9.エピローグⅡ 9/21 17:36
工場での仕事を終えた俺は、同僚のおじさんと一緒に、並んで電車に座っていた。
珍しい定時上がり。ちょっと金が惜しくもあるけど、今日は帰りたい気分でいっぱいなのでそれでよかった。
「お……」
降りる駅まであと数駅というところで、となりのおじさんが眠っているのに気づいた。お疲れかなと思うも、放っておくわけにはいかない。俺はおじさんの、座っても大きい体を揺すった。
「ちょっと、もうすぐっすよ、起きてください」
「ん…… あ、あれ……? 黒光くん?」
もう結構な付き合いになるが、俺はこのおじさんが心配だった。親子ほども歳が離れているが、俺にまで敬語を使い、ちゃんと俺を「くろみつ」と呼んでくれる。すぐ無理をするし、妙に頼りないのが心配で、同時俺の心のオアシスだった。俺がこんな仕事でも腐らずにいられるのは、こういう人のおかげだろう。
「いや、ごめんね…… 日射しが気持ちよくてついうとうとと……」
最近老眼鏡をかけだしたおじさんは、背の高さも相まって、妙にダンディで格好良くみえるようになった気がする。これでスーツでも着るような仕事ならなと、惜しく思わなくもない。
ただ、その発言はやっぱりオアシスだ。
「お疲れっすね、梢さん」
「いや、そんなことはないよ。最近は体がラクだ。あの騒ぎのおかげで、無茶ぶりがなくなったからかな」
「あー、『木下事件』ですね」
――『木下事件』。
派遣会社の事務所内のオアシス、倉橋さんが事故に遭い、そこから始まった一連の事件。
事故に遭ってしまった倉橋さんに対し、解雇と、労災の却下と、社用車の弁償をなすりつけようとしたクソ木下。そこにどんなルートか法律の手が伸び、倉橋さん含め派遣スタッフ達の過剰労働から、派遣してはならない職種への仲介、明らかにおかしいマージン率や、毎月引かれる謎のデータ実装費にまで問題が波及。
ネットでもちょっとした騒ぎになり、クソ木下は俺達の前から姿を消した。
「木下さんも気の毒だね…… あの歳でこれから再就職かな、タフな人だから大丈夫だろうけど」
「そ、そうっすね……」
ちなみに木下、派遣達の間では「本当に消されてる」という噂が飛び交っている。もちろん噂だ。っていうか、梢さんどれだけいい人なんだよ、俺はあのクソに同情なんてカケラもでねぇぞ。
ともあれ、あれ以来俺達は無茶な労働もなくなり、非常に助かった。惜しむらくは、倉橋さんが辞めて事務所に潤いがなくなったということ、それだけである。
いつも通り、梢さんと駅で別れた俺は、軽い足取りで徒歩十五分という微妙な遠さの自宅まで戻った。
他県で大学生活をしていた俺が、その名残のままで地元に戻って始めてしまった一人暮らし。親からはこの実家の近さでアホだなんだと言われたが、知ったこっちゃない。せっかく揃えた家電が勿体ないし、家に金を入れさせられるなら家賃を払うも結局一緒だ。
そして何より、我が一人暮らしはこういう時のためにある。
「むっ…… やられたか……」
安いマンションの一室、俺の部屋のドアに「不在票」が入れられていた。
そう、今日こそはあのゲーム機。これまで結局予約すら出来ず、品薄による転売屋の横行で手に入れることができなかったあのゲーム機が、ついにKonozam様から届くのである! 無論通常価格、配送料無料で。
「ちぃっ! ならばやれることを臀部済ませ、全裸待機だ!」
いつも仲間うちで言っている冗談を言い放った俺は、「聞こえてないよな?」と廊下を見回したあと、自室に君臨した。もう、ちょっとテンション上がりまくりである。
部屋に入って早々に宅配業者に再配達を申し入れ、俺はさっそくとシャワーを浴びると、冷蔵庫に入っていたスーパーの見切り品をこたつテーブルへと並べ立て晩飯にかかる。今日の業を全て成し終えての戦いの幕開けだ。
すでに明日は休みを取った。あっさり取れたところは、クソ木下がいなくなったおかげかもしれない。
「待ちきれん……!」
胸がざわざわするというか、落ち着かない。これから二十三にもなった男が、夜通し一人で変なコントローラを握ってくねくねします! その光景を想像すると…… うわぁ、一人暮らしでよかった! 楽しみ!
ひとまず落ち着こうと俺は、総菜のよくわからない緑の雑草っぽいものを口に放り込み、テレビを点けた。
「あ、犬養さんだ」
相変わらずカッコいい、犬養さんの静止画が画面に映る。その両脇を挟む形で、前と時間帯は違うのにハゲ頭のキャスターと、今日もスーツじゃない解説の人が話をしていた。
今月中頃に帰ってきた犬養さん。一時はテレビを点ければ必ず見られる、それくらいに扱われていたが、もうそろそろと見かけるのは珍しくもなっていた。
俺はせっかくなのでテレビをそのままに、飯を食いながら犬養さんの話を見ていることにした。
『今回、犬養さんのEVAミッションについて、このテレビ局も含めて、あのEVAは必要だったのか、犬養さん個人が目立ちたいだけじゃなかったのかと、一部新聞週刊誌含めマスメディア各局に彼を貶めるような報道が出ていますが、そんなことはありません!』
お、おお? と、そんな報道が出ていることすら知らなかった俺は、解説者の熱っぽい語り口調に前のめりになる。
『アメリカのNAXAへ電話し、直接当局の幹部、技術者数人からも間違いが無いか確認も取りました。出してください』
犬養さんの静止画に、テロップが現れる。
――「軌道船と帰還船の間に張り付いていた異物は、除去しなければ地球への軌道を変えかねない、恐ろしい位置にあった。犬養の判断は間違いの無い、英雄的行為と言えるだろう。」NAXA公式声明(9月18日発表)
テロップを前に熱を帯びていく解説を聞きながら、俺は「やっぱかっけぇなぁ」と、一人呟く。少なくとも、これから変なコントローラを握ってハッスルな俺には及びもつかない。
『――そして、見事にEVAミッションをやり遂げた犬養さんですが、皆さんもう何度も見られたと思いますが、そう、この映像です――』
切り替わった映像。宇宙で細いクレーンに運ばれる犬養さん。
宇宙服を着た犬養さんが、突然何かに弾かれたように大きくクレーンを離れる。どうしようもないのか、伸びきるままに伸びる細く短い命綱と、身動きが取れない様子の犬養さん。
その状態が数秒続き、犬養さんは緩慢に見える動きで腰からコントローラのようなものを取り出す。やがてその体は、クレーンへと戻って行った――
流れた現実感の無い映像は、俺もこれまで何度も目にしていた。俺にとってちょろっとだけ「宇宙怖ぇ」と思わせた、軽いトラウマ映像である。
『この時のことを語る、犬養さんの映像があります。皆さんご覧下さい』
画面の中、犬養さんが、海外の記者会見場で喋る――
『正直なところ、アクシデントの瞬間のことは憶えていません。一瞬にしてパニックに陥ったんでしょう。自分の体がクレーンを離れたことすら、しばらくは理解出来ませんでした』
『でもあなたは、冷静に誤作動を起こした自助推進装置を再始動させ、無事に作業を終わらせました。その精神力はどこから来たものなのでしょう?』
『歌を…… 聞いたんです』
『歌を?』
『はい、ミッション前日に聞いた「家族」の歌です。その歌を聴いた私はなんとしてでもクルー達を、家族の元に帰してあげたいと、そう思ったんです。私は――』
『あの歌のおかげで、必死になれたんです』
テレビからはピアノの音が鳴り、しわがれた声がいい感じの、そんな洋楽が流れ出した。
「歌か…… そんなこともあるのかな……」
家族の歌と言われても、大学を出ているはずの俺には英語はさっぱりだった。
それを残念に思いつつ、なんとなくいい話に得をした気持ちになった俺は、残った晩飯をかっ込んで食器やゴミを重ねていく。
「ん、そろそろかな? そろそろいいんじゃないか?」
根拠は無い。だがそろそろと、俺のハッスルタイムが来てもいいはずだ。そう勝手に思う俺は、食器の片付けは後回しにして、トイレに行こうと立ち上がった。
と、そこで――
『ではCMのあと、今回特別にセッティングを頂きました犬養さんとの生中継をお送りします。どうか、チャンネルはそのまま――』
「えっ? マジで!?」
前フリ無し、まさかなハゲ頭のキャスターからの一言に大げさにびっくりし、振り返った俺。その足下に――
こたつテーブルの線が絡みつき、俺は音を立てて横倒しに倒れた。
「ぐ、おおおぉお……!」
しばし悶絶する俺、受け身もとれず、転倒した俺。
その目線の先に――
ベッドの下の隅、一枚の百円玉が輝いていた。