1 テロリストの放課後 -1-
二月の、芯から冷え込む日。
俺は生徒会室で卒業式の準備をしていた。三年生が自由登校になり、本格的に生徒会が俺たちの双肩にかかってきたのだ。立派な卒業式で先輩たちを送り出してやらなくてはならない。
学年末試験も終わったし、卒業式まであと一ヶ月足らず。やることは色々あるが、まずは茶でも飲んで気分を落ち着けて……。
と思った時。廊下をドタドタと走る音がして、生徒会室のドアががらりと開いた。
「た……高原くん」
顔を出したのは同じクラスの樫村俊樹というヤツ。成績優秀だが大人しくて、あまり目立たないヤツだ。一年から同じ寮で暮らしているのに、未だに俺のことを遠慮深く『くん呼び』するし。
「どうした樫村。廊下を走るのは禁止だぞ」
まあ、男ばかりの男子棟。そんな決まりを守るお上品なヤツはそうそういないのだが。それにしてもおとなしい樫村にそのあわてぶりは似合わなくて、俺は何だかおかしな気がした。
「ご、ごめん」
樫村は少し顔を赤くした。
「で、でも急いでて。あの……坪田くんが」
「ツボタが?」
俺の声は尖る。それに気付いたのだろう、樫村が怖気づいた表情になる。
「イヤすまん、お前にイラついたわけじゃないんだ。で、ツボタがどうした?」
「あ、あの……菅井先生を放送室に連れ込んで……。放送委員を全部追い出して、中からカギをかけてしまって……」
「何やってんだ、あのヤロウ!?」
俺は思わず大声を上げてしまう。樫村が『ごめんなさい!』とあやまる。
「イヤお前が謝る必要はないだろう。で、いったいどうしてそんなことになったんだ」
ちなみに菅井というのは若くてお色気たっぷりの女教師……などではもちろんなく、定年寸前の髪の薄くなったオッサンだ。担当教科は古典。
「あの……テストの結果について聞きたいことがあるって言って……」
「テストの結果だぁ?」
そんな場合ではないが俺は眉をひそめる。アイツの学年末テストの成績と言ったら確か。
「あの。問題文が日本語でしか書かれていないのは不公平だって坪田くんが菅井先生に直訴して、菅井先生が古典なんだから日本語なのは当たり前だって言い返して、そしたら坪田くんが無理やり先生を引きずって放送室へ……」
アホかあ! それはもう犯罪だろ! どこのテロリストだアイツは!
そう言えばアイツ、いろいろな教師に文句をつけに行ってテストの点を訂正してもらっていたような。それを古典でもやったのか。
あのな……訂正がきいたのは、それが英語とか物理とか数学とか『問題文が日本語でなくても内容が理解されていればそれでいい』教科だったからであって。
国語系の教科の場合は、その理屈は通用しないと思うぞ? イヤ、通用したら国語という教科の存在意義が根底から覆されるというか。それに俺が知っている限り、英語のテストでも英文和訳とか和文英訳の部分には救済措置がなかった気がする。
「分かった。すぐに行く。菅井先生に非はない、ツボタが全面的に悪い」
俺はため息をついた。そして武器になる物を探したが。
……やめておこう。放送室は狭い。高価な機器を壊しでもしたら弁償できないし、武器を持っていることで動きが制限され不利になる可能性もある。
「樫村は職員室に行って、マスターキーを借りて来てくれ」
俺はそう言って立ち上がり、放送室へ向かった。
坪田和仁。それがヤツの名である。
ヤツは一月に編入されたばかりの俺のクラスメートであり、寮のルームメートであり、ついでに同じ師匠に武術を習う兄弟弟子というヤツでもある。
俺とヤツとの出会いは、何というかいろいろと最悪なものであったが。あれこれゴチャゴチャと面倒くさいことがあった末、俺は現在ヤツのお目付け役というような仕事を師匠から言いつかっている。
説明すると面倒なのだが、簡単に言うとヤツは帰国子女というヤツだ。だが普通の帰国子女ではない。海外でヤツが経験してきたことは全く普通ではなかった。
平たく言えば戦場経験者。とりあえずヤツは今でも、平和な社会での平和な暮らし方というのが未だにあまり理解できていない。
日本語も話す分には問題ないようであるが……そうでもないか? 時々、何言ってんだか分かんねえ時があるし。それでもそれなりに話は通じるから、一応『話せる』と言っていいだろう。
武術の師匠が言うには、ヤツは他に英語・フランス語・アラビア語の簡単な日常会話も解するという話だが。
俺が思うに、そのどれ一つとしてマトモに使いこなせていない。
英語の発音はなまってるし。(音読の時、hを全部落として読んでクラスメートに爆笑された。笑ったヤツのその後の運命については思い出したくない)綴りも文法もいい加減にしか覚えてないし。
フランス語とアラビア語はしゃべれるのかもしれないが、全く読み書きできないらしいし。
で、日本語だが。先ほど言ったとおり一応しゃべれるし読み書きできる。ただし。
書き→きったねぇ字でひらがなとカタカナが書ける。あと、自分の名前は何とか漢字で書ける。
読み→漢字はかなりアヤシイ。
十七歳にして小学校新一年生レベルの国語力を持つ男、それがヤツだ。
というわけで、そんな日本語力で学年末試験を受けた坪田の成績は悲惨だったという話。
答案を返却され屈辱を味わったらしいヤツは、
『僕が日本語の読み書きが苦手だって分かってるくせに、こんな問題出すなんてヒドイ。虐待だ』
とか言い始めた。(書けないくせに虐待とか難しい言葉は知ってやがる)
『分かってて受け容れたんだから、ちゃんと対応すべきじゃないか! 話し合ってくる!』
と職員室に躍りこみ……以下略。
まあ『盗人にも一分の理』というか、ヤツの言い分にも多少は酌量の余地があると思って俺は今まで放置していたのだが。さすがに採点の訂正を断った教師を拉致監禁、となるとお目付け役として放っておくわけにもいかない。
だいたいアイツの言う『話し合い』って『話し合い』じゃねぇし。単なる脅迫だし。
くそぉ。これも修行とはいえ、面倒くさいことこの上ねェよ、先生。……と脳裏に浮かぶ武術の師匠に愚痴を言いつつ、俺は放送室に向かった。