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30:海と夏休み (1)

「水穂も高校生になるんだものもう大丈夫よね」

 

 中学卒業を目前にした頃の母の言葉だった。

 すぐには意味が理解できず。

 

「お母さんね、お父さんの所へ行こうと思うのよ」

 

 単身赴任中の父の海外赴任先で一緒に暮らす事にしたのだという。

 私が進学予定の高校には寮があったから母はそう決めたのだろう。

 

「生活費は振り込むけど足りなかったらバイトしなさい。ここならお母さんの知り合いがいるから」

 

 入学式の後、母はお菓子工場の住所と電話番号を手渡しあっさりと旅立っていった。

 

 

 

 

「……ほ……みずほ…」

 

 可愛らしい声が呼んでいる。

 

「みーずほ」

 

 まだ重い瞼を持ち上げればそこにあったのは可愛らしい声の主のあどけない笑顔、ではなく端正な顔立ちに浮かぶ思い切り不機嫌そうな表情だった。

 私はいつの間にか車の後部座席で眠り込んでしまっていた。

 それも叶斗にもたれかかって。

 

「それで聞いていたのか?」

 

「えっと…何でしたっけ?」

 

 確か話の途中で眠ってしまったのだが、なんだったかまだ頭が寝ぼけていて思い出せない。

 

「だから!」

 

 そうだ、日本各地に封じられた妖怪達を呼び覚まそうとしている者がいる、と叶斗は言ったのだ。

 私と蒼が遭遇した修験者の二人組の話は叶斗にも伝わっていて、彼らが犯人という可能性もあるという。

 そんな事をする理由はわからないが彼らが犯人であるにせよないにせよ放っておく事はできないのは確かだった。

 お寺の合宿から戻ってすぐイズミはイギリスの実家へ帰省したが私は海外暮らしの、今は中国にいるらしい両親の元に行くわけにもいかず寮で過ごしていた。

 その間にいくつかの妖怪がらみの事件と出会った。

 榊河暁史がリストアップしたもので、つくも神になった行方不明の招き猫を連れ戻したり、迷子の狛犬を探したり、だいたいはそんな感じだった。

 最近ではそれも日常と化してきていて平和といってもいい日々だ。

 そんな中伊緒里から連絡が入る。

 とにかくすぐに来てほしいというものだった。

 詳しくはわからないがおそらくその海に昔封じられた妖怪と関係があるのではないかと叶斗は予想する。

 程なく迎えの車がやって来て、私は平和な日々に別れを告げさっそく叶斗と蒼と共に海へとやってきたのだが。

 そんな重要な話の最中に眠りこけるなんて、ついに叶斗を完全に怒らせたと思った。

 謝っても冷たい視線が返ってくるばかりだ。

 長袖のシャツをきっちり着込んだ彼は真夏でも暑さを感じさせないばかりかその眼光で背筋を寒くさせた。

 しかしそんな叶斗のバックに広がるのはあまりにも似合わない白い砂浜と青い海。

 車は海水浴客で賑わうビーチへと差し掛かっていた。

 砂浜にほど近いところで停車する。

 

「はぁ、やっと着いたね」

 

 きっと青年の姿であったなら叶斗と同じくらいビーチが似合わないであろう蒼は、今は短パン、タンクトップにフリルの付いたロングベストを羽織って夏の風景にすっかり溶け込んでいた。

 助手席から降りて大きく伸びをする。

 私もそそくさとドアを開けて外に出た。

 一瞬にして熱気と潮の香りに包まれる。

 改めて見れば乗って来た車もかなり浮いていて、視線を感じるのはたぶん気のせいではない。

 運転手付きの高級車はこういった場所に乗り付けるには全くそぐわなかった。

 

「蒼ちゃーん!!」

 

 大声で叫びながら満面の笑みでこちらに近付いてくる見覚えのある人物がいる。

 赤い髪を揺らして砂浜を駆けてくるのは伊緒里だ。

 

「水穂もよう来てくれたなぁ。叶斗なんで長袖やねんな!」

 

 TPOをわきまえろと伊緒里は力説しだした。

 伊緒里の方は水着姿でばっちり夏を満喫しているようだ。

 

「それより突然呼びつけた要件は?」

 

「なんやせっかちやなぁ。まぁええわ。こっちや、こっち」

 

 伊緒里のせいでよけいに注目が集まったためさっさとその場を離れたいのは叶斗も同じのようで素直に後に従った。

 

 

 

 

 しかし海水浴を楽しむ人々を横目に砂浜を歩いてたどり着いたのはさらに人の多く集まる場所だ。

 ビーチに面した入り口にはメニューが掲げられ、その外にも中にもリゾート風のテーブルと椅子が置かれている。

 満席に近いくらいにぎわっているようだった。

 …どう見ても海の家に見える。

 

「いらっしゃいませー」

「いらっしゃいませー」

 

 一歩店内に入ると店員が両脇から現れた。

 それは見覚えのある光景だった。

 

「あ、伊緒里さんおかえりなさい」

「おかえりなさい」

 

 顔も声もそっくりな双子の少女はcafe Sakuraの時と同じくお盆を片手に忙しそうに動き回っている。

 あの時と違うのは服装がTシャツにホットパンツという海の家スタイルだということだ。

 

時雨(しぐれ)さ〜ん!」

「叶斗さん達が来ましたよぉ!」

 

 二人は店の奥に向かって叫んだ。

 

「おお、ようおこし下さった」

 

 奥にいたのは短パンにビーチサンダルにアロハシャツ、スポーツタイプのサングラスを掛けていて、白髪頭だけど日に焼けて健康そうなおじさんだった。

 この海には海座頭という妖怪がいる。

 時雨と名乗っているその妖怪はこの海の妖怪の中で長老的存在なのだと道中に教えてもらったのに。

 …どう見ても海の家のおじさんに見える。

 着物姿の厳格な老人を想像していただけに複雑な気持ちだった。

 

「叶斗殿、久しく見ぬうちに立派になられたのお。そちらの娘さんは蒼殿の新しい主人となられた方じゃの?」

 

「は、はい。矢野水穂といいます」

 

「わしは時雨、遠い昔からこの海を見守っておる者じゃ」

 

 海座頭は夏の間、海の家を経営しているのだといった。

 席を進められ、冷たいジュースが目の前に置かれる。

 更には色鮮やかなフルーツで飾られたかき氷が運ばれてきた。

 

「それ食べたらさっそくこれ、頼むわな」

 

 語尾にハートマークでも付きそうな勢いで伊緒里が差し出した物を受け取る。

 配られたそれを広げてみて三人ともが一瞬無言になった。

 

「エプロン?」

 

「だな」


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