79.不穏な影
スコットヤード王国王子ヴィンゼントはハミルトン要塞を再度訪れた。
報告を聞くためである。
第三騎士団長カーティスが応接室で出迎える。
第三騎士団の相談役であるレナードも同席していた。
「進捗状況はどうだ?」
豪華なソファーにふんぞり返ると、ヴィンゼントはすぐさま要件を告げる。
カーティスは恐縮しながら、ヴィンゼントが不機嫌になるであろう報告をしていった。
尾行の成果はなし。
たいした情報は得られていない。
ローダンにある家には帰っている形跡はなく、どこかに住処がある。
転移魔法というものは、魔法を使う瞬間を見れば大体どこに行ったかはわかる。
もちろんその魔法陣を解析できる術者なら、の話ではあるが。
しかしアシュタールたちは尾行をまいてから転移するため、その瞬間を見ることができてないでいた。
「それはつまり、尾行すら奴らには気付かれているということではないか?」
予想通り機嫌を悪くしたヴィンゼントが声を荒げる。
「その可能性もあります」
あるいは、常に尾行を警戒するような生活をしているかだ。
もっともヴィンゼントが前者であると決め付けたので、こちらは考慮する必要はなくなった。
「では奴らは尾行してもなんとも思ってないということか。馬鹿にしやがって!」
ヴィンゼントはますます不機嫌になった。
「なんとしても奴らにほえ面をかかせねばならん」
「はぁ……」
カーティスは曖昧な返事をするしかない。
なにやら因縁があるのだろうが、それを尋ねてもろくなことにはならない。
その程度のことは無骨な武人にも察せられた。
「いっそ力づくでどうにかできないか?」
「他国の王都に軍は派遣できません。少数精鋭による襲撃ということになります」
「可能か?」
「下手すると外交問題になりかねません」
カーティスが懸念を述べる。
しかしヴィンゼントはたいしたことではないと一蹴した。
「この間の融資停止以降、すでに両国の仲は悪いさ。今更この程度のことで悪化はせんよ」
「しかしその者は正体不明の種族で、かなり強いのでしょう? また、なんらかの恐ろしい特殊能力を持つとか」
「その力はしばらく使えないはずだ。それを抜きにすれば、勇者と互角程度であると類推される。フィオナ・スペンサーには敗れたと聞いている」
ヴィンゼントはアシュタールの力を過小評価していた。
恐るべき力を持っている可能性はある。
しかし、その力には著しい制限があると思っていた。
常にそんな力を揮えるのであれば、なぜコソコソ生きる必要があるのか。
それはヴィンゼントには理解できない行動である。
自分ならば即座に世界を支配し、思うがままにする。
だから、あの力を出せるのは何らかの条件が揃ったときのみ。
あるいは1回使ったらしばらく使えないといった類の力であると判断していた。
「なるほど。ならばエドガー殿であれば倒せるやもしれませんな」
「あ奴は父上の命がなければ動かん。今回は使えん」
「左様ですか……」
カーティスが顎に手をあてて難しそうな表情で考える。
ヴィンゼントは軽々しく勇者と同程度というが、それだけでも人類では飛びぬけた力の持ち主。
それを少人数で討てといわれても、なかなかできることではない。
「そやつらが人間世界で活動するにあたって、協力している者がおります。その者であれば、多少なりとも正体を知っているやもしれません」
レナードが口を挟む。
「確かに。しかし有力な協力者は第六魔災の英雄、大魔道士セリーナ。彼女にはうかつに手をだせませんよ」
カーティスが難色を示す。
「それ以外にも色々おるじゃろう」
「あとは活動を共にしている、ユーフィリア殿下らのパーティーですな」
「ユーフィリアに手を出すなんてありえないぞ」
ヴィンゼントはユーフィリアを未だに諦めてはいない。
強い口調で拒絶の意を示した。
「そもそも、ユーフィリアたちはあの男が人間じゃない可能性に気付いているのか?」
「どうでしょうな。もしブリトン王国が気づいているのであれば、国王が娘のそばにそんな男がいるのを許すとは思えませんが」
「確かに。そもそもあの王が頑固なせいで僕の婚約もうまくいってないんだ」
ならばこの件に関してはブリトン王国とは協力できるのかもしれない。
ヴィンゼントはそんな風に都合よく考えた。
「他に候補はいないのか」
「アシュタールなる者の活動範囲は学園と冒険者ギルド、そしてバンクオブブリトンという銀行です」
それらは尾行によって判明している。
カーティスはその報告書をテーブルの上に置いた。
「では冒険者ギルドと銀行についての調べはついているな?」
「もちろんでございます。銀行のほうには預金者のふりをして探りを入れました。窓口業務の若い女性がベラベラと話してくれましたよ」
「ほう」
「銀行取り付け騒ぎを収めたあの日のことを。それはもうたっぷりと」
「そんな話は聞きたくないな」
ヴィンゼントが不快そうに舌打ちをする。
銀行員であるマーサが自慢げに語ったのは、スコットヤードにとっては屈辱的な話である。
「その女性が言うには、銀行内でアシュタールなる者と親しいのは頭取か自分だそうで」
「ほうほう」
ヴィンゼントは報告書に目を通しながら頷いた。
「一方冒険者ギルドですが、こちらはあまり親しい者はいないとのことです。ただし……」
カーティスはもう一方の報告を行う。
「1人の受付嬢と親しげにしていたという証言がありました。受付嬢は普通に接しただけで、なんでもないと言っています」
「ふーむ……」
ヴィンゼントが思考をめぐらせる。
証言者の印象が間違っていたか、その受付嬢が親しいと知られることを避けたか。
後者であれば親しいことを知られたがらない。
何かしらの情報を持っているという証ではないだろうか。
「今名前が挙がったものたちを優先的に狙え。状況によってはさらってもかまわん」
「誘拐し、拷問にかけろと?」
「そうだ」
「田舎の戸籍もないような者であれば、突然いなくなってもたいした問題にもなりますまい。しかし王都の身元がしっかりした者となると、ちと危ういですな」
レナードが若い王子をたしなめようとする。
「そのあたりはできるだけ目立たないように、下の者を狙うといい」
「わかりました」
翻意させることはできないように感じられた。
カーティスは恭しく頭を下げ、命令を実行に移すのであった。




