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97:過去と現在(いま)と未来 (10)

「何故殺さない?」

 

 刃は床を穿(うが)っただけで、茜ごと貫きはしなかった。

 天井を見上げたまま淡々と言う茜の声音はそれでもわずかに驚きを含んでいる。

 

「出来るわけ…ない…」

 

 茜からわずかにそれて突き立った刀にすがるようにうつむいた蒼は、そのままずるずると床にへたり込んだ。

 

「俺達が殺し合って何の意味がある?」

 

 茜に問いたいのか自分に問うているのか。

 刃は逆に蒼を傷つけたのではないかと思うほどに辛そうに言葉を吐く。

 

「お前には私を殺す理由があるはずだ」

 

 茜の言葉通り一度は憎しみを抱いて刃を向けたこともあった。

 

「…確かに多くのものを失った。だが、それはお前を殺したところで戻っては来ない」

 

 蒼はうつむいたまま、表情は伺い知れない。

 

「最初からお前が俺の命だけを望んだなら、この命など喜んでくれてやったのに…。お前は…お前は誰よりも里の皆ことを思っていたじゃないか。だから俺はお前が長になるのは当然だと思っていたのに」

 

 長い長い時を経て、蒼が見いだした答え。

 茜の命と引き換えに終わらせるべきなのか、彼はきっと戦いながらも迷っていた。

 だからその心の底にずっと抱えていた思いを吐き出さずにはいられなかったのだろう。

 

「殺れ!たとえ人間を支配できずとも、私はいつか空の一族に復讐を成し遂げるぞ!」

 

 一族の名を出されて蒼に迷いが生じる。

 ぴくりと小さな肩がふるえて、指に力が込められる。

 一族を護るためにそうせざるをえないとしたら、蒼は今度こそ茜に刃を突き立ててしまうのではないだろうか。

 

「本当に復讐など望んでいるのか?」

 

 蒼を止めたのは茜に向かって投げられたその言葉だった。

 言葉を放ったのは叶斗だ。

 彼は柱を背になんとか立っていた。

 そっくりだけど色の違う茜と蒼の瞳。

 そのどちらにも今は彼が映っている。

 先ほどの何かに焦っているかのような茜の言葉はきっと己を殺させるための挑発だった。

 私がそう感じたくらいだから、蒼だって叶斗だってきっとそれをわかっている。

 叶斗はあえて聞いているのだと思う。

 蒼が茜を手に掛けなくてもいいように。

 もし茜が本当に天狗達に復讐するつもりならとっくに行動に移していたと思う。

 過去を見てきた故に私にはそう思えてならない。

 かつて誰よりも里の未来と一族のことを考えていたのは茜だというのは正しいだろうから。

 そんな茜が本当に里に復讐を望むだろうか。

 たとえ身に巣くう龍がそれを望んでいたとしても彼女はその思いに完全に飲まれてはいないように思えた。

 けれど心の未熟さがあった事もまた事実だ。

 だから茜は禁忌を犯した。

 たとえそれが己の欲のためではなくても、良い結果を生むはずもないことに気付けなかった。

 茜は自分と自分じゃないものの狭間で苦しんでいるんじゃないだろうか。

 蒼がそうであったように、自らの気持ちとは裏腹にあふれ出してくる黒いものに茜もまた(さいな)まれ苦しんでいるのだとしたら。

 それでも、生きていてほしいと思うのは私の身勝手なのだろうか。

 

「もう、元にはもどれないんでしょうか?」

 

 たとえそうでも、私はその言葉を口にする。

 自然とこぼれ出した涙を止められない。

 

「何故、泣く?」

 

 茜は不思議そうだった。

 自分のことでもないのに涙を流すなどありえないと。

 あるいはほんの十数年しか生きていないような人間が何をわかった風に泣いているのかと、思っているのかもしれない。

 確かにわかっている訳じゃない。

 茜の抱える葛藤の全てをわかるはずないけど。

 わかり合えたらいいのにと思うから、涙が出るんだと思う。

 

「もう、傷つけ合うのは嫌なんです」

 

 茜はゆっくりとまばたきをして、そうかと思えば突然、素早く身を起こす。

 同時に茜は自分のそばに突き刺さっている日本刀を抜いている。

 追いすがろうとした蒼の腕が切り裂かれて鮮血を散らす。

 目にもとまらない速さで駆けて、彼女はこちらに向き直った。

 部屋の端で茜は蒼の刀を構える。

 一歩下がれば空中だ。

 緊張が糸を張り巡らしたように張り詰めて、誰も動くことが出来なかった。

 

「封じられている間私は見ていたんだ。お前の見ている情景を。生きてきた時を。かつての私とお前は考え方は違っても、望んでいることは同じだったはずなのに。何故私は忘れていたのだろうな」

 

 今の茜はどこか儚げで寂しそうに見える。

 それはやっと垣間見せた彼女の心の奥底にしまわれていた言葉に違いなかった。

 

「それをわかっているなら、やり直す事もできるんじゃないのか?」

 

 叶斗だってこの長い悲しみを悲しみのままで終わらせたくないと思っているんだ。

 

「全てをやり直すには、私の罪は重すぎる」

 

「そんなこと…!確かに間違ってしまったかもしれないけど!でも茜さんはみんなを助けたかっんですよね!?」

 

 考えるより先に私は叫んでいた。

 

「罪を犯したなら罰を受けなければいけないかもしれません。でも過ちは償えますよ!悲しみは、きっと癒すことができます!たとえ少しずつでも」

 

 感情がごちゃまぜで、ちゃんと伝わっているかはわからない。

 私はとにかく茜に絶望してほしくなかったんだと思う。

 どうか、希望を。


 

「…そうか…蒼が人間贔屓な理由がわかった。人間はいつも前ばかり見ているのだな」

 

 唇は笑みを形どる。

 あまりに悲しい笑みだった。

 茜は命で償うつもりなんだ。

 そう確信する。

 頭の中で心臓の音が嫌に大きく鳴り響いている。

 

「やめろ!!」

 

 だから叶斗の声がとても遠く感じられた。

 喉に当てた刃が横に引かれて、赤い飛沫(しぶき)が飛び散る。

 体が傾ぐ。

 カランと刀が床に落ちて音を立て、茜の足はそこから離れた。

 風にさらわれるように、塔のようなその部屋から宙へと、そして地上へと彼女の体は落ちていく。

 それはスローモーションみたいな一瞬。

 彼女には絶望しか残らなかったわけじゃないけど、私が望んだ結果とも違う。

 風をはらんだ袂の椿と、同じ色をした鮮やかな血の残像だけが残った。

 何をどうしたらいいのかわからずに呆然とする私を後目に、蒼は既に茜が落ちたその場所から宙へと蹴り出している。

 地上に向かって真っ逆様に。

 まさか茜を追って蒼までもが地上へと身を踊らせるなんて。

 一瞬、何が起こったのかわからなかった。

 その反面、きっと蒼は憎しみを込めて刀を向けたときですら茜だけを死なせる気はなかったのだと、どこか冷静に考える自分がいる。

 共に生まれて、共に呪いを背負ったのだから、死ぬなら共に、生きるも共に、と。

 蒼は簡単に死を選ぶはずはないと信じたい。

 柊子達に必ず戻ると約束したのだから。

 茜を助けて、二人とも無事に戻ってほしい。

 戻ると信じたい。

 信じたいのに、冷静な思考が警鐘を鳴らす。

 この高さに加え下は溶岩が池と化していて、落ちれば助かろうはずもないと。

 それでも眼下に蒼の姿を探そうとしたその途端に足元はまた安定感を失い始めた。


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