【第1話】流転の財宝~第1節 困窮者たちの逃走劇~
「来たぞ、サツだ!」
盗難車を運転しながら、若者3人組のリーダー格らしきラテンアメリカ系の茶髪の青年―――ディエゴが叫ぶ。
「報酬を得るのも、楽じゃあないってかねぇ!」
若者のグループの一人、アフリカ系のずんぐりとしたスキンヘッドの青年――マークが、運転しながら愚痴を溢す。
「大体、こんな襤褸の木屑が、本当に売れんのかよ…博物館サイドだって、まさか騙されてるんじゃあないよなぁ?まあ、上の命令だから仕方ないけどさ」
クレオール系のコーンローの青年――フィリップが皮肉を漏らす。
―――荒れた街の治安を回復せんとする警察のパトカー。それに追われる、3人の若者を乗せた盗難車。カーチェイス。逃げる。追う。ここ最近のニューヨークでは、度々似たような光景が繰り返される。青年たちは、この日、自分たちが身を寄せる組織に依頼された物品を、博物館から盗み出し。闇オークションに転売するため、指定された倉庫に運び出す任務を遂行していた。前政権派と民主派の市民同士が激しく衝突し、銃に加えて爆発物の使用や放火にまで発展し、多数の死傷者を出したニューヨーク大暴動以来。若者たちは、治安が崩壊し貧困度が加速度的に増した街で生き残るべく、こうした諸々の犯罪に手を染めていた――否、手を染めざるを得なかった。
大規模な政治的衝突と、その後も頻発する暴動を経て、ニューヨークもまた、貧困と犯罪が渦巻く街へと変貌してしまった。元より貧しきものはより貧しくなりがちな国ではあったが、治安の悪化により所得が全体的に落ち込み、それは貧しき者達をさらに圧迫した。秩序が崩壊した街においては窃盗が横行し、ギャングの間では残った僅かな富裕層をバックとした闇オークションや違法ギャンブルといった取引に従事する者が続出していた。
ディエゴらの本拠地はスラムではあったが、所属組織からの依頼の達成のため、スラムの外へ繰り出すことも珍しくはなかった。この日はちょうどそんな日であり。闇オークションで競売にかけられる品を主催者側に届けるため、ディエゴのチーム3人が、嘗てのスミソニアン博物館から「ブツ」と呼ばれたそれを盗み出し、目星をつけていた盗難車を使って指定の倉庫まで運送するという「任務」に当たっていた。盗品を持ち去るフェーズまでは、「任務」は首尾よく進んでいたものの…一行が「ブツ」をバッグに詰めて持ち出す場面を博物館の入り口付近で偶然目にした第三者が訝しみ、通報していたようだった。
チェイス。轍。複数の車の音。鳴り響くは警察車輌のサイレン。追う警察、逃げるは貧しき若人たち。映画のワンシーンを彷彿させるようなカーチェイス。そんな状態がしばらく続く中――
「見えたぞ、あそこだ!」
フィリップが、進行方向1時の方向の細い曲道を指して、仲間たちにサジェストを送信する。ディエゴは即座に、その意味を理解する――そして。
「はっ、一昨日来やがれってんだ!!」
運転手役のマークが最大速度で右折しつつ急ブレーキを踏み、驚嘆すべきハンドル捌きで曲がり角の小道を車体で塞ぐ。
「こっちだ、早くしろ!」
ディエゴの指示と共に、若者たちは狭い曲道の奥へと晦ませる。
「逃がすな!」
パトカーに乗った警官たちも、乗り捨てられ今や蛻の殻となった盗難車の方へ向かう。だが―――
「すみません、見失いました!」
「そう遠くには行ってないはずだ…破落戸ども、どこに行きやがった?」
「可能な限り近くの建物を探せ!探せる場所は徹底的にな!」
「了解です!」
警官たちの会話が、その場を交錯する。曲がり角の小道を塞ぐように停められて、乗り捨てられた車が一台。
警官たちが辺り一面を探す。しかし、それから30分探し続けても、窃盗犯どもの姿は見当たらない。
「一度戻って手配を出してもらうか。必ず犯人を捕まえ、博物館のものは取り戻す!いいな!」
「了解!」
仕方なく署へと戻っていく警官たち――
「―――上手く撒けたな」
警官たちの足音が遠くなり、ディエゴが、確認を取るように言う。ディエゴたちが潜んだのは、廃屋となった目立たない音楽スタジオの床下に予め仕組まれていた空間だった。この場所は廃墟となった後、窃盗の実行グループが警察の目を逃れるために、彼らの属する犯罪グループが手配した隠れ家になっていたものらしい。警官たちが立ち去ってから15分後、窃盗団の一行は音楽スタジオ跡の廃屋を出て、再び、今度は徒歩で、指定の場所へと向かう。盗品はフィリップのバッグの中だ。逃走した上に隠れ家に滞留したために遠回りにはなったが、指定された倉庫はそう遠くはない。再び、運搬任務へと戻る3人の若者たち。
「一時はどうなるかと思ったが、案外ちょろいもんだったな」
フィリップが、まるで既に任務を完遂したかのように、軽口を叩く。
「…このままそうなればいいがな」
マークが一抹の不安を覗かせる。何しろ今回の取引先が開催するという闇オークションには、博物館で盗んだ品をはじめ、怪しげで、よくわからない品が集まり。そういうものを蒐集する奇怪な趣味の輩が集うというのだから。倉庫に約束の盗品を届けても、そもそも彼ら3人が属する組織へ、きちんと振り込みが行われるのかも怪しく思うことは無理もない。
「そうだな…報酬を受け取るまでが任務だ。最後まで油断はできねえ」
ディエゴは気を引き締めるためか、マークの感じた一抹の不安に理解を示す。主催者側の代理人が妙な真似をしないか。きちんと振り込みをすると約束するのか。確かめておく必要はあるだろう。
「ともあれ、約束の時間まであと30分だ。例の倉庫に行くぞ」
ディエゴの指示により、運搬作業が再開する。旧音楽スタジオから所定の倉庫までは、まずここまで来るのに通った件の曲がり角まで戻り、そこから旧スタジオ側とは反対の道へ進み、右へ曲がって直進100メートルである。今出れば問題なく間に合うだろう…そう考え、ディエゴは警察を撒いてすぐに出ることを決断したのだ。準備を終え、再び目的地へと歩き出す窃盗者の若者たち。この後に倉庫で起きる出来事を、彼らはまだ識る由も無く―――