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6.マット・デイビット・ヒル 7/28 18:32

 何冊もの積み重なる雑誌と、食い散らかしたヌードルやエールの缶が転がる小汚ぇ部屋で、オレは一人、シンセの椅子に座ってエレキをかき鳴らしていた。

 足下のエフェクターでディストーションを利かせ、脳を貫くようなサウンドをヘッドフォンから吐き出させる。


 定番の進行から、流行りのオカズを加え、インパクトのあるリフを生み出す――



 ――突き飛ばされ、シールドが抜けたギターが雑誌の山を派手にぶっ潰した。



「クソがっ! こんなもんじゃダメだ!」


 オレの怒鳴り声が、ロサンゼルスの自宅兼仕事場に響く。

 ずっと一線で続けてきた、オレのミュージシャンとしての勘が、作る全ての音を否定していた。

 ふと浮かび、イケると思って実際に音にすると、ジジ臭い。頭を捻って、理論に乗っかってやるとクソつまらねぇ。どうしてこれまで作れていたのかもわからないくらいに、オレの作曲が素人同然の、歩き出したばっかりの頃みたいな壁にブチ当たっていた。


「オレもう四十なんだぜ…… いつまで「ロック」を生きろっていうんだ……!」


 オレはファンが見れば卒倒するかもしれない、情けない体勢でシンセにくず折れる。

 汗ばんだ痩せぎすの体に垂れる、長い金髪がうっとおしかった。


 反体制、反社会的、何かに抵抗する、常識を打ち破る――

 若い頃からオレはそんなロックが大好きで、一緒に熱くなれる同じ系統のミュージシャンや、ファンの連中とのセッションが生き甲斐で、気づいた時にはプロになってたくらいのロック馬鹿だった。

 マット・デイビット・ヒル―― ファーストの「マット」を「マッド」に変えようかと本気で考えるくらいには、馬鹿だった。

 プロになって数年の間には、一時「ロック馬鹿」は「ロック信仰」にまで変わり、やり続けているこのオレの、いつか到達する先にこそ、人間にとっての「真実」ってやつがあるのかもしれない。そんなことまで考えていた、クソ馬鹿だった。


 だが、そんなオレでも歳を食えば変わるらしい。

 相変わらずロックは好きだが、明らかに昔ほどじゃない。むしろ最近は柄にも無く、テレビで流れるヒーリング音楽に涙が出るくらいだ。

 オレが昔最高だと思って書き、ファンや業界人に絶賛されたリリックも、今となっちゃ見れば見るほどに安っぽく感じる。いかにも人がわかってねぇ、ガキが書いたものにしか思えない。

 共感出来んのは、今も昔もこの社会がクソだってところぐらいだった。


 SHIT(クソ)SHIT(クソ)がと連呼しても、結局のところオレはお行儀のいいイギリス人なのかもしれねぇなと、昔ジャパニーズに教わったタイヤキソングを思い出す、そんな始末。


「チクショウ、壊れてねぇだろうな」


 床に転がったクソ高いギターを拾い上げる。一番の弦が伸びきっていたが、潰れた様子は無さそうだった。

 オレはガサガサと、散らばる雑誌を山に戻しながら部屋を見渡す。


「えぇっと、どこにやったか……」


 周りにどれだけ言われても、この癖は直らなかった。いざこうしてモノが必要になると、どこにカタしたのかわからない。「ロックは小綺麗な部屋じゃ生まれねぇんだよ!」なんて言ってたオレは本気で馬鹿かもしれない。

 んなこたねぇだろと、今は思う。だが、直りはしない。


 オレはシールドだのピックだの、いるのかいらねぇのかもわからねぇものが雑多に詰め込まれた、埃まみれのカラーボックスを漁る。すぐにダメになっちまう細い一番の弦、どこかに大量に買い置きがあったはずだ。


「十二弦なんざ使ってるやつの気が知れねぇな……」


 出てこない一番弦の紙袋を探しながら、オレはさらにカラーボックスを漁り続ける、そこに――


「……!」


 青と白のカプセル―― ずっと忘れていたブツが、底から頭を見せた。


 オレは無言で、銀紙に入ったそいつをつまみ上げる。


「まだ…… あったのか……」


 処分していないのだから、当たり前だった。

 今はもう会わなくなった、古いミュージシャンの知り合いに渡された『合成麻薬』。

 当時、今のように行き詰まっていたオレにそいつはこれを手渡し、「壁にブチ当たった時はこいつに限るぜ」と、軽く言ってのけた。オレはロックをやる人間として、()()()を見せるわけにはいかず受け取ってしまったが、結局のところ怖くなって見えない場所にしまい込んだ。

 以来、いつか捨てよう、いつか捨てようと、そのまま放置されていた。


 今まさに、オレは壁にブチ当たっている。

 よくよく考えてみれば、今の行き詰まり方は、「あの頃のよう」とは比べものにならない。


 オレは震える手で、カプセルを引っ張り出し、そして――




「はぁ…… クソ…… なんて面倒くせぇ日だ……」


 十五分後、外から帰ってきたオレは、ぐったりと床に座り込んでいた。

 カプセルは、もうわけのわからねぇくらいにゴミだのなんだのでくるんで、絶対誰も触りたくないだろうって感じに生ゴミまみれにして棄ててきた。

 ほんのちょろっとの量だ。普通にゴミと一緒に燃えて、それで終いだろう。冷や汗はかいたが、おかげで部屋は無駄に綺麗になった。

 時刻は十九時を回り、窓の外は真っ暗になっていた。

 昼間と夜で、一気に気温が変わるロス。オレはついでで片付けてしまった羽織るものを取ろうと、クローゼットに向いた。


「ん……?」


 クローゼットに向かう目が、一瞬壁のカレンダーを捉え、オレの目が戻された。

 赤く丸で囲んだその日、七月二十八日――


「あ…… 今日、誕生日だ……」


 うまくいかない作曲の日々にかまけ、すっかり忘れていた。


「行くだけ、行っとくか……」


 オレはシンセの上、車のキーを手に取ると、中途に綺麗になった部屋を出た。




 星が煌めくエンブレムの青い4WDが、ローズアベニューを抜け、4thストリートをひた走る。

 郊外に向かう渋滞に巻き込まれなかったのは、運が良かった。


 ――七月二十八日。それはオレの、今年十歳になる息子の誕生日だった。


 妻や息子と別居しているオレだが、別に不仲というわけじゃない。ロサンゼルスが仕事には便利だと、そんな理由だ。あとそこに、オレのロックスターとしてのワガママが乗っている。

 ロックは孤独で、甘ったるい空気の中じゃ生まれねぇ。若い頃からそう(うそぶ)いていたオレは、いつかそれを実際に口にしてしまい、あとに引けなくなった。仕事に便利なのはたしかだが、冷静に考えれば同居も難しくない。だが、オレのしょうもないアイデンティティがそれを許してはくれなかった。


 正直に言えば、妻は愛しているし、息子ももちろんだ。こんな境遇だからか、結婚してこの方倦怠期なんざ感じたこともねぇ。今だってオレは、忘れていて遅くなった時間に焦り、必死に車を走らせている。出る前はそんな気分じゃねぇとか思っていたくせに、すっかり浮かれちまっている。


 妻は別居を理解してくれているが、息子―― マークのことを想うと今のままがいいかは悩む。オレにはクソみたいなアル中の親父の思い出しかねぇが、その分息子にはいい親父ってのを教えてやりたい。

 だがオレが「ロック」な親父である以上、息子をまっすぐに育てられない。そんな思い込みがオレに恐怖を与え、オレを孤独に走らせる。

 ちゃんとした「家族」を知らねぇから、求めてはいてもちゃんとした「家族」をやっていける自信がわかねぇ。それはオレが長く持った、持ち続けているジレンマだった。


 走り始めて四十分、そろそろと、オレの本当の自宅がある通りが見えてきた。


「あ……! しまった!」


 そこでオレは、思い出す。

 辿り着くことばかりに必死で、オレの4WDには、()()()()が積まれていなかったことに。




「あなた、お帰りなさい」


 玄関で、妻がオレを迎える。オレの少し下で、あと何年かすれば四十を迎えるはずだが、玄関のライトに照らされる彼女は、相変わらずオレには美しく思える。


「あ、ああ…… 今帰ったよ……」


 そんな妻に怪訝な顔をされるも、オレの浮かない顔は晴れなかった。


「ああ…… あの、マークは?」

「マーク? あの子なら……」


 呼びながらも、会いたいオレと、会いたくないオレが戦っていた。


 どこの父親が、長く会っていない息子の誕生日にプレゼントも持たずに手ぶらで帰るのだろう。

 ロック以外に取り柄の無い馬鹿だとは思っていたが、自分がここまで馬鹿だとは思いもしなかった。絶対にねぇとは思うが、こんなことマスコミにでも知られたら、どれだけ批難を浴びりゃいいかわかったもんじゃない。


 いや、決して、今日は忘れていたとしても、息子の誕生日を完全に忘れ、何一つ用意していなかったわけじゃない。

 むしろオレは結構な苦労をして、もう一月以上前から用意していたのだ。


 日本で作られ、まるで今日、息子に合わせてくれたかのように一緒に誕生日を迎える『新型ゲーム機』。

 オレはそれを業界のツテやらを利用しまくって、絶対に今日のこの日に宅配されるようにと、前もって準備していたのだ。


 しかしつい二週間前、オレはそのサプライズなプレゼントがうまくいきそうにないことを、テレビで知った。「生産が間に合ってない」、「転売屋が横行していてしばらくはまともに買えない」。そんな話題で、ロス中のオタク達が泣き叫んでいる映像が流れ、予定通りに発売されないんじゃないかとコメンテーターが締めくくっていた。


 だからオレは、別のプレゼントを用意しておかないとと考え、考えているうちに…… 作り手の闇に放りこまれ、今日のこの日を思いっきり忘れていた。


 この辺りは住宅街で、気の利いたものなんて手に入らないだろうし、第一オレはオモチャが売ってるような場所なんて知らねぇ。市内まで戻ればどこかあるのかもしれねぇが、今から行って戻って、誕生日に参加できねぇなんてのはもっと最悪だ。

 結局オレは、手ぶらでインターフォンを押す以外になかった。


 どれだけ馬鹿なんだオレは、世界一馬鹿な父親なんじゃないか…… 思わずにいられない。

 結局オレは…… クソみたいな父親に育てられたオレは…… クソみたいな父親にしかなれないのか……


 ドタドタと、家の中をかけてくる音が聞こえる。あの愛らしい足音は間違いなくマークのものだろう。

 オレは果たして、これから遭う家族からのディスに耐えられるだろうか……


 ああ! いっそ誰か! ロックに撃ち殺してくれ!


 そう願うオレに――



「パパ! ありがとう!」


 天井の明かりを弾き返すような、輝く笑顔が降り注いだ。



「え……?」


 オレは、呆けた。


「届いたのよ! あのゲーム! マーク大喜びよ!」

「とどいた? ゲーム……?」


 呆けたオレを、妻と息子の笑顔が囲んでいた。


「あ、ああ…… そうなのか…… はは……」


 信じられなかった。そうか、届いたのか……

 あのテレビで言っていたことはなんだったのか、オレは皮一枚で助かった窮地に、だらしない笑顔をした。ロックの神はオレを撃ち殺さず、助けてくれたらしい。


「パパ! 一緒にやろう!」


 変な形の棒を手にした息子が、オレの腰にしがみついて歩かせようとする。


「え? え? 一緒に、か?」

「さぁ早く!」


 妻にまで背中を押され、オレは家の中へと無理矢理に連れ込まれていった――



 家族揃ってやる、テレビゲーム。こんなことは初めてだった。

 ゲームはあまりやらない妻も、昔は日本のゲームで遊んでいたオレも、マークと全然変わることなく、子供の頃に戻ったように一緒になって夜中まで騒いだ。


 なんて楽しいんだろう、遊ぶことは。

 なんて愛しいんだろう、家族揃って何かに夢中になることは。



 コントローラを握ったまま、眠ってしまった息子を見つめる――


「ああ、そうか…… わかった…… オレが次に作る曲は……」




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