90.決着
「いい加減にしていただこうか」
怒気を抑えた声で発言をしたのはイーストハムのアラスター国王。
70歳を越えた老齢の国王であった。
イーストハム王国は東方諸国の一つで、山奥の小国である。
「なんだと?」
ジョージ三世は意外そうな顔でイーストハム王を見る。
これまで東方の小国がスコットヤードに反抗することなどなかったのだ。
「この期に及んで、1国だけ駄々をこねるのは止めてもらいたい」
「貴様、ずいぶん偉そうに言えるものだな。スコットヤードを侮るか」
ジョージ三世はふつふつと怒りが湧いてきたようで、顔が赤くなる。
アラスターを睨みつけるが、辺境の老王は平然とそれを受け止めた。
「逆だよ……。これだから戦後生まれは困る。第六魔災を、あのときの絶望を知らん」
アラスターは呆れたようにため息をついた。
「そもそも貴国が戦後デカイ面をできているのは誰のおかげだ? セリーナ様のおかげだろうが!」
「それは真実ではない。裏事情があったのだ」
「そのようなこと」
アラスターは鼻で笑う。
「あの恐ろしい魔法を作り出したのが別人だとしても、それを使いこなせたのはセリーナ様のみ。それは揺るがぬ事実」
それゆえ、50年前の人々は奇跡的に生き残ったセリーナに英雄の称号を与えた。
「第四魔災の7英雄をセブンスターズ。第五魔災の3英雄をビッグスリー。ならば第六魔災の英雄はなんだ?」
その言葉にジョージ三世は気圧される。
実戦経験がない王と、魔災で生き延びた王。
貫禄が違うのは当然であった。
「ス、スペシャルワン」
「そうだ。一人で世界を救った英雄――スペシャルワン。その方の提案を断るなどありえるのかっ!」
ジョージ三世そう言われ、はっとする。
先代より引き継いだことに、セリーナに関することがあったことを思い出したのだ。
ずっと表舞台に出てこない幻の人物に対する約束など、いちいち覚えてなどいられない。
「どうやらワシよりぼけているということはさすがになさそうだな」
それは命をかけて世界を救った英雄に対するささやかなお礼。
ジョージ三世も確かに父より引き継いだ誓約であった。
「スペシャルワンの要請断るべからず」
「そうだ。その約束をしたのはおぬしの祖父」
先々代のスコットヤード王はなぜそんな約束をしたのか。
セリーナの名声が絶大すぎたためである。
そもそも魔災後の世界は混乱の真っ只中である。
統治者がいない土地が多いのだ。
なので、過去の英雄もその地で国を興すことが多かった。
第六魔災後、アイランドやブリトンといった王国が勃興する。
しかしセリーナは復興に尽力はしても、国を興そうとはしない。
民衆はセリーナが国を作ることを望んだ。
スコットヤード国内ですら、セリーナを王にすべきという声は少なくなかった。
その頃になって、スコットヤードを含め大国の王がセリーナを持て余しだす。
適当な閑職でも与えて民衆を静めたい。そう考えた。
それでセリーナは対魔族会議の最高顧問という役職を与えられることとなった。
もっとも参加せずともよく、今日まで出席することはなかったが。
さらにセリーナがローダンに学園を作りたいと伝えると、各国は喜んで協力した。
引退した冒険者が指導者になるのはよくあることだ。
セリーナをその理事長に押し留めるのは、各国にとって都合がよかった。
ゆえに、困ったことがあったら何でも協力すると約束した。
子供たちにも『スペシャルワンの要請断るべからず』と言い聞かせておくと。
「スコットヤード王よ。これ以上は無益ではないかな」
リチャード二世がしたり顔で忠告を入れる。
東方の小国にすら造反された。
その衝撃は大きい。
ジョージ三世が出席者を見渡すと、ある変化に気付く。
スコットヤード王国は人道的で他国に慕われているような国ではない。
あるのは畏怖である。
歴代の王にとってそれで問題なかった。
だが今の彼らの視線はどうだ。
もちろんまだまだ畏怖の念はあろう。
しかしそれ以外の感情が含まれていることを、ジョージ三世は敏感に感じ取っていた。
得意の金融分野の工作を凌がれ、軍事上の最重要拠点が消滅。
国際会議でも立場を失ったスコットヤードの凋落は、誰の目にも明らかとなった。
「き、貴様ら……このままですむと思うなよ」
負け惜しみもそれまでであった。
ジョージ三世は提案を受け入れるほかなく、会議は終結した。
**** ****
俺は会議室の扉の前で気付かれないように待機していた。
イビルアイサイトで会議を覗いている。
スコットヤード国王がやはりごねている。
これは想定された事態。
ここで俺が颯爽と会議に乗り込み、奴を論破する。
計画通り。
――さあ、いこうか
俺は扉に手をかけ――
「いい加減にしていただこうか」
東国の老王がそこでキレた。
そのままジョージ三世を糾弾する。
あれ?
入るタイミング逃したぞ。
ジョージ三世は会議で孤立し、無事条約は成立。
俺は扉の前でポカーンと突っ立っている。
程なく我に返る。
逆に考えるんだ。
俺が出るまでもなかったと。
もうすでにスコットヤードの勢力には陰りが見えていた。
対魔族会議でこの有様では、しばらくはおとなしくしているしかないだろう。
「このままここにいても仕方がないし、とりあえず戻るか」
俺は気を取り直して、街にある病院に転移した。
オーレッタが入院している病院である。
殺風景な部屋にベッドが一つ。
オーレッタが眠っていた。
その部屋にはもう一人の人物がいた。
アドリゴリが病室の中で警護をしていたのだ。
への字口をして直立不動である。
「異常ありません」
「まあそうだろう。念のためだからそんな肩肘張らんでいいと言ったはずだが」
「警護を任された以上、何かあっては私の失態ですので」
見ていないところでならともかく、俺たちの目の前でそんなことを出来る人間などいるわけもない。
俺はアドリゴリの生真面目さに苦笑しつつオーレッタを見る。
「条約は締結される」
「ではもう安心ですね」
「ああ。あとは俺が見るから帰っていいぞ」
アドリゴリは一礼をして、転移していった。
オーレッタは先ほど眠ったとのこと。
「あれ?」
しかしアドリゴリが去るや否や、オーレッタは目を開けた。
そして体を起こす。
「あのようにガン見されて、おちおち眠れるわけもございません」
「それはすまなかったな」
俺はオーレッタに謝る。
逆に落ち着かなかったらしい。
完全な人選ミスだ。
「いえ。お気遣いありがとうございます」
オーレッタはそのあと眠そうな表情となった。
拷問を受けて体力を消耗したのだから仕方がない。
「眠いならば寝ていいぞ。もう襲われることはない」
「あの……」
オーレッタがおずおずとこちらを見る。
「なんだ?」
「よろしければしばらく手を握っていただけないでしょうか?」
オーレッタは不安そうな表情で懇願した。
今日は怖い思いをしたのだ。
それで不安が取り除かれるというのであれば、俺のとるべき行動は一つ。
俺は笑顔で頷くと、椅子をベッドのそばに移動させ座った。
手を握ると、安心したのかオーレッタは程なく寝息を立てた。
俺は明け方までそのまま手を握り続けるのであった。




