そらのそこのくにせかいのおわり(改変版)4.0 < chapter.1 >
ある晩のこと。夕食と入浴を終えたマルコは、リビングルームで仲間たちと雑談してから私室に戻った。
いつものように机に向かい、日記を開く。一日の終わりにその日の出来事を記しながら、仕事や仲間との会話について、自問自答の反省会を開く。これはマルコの日課であり、彼なりの努力である。
今日の反省会の主題は『堂々とした受け答えについて』。午前中、総務課との電話連絡で何度か言葉に詰まってしまった。王子という肩書がついて回る以上、相手は会話の冒頭から緊張感を漂わせている。どうしてもその空気に引きずられ、こちらの受け答えもぎこちなくなってしまうのだ。
適度な緊張は仕事の質を向上させるが、平常時から言葉に詰まるような有様では、有事の際に連絡の行き違いが起こりかねない。
どうすれば一般職員に無用な気遣いをさせずに済むか。
どうやって既にできている『硬い空気』を払拭するか。
非常に地味で些細な悩みだが、他部署との円滑な連携は仕事の基本だ。ここを押さえておかないことには、その後にどんな障害が待ち受けているか分からない。
マルコはペンを握ったまま、白紙のページとにらめっこをしていた。
思いついた単語をなんでも書き出し、それから文章を組み立てる人間もいるが、マルコの場合は逆で、しっかりまとめてからでないと一文字も書き出せない。
同じ姿勢のままピクリとも動かないマルコを見て、室内を巡回中の亀が声をかける。
「どうしたのマルコ。なんだか、すごく悩んでるみたいだけど」
この亀はペットではない。リクガメとも水棲の亀ともつかない不思議な姿の亀は、創造主と共に世界を創った古の神々の一柱、玄武である。
長い間地の底に封印されていたのだが、宅地開発によって掘り出され、今はマルコを守護している。
玄武はペットの亀そのものの挙動で、マルコの足に体を寄せる。
「一人で悩まないでよ~。ボク、これでもカミサマなんだよ~? 何悩んでるの? 教えて教えて!」
爬虫類特有の不器用な足先で、マルコの足首をペシペシと叩く。手加減してくれているので、痛くはない。が、代わりにとてもくすぐったい。
マルコはペンを置き、笑いながら玄武を抱き上げた。
「お言葉に甘えさせていただきます。他の部署の皆さんとのコミュニケーションについて考えていました」
「コミュニケーション?」
「はい。皆さん、私が『王子』ということで、たいへん緊張されているので……」
「あー! 分かる! 内線越しでもすっごく分かるよね! ボク、途中で言いたくなっちゃったもん! そんなに怖がらなくてもいいよ! うちのマルコは噛みついたりしないから! って!」
「恐れられているのは肩書で、私個人ではないと分かってはいるのですが……」
「それでも、どうせお話しするならもっと楽しくしたいよね!」
「はい。『王子』という肩書に負けないくらい、皆さんがリラックスできる雰囲気を作りたいと思いまして」
「じゃあ、まずは笑顔だね! 笑って! マルコ、今すっごく難しい顔してたよ?」
「笑顔……こうですか?」
「うん、いい感じ! 次はそのまま、声も笑顔に!」
「声も?」
「楽しい話をしている時の声! マルコの声ね、冷たくは無いんだよ? でも事務的な連絡だと思ってるから、どうしても淡々としちゃってるの。偉い人が怒ってるときって、怒鳴り散らすか、無表情で淡々と事実確認するか、どっちかでしょ? 電話越しだと、なんかちょっと不機嫌に聞こえてるんだと思うよ。顔が見えないから」
「あ……なるほど。ゲンちゃん、ありがとうございます。だから皆さん、どんどん焦って……」
「マルコはさ、相手を落ち着かせるために、わざと低めの声で事務的に話してたんだよね? でも向こうにしてみたら、『なにか機嫌を損ねることを言っちゃったかも!』って思ったんじゃない? で、すっごく焦ってるところに、マルコが『確認のためにもう一度お願いします』とか畳みかけちゃうから……」
「……第三者から指摘されてみないと、分からないものですね。そう言われてみますと、もし私が逆の立場なら……」
「怖いでしょ? ものすご~く、怖くない?」
「はい……私、冷徹な鬼上司みたいな話し方になってましたね……?」
「次からは、もっと明るい声で内線受けたほうがいいと思うな!」
「的確なご指摘、ありがとうございます。今後は是非そのように……」
「ダメ、暗い! 明るく!」
「はい! 頑張ります!」
「ヨシ!」
亀からアドバイスを受け、王子のコミュニケーション能力はほんの少しだけ向上した。マルコは玄武を机の上に乗せ、気付いたことを日記に書き留める。
クルクルと躍るペン先を見つめながら、玄武は何気ない口調で言う。
「ねえマルコ。ついでにさ、ボクの悩みも聞いてくれる?」
「はい? なんでしょうか?」
「あのね、この前も話したけど、ボクには兄弟がいるの。ボク、兄弟に会いたいんだ」
マルコは手を止め、玄武を見つめる。
話の先を促されていると判断し、玄武はぽつぽつと語り出す。
世界を創るため、創造主は四体の天使と四頭の神獣、他数十柱の古の神々を生み出した。もっとも古いそれらの神々は創造主の最初の仕事、『天地創造』を手伝った。
原初の地球を作り終えると、神々の世代交代が行われた。天使、神獣、神々に、それぞれふさわしい『次なる地』が与えられた。
けれどもその世代交代はひどく説明不足で、玄武たちには創造主の真意が伝わっていなかった。『不用品』として他の世界に捨てられた。そう思った四神は闇に堕ちた。
玄武の心はすっかり闇に染まっていたが、マルコの心に触れ、再び元の神格を取り戻すことができた。ならば他の兄弟たちも、もう一度神格を取り戻せるのではないだろうか。もしかしたら、再びこの地で、兄弟たちと一緒に暮らせるのではないか。
今はその方法が分からなくとも、一人でなければ、きっと――。
玄武の言葉を聞き終えると、マルコは玄武の甲羅を撫でた。
大好きな兄弟に会いたい。でも会えない。その気持ちは、マルコには痛いほど分かった。マルコも、兄ジェフロワが引きこもってしまった時、どうすれば元の『明るいお兄ちゃん』に戻ってくれるのか、そのために自分には何ができるのか、何も分からず苦しんでいた。
神獣とただの人間の境遇を重ね合わせるなんて、おこがましい行為なのかもしれない。けれどもマルコは、それを承知で言った。
「できます。みんなで力を合わせれば、きっとできますよ」
「本当に、そう思う?」
「お疑いでしたら、私の心を読んでみますか?」
「ううん。そんなことしたくない。マルコが言うなら信じるよ」
「ありがとうございます。もしもよろしければ、ご兄弟のことを、もっと詳しく教えていただけますか? 例えば……そうですね。プライベートではどのようなお話を?」
「ん~、どのような……どんな感じかと聞かれるとぉ~……?」
人間の兄弟であれば、同じ家で寝起きし、共に学び、食べ物を分け合い、一緒に大人になっていくものだ。しかし、目の前にいる『ゲンちゃん』は人間ではない。
四神が一柱、大地の恵みをつかさどる神獣・玄武。見た目だけなら可愛いペットのようでも、創造主が手ずから生み出し、天地創造の大仕事を手伝わせた原初の神のひとりだ。そんじょそこらの中流家庭じゃあるまいし、兄弟でおやつ争奪戦を繰り広げたとは思えない。ならば兄弟で何を話していたのかと疑問に思ったマルコだが、訊かれた玄武は困惑している。
「あの頃はまだ、今みたいな大気がなかったの。だから音声による意思の疎通は不可能だったんだ。ボクたちはマルコが思ってるような『会話』はしていなくて……」
「ボディランゲージですか?」
「そういうのもたまにはあったけど、だいたい心の声かな。今のボクは、マルコに合わせてネーディルランド公用語で話しているでしょ? でも、昔はまだ『言語』って概念もなかった。世界そのものができたばっかりだったから、言葉じゃなくて、感情みたいなものを送り合ってたよ」
「感情ですか。ですが、それでは言いたいことが上手く伝わらないのでは?」
「それは大丈夫。カミサマ同士はね、思っていることをそっくりコピーして、相手に『はい! これ見て!』って渡せるようになってるから」
「それは便利ですね。聞き間違いや誤解がなくて……」
「いやいやいや! それがねぇ、そうでもないんだよ!」
「と、いいますと?」
「ボク、ひねくれて闇堕ちしちゃってたでしょ? オブラートに包まない『生の情報』だけでやり取りしてたから、主さまから『はい、お疲れさん! もうキミ要らないよ! あっちの世界行ってね!』って感じのメッセージが届いて、本気で絶望しちゃったんだよね。言語による説明が可能な今なら、あれは『お仕事を頑張ったご褒美に新しい世界をあげるよ』って意味だったの、ちゃんと分かるんだけど……」
「なるほど……伝わり方がストレートである分、きつく感じられる部分もあるのですね?」
「そうなの。ボク、てっきりあのまま、地球のカミサマ続けられると思ってたから。時代に合わせて新しいカミサマを生み出していく計画だなんて、思ってもいなかったし。兄弟たちも、そのショックでおかしくなっちゃったんだよね……」
「ご兄弟の居場所について、おおよその見当は付きますか?」
「ううん。全然。気配も感じないし……」
「わかりませんか」
「うん。まあ、青龍と白虎は仲良しだから、たぶん二人一緒にいると思うけど……」
「探すにしても、お顔が分からないと探しづらいですね。どのようなお姿でしょう?」
「んーと、あのね? 青龍は最大サイズ一万メートルくらいの、青い竜なの。気分で大きさが変わるけど、だいたい一万メートルだったよ。白虎も気分次第でいろんな大きさになってたけど、普段は五千メートルくらいだったかな。水浴びが大好きで、白虎が海に飛び込むと大津波になっちゃうんだ」
「それは……ちょっと、想像を超えるサイズですね……。大きすぎて、人間の目線では気付けなさそうな……」
「でしょ? 上に木とか生えてたら、動くまで神獣って気付かれないと思うんだ。ボクみたいに、どこかの山に埋まってるんじゃないかなぁ?」
「どこかの山に……うぅ~ん……上に建物が建てられていないと良いのですが……」
「ボクも、もうちょっと寝てたら住宅地にされちゃってたかもしれないしね」
「人が移り住む前で、本当に良かったと思います」
「だよねー」
軽いノリで相槌を打つ玄武だが、マルコはまたも難しい顔になってしまう。
体長一万メートルの竜と、体長五千メートルの虎。そんなものがこの世界のどこかに埋まっていて、玄武と同じように、心を闇に支配されているとしたら。
体高五十メートル程度の玄武でさえ、人間の手には負えないほどの瘴気を放っていたのだ。桁が二つも三つも異なる相手を、そう簡単に元に戻せるものだろうか。
考え込むマルコに、玄武は明るく笑いかける。
「大丈夫だよ。ボクのときだって、なんとかなったんだよ?」
「ええ……ですが……」
と、答えようとして思い直した。
暗いのは駄目だ。まずは明るく、笑顔で前向きに。
自分が変わる努力をしなければ、現状は何も変わらない。何かを為し遂げたいのなら、せめて最初の一歩は自分の力で踏み出さなければ。
マルコは軽く呼吸を整え、言い直す。
「一人の力では無理でしょう。如何ともしがたい。ですが、私たちは一人ではありません。二人で力を合わせて努力すれば、今日できないことも、明日にはできるようになります! ……ですよね?」
「うん! そうだよ! 明日のことなんて、今日はまだ分からないもん!」
「頑張って探しましょう。兄弟が離れ離れなんて、そんなの悲しすぎます」
「あのね、あのねマルコ! ボク、マルコのこと大好きだよ!」
「私もゲンちゃんが大好きですよ」
「えへへ……なんか照れるぅ~」
「私もです」
王子と神獣はフニャフニャと締まりのない笑顔でひとしきり照れ合い、日記を閉じた。
明日のページはまだ白紙。
ただそれだけの当たり前の事実が、彼らの中に『希望』と同意義の事象として存在していた。