50.邪神の一日頭取②
バンクオブブリトンの1階の大扉。
この先には人が殺到している。
ここを開ければ人がなだれ込んでくるだろう。
「ほ、本当にいいんですか? 昨日見たときには、貴族の関係者も多々いました。多額の預金をしている方々です。彼らに全額払える現金はここにはありませんよ」
若い女性行員が思い切って聞いてくる。
マーサというらしい。
細く小さい体だが、それに反比例しているかのように元気で、物怖じしない性格のようだ。
「開けたらもう暴徒を止める手段はありません」
「問題ない」
俺はそう告げて扉を開ける。
いきなり扉が開いたことに戸惑う群衆。
しかし我に返ると、中に入り込もうとした。
「ウィンド」
俺はそれを風魔法を使って軽く吹き飛ばす。
そして銀行の外に出る。
「な、なんなんだ一体」
群衆は警戒して俺から距離を取った。
俺を中心に円状の空間ができる。
「本日はバンクオブブリトンにお越しいただき、ありがとうございます。本日頭取に就任したアシュタールと申します」
「こんなクソガキがか」
「冗談はよせ。こっちはそんな冗談に付き合っている暇はねえんだぞ!」
殺気立った群衆はそれを真実だとは思わず、怒号が飛び交う。
「皆様のご用件は承知しています。預金を下ろしたいのでしょう」
「そうだ。さっさと下ろさせろ!」
「はい。かしこまりました」
「えっ?」
俺の答えが予想外だったのか、素っ頓狂な声を上げる。
「当行はこれより通常営業に戻ります。預金はいくらでも引き出せます」
俺がそれを告げると、群衆からどよめきが走る。
「うそつけ! 銀行にはそんな金は残ってないらしいじゃねえか」
その男はチラシを掲げる。
それは先日何者かによって大量にばら撒かれた流言のチラシ。
「つまり金を引き下ろせるかは早い者勝ちということ。おい、はやく中に入れろ」
「お待ちください。その前に説明したいことがございまして」
その間にアドリゴリがお立ち台の用意をする。高さは1メートルほどあり、それなりに大きい。
「そのようなチラシがばら撒かれたことで、皆さんが不安になるのは無理もありません。当行も政府には多額の融資を行っております」
俺はお立ち台の上で演説を始める。
「しかし、当行の経営基盤は磐石。皆様からお預かりしたお金がなくなるということは決してありません」
「そんな言葉で納得すると思っているのか! 証拠を出せ証拠を」
「これから皆様が実際に預金を引き下ろす。それが証明となるでしょう」
「じゃあ我々も下ろしていいのかな?」
身なりのよい中年男性が人ごみの中から前に出てくる。
「ゴールドバーグ伯爵です。大口顧客の一人です」
マーサが小さな声で俺に教えてくれる。
伯爵自らきているとは、相当焦っているのだろう。
「もちろんでございます」
「ではさっさと済ませてもらおうか。金がなくなったと言われても困るからな」
「はい。それはブリトン金貨でよろしいのですか?」
「どういうことかな?」
ゴールドバーグ伯爵はこちらを睨む。
「商人の間ではすでに広まっていることだとは思いますが」
そう注釈をつけて俺は説明をする。
今回の騒動を受けて、ブリトンの通貨は他国の通貨に交換しにくくなっていたことを。
どうしても交換したい場合、半額程度に値切られるという状況になっている。
「なんだって……」
俺の説明を受け、群衆はまたもやざわめく。
「じゃあ預金額は実質半分になったってことじゃないか!」
それは正確ではない。
外国のものを買おうとすればそうなる。
しかし国内で生産されたものに関しては今までどおりだ。
だがその説明はしない。
「どう責任をとる気だ!」
群衆はさらに殺気立つ。
「国の通貨の価値が下がるのは国の信用が揺らいだため。その責任は国が取るでしょう。我々は額面どおりの数値を保障するのみです」
「そうか。貴様らはこの国の通貨にはもう価値がないと判断したのだな。だからそれを返しても特に問題はないと」
ゴールドバーグは邪推する。
「そんな手に誰が乗るか。この国の通貨じゃ話にならん。スコットヤード金貨をもってこい! あるいは純金でもいいぞ」
この状況でスコットヤード通貨を用意できるわけがない。
そう高を括ったものたちがこちらに強く要求した。
「かしこまりました」
俺が一礼をすると、待ってましたとばかりにアドリゴリがお立ち台に革袋を次々と置いていく。
お立ち台に乗り切らない袋は銀行に入り口に置く。
俺はそのうちの一つをあけて見せる。
皆に見えるように。
「こ、これはスコットヤード金貨! 白金貨もこんなに……」
ゴールドバーグは目を丸くしている。
「もちろん他の袋にも、同様にスコットヤードの通貨が大量に入っております」
俺は別の袋をあけて見せた。
それは金貨が大量に入った袋。
「銀行の中にもまだまだあります。正面に立っている人にしか見えないかもしれませんか」
「確かに同じ袋がまだまだあるぞ。一体何百袋あるんだ……」
正面に立っていた男が証言する。
「そ、そんなに!? いったいいくらあるんだよ」
群衆の中から疑問の声が沸く。
「総額いくらかは、申し訳ありません。銀行家である我々にも数え切れないので。いや申し訳ない。銀行家失格です」
俺はおどけて頭をペシッと叩く。
「もっとあるぞ、ほら!」
そう言ってでてきたのは前頭取であるベン・スプリングフィールドであった。
彼は興奮した様子で、自分のものになったはずの革袋を持ってくる。
「ほう。いいのか」
俺は屈んで、小声でベンに問う。
「あなたの考えはわかりました。ここは祖父が作りし銀行。私にも意地があります」
ベンの言葉に俺は頷く。
こういう奴は嫌いじゃない。
彼は俺に賭けたのだ。
自分の財産と自分のすべてを。
ならば、俺のやることは一つ。
俺は真顔に戻ると、立ち上がって演説を再開する。
「先ほど証拠と申されましたな。これが証拠です。皆様に全額返金しても余裕で余るほどのスコットヤード通貨となります」
俺の言葉に人々は納得し始めていた。
なるほど、本当に引き下ろせそうだと。
「な、ならばすぐに下ろさせろ!」
「はい、こちらとしてはいつでもできます。しかしそちらは本当によろしいのですか?」
「どういう意味じゃ?」
ゴールドバーグはこちらを怪訝そうに見る。
「お金は銀行にある限り守られます。絶対に。間違いなく」
俺は力強く断言する。
「しかし、ひとたび下ろしてしまえばそうではありません。ご覧ください、この状況を」
俺は大仰に手を動かす。
そこに集まっているのは多数の殺気立った人たち。
遠からず暴徒化すると思われていた者たち。
「これだけ大勢が見ています。話は広がるでしょう。ゴールドバーグ伯爵の邸宅には大量のスコットヤード金貨があると。そしてこの町の現状は危うい。いつ屋敷を襲撃するものが出てもおかしくないのです」
ゴールドバーグは俺の言葉にはっとして周りを見回す。
「あるいは帰る途中に路地裏に引きずり込まれ、せっかく下ろした大金を奪われたりはしないでしょうか」
ゴールドバーグ伯爵には当然お供の者、警護する者が幾人も付き従っていた。
彼らは警戒をつよめ、ゴールドバーグの周りを取り囲んだ。
「普段であれば、そうならないように政府によって治安が保たれているでしょう。しかし今は違う。このような騒動になったことで、それどころではない」
ゴールドバーグ伯爵は顎に手をあて考え始める。
「なるほど……。これだけの資金を見せ付けられた以上、ここは安心だ。ならば私が今下ろす必要は全くない」
その思考は長いものではなかった。
ゴールドバーグがその結論に至ったのは当然のこと。
「貴殿の名はなんと言ったかな」
「アシュタールと申します」
俺は再度一礼をする。
「覚えておこう」
ゴールドバーグはそう言って去っていった。
残った群衆も、「どうするこれ」「安全なら引き下ろさなくてもいいんじゃないか」と周りと相談を始めた。
「下ろせるうちに下ろしたほうがいいに決まってる。こいつの言うことが絶対に信じられるっていうのか? 違うだろ!」
それまで状況を見守っているだけだった男が叫んだ。
俺はそれにほくそ笑む。
俺はその男に見覚えがあった。
その男は先日ユーフィリアが演説したときも、群衆を煽った人物だった。




