63:北の異界と白い天狗 (1)
「えらい大変やったんやなぁ。けど蒼ちゃんも元に戻ったし良かった良かった」
まぁウチはもうちょっとあのままいてくれても良かったんやけどとかなんとかぶつぶつ言いながら伊緒里はテーブルに5人分のティーカップをセットした。
丸くて大ぶりなティーポットから注がれる紅茶の良い香りが広がる。
「茶などを飲んで落ち着いている場合じゃありません、叔父上!」
叶斗が向かいに座りカップを口に運ぶダンディーな叔父に詰め寄った。
私達はさっき百湖高校から戻ったばかりで、着替える間も惜しんで榊河暁史へ報告を終えた所だ。
場所はcafe Sakuraの個室。
リュウは学校から戻る途中でさっさと夜の闇に消えてしまったのでここにはいない。
「残るは幻舞山…」
無事少年の姿に戻った蒼が神妙な面持ちで低く呟いた。
「ああ、本当の目的はそちらかもしれん」
緊張感が漂い始めた室内に暁史がテーブルに戻したカップと皿の触れ合う小さな音だけが響く。
幻舞山といえば昔々神様が住んでいて、その神様がお怒りになった時に一人の巫女が舞を舞って怒りを鎮めたという伝説は私でも知っているくらい有名だ。
「幻舞山にはいったい何が封じられているんですか?」
「えーと…なんやっけ?」
「マヨイガだ」
暁史が助け船を出し、伊緒里は自らの主人である彼の隣に腰を下ろした。
「ああ、そうやったっけ。水穂はマヨイガって知ってるか?」
「いいえ…」
「人の住む世界とは違う世界。あの世とこの世の狭間か、はたまた異次元が、幽玄の空間なんか。よくはわからんけど、そういう異世界の扉が色んな場所にあるんや。たまにそこに人が迷い込む事がある。で、見つけるんがマヨイガや」
つまりそこは何かの弾みで迷い込みでもしないかぎり普通なら人間の立ち入ることのできない世界なのだという。
「それがどうして封印なんて?」
「そういう場所は自然が減るとともに減少している。たいがいは大妖の住処となっていて、特に神と呼ばれるほどの妖はそういう場所から出てこないな。貴重な場所だから妖達は時にそれをめぐって争いもする。幻舞山はあまりに争いが続いたために封じられたんだ」
補足した叶斗の言葉に何か思いついたらしい伊緒里がハイっと手を挙げた。
「夜稀とその白い奴がマヨイガが欲しいんやったら気前ようやれば、そこから出て来んようになってちょうどええんとちゃうん?」
などとちょっとズレたことを言い出す。
「白銀には更に別の目的があってそこを手に入れたいんだと思うよ」
蒼は話を本筋に戻した。
「あいつは全てを支配したいんだ。妖怪も人間も。そのためにはきっと茜を起こそうとするだろうね」
蒼はできるだけいつも通りの口調で話そうとしているみたいだけど声のトーンが違っている。
魂までが繋がった双子の蒼と茜。
茜が禁忌を犯して、そのせいで蒼は里を出た。
そう聞いて私はてっきり茜自身はもういないものだと思っていた。
けれど茜もまた白銀や他の妖怪のように封じられてた。
いや未だに封じられている、きっとそういうことなのだ。
その時だった、ガシャーンというガラスの割れるような激しい物音が扉越しに聞こえた。
「や、やめてください!!」
続いて聞こえたのは朔良の声だ。
悲鳴にも似た叫びにただならぬ気配を感じて駆けつければ二人の男性が今にも朔良にお札を投げつけようかという所だった。
一人はジーンズにブルゾンというラフな格好の中年男性、もう一人はグレーのジャケットを品良く着こなした二十代程の男性だ。
二人はこちらに視線を移した。
途端にバチッと激しい電撃が部屋を渡る。
二人の手元でお札だけが見事に焼け焦げていた。
「あれは…うちの術者だな」
叶斗が確かめるように言う。
「偵察のため幻舞山に送った者達だ」
「操られてるみたいやな」
暁史の言葉に伊緒里がこの場にいる誰もが考えているだろうことを代弁した。
若い方の人物が虚ろな瞳でその場を見渡す。
「茜様の眠る場所を教えろ」
その感情のない声は百湖高校で聞いたのと似ている。
「茜様はどこにいる?」
もう一人もまた感情を含まない言葉を吐き出す。
懐から新しいお札を取り出し再び構えた。
「榊河の術者ともあろう者が相手の術中にはまるとはなさけない」
叶斗はわざとらしくため息をついてみせる。
素早く印を結び、唱えた真言は百湖高校のプールで使ったのと同じだった。
二人は糸の切れた人形のように床に倒れる。
呪縛から解き放たれたのだ。
「そこにいる奴、出てこい」
叶斗は割れた扉の向こうに鋭く言葉を投げる。
木陰に身を潜ませていたのは細い手足とギョロリとした目玉が不気味な妖怪だ。
「あれって…」
「夜稀達が見張らせとったんやろな」
その妖怪はギチギチと歯軋りのような耳障りな声を上げる。
「夜稀に伝えろ!決着を着けてやるとな!」
いつになくドスの聞いた叶斗の言葉に使いの妖怪はおびえたように逃げ去って行った。




