65:北の異界と白い天狗 (3)
叶斗の放った真言により光と衝撃波がお札を中心に波紋のように広がる。
対峙する夜稀が右手を広げると火の玉のような炎の塊が出来上がった。
夜稀はそこにふぅっと息を吹きかける仕草をする。
途端に炎は大きくなり、こちらへ向かって迫ってくる。
迎え撃つのは叶斗の霊気の光。
投げつけたお札は一直線に炎へと向かっていく。
叶斗の術が勝つか夜稀の炎が勝つか。
このままではどちらも無傷とはいかないように思えた。
二つの力がぶつかると思われた瞬間、叶斗と夜稀の間の地面に水の渦が巻き起こる。
叶斗の放った力も夜稀の炎も飲み込まれてそれごと渦は消えた。
「蒼!?」
水流は蒼がバッグから取り出して地面に投げつけた青い宝石のような小さな玉から巻き起こったものだった。
「邪魔をするな!僕は父さんを殺したあいつを――」
「憎しみで戦っちゃダメだよ」
蒼の静かに諭すような言葉に叶斗は唇を噛みしめる。
対峙する夜稀は構えるでもなくやはりただ静かに元の位置に立っていた。
「夜稀、なんでや?なんで倖史ら榊河のもんを大勢殺したんや!?ましてや自分の主人まで手に掛けるやなんて」
伊緒里は怒りに拳を震わせる。
「ふっ…主人?あれが?人間なんて一瞬でも信じた俺が馬鹿だった」
夜稀の口元に浮かぶのは自分自身に向けられた嘲りの笑み。
「奴は…克巳は新しい術を思い付いたといっては俺に試した。式神とは名ばかりの実験台だ」
「そんなことまで…」
蒼は哀れむでもなくただ呟くように言った。
「蒼さん、あなただってあいつらにはひどい目にあわされたはずだ。人形のように扱われボロボロにされて!なのに何故まだ人間を信じられるんだ?こんなにも無力で利己的な生物を!!」
再び生み出された炎の塊は叶斗を目掛けて尾を引いて走る。
それをかき消したのは今度は宝石から吹き出した水ではなかった。
「蒼さん、あなたとは一度やりあってみたいと思っていた」
蒼は瞬きの間に青年の姿に変わっていて、すでに刀を抜きはなっている。
炎を一なぎすれば刃に触れた瞬間に赤い色は水蒸気の白に変わって空気に溶けた。
「人は利己的だというが全てがそうではない事は本当はお前にもわかっているのだろう?」
切っ先を下ろして、蒼は静かに問う。
「違う。あの暗い地下牢から俺を救い出したのも式神として利用するためだったんだ。……いっそあのまま腐り果てていればよかった」
夜稀の鳶色の瞳に燃えるような悲しみの色を見た。
多分誰にも消すことが出来ない炎だ。
水と炎、静と動が再びぶつかり合う。
巻き起こった風に木の枝が激しく揺さぶられた。
シャラン
それに応えたかのように澄んだ音が木々の間を渡る。
シャラン
いくつも重なり合って響き会うその音を私は耳にしたことがあるような気がした。
辺りを包むのは低く歌うような声。
お経?
ざっと十人ほどの人間が錫杖で地を打ち鳴らして現れた。
纏っているのは僧衣だろうか。
声は共鳴して空気を震わせる。
伊緒里がぐらりと態勢を崩した。
「あかん、あの経…」
蒼が、夜稀が、次々に膝を着く。
「白銀は修験の者達まで手中に収めているようだな」
伊緒里を支え暁史は視線を巡らせた。
この山を修行の場とする修験者達もまた白銀の術中にあった。
そのお経は妖怪だけでなく人間にも作用するようで、だんだんと頭の中に響いてきて思考を鈍らせる。
「臨、兵、闘、者、皆、陣、烈、在、前!!」
それに抗って叶斗は九字を切り意識を集中させた。
「オンキリキリウンケンソワカ」
叶斗の詠唱に重なったのは低くて渋いよく通る暁史の声だ。
修験者達の地を揺らす声をかき消すように二人の声は明瞭に木々の間を渡った。
その攻防に激しさはなかったが、叶斗と暁史が唱え終わったとき、肌がちりちりと炙られるほどの力が生まれたのを感じた。
修験者達は糸が切れた人形のごとく一斉に意識を失い倒れ込む。
そして静寂がその場を支配した。
それを破ったのは風を切る音。
突如として飛来したのは白い木製の矢だ。
射抜かれて落ちる木の葉と枝。
幾つかが大木の幹に深々と突き刺さる。
護身結界を巡らすのが遅れていたらと思うとぞっとした。
「榊河の者共…久しいな」
ふわり、と声とともに空から降ってきたのは真っ白な羽根。
舞い降りたのは白い鳥。
白い――鳩……ではなかった。
その大きさや鋭さは鴉だ。
真っ白な鴉は地に降り立つ寸前に人の姿へと変貌した。
天使のような白い翼を持つ男性へと。




