1.黒光眞一郎 6/27 15:08
駅前の雑居ビル二階にある小さな喫茶店。高校時代から世話になっているこの場所で、俺は遅い昼飯を食っている。薄暗い店内の、カウンター席が俺のお決まりの場所だった。
「眞ちゃん最近どう?」
カウンターを挟み、マスター―― というより、親っさんな白髪の店主が、お冷やを継ぎ足しながら聞いてきた。
「あにが?」
「仕事だよ、仕事」
分厚いガラス製の黄色いシュガーポット。今だにそんなものが置いてある喫茶店に相応しい、昭和の人の舌には旨いんだろうなっていうオカンが作ったようなスパゲティを呑み込みつつ、俺は答える。
「なんてことないかなぁ、立って手を動かしてりゃ金貰えるんだ。おじさんより楽な仕事してると思うよ」
「派遣だろ? 金にはなってんのかい?」
俺の仕事は工場の派遣。昼間時給八百五十円。退屈な仕事だが、接客の無いバイトと考えると中身は楽だった。
「ん~…… 一応は。親から仕送り貰わんでも生きることくらいは出来てるよ」
「そろそろまともに就職探したらどうだい? 眞ちゃんまだ二十三だろ? ちゃんと普通な大学出てるんだ、髪の毛黒く戻して、ちょろっと探せばぽろっと入れるだろうに……」
また始まったか…… と、俺は思った。
実家の隣に住む幼なじみのお父さん、それゆえに、このおじさんはことあるごとに俺にお節介をくれる。子供が俺の幼なじみ―― 娘一人だったせいか、俺のことを息子のように思ってくれているのだと、俺の親は言う。
「ま、そのうちそのうち」
「んなこと言ってると歳食ってにっちもさっちもいかなくなるぞ?」
まともに付き合うとしつこくなりそうな気配を感じた俺は、適当に誤魔化してお茶を濁すことにした。
別に就職したくないというわけでも、いや、かといって特別したいかって言われるとそうも思わないが、それより気が進まないのは、髪の毛を黒に戻すことだったりする。
――黒光眞一郎。
俺はいつも気がつけば、この微妙な名字のせいで、「くろびかり!」「くろびかり!」とどこへ行っても呼ばれていた。それは子供の頃から今に至るまで、続いている。
そして過去、中学の時。決定的なあだ名―― ツヤのある黒髪を指摘され、「ゴキ」の二文字を与えられて以来、俺は髪を茶色に染めている。そのあだ名をくれたのは、目の前のおじさんの娘なわけだが…… なぁに、過去の話だ。そこには触れまい。
ちなみに、親や教師にボコられるのを覚悟で茶髪を貫いた時、あのクソ幼なじみは「チャバネ」の称号を与えようとしたわけだが、女にワンパンくれてやったのは後にも先にもあれ一回きりだ。そこにも触れまい。
「お…… 犬養さんだ……」
会話が途切れて数分。おじさんが俺の頭上、テレビを見て呟いた。
――『犬養さん、宇宙へ!』
画面の下には、字幕スーパーが踊る。
四十歳にして歳の割には若く見える、少し影のある二枚目の、俳優のような宇宙飛行士、犬養義幸。ニュースに疎い俺でも、犬養さんくらいは知っていた。まぁ、パートのおばちゃん達がよく話してるおかげだが。
字幕スーパーはそのままに、海外の記者会見場でフラッシュを焚かれる犬養さんの映像のあと、画面はスタジオに移った。
『――2011年に終わったスペースシャトル計画以来、言わば使い捨ての宇宙船であるロシア型ソニューズがずっと飛んできたわけですが、今回は初めてアメリカ型のオリオール、『ロンギング号』が飛ぶわけです』
『ソニューズとは何か違うわけですか?』
『使い捨てのポッドタイプであることは一緒です。ですが今回の――』
ハゲ頭のキャスターに、なぜかスーツではない、緩い感じの服装の専門家らしき人が答えていた。
「へぇ…… 宇宙って思ったより、結構な回数行ってるんだなぁ……」
しきりに解説に感心しながら、おじさんが呟いた。
素直にすげぇな、と俺も思う。いや、解説じゃなくて、犬養さんに。
四十歳といえば俺の二十個も上なわけだが、今から必死に頑張ったとして、二十年あって宇宙飛行士にはなれるんだろうか? うん、無理だね。黒光には無理そうです。かさかさかさ。
「ん、出るわ。お会計」
「お、そうかい。今日はどっかお出かけ?」
「ああ、んなとこ。って言っても買い物行くだけだけどね」
昼飯を食べ終えた俺は金を払い、おじさんの店を出た。
「はー、食ったな、量だけは多い……」
満腹になった俺はかさかさと、もとい、てくてくと歩いて駅前から伸びる、長い上り坂に続く赤信号の前に立った。
おじさんには買い物と言ったが、今日の目的は正確には買い物じゃない。八月に発売予定の新型ゲーム機、そしてソフトの予約に行くのだ。Konozamでも予約を受け付けていたが、あっという間に締め切られた。ゆえに、実店舗攻撃。
発売二ヶ月も前から予約をねじ込めば、大手家電量販店ならばなんとか出来るだろうとの算段だ。きっとこの平日休みは、神が今こそ俺に予約に走る時だと言っているのだろう。だといいな。
「くっそ遠いんだよなぁ…… これだから田舎は……」
俺はこれから続く二十分を越える道路登山に向け、スマホにイヤホンを押し込んだ。赤信号が青に変わる時を見計らい、再生を押す。歩き出す俺の足にあわせ、鮮烈なギターとドラムの重低音が耳を襲った。
「田舎最高!」
駅を離れてしまえば人通りは無い。俺はガンッガンにボリュームを上げ、音を漏らしまくりながら二車線道路の左側の歩道を登る。俺はハードなロックが大好きだ。音はでかい方がいい。家でも出来ないくらいの音漏れっぷりが心地よかった。
「ん? おっと……」
坂道の途中、後ろから追いついた小さなトラックが、左にウインカーを出しながら歩道に幅寄せし、俺のすぐ右前に停まった。俺のご自慢のイヤホンはノイズキャンセリング、そして今は音量ガンガン。おかげで接近には全く気づかなかったが、そのポーズが示すところはさすがに一発で理解できる。
左のしょぼいコンビニ、本気で夜十一時になると朝七時まで閉店しやがるコンビニに入るために、俺の通過を待っているのだろう。
「ふっ、いいだろう……!」
俺は瞬間的なダッシュを見せ、トラックの前を通過してやった。
まぁ今はちょっと格好をつけた感じだが、いつも俺はこういう時、ダッシュか早足で車の前を通る。待たせるのは気が引けるし、もし自分が車側の立場なら、自分のカーブのために車道を塞いでいる状態は結構な申し訳無さなのでは? と思うからだ。
たまに渡っている最中で信号が変わっても、悠然と横断歩道を歩ききるオバサンなどを見かけるが、俺からすれば感心すら覚える。茶髪のくせに小心者な俺には無理な話だ。俺ならダッシュだ。
背後にコンビニへと曲がっていくトラックの気配を感じながら、俺は更にボリュームを上げ、坂道を登り続けて行った。
読み始めてくださってありがとうございます、千場葉と申します。
冴えない青年が起こした行動の行き着く先、どうか最後までお楽しみください(^^)/