【第1話】流転の財宝~第3節 惨劇の邂逅、悪魔飼うもの~
―――16時ごろ。ギャングの若者たちの目の前には、彼らにとって在ってはならない光景が広がっていた。
「な…なんだよ…これ…」
青ざめた顔でフィリップが呟く。
「いったい誰が…おい…もしかして別の組織に嗅ぎつけられたんじゃあねえのか…」
マークは動揺を隠せない。
彼らの驚愕も無理はない。そこには、博物館からの盗品を受け取りに来たはずの仲介人が、夥しい血を流して死んでいたのだから。
しかも、単に刃物で滅多刺しにされたのだとか、銃弾を何発も撃ち込まれたとか、そうしたことでは創られようもない筈の傷が、仲介人の遺体には残されていた。まるで――
――そう、まるで。胴体部の一部を刳り抜いて抉り取って切り抜いたような損傷。仲介人の遺体は、左胸の部分が縦およそ10センチ、横およそ15センチにわたり、ぽっかりと切り抜かれていたのだ。
「と、とにかく…ここはいったん戻れ!それから俺たちの部隊のボスに報告を…」
あり得ざる筈の光景に怯みながらも、責任からか。必死に平静を取り繕い、ディエゴが指示を出す。しかし…
「君らが聖十字架の運搬チームかな?いやはや、わざわざご苦労、ご苦労。若くて下っ端だと、任務も大変だろう?」
刹那、若者たちが振り返るとそこには。
―――男が居た。見かけない貌の…というどころの身なりではない、不惑を過ぎて幾らか経ったほどの奇妙な紳士が。其処に、若者たちの後ろに立っていた。
その頭には欧州の旧い軍装を思わせる茶色いケピ帽、グレーのスーツの上に右側だけしかない赤いマントを羽織り、首元にはピンクのスカーフ。ネクタイの色は一部が覗いているが、ライトイエローとビビッドな紫の、毒々しい奇妙なボーダー。マントの下の右腕の様子は下ろしたままでは窺い知れない。左手には黄金色の金属製の奇妙な篭手。まるで、SF映画やヒーローものの漫画に出てくる装備のような、珍妙な篭手。左は明るい黄土色なのに、右は紺色という、左右不揃いな色合い(カラーリング)の革靴。明らかに異様、明らかに異質。この荒れ果てた都市にあっても、街中を歩けば目立つに違いない服装ではあるが。しかしディエゴたちが記憶している限りにおいて、警察を撒いてから倉庫(此処)に向かうまで、こうも目立つ風貌の人物がもし尾行していたとしたならば、それを見過ごしているのは、或いは忘却しているのは、どう考えても不自然だ。無論、アジトから出かけて警察に追われるまでの間にも、こんな人物が近くにいた記憶はない…しかも、闇オークションに出品される予定の盗品は、外部には一切秘密である筈だ。だのに、その情報が全くの部外者に漏洩されているなんて、そんな筈は―――
「な、なんなんだ、アンタは?なんでオークションのことを知ってる…?これはアンタがやったのか…?アンタは一体、何をしに来たんだ…それに、博物館のブツのこと、アンタ今なんて…」
「ハッハァ~。おじさんはねぇ、君たちが博物館に盗みに入るのだって、君たちが貧乏だからそんな仕事に手を出すしかないのだって。オークションが開催されることだって―――なんなら、そのブツが何なのかだって、今日の君たちの仕事に関することはなんでもお見通しなんだよ?ささ、わかったら、そのブツを、おじさんによこしてくれないかなァ…」
尚早と動揺に震えるマークに、不審な紳士がわざとらしく、軽薄に返す。
「どこで―――一体どこで、いつ、どうやって情報を手に入れた!?ブツを渡せだと?何のために…!!」
「おじさんの目的を君たちが知る必要はない。いいからブツを渡せ」
――ぴしゃりと。フィリップの質問を遮るように、先刻とは一転し、冷徹に返す謎の紳士。
「ふざけんじゃねぇ!!言わせてみりゃさっきからブツを渡せの一点張りで、それしかこっちの質問を聞いてねぇのか!!なんでブツが要るのか、この状況は何なのか説明しやがれ!!話はそれから―――」
「おいよせ、何をするかわからん――」
混乱し、ただ盗品を渡せと要求されるばかりの状況に、マークが激昂する。危険を察知したディエゴだったが、既に遅く――
「はぁ…怒りっぽい上に聞き分けがない小僧は、嫌いだな」
「―――はぁ…?」
不審な紳士のマントが翻る。刹那、マークは理解する(やっと気付く)。そこにあるモノが何かを。男の右腕から、在り得ざるべき容をしたナニカが出ていることを。仲介人の男を殺したモノが何であるかを。自分たちは素直に黙って盗品を目の前の妙な男に渡すべきだったということを。そして。自分の人生が、唐突に幕を閉じる現実を。
ぐしゃり、と。肉を、それも人肉を、抉り千切る音がする。マークは、最初こそ信じられなかったが―――烈しく飛沫を上げつつ飛び散っている緋い液体が、自分の血液に他ならぬことを、永劫にも思える刹那の中でやがて悟った。見れば、奇怪な紳士はマントで隠されていた右手から、黒い革製の長手袋のようなものを、金色の篭手で覆った左手で外していた。そして、紳士の露見した右腕からは。鰐か蜥蜴に似た大型の爬虫類の上半身だけが、本来ならば手先があるべき部位より、にゅるりと。その禍なる容を顕わにしていた。
「ごは…」
内臓の破裂と激痛と失血と呼吸に関する部位の損失により、呼吸が文字通り刳り抜かれたような、喀血音が漏れる。
「マーク!!!」
ディエゴが叫ぶ。だが、もう遅い。マークは心臓ごと左胸を文字通り食い千切られ、殺戮の湖にすら思える巨大な血だまりを形成しながら、既に事切れていた。フィリップは心理的恐慌に陥って、事態を理解できていない。錯乱のあまりヘラヘラ笑いながら涙し、もはや、「ママ…ママ…」と、今となっては所在も判然としない母親を呼び、譫言を発するだけだ。そんな光景を尻目に、怪しい男は篭手で爬虫類の頭を抑え込んでいた。篭手で触れられた怪物はやがて縮小し…先刻取り外されていた長手袋の中に、男の右腕ごと格納されていった。
「―――ッ!!わかった!!渡せばいいんだろう、渡せば!!こんな木屑!大体、キリストの十字架だと?これがそんな御伽噺みてえなお宝だなんて誰が本気で信じると思うか?俺もボスから聞かされた時は冗談でも言ってんのかと思ってたぜ、世の中にゃ物好きも居たもんだな!!ええ?こんなもんで命が助かるのなら安いもんだろ、そら、さっさと行けよ!!」
咄嗟にディエゴが、盗品の木片を渡すと言い出し、フィリップの腕を掴むと、彼のバッグから木片を取り出し、今しがた仲間を殺した紳士の前に提示する。恐怖に溺れかけてはいるが、しかし。その瞳は、次に為すべき行動を、まだなんとか見据えている。
「はは、ようやくおじさんの要求を聞いてくれる気になったか。偉い偉い。それに今のでまだ落ち着いていられるなんて、大したもんだ。辛うじてでは、あろうがなァ」
「…受け取る前に答えてもらう。アンタは何でこんなことをするんだ…俺たちのグループに害意があってのことなのか?もう渡したんだ、いいから質問に答えろよ…!」
自分達のグループにとっての敵対勢力であれば、グループの上層部に伝えなければ――ディエゴは紳士の真意を問い、そして逃走の機を探る。
「必ず渡す…だから、質問に答えてくれ…」
「うーん…じゃあ、いいよ?おじさんはね、クライアントの頼みで、俗にいう聖遺物ってお宝を集めてくるように言われてんのさ。あとはただ、それをどんな手段でもいいから持ってきて、お金をもらってるだけ。黒服の関係者っぽい奴や君らのお友達を殺したのだって、他に理由なんかない…要は生活のためさ。不況からの政治的混乱で荒れ果てたこの国で、なんとか生きてくためにね。ライフワークさ、君たちとそうは変わんないよ?大体、例のオークションだって、私のクライアントと似たような変わり者しか集まらない予定だったんだぜ?」
余りにも在り来たりな回答。この紳士は、仕事でお金を得るためだけに、奇怪な腕を得て、殺しと胡散臭い物品の蒐集を行うという。
「でも、渡してくれる代わりに幾らかの秘密は教えてあげよう。まず、私は大袈裟でもなんでもなく、本物の悪魔憑きなんだ…共生関係といった方が正確だがね。君たちも悪魔なんて実際に目にしたのは初めてだろうが、あれは本当に悪魔の力なんだよ。驚いたかな?そして…十字架の欠片は本物で、受難の聖遺物なるお宝をコレクションすると、無茶苦茶になったこの国を牛耳れるってことも。特別に教えてあげよう―――しかし、悪魔だとか聖遺物だなんて、君はあっさり信じちゃっていいのかい?実物を見るのなんて初めてだったろう」
語りながら、紳士の目付きは、蛙を追い詰めた蛇のような気配を湛えていた。ディエゴの心音が加速する。
「…ああ、俄かには信じられないし、見るのだって初めてだね。悪魔が実在するなんて、普通は思わない…だが状況は変わった。目の前でまざまざと見せられたんじゃあ、信じるだの信じないだのという話じゃなくなった。事実としてアンタは悪魔とやらをペットにしていて…だから、こちらに残された選択肢は、大人しくアンタの要求を呑むしかない…」
警戒を維持したまま、ディエゴはいくつかのことを思索する。そして、ディエゴの心象内に、これまでにこの男が起こしたという行動についての推論が浮上する。この男、まさか――オークションを知っていたのも、博物館に何が置かれているのか知っていたのも、そしてディエゴらのグループがそれをあてに資金を得ようと画策したことを知っていたのも、ディエゴらが今日、盗みに入ると知っていたのも。全て、さっきの悪魔の仕業だというのか。そして――
「…だから、素直に渡す。渡せば見逃してくれるんだろう」
「ハッハ、賢明な判断だ。いざとなれば私は、君のこの先の行動計画について調べることだってできるわけだからね。そう、君は私には勝てないし、私から情報を盗むだけで逃げることだってできない。私と共生している悪魔がくれる、情報網さえあればね…」
「―――……」
言葉を聞いて、ディエゴは確信する。こいつは確かに今、「調べる」と言った。つまり、その意味するところは―――
ディエゴが、聖十字架の一部と紳士が語った木片を左手に、紳士に近づく。紳士の手が、木片に伸びる。
「さあ、いい子だ…大丈夫、何もしないよ…」
紳士がニタニタと笑い、嘲笑するように言いながら木片を掴みかけた―――その一瞬だった。
「――やっぱりな!」
確信を決意へと変換する言葉。発して、ディエゴが突然、バッグからデリンジャーを取り出し、放つ―――!!生涯最速の早撃ち、窮鼠猫を噛む!窮地と決意の為せる業なればこそ、一瞬にして制約を解き、発射し、射貫く!!間髪入れず、恐慌に囚われたフィリップの腕を引き、迸る。全力疾走する、希望に縋る為の数十メートル。停車している車を見つけ、運転手を拳銃で脅し、強引に乗り込む。決死のヒッチハイク!全ては、任務もなんとか駄目にせずに、尚且つ生き延びる道を、可能な限り諦めぬ為…!!
―――奴は、その場ですぐ直接的に、心を読むことまではできない。対象の考えや動向を、一度悪魔に頼んで調べてもらう工程を介する必要がある!恭順の態度を半ば本気で見せつつ、任務を諦める道とそうでない道とを天秤にかけながらもギリギリまで、ここぞのタイミングまで選択せずに、しかし生き延びることを優先した結果、生まれた隙。目標達成を前にした薄汚いにやけ面、それが慢心の何よりの証!獲物を目前にした舌なめずり。油断。無論、奴の先読みについての推察が間違っていれば、こうはならなかっただろう。だが、確かに隙は生じた。最初の賭けには勝った!そして奴は悪魔と共生していると自慢気に語っていた。だとすれば、奴を撒ける場所があるとしたら。奴の右手を見せられるまでは考えもしなかっただろうが、今は見せつけられた事実として、悪魔のような超常現象の存在を認めざるを得ない。なら、奴を撒けるのは、もしかすると―――
そして、奴と、奴の言うクライアントは、オークションで俺達が売り捌く筈だった盗品の種類を把握していた…。それが本当に本物のお宝かどうかは、今はともかくとして――それが嘘でないならば、奴の言っていたクライアントは恐らく、今回のオークションの参加予定者。となるとオークションに出品を予定していた俺のグループの上層部には、このことを、もし信じてもらえなくても、なんとか伝えなければならないだろう。
確信した考えを整理する。そして、次にとるべき行動を考える。
「おいそこのてめぇ、乗せろ!!」
「ひっ…頼むから命だけは…!」
車を偶然停車させていたふとった眼鏡の白人男性に銃を突きつけ、乗せるように要求すると、車の持ち主が怯えながら懇願する。
「こっちだって今、命かかってんだ。いいか、生きたきゃ今から俺の言う場所へ車を走らせろ…!!」
あの怪紳士は、悪魔に憑かれながらも共生していると言っていた。ならば向かうべき先は…