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8.エピローグⅠ 9/21 14:28


 寂れた田舎町の坂道の上、高台にある市民病院。僕はロビーにて、壁際に並べられた待合席に座っていた。

 チャイムが鳴り、番号札を持った人が受付に行く。診察が終わったらしき人が、処方箋の発行所や自動支払機の前に並ぶ。看護師に連れられた松葉杖の老人。売店を目差す、パジャマ姿の男性。

 数十の人が座り、行き来するロビーは、もう見慣れたものであり懐かしくもある光景だった。


「あら、三木さん?」


 ぼうっと人の流れを見ていた僕の視界の外から、女性の声がかかった。首を向けると、僕より十は上だろう看護師の女性が笑いかけていた。


「どうも」


 僕は軽く、会釈を返す。


「こんなところにいて…… どこか悪いの?」

「ああ、いえ…… ちょっと用事で来ただけで」

「そう、もう無理しちゃダメよ?」


 手を振って、看護師の女性は去って行った。

 覚えているものなんだなぁと、僕は驚く。株主総会の日に過労に倒れ、ここで過ごしたのは二週間。早いものでその時から、もう二ヶ月が経とうとしている。

 僕個人にとっては特別なことでも、毎日毎日入れ替わり、月にどれだけの数がいるのかもしれない入院患者達。ほとんど安静にして過ごしていただけの僕を、覚えている人がいるとは思っていなかった。

 ひょっとしたらゲームのおかげなのかな? と、少し思う。


 ――『お前は最高に面白い、日本一面白い。お前がそう思うなら大ヒット間違い無しだ』


 僕が面白いかは横に置いておいて、社長の目に狂いはなかった。

 七月二十八日に全世界同時発売された新型ゲーム機は、製作側の僕たちの予想を遙かに上回る形での、空前の大ヒットとなった。

 「予想外ですね」と喜ぶ僕に対し、社長は「予想してなきゃダメだろ」と、軽く頭を小突いて、相変わらずの何を考えているのかわからない笑顔を見せてくれた。あの人だけは、本当に予想していたのかもしれない。

 僕にゲームで人を楽しませることを教えてくれた恩師であり、今は優れた経営者である社長。世の中には尊敬すべきすごい人がいるものだけど、社長はまさにそうだと思う。ゲームは下手だけれども。


 最近になってようやくブームも落ち着いてきたとはいえ、今も経済誌やゲーム雑誌からの取材は多い。あの看護師さんも、それで後になって何かで見かけて、うちの患者だった人だ、なんて思い出したのかもしれない。

 そうだとしても、そうでなくとも、覚えてもらえているのは嬉しいことだ。


 思い起こせば色んな人が助けてくれた。

 社長や開発のメンバーはもとより、営業下手な僕を冷やかしまじりであっちこっちに引きずりだしてくれた広報。僕のゲームのファンだということで、カタ苦しい枠組みを捨てて自ら宣伝を買って出てくれた芸能人や漫画家、会ったことも無いブロガーの人達。

 それに、どんなに苦しくとも絶対に間に合わせると、僕たちでさえもゾッするような労働時間を重ねて、見事に納品してみせた製造の人達には感謝してもしきれない。

 スタートダッシュが大事な夏休み商戦。予定数が納品されなければ、これほどまでのヒットはなかったと思っている。


 そして、特別に、僕が感謝するのは――



 僕は待ちきれない想いを静めようと、スーツの内ポケットから一通のエアメールを取り出した。





「思い切ったねデイビット、僕は君がロック以外を書くなんて思わなかった」


 ロス市内。あの日以来、すっかり綺麗にしてしまった仕事場で、オレはこのところひっきりなしな音楽雑誌からの取材を受けていた。近々この仕事場も引き払う。多分、今日はここでの最後の取材になるだろう。


「オレもだよ、ファンのみんなはびっくりしたかもしれないけど、オレが一番びっくりしてる」


 そう、びっくりしている。ミューズだかオルフェウスだか、そんなものがいるかは知らねぇけど、オレはあの日確かに、誰かからオレの音楽を教えてもらった。


「どういう心境の変化なんだい? ロック専門誌の僕としては、とっても複雑な気分なんだけど」

「おっと、そういやそうだな、編集長から怒られんじゃねぇの?」

「フフン、今は僕が編集長なんだよ? 知ってた?」


 お互いに笑い合う。オレの全盛期の頃からの記者で、こいつももう長い。時代は流れたんだなとオレは思う。


「たしかに、オレはこれまでロック一辺倒で、他はクソとまでは言わねぇが、少なくともやる気はなかったよ」

「ああ、そう言ってたよね」

「でも忘れもしない、七月二十八日。息子の誕生日にさ、運良くちゃんと息子の元に届けられたテレビゲーム――」

「ゲーム?」


 オレは軽く、「あれだよ」と説明してやった。それで伝わるくらい、あのゲームは今やロサンゼルス、アメリカ中にブームを起こしている。目の前の結構な歳の記者は、孫にねだられたが未だ買えていないらしい。初回生産分、受けた予約分を用意することすら、一歩間違えれば出来なかったそうだということを、オレはあとでテレビで知った。


「オレはあれを息子と一緒にやって、妻まで一緒になって遊び初めて、まったくロックじゃない子供じみた遊びに、本気で夢中になったんだ。あの夜は、暗い世界ばかり追求しようとしていたオレに光が射したみたいだった。だから、オレはこの大事な感覚を曲にして、みんなに伝えたい、伝えておかなきゃいけないって想いで、初めて「ロック」を外したんだ」


 あの日、息子の寝顔の前で頭に流れたメロディー、それは――


「『家族』って偉大で、今のオレがそれを表現するにはバラードしかないって思ってね」


 静かで温かい、鼓動のようなピアノの旋律だった。


「いい話だねぇ、それで大ヒットなわけだけど…… 今後「ロック」は?」

「ははっ、もちろんやるよ。ただちょっと、今までよりは明るいものになるかな?」

「おお、そいつは楽しみだ。新生マット・デイビット・ヒルの誕生だね」

「ありがとう」


 オレ達は手を握り合う。昔はハイタッチだった。

 表情や手から、温かいものを感じる。こいつもロック馬鹿でも、この気持ちを共有できる人生(ライフ)を越えているんだろう。


「それにしても運がいいね。あのゲーム機、僕も楽しみにしてたんだけど、もう一回延期なんてなってたら今のデイビットはいないわけだ」

「ああ……」


 それは本当に、そう思う。




 ――「ひとつのゲームがオレの人生と、家族の人生を変えてくれたんだ」




「どういたしまして……」


 私が診察を終え、料金の支払いを済ませて近寄ると、彼はそう呟いていた。

 手には一通のエアメール。しばらくは持っていたいと、この所お守りのように胸に忍ばせているあの手紙だった。


「三木さん、またお手紙?」


 松葉杖をついているというのに、私に気づかなかった様子の三木さんは、びくりと肩を上げて振り返った。


「お、終わったの……?」

「ええ、患者さんが多くて長くかかっちゃって…… ごめんなさいね?」

「い、いや…… いいよ、病院ってそういうもんだし。行こうか」


 三木さんが立ち上がり、ロビーから正面玄関へと歩き出す。

 ゆっくりゆっくりと進む私に、合わせてくれる歩みが嬉しかった。



 紅葉の並木の下を、二人並んで駐車場へと歩いて行く。

 大きなお仕事を終えた三木さんは休暇中らしく、今日は私の通院に付き添ってくれていた。


「倉橋さん、経過は…… どうなの?」

「もうすぐ杖も取れるそうですよ? まだしばらくはちゃんとは歩けないかもしれないけど、年内には完治するだろうって先生が」

「それはよかった……」


 我がことのように、ほっと微笑む三木さんは、本当に優しい人だと思う。きっとこんな人だからこそ、世界中の子供達を夢中にさせてしまうのだろう。どうしてこうして一緒に歩いていられるのか、わからないくらいに素敵な人だ。




 彼との出会いは、気づけば寝かされていたこの病院だった。

 ワゴン車の右側から跳ね飛ばされる形で事故を起こした私は、右腕、右足、胸骨―― その他もろもろ、十数カ所の骨折を負う重体となった。幸い内蔵を損傷するような大事にいたらなかったのは、相手方があまりスピードを出していなかったことが大きいらしい。それでも、一時でもベッドを離れられるようになるまでは、実に十日の時間が必要だった。


 そして、離れられたその日、私は彼に出会った。


 看護師に車椅子で運ばれ、整形外科の前にて一人順番を待つ私。その私の前を、一見なんの病気にもかかっていなさそうな、眼鏡をかけた彼が通り過ぎたのだ。

 ああやって普通に動けるようになるまで、どれくらいかかるのだろう。その時すでに、会社から解雇通知を貰っていた私は将来のこともあり、不安を抱えて彼を見つめてしまっていた。

 いったいどんな表情だっただろうか。きっと、彼が振り向き、固まってしまうくらいには悲壮な顔だったのだろう。

 出会いは、そこから始まった。


 私が思い詰めている様子を放っておけなかったのか、その後彼は毎日私に約束を取り付け、会ってくれた。会う度会う度本当に驚かされる人で、私が虜になるまでは、恥ずかしながらとんでもなく早かったと思う。

 出会ったその日には私の境遇を聞いて同情してくれ、二日目には辞めさせられた会社からの待遇と、抱えさせられた賠償問題に憤慨し、三日目には高そうなスーツを着た「法務部」という人達とともに現れ、四日目にはゲーム会社のとても偉い人だと打ち明けて、退院していった。

 彼が病院を去り、これで終わったと思っても、彼は終わりにはしなかった。

 なぜか不自然なまでに私に良くしてくれる、夢の世界にいるような人。


 人に世話を焼き続け、自分を忙しくしていないと落ち着けない。

 彼がそんな追い詰められた心を抱えていると知ったのは、そのしばらく後のことだった――




「ねぇ三木さん」


 うん? と、彼が振り向く。


「ファンレターって、世界中から読み切れないくらい来てると思うんだけど…… どうしてその手紙を大事に持ってるの?」


 三木さんはちらりと視線を胸ポケットに落とし、私に顔を向けた。


「この手紙は…… なんだかすごく嬉しくてね」

「……? 他は…… 嬉しくないの?」

「いやいや、もちろん嬉しいよ!」


 笑いながら、三木さんが否定する。それはそうだろう、そういう人だ。




 彼はずっと、あのゲーム機が大成功するまでの間、ものすごく大きなプレッシャーを抱えていた。


 会社の命運、関わって来た人達からの信頼、そして、楽しみにしてくれているユーザーからの期待。

 歩んで来た道で見えていたはずの、図式が崩壊するか否かの瀬戸際。


 発売日が近づけば近づくほどに、彼の不安は押し潰されそうなまでに大きくなっていた。


 それはあまりにも強大で、内心を隠し通すことも出来ず、ついには私に吐露せざるを得なかったくらいに――


 聞かせてもらった私に、彼の気持ちが全てわかったなんておこがましいことは思わない。それでも私は、「人を想ってする仕事」を貫いている彼を、今度は支えてあげたいという気持ちになった。

 だから私は、彼に頼り、頼るふりもして、望むままに。彼と一緒に居続けようと決めた。


 ただ一緒にいる、それだけで支えになる。そう信じて、居続けた。




「じゃあ、どうしてですか?」


 まだたまに、敬語が入る、そんなくすぐったい関係が続いている。

 三木さんが紅葉を見上げた。春にはこの紅葉も、桜になるという。


「うーんとね、ゲームってさ、マスコミとかには良く思われないし、実際に人の時間をいたずらに食いつぶす、良くない面もあると思うんだ。でも…… それだけじゃない。この手紙はそう思わせてくれるんだ」

「そうなの……」


 よくわからないままに、私は笑った。三木さんが嬉しそうなら、それでいい。


「ああ…… 頑張ってよかったなぁ…… 倒れちゃったけど……」

「良かったね……」

「君にも会えたしね?」


 くすりと笑い合う。

 私達はゆっくりと、ゆっくりと駐車場へと歩きだした。





 黄色、緑、そして青――

 まさに赤信号がなくなったかのように、生産ラインは順調にカウントを上げていた。

 それぞれのラインの上、電光掲示板に示される数字は、二ヶ月前からは信じられないものだった。


 総務部に乗り込んで無理矢理に替えさせた派遣会社は、結果的に大成功だった。

 あのタイミングで望月が探し回った先、マシな派遣会社というものが本当にあった。ちょうどその時に、派遣期間を終えたばかりの数人の出先を探している、手空きの会社が出来ていた。

 他の場所で任期を全うした連中だけに、どいつもこいつも手慣れたものでとんでもなく仕事が早い。他の派遣会社の連中からは「傭兵部隊のようだ」と恐れられ、ついには触発されたのか、緑と黄色も若干にしろ出来高が上がった。

 地獄には地獄だったが、それでも納期を越えられたのは、間違いなく彼らが来てくれたおかげだ。


「不破さん、これ…… NGですかね?」


 ラインを監督するおれに、「武藤」と名札をつけた男がリベットを一つ持ってきた。


「……ああ、ダメだな。不良ボックスに放り込んでおいてくれ」


 「はい」とNG品を持って下がっていく武藤。


「おい、武藤」

「あ、はい……」

「もったいねぇとか、めんどくさがられるとか考えなくていいから、怪しいのはどんどん持ってこい」

「……はい!」


 ()()()の武藤。ラインだと手がおせぇが、みずすましとしては優秀。人には向き不向き、色々あるんだなと、おれはマスクの下で笑う。


 なんとか難所を乗り切り、あとは終わるまで待つだけのお祭り騒ぎ。

 今にして思えば、あの気の毒な姉ちゃんが事故に遭わなければ、あの日おれがキレることもなく、納期に間に合うこともなかった。


「何がきっかけ起こすのか、世の中わかんねぇなぁ……」


 名前すら覚えることのなかった姉ちゃんの無事を祈りつつ、おれは増えていく出来高を見上げた。


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