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そらのそこのくにせかいのおわり(改変版)4.0 < chapter.13 >

 そこにあるのは、轟音と濁流だった。何が破壊されているのかもわからない、何かの崩れ落ちる音。月明りだけでは照らしきれない、圧倒的な混沌。

 憎悪に染まった漆黒の獣はトリム川の川底を突き破り、地上に姿を現した。

 その衝撃で大地が震えた。

 白虎が抜け出た巨大な穴へと水が流れ込み、押し寄せた水がぶつかり合う。反動で津波のような返し波が発生し、堤防に直撃。

 元々、雨季の長雨でこのあたりの地盤も緩んでいた。そこへ瞬間的に、想定外の巨大な圧力が加えられたのだ。堤防は決壊し、川は氾濫。付近の住宅を一瞬で呑み込み、あらゆる構造物を薙ぎ払う。

 現在の時刻、深夜零時。ウェスト地区のような駅前繁華街と異なり、トリム川周辺は閑静な住宅街。もうどの家の住人も、明かりを消して就寝している時刻である。

 浸水水位、少なくとも三メートル以上。

 住民の生存は絶望的だった。

「……何よ、これ……」

 決壊箇所の付近、まだ無事な堤防の上で、グレナシンはつぶやく。

「なんなのよ……なんで、こんな……」

 視線の先にあるのは、濁流にのまれて明かりの消えた、広大な闇の水面である。その下に何人沈んでいるのか、想像もつかない。

 マルコもロドニーも、あまりの光景に言葉が出ない。

 眠れる神が目を覚まし、地上に這い出し身震いした。それだけでこの有り様だ。たったそれだけの行動で、街が一つ消えてしまった。

 その白虎は今、空中で何かと戦っている。憎悪に染まった体は一点の曇りもない漆黒。夜空の闇に同化して、その姿を視認することすら難しい。

 しかしその白虎の付近で、時折、紫電の光が奔る。それを見て三人は気付いた。

 戦っているのはベイカーだ。

「ロドニー! アンタはオオカミこき使って、堤防とかその辺を修復しときなさい! マルちゃん! アンタたしか、《緊縛》の鎖を自在に操れたわよね!? ツクヨミと玄武の『神の眼』なら、水底に沈んだ人間の居場所も正確に分かるわ! まだ助かる人もいるかもしれない! 全員引っ張り上げるわよ!」

「はい!」

 三人はそれぞれ、持てる力を最大限活かせる形で対応に当たった。




 一方、ベイカーに地上の人間を気にかける余裕はなかった。軍神タケミカヅチの力をもってすれば、人命救助や応急的な土木作業も可能ではある。だが、そちらに気をとられれば白虎の攻撃を食らう。目の前でどれだけの人間が苦しんでいようと、今は手を差し伸べることができない。今のベイカーにできることは、闇に呑まれた白虎の敵意を、自分一人に向けさせることだけである。

 獣人化し、コウモリに似た皮膜状の翼で空を駆る。

 四方八方に撃ち出される白虎の閃光。精神世界では純白だったそれが、今は暗黒の波動として発射される。その攻撃をひらりひらりと躱し、ベイカーも、隙を見ては雷撃を放っているのだが――。

「……クソ。最期の最期で、闇堕ちするとは……」

 本人は自覚していなかったようだが、あの時、白虎は既に堕ちかけていた。面と向かって会話している最中にも、脚先から少しずつ闇に染まっていたのだ。本格的に闇堕ちする前に消滅させてやろうと思っていたのに、最期の一瞬で『負の感情』に心を支配されてしまったらしい。

 生きる目的を見失い、思い悩む。それは人間にとってはよくあることで、気の持ちようでいくらでも立ち直れる。しかし、神にとっては違う。神とはこの世のシステムそのもの。神が神であり続けるためには、特定の『役割』が必要なのだ。

 例えばオオカミナオシは、世界の不具合を修正・削除している。

 デカラビアは神のいない土地に住み着き、そこを守護する者となった。

 玄武はマルコにつき、彼個人に加護を与えると決めた。

 ならば白虎には何ができるか。

 答えは一つ。何もできないのだ。

 白虎は世界を創造した神の一人。まだ何も存在しない原始の海に生命を生み出した、『生命の誕生と進化をつかさどる神』である。その能力はあまりに原始的過ぎて、今更、何に応用することも出来ない。玄武のように誰か一人を守ろうにも、白虎の力は大きすぎる。守護対象の人間を守るつもりで、逆に、己の強大な魔力で押しつぶしてしまうかもしれない。

 自分には何もできないと自覚していたからこそ、彼はああして、青龍の卵を守護し続けていたのだ。

 だがついに、その役割すら失う日が来た。

 彼は途方に暮れていた。

 あの状態の神はもう手遅れだ。タケミカヅチはこれまでに、何度もその光景を見てきた。守護すると決めた人間が事故で、災害で、戦争で、あっけなく死んでしまったとき。神同士の争いで仲間を失ったとき。何もできない無力感から、神々は深い闇へと堕ちていった。

 そして闇に堕ちた神がいるところに、オオカミナオシは現れる。

 神が神を殺す、最も忌むべき大罪。その大罪を生まれながらに背負う者。それがオオカミナオシだ。タケミカヅチのように、己の意思で『神殺し』を始めた者とは違う。オオカミナオシは与えられた役割に従い、闇堕ちの神々を食らい続けてきた。

 腐肉を与えられた哀れな狼。だがその狼は、己が哀れであることを知らない。他の獲物を食らったことが無ければ、それがどんなに不味いものであっても、不味いということにすら気付けないのだから。

 自覚することなく溜め込まれていく闇の毒素。それが限界に達したときが、オオカミナオシの『器』の最期である。

(……絶対に、それだけはさせない。ロドニーが……あいつが闇に呑まれるところなんて、俺は……!)

 このまま戦いが長引けば、オオカミナオシは『タケミカヅチによる現状打破は不可能』と判断し、自分の仕事を開始するだろう。白虎の放つ闇はロドニーの限界を超える。あれを食らえば親友の心は闇に堕ち、異形の怪物と化してしまう。そんな未来だけは、絶対に回避せねばならなかった。

「タケミカヅチ! もっと力を寄こせ! 魔剣《麒麟》、《燭陰》、発動!」

 右手に紫電の雷剣、左手にオーロラの鞭を持ち、ベイカーは真正面から白虎に挑む。

 白虎が放つ暗黒の波動。避けることなく受け止めたそれは、一撃で《燭陰》を闇に押し包んだ。

「く……っ!」

 左手を振るい、まとわりつく闇を祓う。そのままオーロラの鞭をしならせて白虎に叩きつけるが、手ごたえはイマイチだ。

 間合いを詰めて雷剣を突き出すも、突き刺した瞬間の感触がおかしい。肉に刺さる感触ではないのだ。肉よりもっと柔らかい、ペースト状の何かにねっとりと包まれてしまうような――気色の悪い感覚に、ベイカーは大きく飛び退く。

「腐っているのか……? クソ! 堕ちる以前に、体はもうとっくに……!」

 あまりにも長い『目的なき生存』。その間に、彼の肉体は神としてのあるべき姿を失い、醜く腐った肉塊となり果てていた。

 光が足りない。

 ここまで大きな闇と死、虚無の存在と化した神を祓うには、雷とオーロラの光だけでは全く足りなかった。もっと大きな、全天を照らす圧倒的な光の力が必要なのだが――。

「誰か……誰か他にいないのか!? 俺たち以外に動ける神は……っ!」

 巨大な『闇』の塊を雷でチマチマと切り崩しながら、タケミカヅチは心の底から嘆き、喚き散らす。

「クソ! どいつもこいつも神って連中は、どうして肝心な時におらんのだ!? こんなんだから文明が滅ぶんじゃないか! おいコラ! この腐れ白虎! リストラされたくらいでなんだ! 再就職先くらい自力で見つけたらどうなんだ!? ああっ!?」

 ブチ切れながらの超高出力電気ショック。既に腐敗しているとはいえ、肉とは有機物の集合体である。通電により分子レベルで結合が破壊され、ボロボロと崩れ落ちていく。

 だが、それも体表部分のみ。決定的なダメージを与えるには至らない。

 お返しとばかりに撃ち込まれる暗黒の波動を、麒麟の雷剣で叩き落とすのだが――。

「うっ……」

 一発捌きそこなった。

 左翼に被弾、衝撃で骨折。ベイカーはバランスを崩す。

 そこに撃ち込まれる波動。片翼だけでは避けることも出来ない。

「しま……っ!」

 重力に身を任せたフリーフォール状態。咄嗟に防御魔法を使おうとしたが、間に合わなかった。

 全身に浴びる闇。

 その瞬間、ベイカーの意識は、得体の知れない混沌の底に引き込まれていた。


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