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88:過去と現在(いま)と未来 (1)

 吹き抜けのロビーには妖怪達が集まっていた。

 みんな一様に心配そうな瞳でこちらを見ている。

 なにしろこれからの戦いは妖怪と人間の未来をかけた、そして生死をかけたものになるに違いないからだ。

 改めてそう実感して、恐れを感じないと言えば嘘になる。

 でも進むしかない。

 私は恐れを心の奥底にしまい込んだ。

 

「行くのね?」

 

 柊子が私、叶斗、蒼と順に眼差しを送る。

 不安を悟らせまいとしていても、その吸い込まれそうな(あお)い瞳はわずかにその心の内を映していた。

 けれどそれ以上に決意にも似た強い光がある。

 戦いになればここは今以上に怪我人であふれかえるだろう。

 どれだけの命を救うことが出来るか。

 ここにも戦いがあるのだ。

 

「どうか、無事で」

 

 そう言った柊子の隣で美由と美弥が心配そうに大きな瞳を潤ませる。

 泣くまいと必死でこらえているようだった。

 少年の姿の蒼は優しい笑みを返す。

 彼はいつものように可愛らしい出で立ちで、見た目にはすっかり回復したように見えるけれど、無理をしていないだろうか。

 叶斗はといえばこういうしんみりしたのが苦手らしく、居心地悪そうに視線をさまよわせていたが、その腕には包帯がやはり痛々しい。

 幸いにも私には怪我らしい怪我はない。

 だから彼らに頼らなくてもいいように、私がしっかりしなければ。

 妖怪と人間が共存する世の中を護るために。

 私は集まった妖怪達を見渡した。

 そのどこかにイズミの姿があるのではと思い探すが見当たらない。

 

「誰か友達を見ませんでしたか?」

 

 妖怪達はイズミに覚えがあるという様子で、しかしその所在は知らないのか顔を見合わ首を傾げる。

 

「それが、さっきまで一緒だったのだけど妖を追い掛けてどこかへいってしまったの」

 

 柊子も困ったようにため息をついた。

 遅かれ速かれそうなる予感はあったような気がする。

 妖怪はイズミが追い求めてやまなかったものなのだから。

 

「そ、そうですか…」

 

 イズミにはちゃんとしたことは何も伝えられていない。

 私は少なからず彼女に助けられたのに。

 申し訳ない気持ちになる。

 二度と会えないかもなんて決して思いたくはないけれど、顔を見ずに出発するのはなんだか寂しいと思った。

 

「ミズホ!」

 

 私の気持ちが通じたのかイズミの声がホールに響いた。

 妖怪達をかき分けるようにしてイズミは現れる。

 

「イズミちゃん!その犬どうしたの?」

 

 イズミが抱き抱えているのは一見したところ薄い茶色、いや、金色の綺麗な毛並みのフサフサしたしっぽに丸い瞳の可愛い犬だ。

 首には輝く天然石の散りばめられた首輪をしている。

 

「この子がコウヅキさんのトコロに行きたいと言うノデすが…」

 

 大人と子供の蒼が同一人物だとはさすがにまだ確信のないイズミだから困ったように言う。

 

「でもヨク聞くとアオイくんの所でイイと言うので連れてキタのでス」

 

「イズミちゃんその子の言いたいことが解るの?」

 

「わかりマス。コノ犬、日本語で喋りマスから」

 

 イズミはなんだかもう当たり前のように言った。

 そうだ、ここは普通の病院じゃないのだから言葉を話す犬がいてもおかしくないんだ。

 

「犬ではない!」

 

 私が心の中で納得しかけたその時、犬は叫んでイズミの腕からひらりと飛び降りた。

 

(わらわ)こそは神に名を連ねる大妖、沙羅であるぞ」

 

 降り立つと同時にその姿は小柄な女性に変わる。

 輝く金の髪は地に着くほどに長い。

 豪奢な着物が口調と見事にマッチして、髪の色を除けばまるで歴史書から出てきたお姫様みたいだ。

 仁王立ちで腰に手を当てた格好はお姫様というにはしとやかさが足りなかったけど。

 

「オ〜!サラは犬神なのデスカ?」

 

 目を輝かせるイズミ。

 

「沙羅様は犬ではありませぇん」

 

「沙羅様は狐ですぅ」

 

「この病院で一番偉い方なのですぅ」

 

「慈悲と治癒をつかさどる神様ですからぁ」

 

 犬足す神は犬神であると安直な答えにたどり着いたイズミに交互に抗議の声を上げたのは美由と美弥だ。

 さっきまでの沈んだ表情とは一転してぷぅっと頬を膨らませている。

 イズミが現れて急に重かった場の空気が軽さを含んだような気がした。

 それはイズミが持つ天性の力だと思う。

 彼女はいつでも彼女のままで、それが私を勇気づけてくれる。

 ほんの少し緊張がほぐれて、急に心配になったことがある。

 ここは…この病院は危険にはならないだろうか。

 ここにいる妖怪達に危険が及ばないだろうか。

 

「心配せずとも良い。ここには簡単に手を出せはすまいよ」

 

 私の不安を見抜いて、沙羅のまだ少女っぽさの残る顔立ちに不敵な笑みが浮かぶ。

 

「怪我を負った者は任せておくが良い」

 

「お願いします!」

 

 私はそんな沙羅に頭を下げて、いよいよみんなに背を向けた。

 蒼が、叶斗が、歩き始める。

 

「紅月よ。解っておろうな?皆を……柊子を悲しませるでないぞ」

 

 沙羅の神妙な声音に、小さな後ろ姿が立ち止まる。

 

「式神の務め、止めはせぬ。だが、主だけでなく(おの)が命も守り通してみせよ」

 

 僅かな間をおいて濃紺の翼が広がった。

 みんなが見とれる中そこから一枚の羽根が舞い、それを追って視線を巡らせれば柊子の元にひらりと落ちる。

 

「空の一族は約束を違えない。その証だ。……必ず、戻る」

 

 低く紡がれた声。

 青年の姿は一瞬で、少年に戻った蒼は振り返らずに歩き出す。

 叶斗が当たり前だと小さく呟いた。

 ただ羽根をきつく握り締めた柊子の隣で沙羅は満足げにふんと鼻をならす。

 

「ミズホ!戻ったら今度コソ絶対ゼンブ教えてくだサイね!ここで待ってマスカラね!!」

 

 叶斗と蒼を小走りに追う私の背をイズミの声が押した。

 

「ここも忙しくなるぞ!動ける者は手伝えよ。人間の娘、おぬしもじゃ」

 

「ハイ!サラ様っ!」

 

 遠ざかるやり取り。

 イズミは自分にもできることがあるのが嬉しいようで、沙羅に張り切った返事を返していた。

 私は私のやるべきことをやろう。

 そして戻ったら今までのことちゃんとイズミに話そう。

 無事に帰って来れたら。

 いや、必ずみんなで帰って来るんだ。

 

 

 

 

 

 

 山際が白んでいる。

 もうすぐ夜が明けるだろう。

 振り返るが扉は閉ざされてみんなの姿は見えない。

 外に出ればやはり廃墟のような病院だ。

 物悲しさと不気味さに今更ながらに気圧される。

 あるいは何者にも侵されることのない場所の持つ空気がそうさせるのだろうか。

 ここは安全だというのも何となく納得だ。

 けれど私にはここ以外にもう一つ気掛かりな場所があった。

 

「この病院は大丈夫だって沙羅さんが言っていたけど、朔良さんや桐組のみんなは大丈夫でしょうか?もしあそこが襲われたら…」

 

「結界は強化済みだ。あとは…そうだな、あいつがいる」

 

 叶斗が顎をしゃくる。

 病院の地下から勢い良く現れたバイクにまたがった人物は黒いヘルメットで顔が隠れている。

 バイクは私たちを追い越して、ブレーキ音を響かせ数メートル先で横向きに停まった。

 ヘルメットを取って、その人――リュウが言う。

 

「てめえに借りがあるのはシャクだ。返すぜ」

 

 不機嫌さは全開だった。

 借りとは何のことだろう?

 思い当たるまで数秒かかった。

 病室で、もし私が蒼を止めなければ刃はリュウを切りつけていただろう。

 私は蒼が誰かを傷つけるのをそれ以上見たくなくて必死だったけれど、結果的にはリュウと龍介を救ったことになる。

 とはいえ律儀に借りを返すと言うリュウは少し意外だった。

 

「あ、ありがとうございます」

 

「礼は後で龍介に言え。俺は夜が明けるまでだ」

 

 リュウはひらりと手を振り、バイクのエンジンをふかす。

 そのまま土埃だけを残してあっという間に走り去った。

 そのエンジン音と入れ替わるように聞こえてきた音がある。

 ヘリコプターのプロペラの音のように聞こえる。

 見上げれば群青色の空から黒い色のヘリコプターがこちらへと下りてきた。

 風をまき散らしながら着陸する。

 操縦席に人がいない。

 黒い救急車と同じで、これも普通のヘリコプターではないのだ。

 扉が開き赤いボブヘアーが風をはらんで激しく揺れる。

 

「ほな、行こか!」

 

「伊緒里さん!!」

 

 てっきり酷い火傷を負って病室にいるのだと思っていた伊緒里が地に降り立って言った。

 頬と額には大きな絆創膏。

 きっと服で隠れている場所にも火傷はあるだろう。

 

「火傷!本当に大丈夫なんですか!?」

 

 プロペラの音に負けないように声を張り上げる。

 

「ウチらだけが寝てる訳にいかへんからな」

 

 こんなん大袈裟なんやーと彼女は絆創膏に苦笑を浮かべるのだ。

 彼女がウチらと言ったのはもちろん主人である暁史のことで、ヘリコプターを覗き込めばそのダンディーで渋みのある顔にも絆創膏と額の包帯が目立っていた。

 伊緒里よりも酷い怪我みたいだ。

 

「我々が夜稀を取り逃がさなければ事態はこれほど悪くなかったかもしれん。すまない」

 

 苦々しい言葉は、これしきの怪我で引き下がれないと、先ほどの伊緒里の言葉と同様にそう言いたげだった。

  

「いえ…」

 

 叶斗は短く答えを返す。

 先の戦いを悔いているという意味では叶斗や蒼、そして私もまた同じだった。

 ヘリコプターは空へと舞い上がる。

 今度こそ後悔はしたくない。

 もう間もなく明けようという空は絶望と少しの希望が混ざり合ったような色をしていた。

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