ネザートレイン
久しぶりの投稿で至らぬ点が多々あると思いますが、楽しんでいただけると幸いです。
私がなにかおかしいと思ったのは、本を読み終わったころだ。大学から家まで帰っている列車の中でのことだ。私の家は郊外にあるので、いつもまったり読書をして過ごした。今日は電車の中で新しい本を読みだしたから、読み終わる前には目的の駅につくはずだった。
しかし列車はまだ動いている。乗り過ごしたかなと思ったが、そもそも私の目的地が終点だ。情報を求めて窓の外を見るが、真っ暗だ。トンネルのような人工的な暗さなのか、夜の暗さなのか正直判断がつかない。
車内を見るとこの車両には私しかいなかった。一瞬何かそういうホラーの世界にでも紛れ込んだろうか不安になる。
次に私は携帯電話を取り出し、時間を確認する。時間は十九時を少し過ぎたぐらいだ。出発から考えると別におかしな時間ではない。
「なんか変だなー」
ついつい声がでてしまったのは、他に誰もいなかったからだろうか。しかたない。私は読み終わった本を適当に開き、そこからまた読み始めることにした。
「お姉さん変わってるね」
不意に声をかけられ、思わず顔を上げる。目の前の席に美少年が座っていた。短パンにジャケットを羽織った少年がいた。年齢的には十歳ぐらいだろうか。ただその雰囲気は年齢にそぐわない。
「普通だよ。私ぐらい」
本のページに一緒についてあった広告を挟み閉じる。
「じゃあここが死後の世界って言っても信じるかな?」
男の子は私を試すように話しかける。
死後の世界は列車だったのだろうか。それは銀河鉄道っぽくていいかもしれない。ただこの窓からは星は見えない。
「信じないかな」
「けどあってもいいなとは思ってるでしょ?」
「まぁ少しわね」
「それって変なことでしょ。人間として」
「いつでも死んでもいいように、生きてるつもりなんだけどな」
「はは意味わかんない。面白いねお姉さん。好きになっちゃいそう」
楽しそうに彼は笑う。私はなにか馬鹿にされているようで面白くない。
「ねぇ駅につくまで一緒に見て回ろうよ」
この列車は駅につくものだったのか。いや当たり前か。たとえ進み続けるものでも、どこかで停車はするものだ。
「見て回る?」
列車の中に何かあるのだろうか。
「ついてきたらわかるよ」
冷たく柔らかい手が、私の手を掴む。
「そういえば君名前は?」
気さくに話しかけれていたが、彼の名前を私は知らない。
「氷室空。そういえばお姉さんは?」
「私?千早静」
「静ねーちゃんって呼んでもいい?」
正体はよくわからないけど、すごく可愛いと思った。
車両を移動すると、むっとした熱気が肌に当たった。と同時に甘い匂いが鼻に届く。
「わぁーたこ焼きだー」
空君が進んで前に行く。
しかし列車の中になんで屋台があるんだ。それにこの香りはなんだろう。たこ焼きの匂いではない。
「残念だがたこ焼きではないんだよな」
屋台の主は私たちに気さくに答えた。頭にタオルを巻き、近づくとたこ焼きのホットプレートでカステラというかホットケーキのようなものが作られていた。
「静ねーちゃん」
なんて甘えた声だ。財布の紐が緩くなってしまいそうだ。
思えば私も列車に乗ってから何も食べてない。とりあえず一つもらうことにした。どうやら商品は『冥途焼き』というものが一種類あるだけのようだ。どういうネーミングセンスなのだろうか。
「はいよー。五百円になるよー」
「わーい」
空君も屋台の主も陽気で、思わず私も笑ってしまった。屋台のわきの席に座る。席の配置は地下鉄や電車と端に席、中央に吊り革である。
「ありがとう」
空君が喜んでるようでよかった。
「いつもここにいるんですか?」
私は屋台のおじさんに尋ねる。
「おうよ。俺の目的地はまだ先みたいだからな」
目的地。私の目的地は私の駅がそうなのだろうか。空君にも目的地があるのだろうか。
「お前ら姉弟か?」
「いいや。なんとなく一緒にいるだけです」
「珍しいな」
「珍しいですか?」
「そりゃあこういう所だからな」
「どういうことですか?」
「いやだってこれあの世に向かってるんだぜ?知らないのか?」
「あぁさっき彼に聞きました」
正直話半分だ。
「大物だねーあんた。これに乗る前のことは覚えてないのか?」
おじさんの言葉に考えてみるが、何もない。しいていうなら本を読んでいたことぐらいだ。
「そうか。だったらほかの車両に行くべきだな。面白いぞ。あと切符の番号は覚えとけ。終点はあの世だからな」
切符というのがあるのか。それは全然気にしていなかった。ついいつもの定期券が入っている場所を見る。定期券の手前に小さな切符が挟まっていた。『33444゛』と書いてあった。
何か意味のある数字なのだろうか。
「静ねーちゃん全部食べちゃうよ」
話し込んでいた私たちに空君が丸い菓子を近づける。空君が楊枝でそれを持ち上げてくれたので、ぱくりと食べる。少し恥ずかしい。次からはちゃんと自分で持っていくつか食べた。
「おらよ。お前ら」
食べ終わり、次に行こうとする私たちに、おじさんはビニール袋に紙袋を入れたものを渡してくれた。どうやら先ほどの冥途焼きが入っているようだ。
「まったく二人とも若いのにこんなとこに来ちまったんだがね。これ持っていきな」
「いいんですか」
「おう。久しぶりに人と話せて楽しかったぜ。じゃあな」
「はい。ありがとうございます」
私と空君はおじさんに手を振り、その車両を後にした。
次の車両は何もなかった。左右に席があり、いかにも普通な空間だった。ただ広告や路線図などは見当たらない。車両の窓から外は真っ暗だ。
「ここお姉さんのとこだね」
「よくわかったね」
私にはさっぱりだ。だけど言われてみれば馴染みがある。
「わかるよ。ほかにこんなとこなかったもん」
さっきのおじさんのことと合わせると、もしかしたら一人一車両ぐらい部屋みたいな場所があるのかもしれない。
おじさんのところは祭りのようにワイワイしていて、妙に温かい空間だった。対してここはとても静かだ。窓の外は暗いが、不思議と不安はない。電車が進んでいることを感じる振動が静かなのでよくわかる。
「ちょっと休憩しようか」
「そうだね。お姉さんのことも知りたいな」
「私のこと?」
何も面白いことはないんだけどな。
「何してる人なの?」
「ただの大学生だよ」
「わぁいいなぁ」
「どうして?」
「何を隠そう僕の夢は大学生になることだったんだ」
「変なの?」
「だって将来の夢なんてわかんなかったんだもん。野球選手も、宇宙飛行士もどうやってなるかもわかなかった。勉強すれば大学生になれる。そしたらなんでもなれる。だから僕の夢は大学生になることだったんだ。死んじゃったみたいだけどね」
残念そうに笑って言う最後の言葉はさすがに笑えない。彼が大人びているように見えたのは、彼が子供らしからぬ知見を持っているからだろう。
「お姉さんは夢ないの?」
「そんな綺麗なものはないかな。予定は適当に嫌いじゃないことを仕事にしたいなってぐらい」
「予定ってなんだか列車みたいだね」
「……そうかもね」
レールに沿った人生なんて言葉もあるぐらいだ。ただ自分がどの電車を乗るかは、決めてきたつもりだ。乗り換えることもできないような遠い乗り場や、止まってくれない新幹線みたいなのは憧れただけだったけど。
「ここで終わってもいいのかもね」
「えーお姉さん若いのに」
「少年に言われたくないな」
「そうだけど。なんでそんなこと言えるの?死にたいの?」
「死にたくはないよ」
ただ生きてしたいことがあんまり浮かばないだけ。私はまだまだ若いけれど、ニュースでよく見る誰かのように擦り切れるように働きたくはない。たとえそうはならないとしても、私が生きていくだけで消費する感情やお金を稼ぐのが面倒でしかたない。
「ただあんまり生きたいと思えないだけ」
「嫌なことでもあったの?」
「うーん。嫌なことが見えてるって感じかな」
「そうなんだ」
「はは子どもは知らなくていいことだね」
「大丈夫。お姉さんの言ってることよくわかんないから」
「それはよかった」
あんまり前向きなことが言えていない私であった。まぁ嘘つくなんて私らしくないことをするつもりはない。後悔しない方法はきっと、自分を偽らないことだ。
「さてそろそろ行く?」
「うん。そうだね」
立ち上がり今度は私の方から空君に手を伸ばした。彼の手を取り、私たちは早速次に向かうことにした。
訪れた車両はとても明るかった。今までと違うのは空が見えることだった。窓からは空と海が見える。海は夕日に照らされてキラキラ輝いている。車両の主は、優先座席に座って私たちをじっと見ていた。女の人だった。年齢的には私よりも大人びて見える。ただ少しずぼらなジャージの格好をしていた。髪の毛もはねていて、お世辞にも車両の外の景色にはあった人物とは言えない。
「こんにちは」
普段あまり話しかけない私だが、勇気を出した。
「……」
返答は沈黙だった。
「こんにちはー」
今度は空君が元気よく挨拶をした。今度は見て分かるように体を震わせボックス席のほうに姿を隠した。車両は中央にも出入り口があるものだ。私たちの右隣にもボックス席があり、ちょうどその対角線上に女性が姿を隠したボックス席が存在している。
これはなるほど。使える。
「空君ちょっと一人で話しかけてきて」
「?いいよ」
「よしGO」
といって彼の背中を叩いてうながす。
女性の隠れた陰に空君が近づく。なにかカーテンのようなものが揺れているのが目についた。思えばボックス席のはずなのに、背もたれが天井につくぐらいある。というかもうあれは壁だ。化粧室という感じでもないあれはなんだ。個室のようだ。
見ていると空君がこちらの方に戻ってきた。
「ちょっと待ってだって」
言われたとおりちょっと待つことにした。やることもないので、空君と一緒に窓の外を見ていた。
「海綺麗だね。僕こんな綺麗な海初めて見たよ」
「そうね。私も始めてかも」
海もだけどやっぱり夕日も綺麗だ。あと私はついつい鳥や、海に浮かぶ船などを眺めてしまうので、余計なもののない大きな自然の風景は新鮮だった。美しい絵の中にいるような気分だ。
「いいね」
「そうね」
「ふふふ。ありがとう」
とそこで私たちの後ろから、柔らかでそれでいて色っぽい声が届く。思わず振り返ると、ふるゆわ系の大人女性が立っていた。まさかこれがさっきの女性。変身しすぎである。これもう蛹が蝶になるぐらいの見た目の変化だ。
「わぁお姉さんも綺麗」
空君がはしゃぐように言う。恥ずかしげもなく人を褒めれるのは恐ろしい才能ではないかと、一瞬考えてしまった。
「ありがとう」
「驚きました」
「びっくりさせるのは好きだから、さっき見られたことは許してあげる」
やっぱりなんだか色っぽい人である。とそこで私は先ほど、おじさんからもらった菓子があることに気付いた。
「あっこれつまらないものですが一緒にどうですか」
「なにそれ?」
「ホットケーキみたいなものです」
「わぁいいわね。じゃあちょっと待ってて、ティーカップ用意するから」
ルンルンと踊るように彼女は先ほどのカーテンが揺れていたボックスに戻っていった。
「わぁびっくりしたー。人間ってあんなに変わるもんなんだね」
「私も驚いた。綺麗な人だったね」
「うん」
二人して顔を合わせて感想を述べる。そうしていると、女性の方からこちらに来るように手招きをされ、土産を持ってそちらに向かった。
ボックス席と思われた場所はどうやら彼女の個人的な部屋のようになっているようだ。カーテンの奥はプライベートな空間のようなので極力みないようにする。その隣のボックス席に私たちは並んで座った。女性は対面に座り、なぜか席と席の間にある机にティーカップとマグカップを置いた。ここだけ喫茶店のような雰囲気だ。
「アイスティーとリンゴジュースよ。どうぞ」
「これはご丁寧にありがとうございます」
素直にお礼を返す。私も手に持っていた『冥土焼き』を机の上に広げる。紙袋を破って広げただけで、上品とはさすがに言えない。
「あなたたちここは初めて?」
「どういう意味ですか?」
女性の質問の意味を捉え損ねて聞き返す。
「この世界でいいのかな。私は何回か来たことあるけど」
「ここは死後の世界じゃないんですか?」
「ちょっと違うかな。私も死んだことないからわかんないけど、電車を降りたら夢から覚めるみたいに私たちの現実に戻れるみたい。よくわかんないけどね」
女性は柔らかく微笑む。
「僕はまだ死んでないんですか?」
空君が不安そうに声を漏らす。
「うん。だって私がここに来るのは四回目だもの。いつもスランプになるとここに来ちゃうんだよね。よくわかんないけど」
女性は嘘を言っているようには思えない。
「死後の世界ではないんですか?」
「多分境界なんじゃないかな。私はそう思ってる。だから死のうと思えば死ねると思うよ」
女性は路線図をなぞるように言って見せる。
そういうことなら私は死にたくないかな。
「どうやったら帰れますか?」
「知ればいいよ。えっと」
彼女が言いよどんだタイミングでこの列車で初めて聞くアナウンスが聞こえた。
「333339のお客様。ご自分の席にお戻りください。まもなく到着いたします」
ビクッと私の隣で空君が肩を震わす。彼は手のひらに切符を乗せていて、アナウンスのあった番号が記されていた。
「うん。空君はすぐ戻った方がいいよ。乗り越してしまうと本当に死んでしまうよ」
「それは嫌だ!」
空君は慌てて立ち上がった。私も慌てて席を立つ。
「二人とも急いだ方がいいよ。あんまりゆっくりするのはよくない場所だからね」
言っている彼女の姿はとてもゆったりしていた。
「お姉さん早く早く」
空君は急かすように私の手を引く。窓から見える風景は変わらず美しい。まるで時間が止まっているようだ。
「違う」
扉を開けて、空君は焦るように別の車両に飛び込む。車両の左右に絵画が飾られたおかしな部屋だ。そこには誰もいない。いても今の私たちには時間が惜しい。空君に引っ張られ、ほとんど見ずに次の車両に移る。次は不思議な人形がたくさんある部屋だ。石のような、骨のような人形が並んでいて奇妙だけど少し愛らしい。それも足早に次の部屋に移る。
「ちょっと待って」
明らかに様子の変わった空君に話しかける。
「ごめんなさい」
明らかに落ち込んでいる声が返ってきた。私も思わず悲しくなってしまう。ダメもとで私が扉を開くと、私が最初にいた場所に戻ってしまった。
「僕はもう死んじゃうのかな」
空君は落ち込んだように席に座る。両目に涙を浮かべ不安そうな顔をしている。
「大丈夫だよ」
「でも、僕は僕の場所に帰れないよ。このままじゃ死んじゃうよ。嫌だよ。死にたくないよ」
私の腕にしがみつき、温かい涙を感じる。
「お姉さんみたいになりたい。ここで死んでもいいって笑えるようになりたい。僕は死ぬのが怖い。怖くて怖くて嫌だ!死にたくない。死にたくないよ」
涙が止まらない少年の叫び声が無音の車内に響く。
私のつまらない人生感は彼にどんな風に見えていたのだろうか。私は彼の思っているほど強い人間じゃない。だけどきっと今の彼には、私の心は強いもののように見えているのだろう。だったら勇気を与えてあげたい。
ちょっと陽気で少し大人びた小さな彼が、もう一度立ち上がれるようにしてあげたい。
「空君なら大丈夫だよ」
「どうしてそんなことを言うの」
「うーんなんとなく。私だってどうにかなってるんだもん。君なら大丈夫だよ」
「無責任だよ」
「それでいいんだよ。今の空君よりずっと前向きだもの。私の高校の知り合いの話なんだけどね。マラソンで走り続ける奴がいたんだ。別に適当に歩いたり、手を抜いたりすればいいのに、いつも全力で取り組んでるの。無理しない程度なんだろうけど、そんな辛いことどうしてできるのかよくわかんなかった」
私は何を言っているのだろう。ただ今の彼に話せるぴったりなエピソードを私は持っていない。
「本人に聞いたら、「別にその時間だけだし」とか答えられたんだ。こいつは変だけど真面目な奴なんだなって思ったな」
「その人のこと好きだったの?」
「別に。そいつは他に好きな子がいたし、私の趣味でもなかった。ただそういう生き方は真似できないから、カッコいいと思った」
高校卒業したあと連絡取っていないけど、彼はきっとどこかで元気にやってるんだろうな。
「どうしてその話を僕にするの?」
「うーん。諦めてほしくないからかな。空君はそいつよりずっとカッコよくなると思うし、それにこんなに生きたいと思っているのに死んじゃうのは嫌だもん」
「お姉さんは優しいね」
「そんなことないよ。私は仲間意識が強いだけだから。多分高校の知り合いも、友達が少なかったから気にしてたんだろうし」
うーん。元気にしてあげたいのに、なんだかどうでもいい話をしてしまった。
「僕生き返ったらお姉さんに会いに行く。絶対に行くからね。どこに住んでるの?東京?大阪?」
「今は京都にいるかな。私も空君に会えたら嬉しいな」
「僕と会えたら嬉しい?」
「うん。こんな奇妙な体験したんだもん。こんな縁はめったにないよ。大事にしたい」
「やっぱりお姉さんは変な人だ」
「はは。そうかもね」
空君の笑顔に、私も引きずられて笑う。
「あっけどどうやって会おう」
空君が困ったように声を上げる。
「携帯ある?」
「ないよー」
「だよねー」
さすがに小学生が持ってるわけないか。
「電話番号教えてー!覚えるから」
私の手荷物に筆記用具があった気がしたが、周りには見当たらない。思えばいつの間にか、持っていた本や大学用のカバンも近くにはなかった。まぁまた後で探せばいいか。
「じゃあいうよ」
私は自分の携帯電話の番号を口にした。空君はそれを何度も何度も、小声で復唱した。
「うん。ありがとう。じゃあそろそろ行かないとね」
彼が立ち上がるのに私も続く。
「僕お姉さんに会えてよかった。このこと絶対に忘れたくないな」
「大丈夫だよ。こんな変なこと忘れないよ」
「うん。お姉さん手。繋いでほしいな」
「いいよ」
私と彼は仲の良い姉弟のように私の車両を後にした。
たどり着いた場所は学校のような場所だった。車内は教室の様で外は昼間のようだ。
「間もなく到着いたします。降り口は左側です」
さきほどと同じアナウンスが流れる。左側のほうをみると学校の廊下のようなホームがあった。なんというか奇妙な風景だ。
「間に合ってよかったね」
私がそういうと彼はなんだか少し寂しそうだ。
「僕はね。死にたかったんだ」
唐突に彼は私にそう零した。
「どうして?」
「いじめられたから。辛くて僕なんていらない存在なんだって思ったから。大丈夫。よくある話だって分かってるから」
「それでも私は悲しいよ」
「やっぱりお姉さんは優しいな。僕は死にたかったけど、死のうとした時どうしようもなく生きたくてしかたなかった。意味が欲しいでいいのかな。そんな生まれた理由?みたいなものが知りたかった」
彼の表情は徐々に明るくなっていく。私は彼はもう大丈夫だと直感した。
「答えは見つかったんだね」
「うん。お姉さんが教えてくれた。だから僕は頑張ってみる。お姉さんみたいに笑えるようになりたいから」
その目は力強く私を見ていた。列車は少しずつゆっくりとなっていく。どうやら到着したようだ。
「お姉さん顔近づけて」
「うん?」
私は言われるがままに顔を近づけると、唇をふさがれた。それは一瞬で彼は私から距離を取る。
「初めてだったらごめんね。じゃあまたね」
私はとっさ的に唇を抑え何も言えなかった。とりあえず片手で手を振った。
夢を見た。とても昔の夢だ。私の妄想だったんじゃないかという夢でもある。小さな男の子と不思議な列車を探検する話だ。あの列車には何回か行くことがあったが、あの氷室空という少年に会った時以上に衝撃的なことはなかった。
太陽のように明るくて、月のように寂しい。そんな魅力的な少年だったことを覚えている。
「うん?」
そういえば今日は休日か。仕事もないし、二度寝しようかなと思ったら携帯電話が震動していることに気づいた。知らない番号だった。一瞬躊躇う。ただお金関係の電話だと面倒なので、素直に受け取ることにした。
「もしもし?」
男性の低い声がした。それでいてどこか聞いたことがある気もする。
「誰ですか?」
「お姉さんですか。僕です。氷室空です。覚えてますか?」
忘れるわけがない。ちょうど君の夢を見ていたから。
「うん」
「よかった。本当によかった」
「そんな大げさな」
私が大学生のころだから八年ぐらい前の話か。
「だってあの列車でお姉さん、死んでもいいって言ってたから」
この少し臆病なところは変わらないなと思った。
「せっかくだから会おうよ」
今日は休日。だけど予定はなし。そんなつまらない人生よりかは可愛い少年がどんな成長をしたのか見に行くのも悪くない。お金も時間も今日はある。使わないことが一番損だ。よほど遠くでなければ大丈夫だろう。
「その僕も京都に行くんです。お姉さんまだ近くにいますか?」
「いるよ。君はもうこっちのほうにいるのかな?」
私の問いに彼は住所を番地まで細かく教えてくれた。地下鉄を使えばすぐ行けそうだ。私は待ち合わせの場所を適当に教える。どうやら彼はまだこちらに来て日が浅いようだ。
「あのお姉さん」
「どうしたの?かしこまって」
「大事な話があるんです。聞いてもらえますか」
「お安い御用だよ」
特に覚悟も決めず答えたことを、私が後悔するのはまた別のお話。




