46:南の池と封じられた妖怪 (1)
清森学園から南に山を下った場所に守咲池はある。
池の妖怪が騒がしい。
人が行方不明になっている。
龍介はそう言っていた。
叶斗が言うには守咲池に大昔――蒼が榊河家の式神になるよりもっと昔に封じられた妖怪がいるらしい。
封じられていた妖怪が目覚めてしまったのだろうか。
池の付近に住む妖怪はそのせいで騒がしくなっているとも考えられる。
封じが破壊されたのだとしたら間違いなく夜稀の仕業だ。
妖怪を再び封じ、夜稀の足取りを追うためにも私達は守咲池へと向かった。
それにしてもあの時龍介に悪いことをしてしまったかもしれない。
私が怖かったのは彼があまりにいつもと違い乱暴な雰囲気だったからなのだけど。
次の日から彼は私の前に現れることはなかった。
「はぁ…」
「どうしたの?水穂。ため息ついて。学校大変だった?」
「ううん…違う違う。何でもないの」
蒼の首を傾げる可愛らしい仕草と相反するようにその向こうの叶斗が怪訝そうにこちらを見ている。
視線をそらせて辺りを気にすれば広がる景色は湖のような広大な池だ。
その周りを綺麗に整備された公園や散歩道が取り囲んでいた。
夕刻とはいえ普通ならまだカップルや親子連れで賑わう時間だ。
けれど行方不明事件があった今はさすがに静まり返っていた。
更に池に近づこうとした私達に人影が走り寄ってくる。
行方不明者を捜索中の警察官のようだ。
「君たち!ここは立ち入り禁止だ。向こうへ行きなさい」
「あの池に用がある」
「駄目だ。帰りなさい」
さすがに危険な場所に高校生や子供を近付かせてはくれそうもない。
けれどもとより無理矢理にでも通るつもりで来ている。
「ああ、いい。そいつらは」
あと一瞬遅かったら多分叶斗か蒼が警官を眠らせていただろう。
制服の警察官を止めたのは無精髭を生やしたおじさんだった。
四十手前くらいの歳に見える。
制服ではなくスーツの上着を脱いだような格好でシャツの袖をまくっていた。
「山城警部!警部のお知り合いですか!」
「ああ。こちらは任せてあっちを頼む」
制服の警察官は山城という名らしいそのおじさんに敬礼をして去っていった。
「やっぱり来たか」
「この辺りに人を近づけない方がいいぞ。警官もな」
「ではやはり妖怪の仕業と踏んでるんだな」
「ああ、かなりたちの悪い奴だ。そいつを何とかしなければ行方不明者は見つからない。それと……さっきそいつ呼ばわりしたな」
「悪い悪い。さて」
情報交換といこう、叶斗の怒りを受け流して山城警部はそう言った。
公園の隅にベンチがある。
池側からは滑り台に遮られて目が届きにくいそこを山城警部は密談場所に選んだ。
「架牙深は元気か?」
「あいつならふらふらで帰ってきたが、血晶剤のおかげで今はもう平気そうだぞ」
「そうか。貧血だと言うから車で送ってやったんだがな。俺の血をやろうかと言ったら途中で降りやがったんだ」
「それはそうだ。誰も中年の血なんて飲みたくないだろう」
「おいおい」
ひどいな、などと言いながらも山城警部は言葉を続ける。
「そっちのお嬢ちゃんは初めて見る顔だなぁ。清森の生徒さんのようだが?」
危険だと思われるこの場所について来るくらいだから普通の生徒とは思われていないだろう。
「水穂はぼくの新しい契約者だよ」
私がどこまでバラしていいものか迷っているうちに蒼が言った。
「君がかい!?いや、可愛い女の子だからって見た目で判断しちゃいけないな。よろしくな、水穂ちゃん」
「あ、はい。…あの、山城さんは警察の方なのに榊河家や妖怪の事、詳しいんですね」
「ああ。俺はどうにも妖怪絡みの事件によく当たるんだ。十五年前にこの街に配属されてからな。だから榊河とももう長い。協力関係ってやつだな」
山城警部はニヤリと得意気に笑う。
「それにしても、静かすぎると思わないか?つい先日までは妖怪がうるさいくらいに騒いでいたんだが」
警部は袖で汗を拭い、本題へと話を進めた。
まだ残暑が厳しい時期だ。
「身を潜めてしまったんだよ。アレが動き出したから」
蒼は暑さも感じていないような涼しい顔でなかなか怖いことを言う。
まぁ見た目もノースリーブのシャツワンピースに膝丈のパンツでかなり涼しそうだけど。
蒼が言うアレとは即ち封じられていた妖怪のことだった。
「まさか行方不明事件はこの辺りに住む妖怪の仕業じゃあないのか?」
「池に封じられていた妖だろうね」
蒼につられて山城警部が、そして私も池に目をやった。
「この池の底に長い間眠っていた妖怪は…邪魅というんだ」
蒼の言葉に呼応するように一陣の風が水面を揺らす。
周囲の空気が明らかに異質なものへと変化していた。




