51.邪神の一日頭取③
俺はその男に向き直る。
「ではまずあなたが下ろせばいいんじゃないでしょうか。お名前をお伺いしましょう。通帳もお出しください」
俺が告げると、男は動揺した。
いきなり自分に話がふられるとは思っていなかったのだろう。
「つ、通帳なんて持ってきてねえよ。さっきお前が言ったように無理矢理奪われたら困るからな!」
俺は目を細める。
「たしかに。ではお名前をお伺いしましょう。当行ではきちんと書類が整備されておりますので。これで万が一にもあなたに渡すお金がないということは起こりません」
「ああ、ええと……」
男は言葉につまる。
「あれぇ? まさかとは思いますが、当行で口座開設なさっていないとかはありませんよねえ」
俺はズイッと一歩男に近寄る。
「では何をしに来ていらっしゃるのでしょうか?」
男は答えられない。
俺はそこで一拍ためて、核心をつく。
「答えられないのですか。それはそうでしょうね。スコットヤードから工作のために来てるなんて言えるわけがない!」
俺は声を張り、指でビシッとその男を指す。
「ちちち、ちっちがっ」
男はあからさまにうろたえた。
「なんだって!?」
「スコットヤードのスパイがこの中にいて扇動していたのか」
群衆は蜂の巣をつついたかのような大騒ぎになった。
俺は両手で鎮まるようにジェスチャーをする。
皆が静まる間に、男のほうも少し落ち着いてきたようで、反論を試みる。
「そ、そんなことない。そんなことはないぞ」
「ならば、ここになぜいるのですかな? 当行に用もないあなたが!」
「……俺の連れだよ」
人ごみの中からさらに一人の男が出てくる。
いかつい顔つきで、只者ではない雰囲気をまとっていた。
「これが俺の通帳だ。こいつは俺に付き添ってくれてたのさ」
俺はその通帳をマーサに渡し、確認を取る。
「確かに。クライド様でいらっしゃいますね」
「わかったか。じゃあ俺は金を下ろさせてもらうぜ。誰も下ろさないようだからよ」
クライドは銀行の入り口に向って歩き出す。
「一つ確認よろしいでしょうか?」
「……なんだ」
クライドの目に警戒がともる。
「あなたはスコットヤード人ですか? いつブリトンに?」
「そんな質問に答える必要があるのか。尋問か何かか」
「いえいえ、身の潔白を証明できればと思ったのですが」
俺は肩をすくめる。
「あなたに付き添ってきたのであれば、彼はなぜそれを言えず、ああも慌てたのでしょうか?」
俺の質問にはクライドは答えない。
「あなた方は会ったこともないのではないのですかな。スパイ組織ではよくあります。彼はあなたのことを知らなかったのでしょう」
まあ知ってたとしても、あの人ですとスパイの上司を紹介できるわけもないが。
「証拠があって言っているのか?」
「ではそちらの方に確認しますが、クライドさんの住所はご存知ですかな。この通帳に書いてあるわけですが」
「ええと……」
男の目が泳ぐ。
「家はあっちだ。住所なんて自分でも暗記してねえよ。まだ引っ越したばかりでな」
クライドは男がボロを出す前に自分からベラベラと話す。
こいつが知っている情報ではもう追及できなそうだな。
「あなた方は昨日の夜一緒にいましたか? こういう時に協力し合うほどの仲のようですし」
「どうだったかな。忘れちまったよ」
クライドは明言を避けた。
言質を取られないように慎重になっているのだろう。
「では私が答えましょう。あなた方は昨晩、一緒にはいない。そうですよね。ハーキムさん!」
「な、なぜ俺の名前を!?」
ハーキムという下っ端の男は、名前を言い当てられてさらに挙動不審となった。
もっとも、この名前も偽名かもしれない。
「あなたは自宅で別の人と一緒にいた。名前はたしか、ゴードガーさんでしたか」
「馬鹿な……尾行されていた? そんなはずはない」
そう、俺は尾行などしていない。
「それがなんだっていうんだ」
クライドから焦りの色が見え始めた。
「それ自体は別に問題ないのですがね。あなたは中でどんな会話をしましたか」
「世間話だよ。ツレと何話そうがお前には関係ないだろうが」
ハーキムは足が震えていたが、精一杯強がる。
「そうですね。世間話なら何も問題がない。でもこの言葉はどうでしょうね」
俺は彼らの会話をそのまま伝える。
「『今回の仕事は大きすぎて最初はびびったが、意外と楽勝だったな』『ボーナスもでる。ああ、これはスコットヤードポンドでもらわないとな。はははっ』」
彼らの口調も真似をするというオマケ付きだ。
ゴードガーの喋り方は特徴的で、彼らには本当に会話を聞いたという印象を与えることができたであろう。
「こんなやり取りをしてましたね」
「き、貴様らそんな馬鹿なことを」
クライドが怒りで顔が真っ赤になっていた。
「そ、そんなはずはない。話したのは防音性の高い奥の部屋。外に漏れるわけがない。まさか魔法で? それもありえない。サイトビジョンの魔法を防護するマンションだ」
自由にカメラ越しに見ているかのように見れる魔法がある世界。
その魔法でどこでも見れるようじゃ、色々と問題がある。
政府のお偉いさん同士の会話とか、スパイの会話とか、女性の入浴とか。
見られたら困る場面というのは多々存在する。
だから、それに対抗魔法は存在する。
しかしその防護魔法でも、邪神族のイビルアイビジョンは防ぐことはできない。
だから俺は見ていた。その部屋を。
聞いていた。その会話を。
「口からでまかせだ! 証拠はあるのか証拠は」
クライドが叫ぶ。
そんなものは存在しない。
「今のが嘘かどうかを魔法で確認するとしましょう」
「またでまかせを。そんな魔法はこの世に存在しない」
「イビルスネーク」
俺は小さな声でつぶやき魔法を唱える。
ハーキムに異変が起きる。
「な、なんだぁ?」
違和感を覚えた男は上半身の服を脱ぐ。
その男の皮膚にそって、蛇が縦横無尽に動き回っていた。
体にかかれた絵が動いているようなものだ。
「なんだこれえええええ」
「審判の蛇です。その蛇は嘘をつくとあなたを内側から食べます。脳をバクリとね」
「こ、こんな魔法見たことねーぞ!」
邪属性魔法だからあるわけがない。
「あなたの体の中にいる蛇は、当然あなたの嘘を見破ります。さて質問です。あなたはスコットヤードのスパイですか?」
男は動揺し、あたりをオロオロと見る。
そしてクライドと目が合った。
「こんな方法許されるわけがない。おい、いいのかお前ら」
クライドは周りを扇動しようとするが、群衆はみな冷たい視線を送るのみである。
「クソッ」
クライドは俺に襲いかかろうとした。
だがその瞬間、後ろから体を掴まれる。
「暴力はいけませんなあ。落ち着いてください」
ヒゲ面で長身。筋骨隆々の肉体。
第五軍団長ガレスである。
「なんだこいつ、俺が全く振りほどけないだと!」
人間の中では多少腕が立とうが、邪神族の軍団長にとっては赤子も同然。
動けるわけもない。
「さて、答えてもらおうか。あまり遅いと蛇が脳を食い始めるぞ」
「ひいいいいい。そうです。俺はスコットヤードのスパイです」
「この馬鹿がああああ」
クライドが悲痛な叫び声を上げる。
「だって嘘をついたら死ぬんですよ。って蛇が消えた、よかった」
自白がえられたところで俺は魔法を解除した。
もう十分だろう。
こいつらは官憲に渡せばいいか。
スパイ網の調査までしてやる義理はない。
「あんたは出てくるべきではなかったな」
俺はクライドのミスを指摘する。
出てこなければ、少なくともクライドが捕まることはなかった。
「この任務は責任重大。このような形で失敗するなど絶対に許されなかった。貴様さえいなければあああああ!」
クライドの怨嗟の叫び声がバンクオブブリトン周辺に響き渡る。
「だが残念ながらもう終わりだ。俺は興味はないが、お前が持っている情報はブリトンがほしがるだろうよ」
「そのようなことを話すわけがない!」
クライドは覚悟を決めた顔つきで、歯を食いしばる。
そして口から泡を吹いて痙攣し始めた。
「な。なんだこいつ」
ガレスが慌てて体を調べる。
クライドはもう死んでいた。
「歯の奥に毒を仕込んでいたか。まあいい」
こちらは立派なスパイだったということだ。
絶対にブリトンに渡してはいけない情報を持っていたのだろう。
「さて、この騒動がスコットヤードの工作だとわかったのに、まだ金を下ろしたいという人はいらっしゃいますか?」
俺の質問にYESと答えたものは誰もおらず、一人また一人と立ち去っていく。
「もし他の銀行に口座があって、不安な人が知り合いにいるならばこう教えるといいでしょう。バンクオブブリトンに預金を移動しろと。そこならいくらでも預金を引き下ろせると!」
俺はそう言って演説を締めくくる。
バンクオブブリトン周辺の騒動はこれで終わった。
おそらく他の銀行の騒動も遠からず落ち着くはずだ。