弱りきった状態。十全な状態での能力発動には遠く及ばなかった。
「光が足りない! 他に『光』を放てる者は!?」
内に取り込んだ神々に尋ねるが、答える者はいない。もともと戦いに不向きな神ばかりだったようだ。
飛び散った肉片から噴水のように湧き出る闇。それをヒラヒラと躱しながら、ベイカーは紫電の閃光を放ち続ける。
「おい! 本当に誰も戦えないのか!?」
ルキナの光は残り少ない。ニケの翼も、徐々に羽根先から壊れ始めている。足場にしているフォルトゥーナの歯車も、あちこち欠けて崩れていた。
闇はなおも無尽蔵に湧き出てくる。
神々の目には、闇に触れた地面が――そこに在る草や小さな生き物たちが、次々と死んでいくのが見えていた。早くこの闇を消さなければ、このあたり一帯が草一本生えない不毛の大地になってしまう。
「クソ! 誰でもいい! 戦えなくても何でもいいから、まだ出てきていないヤツ! ダメ元でもいいから、とりあえず出てこい! 何もないよりはマシだ!」
捨て鉢な発言だが、一応はその通りである。ゼロよりはイチのほうがマシに決まっている。
おずおずと名乗り出た神々の名を、ベイカーはまとめてコールする。
「ボナ・デア! サマナス! ユヴェントゥス! リベルタス! コンコルディア! パークス!」
はじめから順に、豊穣と癒しの女神、静電気の精霊、青春の女神、自由の女神、婚姻の女神、平和と秩序の女神である。誰一人としてまともに戦える能力を持ち合わせていない。
神らしく神聖な光は出現したが、やはり、たいした浄化作用は持ち合わせていなかったようだ。すぐに闇に呑まれて消えてしまった。闇は群れた蛆虫の如くグネグネとうごめき、四方八方に拡散していく。時間がたつほど対処が難しくなることは火を見るよりも明らかだった。
と、ここでニケが何かに気付いた。
「サイト、心臓だ! 心臓を狙え!」
「心臓!? 心臓なんてどこにある!?」
「あそこだ! 身体の肉が腐り果てても、心臓だけはまだ生きている!」
「あっ! あれか! ありがとうニケ! あれさえ叩けば……!」
「力の源を失い、『闇』は増殖を止めるはずだ!」
「光明が見えてきたな! おい! あと三人いるだろう!? ミカハヤヒ! ヒハヤヒ! トリノ! お前らも手伝え!」
名指しされてようやく重い腰を上げた三人だが、ベイカーはこの三柱をコールして気付いた。
タケミカヅチの様子がおかしい。
「タケミカヅチ! どうした!? 何をそんなに動揺している!?」
心の揺らぎを表すかのように、タケミカヅチの雷光は出力が安定しない。そしてそれは呼び出された三柱のほうも同様である。
圧倒的な光で全ての『闇』を祓い尽くさねばならないのに、四柱はおずおずと、互いの顔色を窺い合うように距離を取り続けている。ここでモタモタしていたら闇はどんどん広がり続け、いくつもの町が闇に呑まれて壊滅してしまう。可及的速やかに対処する必要があるのだが――。
「タケミカヅチ! ミカハヤヒ! ヒハヤヒ! トリノ! お前らいったいどうした!? なぜ戦わない!?」
ベイカーの声に応え、タケミカヅチは脳に直接情報を送ってきた。
ミカハヤヒとヒハヤヒはタケミカヅチと同時に生まれた三つ子の兄弟。完全に同一の属性を持つ神々である。三柱で同調して、その能力を数千倍、数万倍にも高めることができる。
そしてトリノと呼ばれた半神半獣。鳥と四つ足の獣を足して割らずに、さらに人間の上半身をくっつけてしまったような謎の生き物。この神の正式な名は鳥之石楠船。高天原と呼ばれる大和神族の『神の世界』で、日常的に三つ子の送迎役を務めていた神である。
彼らは戦争に負けて、『器』と一緒に死んだものと思われていた。
けれども彼らは生きていた。
それは大変喜ばしいことなのだが、問題は彼らを監禁していた『あの神』の所業が――。
「タケミカヅチ! そういう細かい事情はどうでもいい! 兄弟の再会も後にしてくれ! 今はとにかくこの場のことだけ考えろ!」
激怒しながら雷撃を放ちまくるベイカーに、頭の中のタケミカヅチが言い訳する。
「いや、その、だって……三つ子のお兄ちゃん二人がオカマ掘られてマジ泣きしてるのに、『よぉ~し! 必殺技、行くぜえええぇぇぇーっ!』とか言える? 言えないよね? テンション的に無理だよね? さすがにお前でも、その辺の機微は察してくれるよね……?」
「神のケツ穴事情など俺が知るかこのヘボ兄弟! あんな短小捻じ込まれたくらいでいちいちグダグダぬかすな! いいから戦え! 戦って死ね! 貴様らそれでも軍神か! 極太ディルド突っ込んでアヘ顔ダブルピース撮影してやるわよっ!?」
「鬼! 悪魔! この人でなしっ! てゆーかお前、なんか今ツクヨミの『器』みたいな口調になってたぞ!?」
「それがどうしたっ! 神だか何だかしらんが、ブチ切れた人間を舐めるなよ! 来い! トリノ!」
トリノイワクスブネが牽く空飛ぶ舟、天鳥船にひらりと飛び乗り、ベイカーは天高く駆け上る。飛び散った肉片が一望できる高度に到達すると、自身の持つ最強の攻撃魔法、《雷牙・零式》を放った。
闇に向かって突っ込んでいく麒麟。
ベイカーは天鳥船の向きを変え、麒麟を追うように真下へ――未だ原形を留める、白虎の心臓へと向かう。
「ちょ、おい! サイト! お前なにを……!」
「俺を死なせたくなかったら全力を出すんだな! この腑抜け軍神ども!」
「この馬鹿! おま……あああっ! もうっ! 仕方がない! やるぞミカちん! ヒハやん!」
「ニケ! フォルトゥーナ! みんなも、あと少しだけ力を貸してくれ!」
勝利の女神の緋色の翼は、ジェットエンジンの如く天鳥船を加速させた。
運命の女神の歯車は他の神々の能力を結び付け、一つの大きな『光』に変える。
巨大な光の塊となったベイカーは、彗星の如く一直線に、白虎の心臓へと特攻し――。
「「「尽忠報国! 雷桜炎舞!!」」」
世界は一瞬、真昼のような明るさに包まれた。
光が収束したそのあとには、直径五十メートルを超える巨大なクレーターが出来上がっていた。
クレーターの中心で仰向けにひっくり返っているのは半裸の特務部隊長ただ一人。白虎の死体も、その腐肉から溢れ出ていた『闇』も、もうどこにも、ひとかけらも残されてはいない。
神々は心配そうにベイカーを覗き込む。
「……大丈夫かしら。可能な限りは、盾を張ってあげたのだけれど……」
正しき行いの青年を守るという、青春の女神ユヴェントゥス。その隣で必死に手をかざしているのは豊穣と癒しの女神ボナ・デアである。
「体の怪我は治してあげられるけど……人間の体で一度に十四柱もの神を受け入れるなんて、いくら何でも無茶しすぎだわ。普通の人間だったら神経が焼き切れているところよ……」
それに続いてリベルタス、コンコルディア、パークスらも涙目で言う。
「うぅ……私、自由の女神失格かも……。自由の女神のくせに監禁されるし、人間に助けてもらっちゃったし、その人間が倒れてるのに何もしてあげられないし……」
「でしたら、わたくしもですわ……。神ですのに、何をして差し上げたら良いのか、何もわかりませんもの……」
「コンコルディアは婚姻の女神ですもの。仕方がありませんわ。私なんて、平和と秩序の女神ですのに……」
パークスが目をやる先には、氾濫した川に流された街がある。堤防自体はオオカミナオシによって修復されつつあるが、既に浸水したエリアの被害は甚大だ。グレナシンらに救い出せる人数は、せいぜい数十人と言ったところだろう。
けれども、女神たちは行動を起こさない。
いや、起こせないと言ったほうが正しいのかもしれない。神々がそれぞれに役割を持ち、協力し合って平和を守る。それは全員が万全の状態で能力を使い、はじめて維持できるシステムである。なんらかの要因によって仲間を失った神族は、徐々に力の均衡を欠き、システム自体を維持できなくなっていく。
いくら祈っても一向に幸せになれなければ、人は信じることをやめる。信仰とはすなわち神の動力源。それが断たれてしまえば、その神族はさらに弱く、個々の役割すら果たせなくなる。そうなった時、創造主から『不要』と判断されてこちら側に送られるのだ。
誰もが一度捨てられた神。そのうえ永く囚われ、辱めを受けていた身。彼女らは今の己の力も、存在価値も、信じることができずにいた。
自分にはまだ、『神』を名乗り、手を差し伸べる資格があるのだろうか。
こちらの世界の人間は、『神』の名を呼び、共に歩んでくれるのだろうか。
彼女らは答えを見いだせずにいた。
何をすることも出来ず、まごつく女神たち。その足元で、ベイカーが意識を取り戻した。
「……て…い、る……?」
その声は小さすぎて、何を言っているのか聞き取れない。それでも目を覚ましたことを素直に喜ぼうとした女神たちだが、彼の目を見てひるむ。
ベイカーの目の奥にあるのは、まるで地獄の火焔のような、真っ赤な怒りの炎である。
「何をしている……? 早く、彼らを救いに行け……」
「でも……私は……」
「わたくしたちは、力を失って『捨てられた神』ですのよ……?」
「いまさら、人を守護する資格など……」
「ええ、もう、私たちには……」
「黙れ」
冷たい声だった。
炎のような眼差しとは正反対の、凍てついた声音。
俯き、口ごもる女神らに、ベイカーは氷のような言葉を浴びせる。
「何の役にも立たぬなら、死ね。今すぐ己の幕を引け」
ベイカーは仰向けで倒れている。確かに地面に寝そべっているのに――。
「何もしない貴様らに、神としての価値などない」
この瞬間、誰もが彼に『睥睨されている』と感じていた。
絶対的な王者のように、遥か高みから万人を見下ろす瞳。それは心の内まで見透かしているような、抗いがたい支配者の眼光である。
この小さな人間の、何がそれを感じさせるのか。
これまでの歴史に、こんな人間は存在しただろうか。
女神たちが未知の存在に怯えていると、ベイカーはふっと表情を緩め、信じられないほど柔らかな口調で言った。
「しかし、ただ一人でも救う力があるのなら、貴女は神だ。救われたその者にとって、貴女は他のどんな神よりも信仰し甲斐のある『唯一絶対の神』となる。だから救え。一人でも救い、守護せよ。たった一人でも信徒がいれば、貴女は『無用な者』ではない。貴女たちにはまだ、『神』を名乗るだけの資格がある」
雷に打たれたようだった。
そこにいるのはただの人間。小柄で華奢な、少女のようにか細い男。しかし女神らの目には、確かに『光』が見えていた。
タケミカヅチではない。その器、サイト・ベイカーという、ただの人間が放つ光である。彼の心の光は誰に与えられたものでもなかった。彼自身が自分で磨いて、ここまで気高く、美しく輝かせた光だ。
女神らは頷き合い、全員で手をつなぐ。
たった一人でも救う力があるのなら――その言葉で彼女らの、目には見えない心の枷が外される。
「救いましょう」
「ええ。一人だなんて言いませんわ」
「何人でも、何十人でも救ってみせましょう」
「できる! 私たちならできるんだから!」
「生と祝福の女神の底力、その目に焼き付けなさい!」
「我、勝利の女神ニケは其方に勝利をもたらそう。だから望め。どんな無茶な望みでも、『困難に打ち勝つ』ことで叶えて見せようぞ」
「私も其方を守護しよう! 運命の女神フォルトゥーナに祈れ! 其方の運命は私が回す!」
ベイカーはニヤリと笑って、ありったけの声で叫ぶ。
「俺は! 濁流に呑まれたすべての人々を救いたい! 女神らよ! どうか彼らを救ってくれ! 誰一人、残された者を悲しませずに済むように!」
信仰が薄れて力が弱まるのなら、強くするのは簡単だ。信じればいい。
ベイカーの声を受けて、ボロボロだった女神らの姿が変化していく。
ニケとフォルトゥーナには勇ましい鎧と盾、剣と弓矢が。
ルキナ、ボナ・デア、パークスにはローブとヴェール、錫杖、薬瓶、天秤が。
ユヴェントゥス、リベルタス、コンコルディアには華やかなドレスと花冠、色鮮やかな花々が。
カリストには新雪のような純白のドレスと、ガラスのように透明な蝶の翅が。
本来の姿と力を取り戻した女神らは、厳かに宣言する。
「さあ、始めましょう! 新たな時代を!」




