5.三木秋人 6/29 10:29
本社会議室を埋める二百人近い人々の前、僕は同僚達とともに長机に座っていた。
午前十時にスタートした株主総会は、「株主からの意見に真摯に答えたい」との社長の意向により、例年よりも早い進行を見せ、今はもう質疑応答に入っていた。
社長の意向を知ってか知らずか、株主達の辛辣な質問は続く。スマートフォンアプリの台頭に冷え込むゲーム業界。最大手と言われる僕達の会社も、最早三期連続の不振に陥っている。時に放たれる無遠慮な物言いも、わからないではなかった。
マイクを握る、五十代半ばと見られる男性の質問が区切りを迎え、中央に座る社長―― 時田誠一が一礼して口を開く。
「度重なる発売延期を重ね、株主の皆様にはご迷惑をおかけしております。ご心配の件については、現在、製造側との調整を重ねているところです。発売直後には品薄が予想されますが、更なる延期は無いものとお考えください」
すでにプレスリリースされていることとはいえ、思い切った発言だった。広報が報道機関に提供することと、社長が直接口にすることは重みが違う。
これはもう、どうあっても逃げられないのだなと僕は思った。
他のプロジェクトと平行して開発が進められてきた、三年前からのプロジェクト。その結実が、あと二ヶ月とない先に世に出ようとしている。まさに社運を、僕たちのこれからを左右するだろう大プロジェクト。
普段はユーザーのリアクション以外はあまり考えない僕にしても、肩の荷の重さに縛り付けられそうになる。
先ほどの株主が座り、別の株主、僕と同じ三十代と思われる男性が立つ。
「問題となっているのは、新型コントローラに使われる半導体ですよね? 半導体って国内だけでやってるんですよね? 海外にも頼むべきなんじゃないですか?」
やっぱり若い株主、それも現役でゲームで遊んでいるだろうなっていう世代の人は詳しい。あまり公になっていないことでも、しっかり掴んでくる。
今僕たちのプロジェクトにとってネックになっているのは、彼の言う通り「半導体」だった。
僕たちが今年七月末、世界一斉に送り出す新型ゲーム機。それに備えられる、僕から見ても「なにこれ?」とたまに笑っちゃうようなデザインの体感コントローラ。そこには一昔前の携帯電話に入っていた、高品質なチップが使われていた。
最早扱う工場も一社しか無く、生産上の大きな障害となったが、そこは技術屋達と社長の一声によって押し切られる形で採用された。子供が触るもの、安全性こそが最大の品質。それは僕らの会社の理念通りでもある。
「技術的な問題です。やはり子供が触るものですので、万全は期さないといけません。それに、今回のコントローラに使われる技術は高度なものであり、この技術が海外に流出する危険性は、株主の皆様にとっても喜ばしいことではないのではないでしょうか?」
理念にブレない社長の発言に、若い株主が笑みを見せた。
その笑顔に、彼はどんなゲームで遊ぶのかな? と、僕はちょっと思った。
置かれたマイクが、挙手をしている株主の中を渡っていく。
数人の質疑応答が続き、眼鏡をかけた三十半ばくらいの女性に渡る。
「……率直にお聞きしますが、本当に完成しているのでしょうか?」
「と、言いますと?」
「これまでの延期は、全て三木プロデューサーの…… いわゆるちゃぶ台返しで起こりました。もう同じ理由は使えないからと、別の理由を出そうとしているのではないかと」
彼女の目線がチラリと僕を刺し、あとに続いて他の視線達もが僕に注がれた。
『三木秋人』、僕の前にはプレートがあって、雑誌に顔も出ている。総会に出るメンバーの中では、唯一の黒縁メガネだ。見間違えようが無い。
針のむしろというよりも、トゲつきの壁に迫られているようだった。ぐらりと歪みそうになる視界を、僕はまばたきして揺り戻す。
「……それはありません。三木とも話し合いましたが、さすがにもう時間は――」
僕を一瞥して話し始める社長。気を遣ってくれるのは嬉しかったが、僕は小さく挙手して社長を止め、机のマイクに向いた。
「お待たせして、申し訳ありませんでした。ですが、ご安心ください。現在の開発状況はすでに百パーセント、いえ、お待ち頂いた甲斐もあり、百二十パーセントと言っていい出来です。クリエイターとしてのこれまでの人生を賭けた、そんな一作だと思ってくださって結構です」
予定時間をオーバーした総会が終わり、僕は社長と一緒に社内の渡り廊下を歩く。
現状認識を正直に言っただけだったが、僕の発言はちょっとした波紋を呼び、社長が取りなしてくれるまで一悶着あった。考えてもみれば当然だよなと、今更思う。
まだ三十二なんて若造の僕が、三年に渡って会社の利益を食い潰してきたんだ。実際に株式を持っている人達からすれば全く面白くない話だろう。そんな僕が、啖呵にも聞こえるような発言をして気分がいいわけが無い。
僕は本当に、営業の才能は無いなと思う。
「すみませんでした社長、私のせいで責められるようなことになって……」
「三木、蕎麦でも食いに行くか」と、そう誘って以来、のしのしと僕の前を歩み続ける社長。ゲーム作りの恩師であり、一社員の僕を表舞台に引っ張り出した張本人。
僕の今は、この人のおかげで在る。
少年時代から「人を楽しませること」が好きで、でもやり方を見つけられずにいた、そんな僕に道を示してくれた人。
僕が一人で歩んできた道で拾った、「自分が一生懸命楽しめることが、他の人を楽しませる」という答えのカケラ。それを「そうだ」と、自分が持っていた、同じカケラを重ね合わせて一つの形にして見せてくれた、同じ道の先を歩む人。
「まったくだ…… 久々に赤字続きで、会社が傾きかけているよ」
社長は、背中を向けて歩み続ける。
こういう時の彼は、怒っているのかなんとも思っていないのか、よくわからなかった。
「本当に、申し訳ありません」
だが、謝る。今日のことはもとより、これまでかけた心労に謝る。
――謝ってから、僕は気づいた。足を止め、社長の背中に深々と頭を下げていた。
やってから気づく精一杯の謝罪。こんなことは初めてだった。
『クリエイターとしてのこれまでの人生を賭けた、そんな一作』。
その言葉に嘘は無い。
僕は断固として、最高のものを作り上げた。ひどい批難を受けても、わかってもらえるまで何度も何度もチームを説得して、最後にはみんなが笑顔で「作ってよかった」と言ってくれるまで、一切妥協無しに僕らのゲームを仕上げた。
それはもう大変だったけど、『一生懸命で、楽しかった』。
ただ、嘘は無い、嘘は無いだけに、これは怖い。
きっと社長も、怖い想いをしているはずだ。
――「自分が一生懸命楽しめることが、他の人を楽しませる」。
作り手とユーザーは、みんな「楽しい」で繋がれるという、その図式。
失敗は、僕らの想いの、全ての否定なのだ――
「なぁ、三木?」
社長が、振り返る。
「本気で、作ったか?」
薄く笑う、感情のよくわからない表情。
でも、僕は、その温かなまなざしに向けて――
「……はい! あれが今の私に出せる、最高のものです!」
そう、答えた。
「……なら大丈夫だ。お前は最高に面白い、日本一面白い。お前がそう思うなら、大ヒット間違い無しだ」
社長の声に、僕の体から何かがふっと、空に舞うのを感じた。
そして僕は、その場で意識を失った――