45:鯖とプリン
今日の朝食は焼き鮭と卵焼きと白和え、そして茄子のお味噌汁。
白いご飯から湯気が立ち上る。
カフェなのに基本的に朝食メニューが和食なのは叶斗の好みだとか。
「おはようございます」
眼鏡の奥で濃い茶色の瞳が微笑む。
「あっ…おはようございます」
温厚そうな笑顔のその人は二つ隣の席に腰掛けた。
きっちりと制服を着込んでいかにも品行方正な優等生と言った感じだ。
確か架牙深龍介という名前で、このマンションに住む高校生。
けれど清森学園の生徒ではなく、それどころか見る度に違う制服を着ている。
桐組の生徒以外は数えるほどしか顔を知らない中で一番の顔見知りかもしれない。
すごく謎だらけだけれど。
そうこうしているうちにあやめや照玄、桐組の人達がちらほらとやって来て、蒼とフラフラの楓太が修練所から戻ってくる。
叶斗と渚は現れたり現れなかったり。
二人とも低血圧らしい。
「ごちそうさまでした」
「はい、水穂さん」
食べ終わるといつものようにお弁当の包みが手渡された。
朔良特製のお弁当。
桐組の寮生達の昼食なのだった。
桐組といっても勉強する事は意外と普通の高校生と変わらない。
朝、精神統一の時間があったりたまに歴史の授業中に妖怪の話が飛び出したりするくらいのものだ。
思っていたよりついて行けそうで助かった。
それはいいのだが私が戸惑ったのは体育だった。
学ぶのは球技などではなく剣道、柔道、弓道、空手、薙刀、合気道から一つ選択する。
心身を鍛え、護身の術を学ぶためだという話だ。
比較的楽そうだと思って合気道を選んだけれど全然ついていけない。
おとなしく薙刀にしておけばあやめに教わることができたのに、と悔やまれた。
ともあれ何とか毎日をこなしている。
叶斗やあやめ達と登校して、下校は決まって叶斗と一緒だ。
けれど今日は違う。
実は無理を言ってまだバイトを続けさせてもらっている。
バイト先まではバスで20分。
蒼が迎えに来てくれて、二人して家路についた。
「ただいま〜」
「ただいま」
cafe Sakuraの扉を開けてそう言う事にもほんの少し慣れてきた。
カウンターの向こうにはいつも通りに朔良の姿がある。
「おかえりなさい」
これまたいつも通りの優しい笑顔に疲れも癒されるというものだ。
いつもと違うのは夜遅い時間にも関わらずカウンターの席に叶斗の後ろ姿がたたずんでいることだった。
こちらに気付いているだろうに振り返ろうとはしない。
近付いてみると机の上には何故か小ぶりな金だらいが一つ。
「かなちゃん…それ…」
蒼はたらいが余程ショックなのか振るえる手でそれを指差した。
ようやく振り返った叶斗の手には銀色に輝くスプーンがにぎられている。
「ぼくが注文した“たらいプリン”!!」
「お前のだったのか?」
しれっと言う叶斗。
「みんなで食べようと思って楽しみにしてたのに…。一人で食べるなんてヒドすぎる!」
「この店宛てに届いたがお前の名前は書いてなかったぞ」
更にしれっと叶斗は言った。
「それ一年待ちでやっと手に入ったんだよ!」
「また買えばいいだろう。妖にとっては一年なんてほんの短いじか――」
「黙れ、叶斗」
怖い。
さすがに叶斗も口を閉ざす迫力で蒼は言い放った。
こういうのは珍しい。
蒼はたとえ見た目は子供であっても叶斗よりずっと大人だ。
からかいはしても本気で喧嘩になったりはしない。
そう思っていた。
「素直に謝ればまだしも、何?その態度!」
また元の口調に戻りはしたが蒼の怒りは冷めやらない。
叶斗もいつまでも口を閉ざしてはいなかった。
また口喧嘩が始まる。
「ああ、やっぱり蒼さんのではないかと思ったのですけど」
朔良が喧嘩なんてどこ吹く風といった調子でのんびりと言う。
二人を止める様子はない。
「プリンって…」
「ええ。お二人の唯一共通してお好きな食べ物なのですよ」
好きだからって食べる量には限界がある。
小ぶりといっても顔より大きいたらいにいっぱいのプリンを叶斗一人でたいらげたとなれば相当なものだ。
意外と甘党で大食いなんだ。
とか今は感心している場合ではなかった。
「あ、あのっ!!」
いつにも増して勇気がいったが、私は二人の間に割って入った。
「これ!私、たまたま今日プリンもらったの。蒼くんこれでよかったら…」
私は紙袋からそれを取り出す。
妙にリアルな魚の形をしたプリンを。
「これは、鯖の形ですか?」
「今度工場で作ることになったサバプリンの試作品です。何でも、どこかの商店街から特産物の鯖のDHAが入った鯖の形のプリンを作ってほしいっていう依頼があったそうです。でもこれじゃあまりにリアルだから改良するみたいだけど」
「確かに気持ちが悪いくらいリアルだな」
叶斗が何故だか面白そうに言った。
「味はちゃんとプリンですから!」
朔良にお皿を借りて、鯖型カップから移してもプリンはしっかりと鯖の形を保っていた。
「蒼くん?」
うつむいて黙り込んだ蒼はやっぱりまだ怒っているのだろうか。
「だ、ダメだよね。やっぱり、このプリンじゃ…。ゴメンね」
「ち…違うよ!違うんだ…その…」
「鯖が嫌いなんだろ。天狗だからな」
珍しく歯切れの悪い蒼に代わって叶斗が言った。
「だったら僕が食べてやる。かせ」
「ちょっ…!嫌だよ。まだ食べる気!?」
返せとか返さないとかまた争い始める。
残念ながら二人を止める術は私にはもうない。
「くだらねぇことで言い争ってんじゃねぇぞ」
突然苛立った声が場に割って入った。
制服姿のその人はいつの間にそこにいたのか、いつからそこにいたのか斜に構えてこちらを睨んでいた。
架牙深龍介――のように見えるのだけど雰囲気がまるで違う。
眼鏡もかけていない。
「帰ってらっしゃったのですか」
彼がそこにいることに朔良ですら気付いていなかったようだ。
龍介はこちらに足を踏みだそうとして、しかしフラリと態勢を崩しかけ手近な席に倒れ込むように腰掛けた。
「大丈夫ですか!?」
朔良の問いかけに返事はない。
目眩がひどいのか額に手を当ててテーブルにひじを突いた姿勢の龍介は非常につらそうに見える。
所々服だって破けているし怪我をしているのかもしれない。
「はいこれ。今日、柊子から届いた」
蒼が龍介の前に置いたのは白いカプセルの入った瓶とコップ一杯の水。
蓋を開けることすら億劫そうに龍介はカプセルを二、三個取り出した。
コップに落としてしばらくすれば水の色が徐々に真っ赤に染まってゆく。
トロリと粘度のあるさながら血のようなそれを龍介は一気に飲み干した。
それから大きく息をついて瓶をポケットにしまい、代わりにタバコを取り出した。
続いてごく自然な動作でライターの火を点ける。
「ここ禁煙!何度も言ってるでしょ」
くわえた煙草を奪い取った蒼に対して龍介は舌打ちを返した。
やっぱりいつもの龍介とは別人のように違う。
立ち上がりまだ頼りない足取りで歩き出す。
マンション内へと通じる扉へは目の前を通ることになる。
怖くて一歩下がった私の前を通り過ぎる瞬間、ほんの一瞬だけ目が合った。
先程飲み干した液体と同じ深紅に染まった瞳と。
「山城のおっさんからの情報だ。守咲池でここ数日妖の動きがおかしい。関係性はわかってねぇが行方不明者が出てるってな」
扉の前で振り返りもせず言い捨てて龍介はマンションのエントラスへと去っていった。
「さすがに警察も動き出したか」
叶斗が神妙な顔つきで言う。
「そうみたいだね。…って、かなちゃん!プリン食べちゃったの!?」
結局サバプリンはどさくさに紛れて叶斗が食べてしまったのだ。
蒼は怒る気も失せたのかがっくりと肩を落とす。
「どうせ食えないだろ」
静まり返る店内に叶斗の呟きだけが響く。
「…全部片付いたら見たことないくらい巨大なプリンを食わせてやる」
「絶対だよ」
少しは反省しているらしい叶斗の言葉でプリンを巡る戦いは幕を閉じたのだった。
読んでいただきましてありがとうございます!
新キャラ架牙深龍介を登場させたかっただけかもしれないこの回。
早い段階で思いついていながらなかなか出せなかったキャラです。
彼については色々考えてるのですが、物語に絡んでくるかどうか…(汗)
番外編のような感じででも書ければと思っています。
興味のある方は今しばらくお待ちください。(気長にね)




