55:東の清流と西の宵闇 (5)
「うわぁ!!」
早朝、私は叫び声に驚いて目を覚ました。
それは蒼の部屋から聞こえたように思うのだけど、大人の彼とも子供の彼とも違う声だ。
「どないしたんや!?」
私より一足早く伊緒里がノックもなしに扉を開けた。
蒼の部屋に入るのは初めてだった。
和室と洋室がくっついたようなモダンな設えにモノトーンで統一した家具が並んでいる。
普段子供の姿でいる割に大人っぽい部屋だ。
片隅に琥珀から押し付けられたと思われるファンシーなぬいぐるみが積まれている以外は。
広々とした室内には一見して誰の姿も見当たらない。
だがよく見ればバルコニーへと続く窓にかかった黒いカーテンが膨らんでもぞもぞと動いていた。
「誰?蒼くん?」
返事はない。
蒼だったら隠れる必要なんてないはずだからそこにいるのはいったい誰なのか。
「隠れても無駄や!観念して出てきぃ!」
伊緒里は容赦なくカーテンを捲った。
「な……!?」
現れたのは初めて見る少年だ。
『少年』といっても十歳やそこらではなく、私や叶斗と同じくらい――高校生くらいに見える。
伊緒里が驚いて固まった隙にまたカーテンに隠れてしまった。
だからちょっとしか見えなかったけどその少年は蒼に似ているように思えた。
「蒼くん…なの?」
蒼に似た少年は今度は自分からそぉっと顔を出す。
伊緒里より少しだけ背が高いけど叶斗とあまりかわらないだろう。
着物のような変わった形の服で、いく筋か臙脂色のメッシュが入った黒髪は肩まである。
その人は少しの間があってこくりと頷いた。
「ど、どないしたんやそれぇ!」
「…起きたらこうなってたんだ。元に戻れない」
「おっきくもちっさくもなれへんてこと!?」
蒼は困惑顔で首を縦に振る。
動作に合わせて赤と青の石を連ねた耳飾りが揺れた。
蒼自身、かなり戸惑っているようだ。
そうでもなければ隠れる意味がわからない。
「何の騒ぎだ?」
あわてた様子もなく現れた叶斗は部屋の中をのぞき込んでちょっとだけ目を見張る。
「蒼…その中途半端な姿、呪いの封じが甘くなっているのか?」
まさか成柳川で水脈の暴走を止めたりしたからなのだろうか。
伊緒里が心配した記憶喪失ではなかったけど姿が変わってしまうなんてきっと誰も想像していなかった事態だ。
ちょうど子供の姿と大人の姿の中間くらいだから中途半端と言えばそうなるかもしれないけどあんまりな言い方だった。
叶斗はつかつかと蒼に近付いたかと思うとおもむろに着物のようなその襟を掴み勢いよく開いた。
むろんはだけて肌が露わになる。
「ちょっ、何する…」
蒼が後ずさった。
「黙ってじっとしていろ」
叶斗はそのまま蒼の後ろにも回り込む。
男子が男子の裸を見つめる様子は妙な感じだった。
「痣は出てないな」
どうやらあの刺青のような鱗模様がないか調べるためだったらしい。
今や蒼の上半身は裸。
細身に見えるのに引き締まった筋肉がしっかりと付いている。
なんて冷静に考えていたら蒼と目が合った。
蒼が気まずげに目をそらすのでふと我に返る。
急にすごく恥ずかしくなってきた。
だって裸なのだ。
「うわ、水穂大丈夫かいな?」
伊緒里がきっとものすごく真っ赤になっているだろう私を見て慌てる。
「とりあえず、お茶でも飲んで落ち着こか?な?」
伊緒里は私の背をポンポンと叩いた。
私達はリビングへと場所を移していた。
伊緒里が氷を浮かべたお茶を運んでくる。
「なるほど、見た目だけではなく力も中途半端なんだな」
「中途半端って言うな」
蒼は一応抗議の声をあげた。
その後の調べで刀は出せるが術は全く使えないことが判明しての叶斗の発言だ。
「本邸の書庫を探せば対処法がわかるかもしれないな。直ぐに調べさせるが……呪いの大部分は封じられたままのようだしな…」
叶斗は少し考え込む仕草をして。
「ちょうどいいからお前も一緒に来い」
「来いって?」
蒼が眉をひそめる。
「百湖高校に潜入する。明日からな」
「ああ、アキもそないなこと言うとったな」
「潜入なんて出来るんですか!?あの、気をつけてくださいね」
「君もだ」
私も…?
初耳だった。
「そうと決まったらまずは買い物や!高校生活に必要なもん揃えやなあかんやろ?」
どうしてそうなるのかはわからないけど伊緒里はがぜん張り切って言いきった。
というわけで私達はショッピングモールへとやってきた。
まだ出来て間もない店内は休日ということもあり様々な年代の人達で賑わっている。
人混みが苦手な叶斗は不機嫌そうだ。
蒼は最初、叶斗のシャツとパンツを身につけていたのだがさっきから着せかえ人形と化していた。
制服があるのだから服を買う必要はないのだけれど、伊緒里曰わくいつまでこの状態のままだかわからないから備えあれば憂いなしだそうだ。
たぶん彼女自身が楽しんでいるだけなのだろうと思えてならない。
大人の蒼が着ないカジュアルな服を着せれるのが嬉しいらしかった。
ひとしきり蒼の服を選んで、伊緒里の紫がかった瞳が私を捉える。
目を付けられた。
「ウチ、水穂にはこーゆーのが似合うと思うんや!」
花柄のたっぷりフリルの付いたキャミソールとかなり短め丈のスカートを手に取り満面の笑みで振り向く。
それから数件の店を回って、いつもなら着ないような服や靴やアクセサリーを試着してヘトヘトになった頃ようやくカフェで一息着くことが許された。
ジュースを飲みながら周囲に目をやってみる。
ここに来た時から気になっていた事があった。
すれ違う人がこっちを見てひそひそとささやき合うのだ。
正確には蒼や叶斗を見て。
叶斗は無視を決め込んで紅茶を口に運び、子供の姿なら愛想の一つでも振りまいていそうな蒼は途中で購入した帽子を目深にかぶって居心地が悪そうにしている。
「格好いいー」とか「モデルかな?」とかそんな内容が時々耳に届いた。
蒼は子供の時の可愛らしさより大人の彼を少し幼くした感じで確かに格好良いし、叶斗は王子の異名をとるくらいだから言うまでもない。
百湖高校に転校生として潜入するにあたって兄妹ということになっていると聞いたけれど、美形二人と私では説得力が無さ過ぎると心配になった。




