4:王子と妖怪相談所(2)
空はすでに薄暗く、校舎の輪郭を不気味に浮かび上がらせていた。
日曜の夕刻ということもありしんと静まり返っている。部活動に励む生徒達も先生ももう帰宅したのだろうか。
案の定門には鍵が掛かっていた。
門は乗り越えられる高さでもなくしばし途方にくれる。
もしかしたら裏門は開いているかもしれない。そう思い方向を変えた。
「どうしたのかしら」
一歩踏み出すより早く後ろから声が掛かる。
一瞬ドキッと鼓動が跳ね上がった。
聞き覚えのある声だと振り返ればそこにいたのはやはり見覚えのある女性教師。女子生徒に厳しく、授業中の居眠りに大量の課題をくれた笠原だ。
「また忘れ物?」
「友達が…たぶんまだ中にいると思うんです」
私が言うと教師はしばらく黙り込む。
「そう…」
その声にも表情にも感情がこもっていない。
「いいわ。一緒に捜しましょう」
そう言って笠原は門を開けた。
後に着いて歩く。
ひと気のない物寂しいグランドを尻目に校舎脇を通り木々に囲まれた道にたどり着いた。
私が何も告げていないのに前を歩く教師は例の開かずの間に向かっているように思う。
「あの…先生?」
「なにかしら?」
「いえ」
それ以上聞いてはいけないような気がして口ごもる。
再び前を向いた教師の後頭部、髪の間から鈍く光る目のような物がほんの一瞬だが確かに見えた。
背筋が寒くなる。
あれは怖いものだ。
いつも見ていた小さな生き物とは違う。
着いて行ってはいけない。
一歩後ずさる。
もう一歩。
教師は気付かない。
そのままきびすを返し一目散に校門を掛け出た。
寮までの500mほどの道のりを夢中で走って自室に飛び込む。
追って来る気配はない。
よかった。
一瞬の安堵の後に恐怖がよみがえってきた。
震えが止まらなくてその場で膝を抱える。
どうしよう。
戻るのは怖い。
けれどイズミちゃんがまだ中にいるかもしれない。
誰かに知らせなければ。
立ち上がり、部屋を出かけて足が止まる。
…ダメだ。
さっき見たことを誰が信じてくれるのか。
先生が妖怪だったなんて。
そう考えた時ある言葉が脳裏に浮かんだ。
妖怪に困っている人が相談に来るのが『妖怪相談所』。
イズミはそう言っていた。
だったら…。それが本当なら…。
私は急いで制服のポケットから『妖怪相談所』の地図を取り出した。
場所はそう遠くない。
寮を出て学校とは逆の方向に、舗装された道を下り麓に広がる街の明かりを目指した。
にぎやかな商店街を抜け、住宅地の更に先に地図に記された場所はあった。
いや、実際には妖怪相談所らしきものは見当たらず、ぽつりと立派なマンションが建っているだけだった。
どうやらマンションは一階部分の一角が店舗になっているようで、暖かい光がもれだしていた。
もしかしてあれが妖怪相談所だとでもいうのだろうか。
更に近付いてみればそれはお洒落なカフェという雰囲気で、その証拠に扉には流麗な文字で『cafe Sakura』と記されてあった。
どうひいき目に見ても『妖怪相談所』には見えない。
それでも私はその暖かな光に心奪われている。
入ろうか止めておこうか。
しばらくその場にたたずんでいた私にふいに声が掛かった。
「おねぇさん。こんな所でどうしたの?」
見覚えのある子供が立っていた。
数日前旧講堂の前で見かけたあの子だ。
相変わらず男の子か女の子かわからないかわいらしい装いで、今日は手にスーパーの袋を提げている。
「あ、あの…えっと…」
何となく挙動不振になる。子供はすっと目を細め一瞬だけ大人びた表情を浮かべた。
次の瞬間にはにこりと笑顔になる。
「何か困ってることがあるんでしょ?さぁどうぞ」
そう言ってカフェの扉を開けてくれた。
ためらいがちに踏み入れた店内は落ち着いた木の色合いでアンティークな雰囲気だ。
他にお客はいないが寂しい感じはしなかった。
店内にはいくつかのテーブルがあり、奥のカウンターにいた店員らしき人がこちらに微笑んだ。
「いらっしゃいませ」
声で男性とわかったが、女性のように優しげで柔らかい顔立ちの人だった。
私はいざなわれるままにカウンターの背の高い椅子に腰掛ける。
「朔良。はい牛乳買ってきたよ」
「有難うございます」
「ぼく、かなちゃん呼んでくるから、おねぇさんに温かい物飲ませてあげて」
後から入って来た子供が店のマスターらしきその人物にカウンター越しに買い物袋を手渡した。
『ぼく』ということはおそらく男の子…でいいんだろう。
彼は入ってきたのとは別のドアに駆けていく。
朔良という名らしいマスターはそっとメニューを差し出した。
「何になさいますか?」
そこでようやく気付く。
「ぁぁぁあの、私お金持ってない…」
「ぼくのおごりー」
ドアが閉まる直前にそう聞こえた。
視線を戻せば朔良がにっこりと笑みを深くする。
小さい子におごってもらうのは気が引けたけれど、私はおずおずとメニューを開いた。
「じゃぁ…ミルクティーを」
「はい」




