フォンタジーな世界をさまよう女性
「上様 先ほど 中奥にお戻りのおりこの和島に申されたのじゃが、あのチサを今宵 お閨にとお召しじゃ」
「ええっ」それこそ梅山は天地がひっくり返らんばかりに驚いて「チサを それは それはまことで」と思わず聞き返さずにはいられない。和島が頷くと「あのチサは 先ほど申しました通り大奥に来てまだふた月も立たぬ新参者 それにご覧通りの半端者で行儀作法も覚束なく、言動も他の娘達とは異なりこの梅山も手を焼いております。とてもお側女には」 差出されるような女ではないと言う梅山に、和島もさもありなんと言うように深く頷き「さて どうしたものであろう」と思案に迷う。こういう時 春日局がいて下されればと思う。
局の言うことなら上様もお聞き入れになるかも知れない。梅山の言葉を聞いてますますチサという女が側女にふさわしくないと信じる和島は残念でならなかった。家光自身が第二の母とも慕う乳母 局の言う事ならともかく、いっかいの年寄り和島の言う事を聞いてくれるかどうか、、、将軍が御寝所に入られる時刻は大体夜 10時頃と決まっていたから少なくとも、その1時間前までに長局を出なければならない。時間のないのが惜しかった。これが明日というなら今夜 局の屋敷に行って伺いをたてる事もできるし、他の同役を集めて相談の結果 取りやめさせる等 何かと手の打ちようもあるかも知れない。急病とか、、、だが今夜では
そんな事をしている暇はなかった。これから梅山にチサに承知させ(一筋縄では行かないかも知れない)髪形を変えて風呂に入れて、心得事を言い聞かせてと、その他 いろいろとする事はたくさんあった。早くしなければ上様がお渡りになるまでに間に合わないかも知れないのだ。和島は決心せざるを得なかった。自分の独断でチサをお閨に上げぬ訳には行かない。そこで梅山に自分も後で言って聞かせるが、くれぐれも失礼のないようにと言い聞かせよと注意して、早く用意させるしか他になかった。重大な責任を負わされた梅山はヨロヨロと宙を踏むような足取りで帰って行く。梅山は本当に肝もつぶれんばかりに驚きもし、その上に心配だった。これが他の娘だったら自身もどんなに嬉しく誇らしい事だろう。だが 他の部屋子といつも言い争いをしているようなチサである。見ていないと足で襖を開けかけないチサである。もし 上様の前で何か失礼な素振りを仕出かしたら、世話親たる我が身もただでは済まされまい。そう思い出すとキリがなかった。心配がつのりつのって部屋にたどり着いた時は顔面蒼白 足元はよろめいてフラフラだった。そんな主の様子に
侍女達は慌てて、廊下に走り出て来た。「旦那様 どうなさいました」 「お気分が悪そう」 「早くお床を」等と口々に騒ぎ立てる。今はそれを止める気力もなく、春江達の手に抱えられて部屋に入る。時成らぬ騒ぎに同じ縁続きの他の部屋からも、何事かと侍女達が顔を覗かせた。 明日へ続く。




