1:夢と日常
よく見る夢がある。
出てくるのは和服姿の奇麗な女の人で、不思議な言葉を口ずさむ。
それを、その優しげな女性を私は小さな子供の目線で見つめている。
ふと視線を写せば長身の人影。どれだけ目をこらしても顔は何故だか曖昧で、けれど漆黒と臙脂に塗り分けられた長い髪が印象的だった。
ぼんやりとしたその世界は何かの物語で見たワンシーンかあるいは曖昧になった幼い日の記憶か。
着物の女性は最後に決まってこう言う。
「もし危ない目に合ったらこのおまじないを思い出しなさい」
つんつん
何かが足に触れた気がして瞼を開いた。
今が授業中だと気付いて一気に意識が覚醒する。
が、時すでに遅し。
教壇では女性教師が腕組みをして眉間にシワを寄せ、クラス中の注目が私に集まっていた。
「矢野さん。文章を和訳してと言ったのだけど?」
言われてあわてて教科書をめくるがページ数すらわからない。
「あなたには特別課題を与えます。放課後職員室に来るように」
あわてふためく私に笠原という名の教師はそう言い放った。
この英語担当の教師は生徒に、とりわけ女子に厳しいという噂だ。居眠りごときでも見逃してはくれないらしい。
「はい」
小さく答えて俯むいた足元に小さな動物の尾がひらめいた。さっき足にぶつかったのはこいつだ。
白いひょろりと長い体が見えた。
教室に動物が入り込んでいれば普通大騒ぎなのだがクラスメイトは皆気にとめていない。
というより見えていないのだと私は長年の経験からわかっていた。
そう、私はみんなの見えないものが見えてしまう。霊感が人より強いようなのだ。
今でこそ見えても見えないふりができるがそれすら幼い頃は難しい事だった。自然と周りとは距離ができた。だから私には霊感なんてただただ迷惑な代物だといつも思っていた。
放課後。
辞書を片手に私は図書館で分厚いプリントの束と格闘していた。
長い長い英語の文章に頭がクラクラとしてきてふと顔を上げれば広々とした図書館の大きな窓に新緑が眩しく映る。
ここ清森学園は山の上に建てられているため広くて静かで環境が良い。
悪くいえば何もない山の中なのだが。
高等部から入学して一年と少し。課題に追われはしても平和な学園生活を送っている。
けれどこののどかな学校には私にとって有り難くないコトが二つもあった。
「ミズホ!これ見てクダサイ!」
突き付けられたのはいかにもおどろおどろしく描かれた猫の絵だ。鋭い牙と二つに分かれた尻尾が普通の猫でないことを物語る。
ページ越しに薄茶色の瞳がキラキラと輝いていた。向かいの席で『本当にあった怪奇事件簿』なるものを読んでいたクラスメイトのイズミ・クラウディア・ユキヒラはイギリス生まれのハーフで地味な私とは正反対の金髪美少女。学園の男子たちの憧れの的だった。
彼女と私は性格も全く違うのに寮の部屋が隣同士という縁で何かと二人で行動することが多くなり、今に至る。
しかしそんな彼女は私の悩みの種の一つ目なのだ。
「コノ本に書いてある場所、このガッコウのある場所デス!化け猫がまだこのあたりにいるならゼヒ会ってみたいデスね、ミズホ」
「私は、そうでもない…」
「今度探してみまショウ」
反論は虚しく無視された。
イズミは大のオカルト好きで、日本の妖怪に憧れるあまり単身日本へとやってきたほどのつわものなのだ。
私の霊感のことは話していない。知られてしまったらどんな事に巻き込まれるのか考えただけでもため息が出るからだ。
それでなくともこの学園にいると普通の人には見えない生き物によく出会う。あれだってきっと妖怪と呼ばれるものなのだと思う。
本にある化け猫みたいなのとは違って、私の知るかぎり無害な生き物なのだがこの辺りには特に数が多い。二つ目の悩みの種だった。
「はぁーお腹空きマシタ。早く終わらせて寮に戻りマショウ」
しばらく大人しく本に目を落としていたイズミが力無く言った。
「だったら課題手伝ってよイズミちゃん」
「ダメです!手伝ったらミズホのためになりません」
母国語の英語の問題などイズミにとってはちょちょいのちょいのはずなのだからちょっとくらい手伝ってくれてもいいと思う。
「でも、どうしてもというならギブアンドテイクといきマショウ」
イズミはにっこりと微笑んだ。